趣味と仕事は同義
夕食の後、カエデが片付けを終えて部屋に戻ってくるとひと抱えもあるような袋を持ち込んできた。
「ライア様、米糠ってこんな感じでよろしいんですか?」
そう言ってテーブルの上に置かれた袋に。
「……え、こんなに?」
ライアが一瞬目を疑って動きを固めてしまったのはもう仕方ない。
まさかこんなにたくさん持ってくるとは思わなかったのだ。
入浴剤に使うつもりだったので一回分でも一握りあれば十分。数回分としても両手ですくえるくらいの量をイメージしていたのに……。
「まだたくさんあるって言われましたけど」
カエデは満面の笑みだ。
なので。
……そっか。じゃあ少しお裾分けしようかな。と。
「これ、カエデも使ったらいいわよ」
と、ライアが袋の口を開けて中を覗く。
優しい香りがふわっと広がって反射的に口元が緩んでしまった。
うん、新鮮な糠の匂いだ。
「え……私も、ですか?」
きょとんとしているカエデをよそに、昼間作っておいた布袋を部屋の隅から持ってくる。
日中は何かと暇なのでこういう小物作りにはちょうど良かったのだ。
とはいっても本当に大した物ではない。
自分の部屋から持ってきてもらった裁縫箱にはハギレがたくさん入っていたのでそれを使って「糠袋」を作ったというだけのこと。しかも暇だったので自分用に一つあれば十分なのに何個も作ってしまった。
……要はただの袋だ。小物入れにでもすればいいかな、と。
「この袋にね、んー……だいたいこのくらい入れて、口のところをぎゅっと絞って湯船に入れるの。お湯が白っぽくなるんだけど上がる時は洗い流さないで軽く拭くだけにしてね。そうするとお肌がしっとりすべすべになるわよ」
ライアが袋の中に適当に糠を入れて見せながら説明するとカエデは興味津々と言った様子でこくこくと頷く。
なので。
「今夜あたりやってみて、良さそうだったらこの糠もう少しあげるわ。なんなら髪を洗った後もそのお湯ですすいだら髪にもいいんだけど」
それとなくカエデの髪を見ながらライアが提案してみる。
カエデの髪は綺麗な黒髪で、肌もどちらかというと乾燥肌に近いように見受けられた。糠の油分が過剰に作用することもなさそうだ。
「えーそうなんですね!分かりました。やってみます!」
カエデが嬉しそうに袋を受け取るので、ライアは反射的ににっこり笑う。
ああ、この感覚は久しぶりだな、と思ったら……あれだ。
店でお客に調合した薬を渡すときの感覚。
相手がこちらの説明に納得してくれて、渡したものを大切そうに受け取ってくれた瞬間はどこかホッとしたような、それでいて少し緊張するような、そんな感覚にとらわれて……それが合わさった笑顔になる。半分は営業用スマイル、半分は安堵の笑み、といったところ。
「ああ、そうだ……」
カエデがふと表情を曇らせた。
なのでライアもつられて真顔になる。
「ライア様、昼間の件なんですけどね……一応先程お帰りになった旦那様とリアム様にお話ししてみたんですが」
……あ、そうか。
店に一旦戻りたいという話か。
と、思い当たったのとカエデの表情からだいたいの手ごたえがわかったのでライアの表情は固まったまま。
「やはりライア様をこの屋敷から出すのはちょっと……という感じでして……」
ごにょごにょ、という感じでカエデが視線を落とした。
「ああ! 良いのよ! 気にしないで! ちょっと言ってみただけなんだから。それに、そうなるだろうなって思ってたし!」
ライアが慌てるように笑顔を作って声のトーンを上げてみる。
そもそも、もうダメだろうなとも思っていた。
カエデの一存で突っぱねてくれても良さそうだったのに私の意見を通して伺いを立ててくれていた、ということにむしろちょっと感動した。
そうか……あの金髪男とその父親、帰ってきていたのか。
そもそも父親の方にはまだこの屋敷では数回しか会っていない。
屋敷の中を使用人にちょっと案内してもらった時に、出かける直前の父親に会って軽く挨拶しただけであとはごくたまに見かけるくらいだ。
前に店の家探しまがいの訪問を受けていた頃の方がまだ喋る機会があったんじゃないかというくらいで。あの頃はリアムとその父親はだいたい二人セットで来ていて鉢合わせしてしまったら最後、どうでもいい世間話をして……挙げ句の果てに師匠の部屋を見せて欲しいとか師匠が使っていたものを見せて欲しいとか……色々めんどくさかった。
今は……一応将来の嫁としてここにいるのだろうに、こんなんで良いのかというくらい顔を合わせない。
これは向こうとしても多少は罪悪感を感じているからなのか、とか妙に勘ぐってしまうくらいだ。
……その辺のことを考えても、やっぱり監禁されている身、くらいの認識でいた方がいいのだろうと思っている。
改めて自分の立場を自覚したところでそんな気分の落ち込みを改善すべくゆっくりお風呂に浸かって、昼間に自分用に改めて作ったオイルで髪の手入れもしたところで。
「あー……しまった。眠気なんかどっかに行っちゃったな……」
ライアが一人小さく呟く。
この時間はもうカエデは部屋にいない。
彼女はこの屋敷の数少ない住み込みの使用人らしく、この時間は自分の仕事、つまりライアの相手をひと段落させて、通いで来ている他の使用人からの仕事の引き継ぎをしているらしい。
これもライアがこの屋敷から隙あらば逃げ出そうとかいうことをやらかさないというのがわかって出来たゆとりらしい。
……つまりライアが騒動を起こすことが最初に想定されていたのでカエデは住み込みとしてここで雇われたということらしいのだ。
で。
そんなわけで使用人の方々からは妙な信頼を勝ち得てしまったライアの「夜間の見張り」は今はもういない。
この屋敷に来たばかりの頃は夜の間は部屋の外に一人誰かしらがいたようだが、今はいなくなってしまっているのだ。
となると。
「……ちょっとくらいならいいかなぁ……?」
ライアがひょこっと栗色の頭をドアから出して廊下をキョロキョロと見回す。
……うん。やっぱり人の気配すらない。
そもそもこの階は客室があるくらいで普段からあまり人はいないのだ。
そんなことを確認してからライアがそろっと廊下に出て……そのままゆっくり歩き出し……隣の部屋のドアを開ける。
昼間に使っていた作業部屋だ。
部屋のあちこちにある明かりの中で必要そうなものを最低限つけて作業がしやすいように整えてみて。
……うん。やっぱり満月の時期は大胆になれるみたいだね私。
聴覚が戻ってるから万が一誰かが来てもある程度は音で分かるからびっくりしすぎることもないと思うしね。
なんて自分の中でも確認してしまう。
で、いざ。
「えーっと……この辺の物が途中のやつかな……」
ライアが部屋の隅の方に積み上げられた袋の口を順番に開けていく。
店で仕事をしていた時の作業途中だった物たちだ。
つまり、乾燥させた薬草の類。
これらを選別してサイズを揃え直して保存用の瓶に詰め直さなければならない。
一応乾燥させた物に関しては袋詰めして持ち運べる状態になっていたからこちらに持ってきてもらったが、そうでないものに関してはもう諦めた方が良さそうだと割り切る。
……ああ、今頃家に置いてきた子たちはどうしてるだろうか。
鉢植えは……多分全滅だろうな……。裏庭の子達は枯れたりはしないだろうけど……世話する人がいないとどんな状態になるか……ちょっと想像つかないや……。
そんなことを考えているとつい作業をしていた手が止まり深いため息が漏れる。
やっぱり……そのうち何か理由をつけて店を見に行きたいって話してみた方がいいんじゃないかな。
リアムの父親の方はほぼ接触する機会がないが、リアムの方は週に一度か二度は部屋を訪ねてくる。まぁ、だいたいが建設中の離れに関する報告とか事務的な用事でくるのだが。
そんな合間にちょっとお願いしてみたら……どうにかなるんじゃないだろうか。
そんなことを考えているライアの耳に小さな物音が聞こえた。
物音、というか、気配。
「……?」
ライアが我に返ってドアの方に目をやり……しばらく閉まったままのドアを見つめる。
ドアの外に誰かいる……ような気がしたんだけど……あの金髪変態男とかじゃないよね、まさかね。
そもそもあの金髪男だったら遠慮なく入ってくるだろうし。
カエデ……でもなさそうなんだけどな。
彼女ならノックしてやっぱりすぐに声をかけてくるだろう。
そんなことを考えながらしばらくドアを凝視していたが、一向にドアが開く気配も声がかかる気配もないのでライアがそっとそちらに近寄ってさらに外の気配を探るべくドアに耳をペタッと貼り付けてみる。
いや、こんなことしても分からないか。
もしかしたら気のせいだったかもしれないんだし。
そう思ってそっとノブに手をかけて引いてみる。
と。
「……きゃ!」
「……うわ!」
可愛らしい声が上がって、それに驚いたライアもつい声を上げてしまった。
目の前には部屋着姿の女性。
ライアよりは少し背が高くてぽっちゃりした……美人。
僅かにつり上がった目尻に濃い榛の瞳。通った鼻筋に形のいい唇。髪は明るい褐色で部屋着に合わせてゆるく編んでまとめられている。
あれ、この人。
「……もしかして……エリーゼ、さん?」
ライアが小さな声で呟いた。
多分この家にいるこのくらいの年齢の女性で、この時間にこんな格好をしている人なんて他にはいないんじゃないかなと思うので思い出した名前がつい口から出た。
と。
女性が弾かれたように肩をびくりと振るわせて。
「……あなたが……ライアさん?」
こちらを伺うように返してきた。
そんなわけで。
妙な出会い方をした二人はとりあえず、こんなところで立ち話もなんですから、と、作業部屋の中に入り。
「こんな時間にこの部屋の明かりがついたから誰が何してるんだろうって思って……」
訝しげに眉を顰めるエリーゼは胡散臭そうにライアの方に視線を向けた。
……うん。どうやら好意を持ってもらえているわけではないようだ。分かってるけどね。
と、ライアは肩をすくめて。
「ああ、すみません。ここ、自由に使っていいって言われてるのでちょっとやり残してた作業でも片付けようかと思って」
「ふーん……」
ライアの説明に納得したのかしないのかエリーゼは床に放置されている袋の山に視線を移す。
「……あなた……薬師なんですって?」
一応作業をやめるようにと言われるわけではなさそうだし、落ち着いておしゃべりを楽しみましょうという雰囲気でもなさそうなのでライアは作業の続きをしようとかがみ込んで袋の中身の確認に入った所で躊躇いがちな声がかけられた。
「ええ、そうですね」
好意を持たれていないというのが分かっていて笑顔で顔を向けるほどの愛想は持ち合わせていないのでライアは作業の片手間で答える。
「リアム様のお嫁さんになるのよね?」
あれ。
なんか棘が増えたような声音になった。
と、ライアの手が止まり、声の方に視線を上げた。
視線の先ではなんとも言えない微妙な表情のエリーゼがこちらを見下ろしている。
なんとも言えない……肯定的でも否定的でもない……かといって無感情ではない……微妙な表情だ。
ああ、あれか。
家族が増える事になるわけだし、得体の知れない女がいきなり親族になるわけだからどう反応していいか分からないとかそういう事だろうか。
そんな事に思い当たってライアが小さくため息を吐いた。
「……まぁ、そういう事になってますね。別に望んで来たわけじゃないですけど」
「え? 違うの?」
エリーゼの目がおもむろに見開かれた。
……うん。本当に、ここの人たちはこの状況をどう理解してるんだろうね。
そもそも望んで来た人間がこんなふうに軟禁されてるっておかしいでしょうが。
「だってリアムの事なんか全く知りませんし。ここで仕事をしろと言われて強制的に連れてこられただけですよ」
もう一度ため息を吐きそうになって、ああそれはさすがにこの家の人には失礼か、とその吐き出す息に言葉を乗せてみた。その言葉の方がある意味失礼だったかもしれないなんて思ったけれどもう出してしまったものは仕方ない。
「え……じゃあ……お食事に同席されないのはわたくしのことを知っていて怒ってるから、とかではなくて?」
「……はい?」
今度はライアが眉を顰める番だ。
……なんの話だ?
そしてしばらく微妙な沈黙が訪れた。




