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レジナルドの夜

 窓の外がぼんやりと明るくなっていくのを感じながらレジナルドはソファに腰掛けたまま微動だにしない。


 シズカと話をして、残ったお茶を無理やり胃に流し込んで、そのあとまっすぐに帰宅し……自室にこもった。

 ここ最近自分の苛立ちが伝わっているのか家の者たちは一切声をかけてこない。こちらが用事を言いつけでもしなければそれこそ食事も出してこないくらいだ。


 お陰で部屋で何者にも邪魔されずに一晩考える時間があった。


 ライアは……あの家に行ったのか。


 シズカの話が全て本当かどうかはまず裏を取る必要があるだろう。

 感情的になって勢い任せに乗り込んでいける場所ではない。

 もし万が一、情報に偽りがあってライアがそこにいるわけではなかったら……それこそ今やろうとしている後継者の交代以前にグランホスタ商会が潰されかねない。

 潰されること自体はどうでも良いとしても……今じゃない。


 となると、まずは情報集めが必要だろう。

 それからどうやってライアをそこから連れ出すか。


 シズカの話を聞いてから、ずっと頭の片隅でチラついて離れないリアムの顔を払拭しきれずについ忌々しげにため息が漏れる。


 あの男、どうやってライアを説得した……?

 やはり、怪我の責任を取らせるという方向の説得だろうか。


 ライアは薬師だ。

 誰よりも人の怪我や病気に敏感だ。

 それは彼女が仕事をしている姿を見ていて思ったことの一つだった。

 本人に言わせれば「耳が聞こえにくいから」と一蹴されてしまいそうだが、ライアは相手の話を本当に親身になって聞いているのだ。いつも姿勢良く、静かな動作の彼女がテーブルの向かい側に座った相手の方に身を乗り出して何度も頷く姿はいつだって相手を安心させていた。

 それに相手の苦しみを和らげたいという気持ちがよく表れた頷き方だと思った。

 第三者である僕からしたら「そんなの大したことないだろうに」と思えてしまいそうな「苦痛」でも、ライアは本気で相手の不快な思いに同情しているのだ。


 あれは……おそらく自分がそういう思いをしているからではないだろうか、なんてことも推察してしまう。


 聞こえにくいとはいえ、全く聞こえないわけではない耳。

 だから他人から同情されることなんかまずない。

 そもそも、怪我をして手が動かせないとか足を引きずっているとか、そういう目に見える不調ではないのだ。

 人知れず、自分だけが向き合う不調。

 そういうものと長い間闘っている彼女だからこそ、他人の小さな苦しみにも敏感に同調できるのではないかと思った。


 以前彼女の家に行く途中で、何度か顔を見たことのある婦人と行きあった事があった。

 僕を見てにこやかに挨拶をする村の住人と思しき婦人は……今思えばシズカが言っていたアンナさん、だ。

「私の頭痛を本当によくわかってくれるのはあの子だけなのよ。他では私が怠けているからそんな事を言ってるんだ、なんて言われてね。あの子に『ああ、それはお辛いですね』って言われるともう、全部わかってもらえたっていう気がして凄く気持ちが楽になるの。薬師としての腕がいいっていうだけじゃなくてね、あの子は本当に人を理解する心のある子なのよ」

 なんて言って誇らしそうに薬種屋の方に目をやる婦人に僕も深く頷いたものだ。


 彼女は相手の話を聞くときも、それに答える時も絶対に適当なことはしないのだ。自分の小さな仕草、声、視線、反応の一つにさえも責任を持って相手に接しているように思えた。

 だから、相手の痛みも苦しみも、自分のことのように感じ取ってしまうのだろうと思った。


 あのリアムが彼女のそんな性格につけ込んで説得を試みた……ということならライアも首を縦に振ってしまうかもしれない。


 ふとそんなことにまで思いが行き着く。


 僕は……もっとはっきり「そんな責任取る必要はない」と言ってやらなければいけなかったのだろうか。


 同情心につけ込んで無理やり要求を飲まされるという状況を思い描くと無性に腹が立つ。

 その場にいられなかった自分に。


 リアムの事を好きになってゼアドル家に行ったとは考えにくい。

 そもそも彼女はあの男に興味すらなかった。


 だとしたら、家をあんなにきれいな状態にして出て行った彼女が何を思ってそうしたのか先に調べた方がいい。

 そもそも争った形跡があるとか、争うような声を周りで聞いた者がいるとかなら即行動すべきだろうがどうも様子が違うのだから。


 即行動。


 そんな言葉が脳内を駆け巡り、レジナルドはこぶしをぐっと握り込む。


 本当は勢い任せにでもあの屋敷に乗り込んでライアを連れ出したい衝動に駆られている。

 そもそも。

 あのリアムがライアに触れるところを想像しただけで頭の中が沸騰しそうになるのだ。

 ずっと大事にしてきたものを、その価値さえ知らないような奴に気安く触って欲しくなんかない。

 彼女の近くにあの男がいると想像するだけで叫び出したくなるくらいだ。



 ……今頃彼女は何をしているのだろうか。


 昨夜はやけに明るかった。

 ……満月だったようだ。

 今までの人生で気にかけたことなんか無かった月の満ち欠けに、ここ最近心は囚われたままだった。

 彼女がそばにいたからだ。

 月が満ちると心が浮き立った。

 彼女の耳に囁く瞬間と彼女がすかさず反応を返すのが楽しくて仕方なかった。

 そしてまるで立場が入れ替わったような、木とのやりとり。

 店の裏庭の老木はともかく、そのほかの草花や池のそばの柳の木とライアがやりとりするのを眺めるのが……まるで僕自身の聴覚が閉ざされて彼女が普段の僕と入れ替わったように思えるあの瞬間が……妙に嬉しかった。


 普段の彼女の反応だって愛おしい。

 普段相手の話に細心の注意を払って耳を傾けて真剣に聞き取ろうとしているのにそれでも若干反応が遅れるのは、聞き取ったことと相手の表情を頭の中で結びつけて答え合わせのような事をしてから間違えないように反応を返しているからかも知れない、と思った。そして、そんなことに気づいた時には彼女のその細やかな気遣いに驚愕した。


 そんなことに気付いてから彼女の少し遅れて返ってくる反応が自分にも向けられていることに気づいて愛おしくなり……そんなやり取りが楽しくて仕方なくなった。

 時には少し遅れて返ってくる反応は、相手が僕だから安心しきっていて話していることを本当に聞いてなかったせいだと分かることもあって……頬を赤らめる彼女が可愛くて仕方なかった。


 あの時間を取り戻さなければ。

 あの時間の続きは失われているわけじゃない。ただちょっと止まっているだけだ。

 そう思うと……。


「……本当に……世話の妬ける人だな……」


 口をついて出た声は思いの外穏やかで、少し歪んだ口元にも優しい笑みにも取れる表情が浮かぶ。


 そしてふと、レジナルドの視線が窓の外に改めて向いた。


「……そうか……先にやっておかなきゃいけないこともありそうだな……」


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