自分のペース
「そういえばカエデって、指先気にしてたわね」
朝食を終えてライアがカエデの方に振り返る。
もうこの光景はおなじみになっている、自室での朝食。
ライアがテーブルでおひとり様の食事をする間カエデが給仕をして、なんならお喋りにも付き合ってくれる。で、食べ終わったら食器を片付けてくれる。
初めのうちは見られながら食べるのは気まずくて「一緒に食べよう」と誘ったのだがカエデは使用人たちと一緒に先に食事を済ませるという日課になっているようで、それは叶わずかろうじてお喋りと食後のお茶にだけ付き合ってもらえるようになった。
まぁ、それは仕方ない。
仕事仲間たちとのコミニュケーションは大事だし、そういう時間に連絡事項のやりとりだってあるわけだから「こっちを優先して!」なんて我儘は言えない。
で、一通り片付けをしてくれているカエデの隣にそそくさと歩み寄ったライアが、お茶を淹れるのくらいは私がやりますよー、と無言のアピールをしながら温めるところまで終わっているティーポットに茶葉を入れる。
これももう日課のようなもの。
「私にやらせて?」なんて改めて言うと「いえいえ、とんでもない」と断られてしまうので尋ねる前にもう動いてしまう、というのが効果的と学習した。
「だって私そういう身分の人間じゃないし」
というのがライアの言い分。
そしてカエデもそういうライアを快く思っているらしく、渋々ではあるが笑いながら場所を空けてくれている。
「……そうですね。どうしても仕事で酷使するので季節に関係なく指先って荒れてしまって」
ライアの視線を受けても特に恥ずかしがることはなく小さくひび割れて乾燥した指先は忙しなく動いている。
そんなカエデの指先を見つめながらライアが小さく首を傾げて。
「良かったらクリーム作らせてくれない?」
と聞いてみる。
「……え?」
今度こそカエデの手が止まった。
「あ、えっと。ずっと思ってたのよ。少しはここで仕事っぽいことしてもいいのよね? 私、離れの準備ばかりを手伝ってるけど……」
準備といっても現場の立ち合いではなく設計図の確認や監修みたいなことばかりだけどね。
なんて心の中でつい付け足すのはもう仕方ない。
つまりは。
退屈なのだ。
今までずっと薬草に囲まれた生活だった。
それがここにきてからは植物に触れられるのはせいぜい庭に出るときくらい。
ほとんどの時間この部屋にいて、やることといえばたまに持って来られる図面を確認したり訂正したりする作業ばかり。
そして最近その回数も減ってきている。
「そういえば……そうですね……」
ライアがカップに注いだお茶をテーブルに移しながらカエデが何かを考えるように視線を宙に浮かせながら頷いた。
「ライア様のお家から、薬草の類はこちらに移しているんですし何かお作りなるのは構わないと思いますわよ」
そう言うと先に椅子にかけるようにとカエデが微笑んでライアの方の椅子を手で指し示すのでライアが座り、それを見届けたカエデが向かい側の椅子に腰を下ろす。
そうなのだ。
一応、家の台所にあった薬草の瓶はこちらに移してもらった。
ハーブティーのような簡単なものはさておき、薬として使うものの類は。
リアムの計画としては離れが完成したらそれを移してそこで好きに薬作りをするようにということらしいのだが……それまで手も付けずに取っておくようなものでもない。
使えるのなら使ってしまっていいと思うのだ。
というわけで。
カエデの意見も聞けたことなので。
これは久しぶりに好きなことができるかな。なんて思いつつ、食後のお茶をした後ライアは隣の部屋に移動。
カエデもついてきてくれたりして。
「必要なものがあったらなんなりとおっしゃってくださいね」
ついてきてくれたカエデは……もしかしたら仕事だからというより好奇心とかそっちの方向の理由が強かったのかも知れない、というくらい食い気味のキラキラした目でライアの行動を見守っている。
なにしろいつもは自分で厨房まで持って帰っている食後の食器が乗せられたワゴンを、ドアの外にいた他の人に託してしまったくらいだ。
ライアはそんなカエデの行動パターンから彼女の関心を読み取る術も徐々に身につけてきており……もはや彼女に自分を「見張る」という業務以上に好意を持たれていることは確信しており多少は安心できている。
……まぁ、立場上見張られるのは仕方ないと思うんだけどね。
見張るという仕事を強いられる側の精神的な負担を考えると友好的な関係が築かれている方が楽だと思うし。
なんて思いながらライアは苦笑が漏れる。
……やっぱり近くの人のストレスには敏感になってしまう。その原因が自分だなんて事になったらそれも耐え難い。
「うーん……まずは何がどこにあるか、か」
部屋に入ったライアがぐるっと部屋の中を見渡す。
自分の部屋の隣に設けられた作業部屋はそこそこの広さだ。
なんなら店の台所より広い床面積ではないかと思われる。
そこに棚がいくつか並んで真ん中に大きめの作業台。その周りに適当に並んでいる椅子がいくつか。
水や火も使えるようになっていて、これなら自炊もできるんじゃないかと思う。
このお屋敷、各階に厨房があるらしいからこういう設備を他の部屋に引っ張ってくるのって不可能ではないということか。なんて思いつつ壁や天井を眺めると、これはもしかしたら突貫工事だったかなと思しき跡もちらほら見られる。
それでも結構上等な設備だ。
空きスペースも結構あるからなんなら食卓やソファを持ってきてここに住んでもいいんじゃないかというくらいだ。
で、棚に並んでいるのは自分の店から持ってきてもらった瓶たち。
薬草の瓶の棚には普段使いの物が一通り並んでいる。
それから別の棚に精油の瓶。こちらは店の裏の作業小屋から持ってきてもらった物だ。
並んだ棚をぐるっと見回して、そこにある物を幾つか並べ直して……。
「さて、と」
ライアが腰に手を当てて精油の棚を一瞥し直す。
ハンドクリーム、と思ったけど多分カエデの仕事量を考えると定期的にクリームを塗り直すというのは無理かもしれない。
となると、寝る前に使える簡単なマッサージオイルにした方がいいかな。なんて思う。
「ね、カエデって好きな香りとか嫌いな香りってある?」
ちらりとカエデの方に視線を移すと、やけにキラキラした視線と目が合った。
で。
「え! 私の好み、ですかっ?」
キラキラ加減が増した。
ライアの唇の端がヒクッとひきつるくらいの食いつきよう。
「うん……あんまり好きになれない香りのものを使う必要はないと思うし……?」
「良いんですかっ? 私のために、作っていただくなんて!」
「……うん、そのつもりでこっちに来たんだけど……」
「うわ! どうしましょう! オーダーメイドっていう事ですよね? そんなの生まれて初めてですっ!」
どうやら本気で舞い上がってくれているようなのでライアはとりあえずその様子を見守ってみる。
喜んでもらえるのはありがたい。
で、結局幾つか香りのサンプルを嗅いでもらったところ華やかなフローラル系はあまり好みではないということがわかったので。
「こんな感じでどうかな……」
小さな容器に数滴ずつブレンドしたのはラベンダーとブラックペッパーとパチュリだ。これはライアの持つカエデのイメージ。
試しに香りを確認してもらうと「わぁ素敵!」と小さく歓声が上がったのでどうやら当たりだったらしい。
なのでそれをベースのオイルに混ぜて瓶に詰める。
「これ、お風呂上がりとかにマッサージに使ったら良いと思うのよね」
と言って渡す。
「わー、すごい! こんな風に作るんですね。これ、今日から早速使います!」
そう言って喜ぶカエデを見ながらライアがふと。
「あ、そうだ」
「はい?」
ライアの声は小さかったがカエデの反応は早い。
相当嬉しいのだろう。
「え……っと、このお屋敷ってお米使ってたわよね?」
「え、お米、ですか?」
いきなりの話題変更にカエデが目をパチパチと瞬く。
そう。
米。最近、自分用のバスオイルも作っていなかったからそろそろ色々気になり出していた。
なにしろ自分専用の部屋には浴室もあってそこには必要そうなものは一通りある。つまり、香油や石鹸の類。
でも本当は自分で自分用に作った物が一番合っていたのだ。
でもせっかく用意してくれている物なのでそれをありがたく使っていたら……ちょっと髪の手触りが変わってきた。そしてこの後季節的に寒くなってきたらお肌の乾燥とかも気になるのよね……なんて。
「そうですね。使ってますよ。今朝のお食事もお米でしたしね」
カエデがふと視線を宙に浮かせながら答えた。
そう、今朝の朝食は野菜とお米を使ったリゾットだった。
で、よくよく考えたらこの屋敷の料理には米の出てくる頻度が割と高い。
朝は米、夜はパン、なんていうのが定着しているような気さえする。
「あのね、米糠ってあるかな?」
ライアがちょっと前のめりになって聞いてみるとカエデが「ヌカ……?」と更に目を瞬いた。
「うん。お米を精米するときに出るカスなんだけど。あれ、入浴剤に使うと肌がすべすべになるから、もしあるなら欲しいのよね」
白い状態のお米を仕入れているとしたら糠はないと思うのだが、こういうお屋敷なら使う量と鮮度の関係上、玄米の状態で仕入れてここで精米していないだろうか、と思ったので。
「まぁ……! そうなんですね! じゃ、後でちょっと聞いておきますね」
お、やった。聞いてみるもんだな!
と、ライアの口元が緩む。
「あとね……」
「はい!」
この際だからもう少し要望を言ってみようかな、と口を開いたライアにカエデがすかさず返してくる。
………うん、なんか相当上機嫌らしい。
「えーと、もし可能なら、なんだけど……」
一応こっちは慎重にライアが切り出す。
と、カエデの表情がキリリと引き締まった。
「大丈夫ですよ。なんでも言ってみてくださいな?」
渡したオイルの瓶をぎゅっと握り締めながらカエデがきらりと目を光らせる。
まるで悪巧みをするような顔だ。
「……えっと、ね。私の家にあった精油を作る機械をこっちに持ってこられないかなと思って。あれ、一応バラして組み立てられるような作りだから持ち運びもできるんだけど……もし可能ならここの人たちと一緒に私がついて行くから向こうでバラしてこっちに持ってきてここで組み立てられたら良いな、と」
一応遠慮がちな様子を前面に出しながら尋ねてみる。
あの機械、あそこに置きっぱなしでは勿体無いし、ここの庭にもハーブがたくさんあった。あれ、刈り込みとかするときに分けてもらったら精油が取れると思うのだ。
でも機械の扱いが分かっていて、分解できる人材なんてそういないだろうからついて行った方がいいだろうとは思う。
……とはいえ私がこの屋敷から出る事になるから……許可してもらえるかどうか、という不安。
その辺はカエデも分かったようで、一瞬表情が曇った。
「そう、ですね……ちょっと聞いてみますのでお時間いただきますね?」
考え込んだように人差し指で顎のあたりをゆっくりさする仕草と共に「うーん……」なんて声が漏れるあたり、こちらの要望はそう簡単には通りそうもない。
「やっぱり私が行くのって無理かな?」
カエデの様子が親しみ深くなってお互いの距離が縮まった、という感触があるせいかつい本音が漏れる。
本当の、本音は……やっぱり自分の目で村に帰って自分の家の様子を見たいのだ。
そうしたら……偶然でも誰かに逢えないだろうか、なんて思ってみたりする。
「そうですねぇ……お気持ちは分かるんですが……いえね、ライア様の安全という意味もあると思うんですよ?」
「……安全?」
私、あの家に帰ると何か危険な目に遭う可能性ってあるんだろうか?
ライアが目を丸くした。
と、カエデが小さくため息を吐いて。
「これまで何度かあのお店から荷物を取ってまいりましたでしょ? 私は行ってませんけど行った者が言うには掴みかかってきた輩がいるとか」
「はいぃぃ?」
何その行動的な人。私の知ってる村の人でそんなことをする人いる?
カエデがチラリとライアの方に視線を向けてやれやれといったふうに肩をすくめた。
「ライア様ってそんな感じであの村でお仕事されてたのでしょう? なんだかね、熱狂的なファンがつくのも分かる気がするんですよ」
「え……熱狂的なファン……?」
いないでしょ、そんな人。
飽くまでライアは疑いの目を向けてしまう。
「荷物を取りに行った者は、きっと村でライア様にお世話になっていた方か、もしくはその家族の方ではないかって言ってましたよ? なにしろかなり……粗野な感じの人だったらしくて」
最後のところでカエデはちょっと言い淀んで、言葉を探すような様子だったが。
……粗野。
なんとなくそんな言葉でイメージされるのは……と、ライアは記憶をたぐってみる。
もしかしたらうちの店に来ていた女性陣の旦那さんとかだろうか。
例えばシズカの旦那さんなんかは背も高いし体格もいい。声も大きいし、そう丁寧な話し方をするようなタイプではない。そもそも村の男性陣なんてほとんどがそんなタイプだ。
向こうに悪気がなくてもあんな勢いのある人がいきなり声をかけてきて色々聞き出すつもりで質問してきたら掴みかかってきた、くらいの印象を持つのも無理はないのかもしれない。
そんなことに思い至る。
「でもそれって、私が危ないわけでは……」
ライアが上目遣いで食い下がってみるとカエデが、キッと視線を強めて。
「ダメですよ。そんな人がいる所にライア様を連れて行ってライア様が巻き込まれるようなことがあったら大変ですもの」
「……うう……」
ライアは閉口するしかなかった。




