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趣味で現実逃避

 

「ライア様! あの米糠、凄いですね!」

 ほんの二日でカエデが色めきたった。

 朝顔を出して早々に大興奮のカエデにライアの方がめんくらう。


「もう、朝起きたらお肌の調子がすごくいいんです。他の者にも聞いたらみんなそうだって! それに肘とか脚が心なしかしっとりすべすべで気持ちいいんですよ!」

 季節柄肘までの丈になっている袖をさらに捲り上げてライアの方に見せようとするカエデは興奮冷めやらぬと言ったところだ。

「それは良かったデスネ……」

 つい押され気味に引きつった笑いを浮かべてしまうが嬉しいことには変わりはない。

 どうやら米糠を入浴剤に使うというのは大当たりだったらしい。


 そして。

 昼過ぎ。


 ここにもう一人、若干色めき立っている人がいる。


 場所は作業部屋の方。

 ベンチタイプの長椅子は上等のソファーのような座り心地ではないだろうに相変わらずリラックスしたような姿勢で座り込んでいる、エリーゼ嬢。

 それでもどこか取り澄ましたように顎を引いて唇を軽く引き結んだような表情なのは「そう簡単に懐柔なんかされないわよ」という意思表示なのかもしれない、とライアは思っている。


 それでも「色めき立っている」と言えるのは。


「ライアさん、このお茶飲んだら浮腫が引きました!」

 エリーゼが大切そうに手に取って中を眺めているカップにはライアの薬茶が注がれている。

 湯気のたつそれは彼女の体調に合わせて調合したもので、ここ二日ほど続けて飲んでもらっている。

「良かった。体に合ったみたいね。……もう少し調合しておくからまた持っていって飲んでね」

 ライアが調合の手を進めながらうんうんと頷くとエリーゼも嬉しさを隠しきれない雰囲気になる。


 で。

「あと……これ」

 薬茶を飲み終わったのをみはからって薄紙を敷いた皿の上に茶色いクッキーを乗せて出してみる。

「……あら。何かしら。……随分素朴なクッキーね」

 さすがになんだか分からない物に躊躇いもなく手を伸ばすというのはないようで、エリーゼが榛色の瞳を眇めて皿の上を一瞥した。

「エリーゼさんって、ダイエットしたいんでしょ?」

 ここは単刀直入に申し上げてしまおう、と、ライアが立ったままエリーゼを見下ろしてまず一言。

 と、改まったようにエリーゼが背筋を伸ばした。

「ええ……そうね」

 うん。そこは潔く認めるのね。

 ライアの確認はそれだけで十分。

「じゃ、言わせてもらうけど、ここのお屋敷のお食事には問題があります。あれを毎回全部食べていたら太って当然よ。厨房の人にお願いしてもう少し体に良いものを作ってもらいましょう。……言ってみれば粗食にしてもらうという事です」

「ああ……なるほど……それは、そうね」

 一瞬エリーゼの視線が泳いで、それから納得したように頷く。

「ええ。それはそうだろうと思っていたの。でも……リアム様が召し上がっているものをわたくしが拒否するのは失礼でしょ?」

 ああそうか。

 エリーゼの反応にちょっと思い当たるものがあってライアが話の切り口を変えてみる。

「エリーゼさん、もしかしてここに来る前はもう少し健康的なお食事だったんじゃないですか?」

「……健康的……そうね、そういう言い方もできるわね……」

 なんとなく、ここの食事が体に悪いというのは分かっている、というような口ぶりだったなと思ったのだ。

 ライアの質問にエリーゼは小さく頷きながら。

「以前は母もあまり脂っこいものは食べなかったし、家の使用人たちも年配の者ばかりだったのでみんなで野菜中心の食事をしていたのよ。……うちはゼアドル家に助けてもらって立て直した財産でやりくりしていたから、こんなに豪華な生活はしていなかったし」

 そう言いながらわずかに肩を落とすエリーゼには先ほどまで微かに漂っていたライアを見下すような雰囲気もすっかりなくなっている。

「……本当はそういう食生活の方が体に良いのよ。それに余計な物ばかり食べると不健康な上、太るしね……」

 そう言いながらライアが小さくため息を吐く。


 リアムは男性だし、エネルギーの代謝が違うからきっとそれだけのものを食べても体がちゃんと消費しているのだろう。なんなら日中は家にいないわけだからその間、動き回っている運動量だって家にいる女子とは段違いのはず。

 それで帰宅したリアムと同じように食事をしたら……そりゃ太るわ。


「同じものを食べる必要はないと思うのよ。ここの人たち、料理の腕が凄いから見た目はほぼ同じでも体に良い材料を使って量も控えめに出してもらうことって可能だと思うの」


 一応、お屋敷で生活しているお嬢様相手なので「体に良い材料」という表現を使うけれど、はっきり言えば「粗食」だ。野菜や豆を使って脂を減らすという意味だ。なんなら肉も脂身じゃなくて赤身を使ってもらって女性用の少ない量にしてもらうという事だ。


「で。夕食の後にデザートなんか食べなくて良いから。せめてフルーツにしてもらったら良いわ。それと、午後のお茶。クリームたっぷりのケーキなんてとんでもない。そもそも屋敷の中でそう運動らしいことしてないんだったら尚更です」

 ライアだってここで出される調理人達の腕を振るったメニューを一度味わった身。

 あれらがいかに美味しいかは知っている。

 一度食べたらいくらでも食べたくなる肉料理やスイーツ。毎日出してもらえるなんてもう夢のような話だ。


「……でもぉ……」

 もじもじと。

 ライアの話を聞きながらだんだんしょんぼりしてきてしまったエリーゼが心なしか背中を丸めてしまっているようにも見える姿勢で力なく食い下がる。

「ここのお料理、本当に美味しいんです。……それに午後のお茶もいただく習慣が身に付いてしまったからもう今更辞められないような気がしますし……」


 ……わかるけどね。

 でも、痩せたいのならそこは譲れない。

 ……ええ、痩せて健康的美人になったあかつきにはあの金髪変態男をしっかり射止めてもらわなけらばならないのです!

 という真の本音は置いといて。


「でも、痩せて綺麗になりたいんですよね?」

 と、ちょっと強く言ってみる。

 そんなライアの言葉にハッとしたようにエリーゼも背筋を伸ばし。

「……そうですわね。リアム様に好まれる女性になるためには努力は惜しみません!」

 ……簡単だな。

 ライアがこっそり心の中でにやりと笑った。


「じゃ、これ。簡単なクッキーですけど油脂は使っていませんし小麦粉で作っているわけでもないので体に良いですよ。それに少量でお腹いっぱいになりますからお腹が空く時間帯のお茶のお供にちょうどいいはずです」

 そう言って先ほど持ってきた皿を指し示すと、先程は胡散臭そうな視線を向けていたエリーゼの視線が好奇に輝いた。

「あ。今お茶も淹れますからちょっと待っててくださいね」

 そう言ってライアがお茶の準備に取り掛かる。


 なにしろ水も火も使える作業部屋。

 お茶を淹れるのも当たり前のようにできる。


「このクッキー、何でできてるんですか?」

 ライアの背後から声がかかる。

 ので。

「んー、糠って知ってる?」

 お茶を淹れる手を止める事なくライアが答える。

「……ぬか?」

「そう。お米を精米する時に出る物なんだけど、本来のお米の栄養素がそこに入っていて、体に良いのよ。定期的に食べてれば脂肪を燃やすのを助けてくれるわ」

「……まぁ……」

 軽く息を飲む気配が伝わってきてライアがちょっと得意げな笑みを浮かべる。


 糠は油分があるので水に溶かして肌に直接つけるという入浴剤的な使い方で保湿にも使えるが、食べて栄養素を体に補う方向で使うこともできる。

 その中に含まれている栄養素は脂肪の燃焼に役立つし、肌に良い成分や、腸の状態を良くするものも含まれている。


 数日前に質の良い糠が山ほどあることが分かったので、今日は朝から厨房にお邪魔してオーブンをちょっと拝借してこのクッキーを作ったのだ。

 材料は煎った糠と粉にした燕麦と蜂蜜と卵。軽食にしても良いような材料ばかりだ。


 ついでにエリーゼの食事事情について料理長と話をして料理の見た目を他の人の皿の物に極力近づけて量と材料を工夫することは可能か、と持ちかけてみた。

 どうやら料理長はライアの考えには賛成のようで、せっかく作った食事が女性には健康に良くない影響を与える上、大部分を廃棄するという現実からの打開策としてライアがメニューを監修してくれるというのは諸手を挙げて賛成のようだった。

 もちろん、調理そのものは彼のアイデアと技術による芸術なのでライアはそこはきちんと認めた上で、使って欲しい食材と使うのを控えて欲しい食材を提案したのだ。

 そういう加減が彼と、ひいては厨房の者達のやる気に火をつけたようで「屋敷の主人にバレないようにエリーゼの分をヘルシーなメニューにすり替える」作戦は決行に移されようとしている。


「……はいどうぞ」

 体に溜まったあれこれを排出する作用を組み合わせた薬茶を飲みやすい味に調合するのはライアの腕の見せ所。

 何種類かの薬草と、味のいい茶葉を組み合わせて作った特製薬茶をエリーゼの前に出してみると、香りを嗅いだエリーゼが柔らかい笑みを作った。

「あら、いい香り。……こんなお茶初めてだわ」

 そう言ってゆっくりカップを持ち上げて口に運ぶ仕草はやっぱりお嬢様。さまになっている。


 少し話をしたおかげで先ほどお茶を飲んでもらってから程よく時間が経った。

 このくらい経てば穏やかな作用を持つこの薬茶も効果を出してくれるだろう。

 一応そんな計算もしていたのだ。


 で、例のクッキーに手を出したエリーゼは一口食べて目を丸くした。

「……美味しい……」

「あ、良かった」

 うん、こういう反応好き。

 ……なんだか誰かを思い出す。

 なんて思いつつこちらもつい反射的に安堵の言葉が出た。


「素朴で優しい甘さなのね。これならいくらでも食べられそうだわ!」

 ちょっとはしゃいだように二枚目のクッキーに手を出すエリーゼに。

「口にあって良かったわ。でもそれ、一度にたくさん食べると後でお腹が苦しくなるから四枚か五枚くらいにしておいた方がいいわよ」

 一応皿には二十枚ほど並べてあるがまさか全部食べるとは思っていないので残りは自分の部屋にでも持ち帰ってもらうつもりだ。

 そんな事を話すとエリーゼが「え!」と小さく声を上げた。

「自分の部屋で一人でお茶なんて寂しいわ。……わたくし、この部屋に午後は通いますから一緒にお茶をいたしましょう!」

「ええっ?」

 いいこと思いついた! みたいな笑顔で言い切るエリーゼに今度はライアが声を上げる。


 だいたいこんな殺風景な部屋でお茶って……お屋敷のお嬢様が……。

「……こんな部屋でくつろげます?」

 思わず声に出して尋ねてしまう。

 柔らかいソファーでもなく、硬い木のベンチ。しかもふわふわのクッションがあるわけでもない。テーブルだってなんの飾りっけもないただの四角い天板のテーブルだ。しかも、部屋の中には薬草の瓶が並ぶ棚と大きな作業台もあって……女の子がくつろぐような部屋とは思えない。

「ええ。ですからわたくし、もっと質素な生活をしていましたと申し上げましたでしょう?

 それでもここの生活に慣れなければと思ってお屋敷での生活を楽しんではおりますけどね……やはり自分の部屋も豪華すぎて馴染めないんです。それで時々窓から外を眺めたりしているんですけど……ほら、このお屋敷、向こう側からこのあたりの窓ってちょっと見える角度になってますでしょ?

 それで先日はここに珍しく明かりがつくのを見て探検に来たんです」


 エリーゼが得意げに話すのは、おそらくライアがこの部屋で作業をしているのを見つけて様子を見にきた時のことだろう。

 そういえばエリーゼは同じ階の反対の端の方の部屋を使っているらしい。

 この階に普段使いされている部屋がほとんど無いことは知っているようだ。


 そんな様子を見てライアはああそうか、と小さく頷く。

 豪華な部屋でゆったりくつろぐよりも、こういう質素な部屋の方が安心できる。そういうことなのかもしれない。

 ふかふかのソファーも必要ないということか。


「……まぁ、そういう事なら」

 ライアが納得しました、というように改めて頷いて見せると。

「あら、良かった!」

 エリーゼが花が綻ぶような笑顔になった。


 ……うん。

 やっぱりこの人、素で美人だ。

 多分もう少し余計なものを落として、肌の艶が良くなったりしたらかなり見栄えのするお嬢様になると思う。

 ライアがそんな事を思いながらわずかに目を見開いた。


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