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残された者たち

 

 で、さて。

 場所は変わって、ライアの家。つまり村の薬種屋。


 その入り口にもたれかかって座り込んでいるのは……白ウサギ、もとい、レジナルド。


「……あらやだ、ちょっとレジナルド!」

 その姿を見つけて駆け寄ってきたシズカの方に薄茶色の瞳がノロノロと向けられるが……。

「もう。何死んだケモノみたいな目してんのよ!」


 勢いよく歩み寄ってきたシズカがその勢いのままレジナルドの視線を批判してその腕をぐいと引き上げる。

 何気に渾身の力が込められていたようでレジナルドは座り込んだ姿勢から無理やり立たされるように引っ張り上げられて不服そうな目を向けた。

「あのね。こんなところで座り込んでたら近所のおばちゃんたちが心配するでしょ。ただでさえあんたは目立つんだから!」

 一旦自分の方に引っ張り上げたレジナルドの腕をシズカがポイと離すとその上体が勢いで前のめりに倒れかけ「……うわ」と、小さく声を上げてレジナルドは手をついた。

 で、それによって邪魔者をどかしたとばかりに、シズカがドアを開ける。

「……ほら。いつまでも転がってんじゃないわよ。中に入りなさい」

 ドアを開けたところで振り返ってシズカが告げると、レジナルドは渋々といった感じで立ち上がり中に入る。


 これがここ最近のお決まりのパターンになっている。


「……もっと早く、ここに来てたらよかったんだ……」

 テーブルの椅子を引いてもらってそこにようやく腰を落ち着けたレジナルドが呟いた。

「仕方ないじゃない。こうなってしまったものは今更どうしようもないのよ」

 シズカがそう言い残してため息を吐き、台所に入っていってしまうのをなんの感情もこもらない目で見つめながらレジナルドもため息を吐いた。



 家のごたごたを片付けるのに時間がかかるからしばらくはこっちには来れないだろう、とは思っていた。

 一週間ほどしてようやく少しの時間が作れたから来てみたら店のドアにはクローズの表示が下がっていて……裏庭に回ってもみたがやはりライアはおらず「ああ、タイミングが悪かったな。町に用事で出掛けてでもいるのだろうか」

 と思った。

 その日はその後も家で叔父を待たせていたりしたからそのまま帰り……後日また来てみたら、やっぱり留守だった。

 なんだか嫌な予感がして家の中を覗いたのは数日後だ。

 この店は……というよりこの村は大抵家のドアに鍵はない。不用心な、と思ったが村の生活スタイルを考えるに及んでそういう必要はそもそもないのだろうと思ったが……こうもあっさり他人が入れるなんて、と少し苛立ち。

 で、ふと、もし万が一ライアが二階の部屋で具合が悪くて起きられなくなっていたら、と思うとこういう家で良かったかもしれないなんて思ったのだ。その時は。


 で、家の中にも人の気配がなく、いよいよ二階の寝室に様子を見に行こうと思ったところでふと、台所の様子がおかしいような気がして開きっぱなしのドアから中を覗いた。

 中の様子に一瞬で全身の毛が逆立つような悪寒が走り抜け、一気に二階へ駆け上がり、普段なら開けるのに相当戸惑うであろうはずのライアの寝室のドアを一気に開けて……そこで力が抜けて膝をついた。


 台所と同様、普段使いしそうなものが一切なくなったがらんとした部屋だったのだ。


 そういえば居間にあった鉢植えの植物は萎れかかっていたような気がする。

 そう思って下階に降り、居間の様子をもう一度眺め直すと窓際にあった鉢植えの白い花はもう全部散っていた。

 部屋の隅で主張するかのように茂っていたハーブの鉢植えは一回り小さくなったようにも見え、鉢の周りには枯れて小さくなった葉が落ちていた。

 本来なら植物にとって盛大に成長し株を大きくしていくような季節の真逆の現象は、家主の能力を考え合わせるととんでもない異常事態を思わせた。

 目に入る情報に対して心は麻痺したように動くことなく。


 ああこれではライアが戻ってきたらがっかりするな、と反射的に台所に水を汲みに行って……ライアが普段やっていたように水をやり……。

 そんな自分に愕然とした。


 ライアが「戻ってきたら」……?

 ……どこから?

 彼女はどこに行った?

 僕に……何も言わずに?


 混乱する頭には疑問符しか浮かばず……そもそも荒らされているわけではなく、必要な荷物をまとめて「出て行った」としか見えない家の中の様子に絶望するしかできないままその日はそこで一夜を明かしたのだ。


 翌朝、聞いたような声がして目を向けたら黒い髪を肩のあたりで切りそろえた女が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 ……確かシズカ、とかいっていたような気がする。ライアの友達だった筈だ。と、しばらくして思い出した。

 シズカは「てっきりライアが帰ってきたのかと思った」と、少し開いたままだったらしいドアを指さしたのでそこで我に返って何か知っているのかと問い詰めた。


 結局、シズカは何も知らず、ただ気づいたらいなくなっていたから毎日様子を見にきていただけだということがわかり。

 そして今日に至る。


「……レジナルド……あなた毎日ここに通ってるのよね。そりゃね、自分の家のことがあるから一旦家に帰るのは良いわよ。それで良いと思うけどね、毎朝ドアのところにうずくまってたらみんな心配するから来たんなら中に入ってなさいよね」

 やれやれと、いう声が聞こえるようなため息を吐きながらシズカがレジナルドの前にカップを置く。ふわりと広がる香りはハーブティーだ。

 どうやら台所からは薬を作る道具や一部の薬草は無くなったようだがハーブティーの類や食器はそのままだったらしい。

「……みんな……?」

 レジナルドがシズカの方に視線を向けて聞き返すと。

「そうよ。アンナさんとかイザベラさんとか」

「……誰?」

 思わず眉をしかめるレジナルドにシズカが軽く目を見開く。そして。

「あんたたちって……本当に興味のある人とない人の線引きがハッキリしすぎてるわよね……」と小さく呟いてから。

「あのね、ライアのところの常連さんよ。定期的に頭痛薬を調合してもらいに来てたアンナさんと喘息もちの子供の薬をもらいに来てたイザベラさん」

「……ああ……」

 そういえばそんなような名前だったな。

 ライアを交えてここでよく喋ってた人たちか。

 なんてノロノロと思い出すと。

「あの二人もここの薬が定期的に必要な人たちだからさりげなく家の様子を見てくれてるのよ。その度にあんたが玄関でうずくまってるから気の毒でしょうがないって涙ぐんでたわよ?」

 シズカがそう言いながら自分で入れたハーブティーのカップを口に運ぶのでそれを見ていたレジナルドがつられるように何も考えられないまま自分の目の前にあったカップを口に運ぶ。

 爽やかな香りは薄荷のようだ。


「……まずい」

「ちょ……失礼ねっ!」

 何も考えずに口に運んだカップから立ち上っていた香りは間違いなくライアが作るハーブティーらしいはっきりした香りだった。

 なのに口に含んでみたら味がイメージしていたものとどこか違う。

 そんな気がして無意識に声が出ていた。

 そんなレジナルドの一声にシズカが声を上げるが……それ以上何かを言うつもりはないようで、やはり大きなため息を吐く。


「あのね。これ、今のあなたに言っていいかよくわからないんだけど」

 ため息の後、ゆっくりカップをテーブルに置いたシズカが口を開いた。

 レジナルドはといえばやはり心ここに在らずの虚ろな目をしたままテーブルに置かれたカップを見つめている。

「ライアがどこに行ったのか、もしかしたら分かったかもしれない」


「……は?」

 シズカの言葉がレジナルドの耳に入って、音として捉えられ、単語として捉えられ、意味のある言葉として認識されるのに数瞬かかった。

 そして、レジナルドの目の、焦点が合う。

「何? 今なんて言ったっ?」

 思わず腰を浮かせて掴みかかりそうになったところで、相手の表情にレジナルドが困惑する。

 なんとなれば勢い付いたレジナルドの口調と動作には反応せず、微動だにしないままこちらに向けられている視線に込められている感情は……哀れみ、に見えたのだ。

 この人、こんな顔して僕と話していたのか?

 という戸惑い。

 そしてそれ以上に。

「……ライアの行き先って……?」

 その表情から聞きたくないと本能的に感じ取ってしまいながらも、聞かずにはいられないのはまさにその答えだ。


「……たぶん、ゼアドル家よ」


 浮いた腰が椅子に落ちた。

 そしてレジナルドの瞳が再び虚ろなものになる。


 そんな様子に再びシズカが深いため息をついて。

「ここの荷物を運び出した人たちを見たっていう話を聞いたの。……ゼアドル家の馬車だったって言ってたわ。それに……ライアがいなくなった日にもね、ゼアドル家の馬車がこの近くまで来ていたんだって」


 淡々と語られる言葉にレジナルドの頭がフル回転を始めた。


 なんとなく、そうかもしれない、と思っていたのだ。頭のどこかで。

 彼女がしばらくどこかに行くのなら自分に行き先を言わないとは思えなかった。

 そのくらいの間柄になっている自信はあった。

 でも、それがゼアドル家ともなれば。

 何かもっともな理由があってそこにいかなければならなくなったとしても……教えてくれるとは思えない。


 グランホスタ家の自分には。


 しかも、こんな風に家の中の荷物をまとめて出て行くみたいな形になっているということは……下手したらここに戻ってこないという可能性だって、ある。


 ゼアドル商会は金になるものへの執着が異常に強い。

 グランホスタ商会が庶民的な商売を売りにしているのはそういうゼアドル商会と真正面から張り合ったら潰されると割り切っているからだ。

 そして、この薬種屋とライアの腕は……ゼアドル家からしたら喉から手が出るほど欲しい「商品」だろう。


 ちらりとゼアドル家の跡取りの顔が脳裏をよぎる。


 ……あの男、どうやってライアを丸め込んだんだ。


 ふとそんな思いが頭をよぎり、同時にしばらく前にライアが震えていたことを思い出す。

「怪我の責任を取るべきだと迫られたらどうしよう」と彼女は震えていた。

 もう少し時間があれば叔父が仕事を覚える合間にゼアドル商会になんらかの根回しができるかもしれない、とは思っていたがこんなに早く動くとは思わなかった。


 なにしろ時期が。

 今は収穫期に差し掛かる時期。

 さまざまな商品がそれに合わせて来期の価格を決めていく時期でもある。

 まもなく収穫祭があってその後には商会は一年でも色々決定しなければならない重要な時期に入る。

 この時期に彼女という商品を抱き込むには少々急ぎ過ぎではないだろうか。ある程度忙しい時期を過ぎてからゆっくり口説くかと思って油断していたくらいだ。


 油断していた、というより。

 なんせこの時期、こういう商売をしていると忙しいのはグランホスタ家だって同じだ。

 そしてこの時期に見つかった新しい後継者候補。

 重役たちは本来の仕事に忙しくて後継者の教育にまで手が回らない。だから自分が駆り出されることになった。

 ……まぁ、そのくらいの責任は負ってやっても良いだろうと思ったので自分も積極的に叔父が新しい仕事を学ぶのを助けるためにかかりっきりにならざるを得ないのだ。


 かかりっきりに……?


 そこまで考えてレジナルドがはっとした。


 そうだ。

 僕がここまでライアから離れる時期が続いたのなんてこれが初めてだ。


 だから、か……?


「……レジナルド……?」

 一気に顔色が沈んだレジナルドに恐る恐る声がかけられるのだが、彼が顔を上げる様子はない。

 それで、テーブルの上できつく握り締められた手の上にシズカがそっと自分の手を重ねた。

 彼の手はひんやりと冷たく、今まで温かいカップを持っていたとは思えない温度だ。

 重ねられた手にふと視線を向けたレジナルドを見て、シズカが口を開いた。


「あのね。あなた……ライアのこと諦めたりしないわよね?」

「……え?」

 不意にかけられた言葉の意味についていけなくてレジナルドが少々間の抜けた声を出す。

「あなたたち凄くお似合いだと思うのよ。そもそもライアが心を許す相手ってあなたくらいでしょ?」

「……ライアが心を許す……?」

 ライアにとって自分が特別だったら良いのに、と願う気持ちはいつもあった。

 でも本当にそんな存在になれているという自信はない。

 心を開いてくれたかと思って踏み込もうとすると、一歩下がられてしまう。そんな感覚だった。

 そんなことを思い出してつい不安に揺れるような目で目の前の黒い瞳を見返してしまう、と。

 その瞳がふと細められた。


「そうよ。あの子、あんな風に自然に笑ったりしない子だったんだから。……ここでの生活もどことなく上の空で……そうね、誰とも深入りしないって感じだったのよ」

 そう言うと小さくため息を吐いて手元のカップを口に運ぶ。

 レジナルドは返す言葉も見つからずただ見つめるだけだ。

「でね。前の薬師が亡くなったでしょ? あの子、本当に独りぼっちになっちゃうんじゃないかと思って……私が親友になって味方になってあげようって思ってたの」

「……なってたよね……?」

 確か、シズカはライアにとって村で唯一の友達だと認識している。

 だから僕も顔と名前は覚えた。

 そもそもライアは友達とその他大勢の間の線引きがはっきりし過ぎている。

 そういう見方をしたら「友達」の括りに入る者は極端に少ないのではないかとさえ思えるくらいだ。


 そんな目を向けた先でシズカがふっと薄く笑った。

 それはまるで自嘲の笑みだ。

「あのね。あの子私の前では心から笑ったりしないわよ。自分の話もほとんどしないしね。唯一、聴覚が戻っている時期だけは少し笑うくらい。でも……あなたの前ではあの子本当に表情がくるくる変わるのよね」

「そう……なのか……?」

 思いもよらない言葉にレジナルドの思考が止まった。

 てっきり、彼女のことをライアは信頼していていわゆる親友同士なのではないかと思っていたのだが。

 思いっきり目を見開いているレジナルドにシズカは、もう今日はこれで何度目だろうというため息を吐いて。

「そうよ。私が友達になろうと思ってた子を横からかっさらいやがって! ……だからね、あの子のことはちゃんと助けてあげてよね。ゼアドル家に行ったっていっても絶対あの子の意思じゃないと思うのよ。行きたくて行ったんじゃなくて仕方なく行ったとしか思えないもの」

「助ける……って……」

 レジナルドの方はまだ言われている内容がちゃんと頭に入っていないようだ。

「え、ちょっと! まさかこのまま手を引くつもりじゃないわよね?」

 レジナルドのはっきりしない反応にシズカがテーブルの上で勢いよく身を乗り出してきた。

 ので、レジナルドははっと我に返った。

「まさか! 僕がライアを諦めたりするわけないだろうが!」

 彼女が確実にゼアドル家にいるというのなら、どうにか連れ出さなければ。

 彼女を商品としてしか見ていない彼らから、どんな扱いを受けるかなんて……想像したくない。


「そう……なら良かった」

 シズカが素直にすとんと椅子に座り直し、手元のカップから最後に残ったお茶を飲み干して。

「うん、やっぱりあの子が淹れるようには淹れられないわね……それ、残して良いわよ?」

 レジナルドの手元にまだ八分目ほど残っているハーブティーに目をやりながらシズカがぼそっと呟いた。



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