開花の奇跡
そんなこんなで昼食会が庭の片隅で始まる。
ディランが気を利かせて少し大きめのテーブルを持ってきてくれたのでそちらに色んな種類の軽食が並ぶ。
サンドイッチには色鮮やかな野菜が挟み込まれていてとてもカラフル。もちろん贅沢に何種類かの肉料理も薄くスライスされて挟み込まれている。
さらにはマフィン。こちらもプレーンなものだけでなく野菜や刻んだ燻製肉を混ぜ込んだご馳走マフィン。
テーブルにはカットした果物の皿やカップケーキや小さなパイなども並んで全部一つずつ食べたとしても一人では食べきれないのではないかという量だ。
そんなテーブルを囲むのはライアとカエデとディランだ。
ディランは最初はかなりおどおどとしていたのだがカエデとライアが完全に女友達のように打ち解けた雰囲気なのを見て腰を落ち着けたらしく、食べ始める頃にはもうすっかりリラックスしていた。
「やっぱり美味しいわね。ここのお屋敷の人たちは本当に仕事が丁寧ね」
ライアがサンドイッチを堪能してそう呟く。
パンに塗られているバターと挟んである肉の塩気がちょうど良く野菜と調和している。野菜は水分が程よく切られているからパンもベタっとすることなくふわふわのままだ。
このバランスの良さは適当に作ったんじゃなくて計算して作られたものだからこそだ。
「ライア様は本当に私たちの働きにめざといですね! 何をするにしてもやりがいがあるというものです」
カエデが微笑む。
「だって、ここまで毎日丁寧な仕事をしている人たちのお世話になってるんだもの。これは当たり前と思っちゃいけないことだと思うの」
ライアが姿勢を正してそう答えるとディランがふっと微笑んだ。
「本当に、カエデの言う通りのお嬢様ですね」
明るい灰色の瞳が細められて自分の方をじっと見つめられるのでライアが思わず背筋を伸ばした。
「……え、カエデ……何言ったの?」
柔らかい笑みを向けられるのは決して居心地の悪いものではないが、この場の意味からして何だかちょっと気まずい。
と、カエデがクスクスと笑って。
「あったことを言っただけですよ。ライア様はまず最初に厨房のものたちの心を掴んだんです!」
ぐっと拳を握ってキリリとした目付きになったカエデは大きく頷く。
「ああ、そうだったな。……あの捨てるために作ってるようなご馳走を否定したんですって?」
カエデに目くばせしてみせてからディランがライアの方に視線を移した。
「……あー……」
そんな一言にライアの記憶が蘇った。
ここでの食事を何度かしてまず思ったのが「こんな量食べられない!」だった。
しかも内容がご馳走すぎて連日食べるという事に三日でねをあげたのだ。
カエデは「それは全部食べるためのものではないので残してください」なんて言い出すので「作ってもらった食べ物を残すなんてとんでもない!」とばかりに厨房へ出向いて話をしたことがあった。
美味しい食事を作ってくれる事に感謝した上で、食べ切れる分量と粗食に慣れた身の上であることを説明したら料理長が一気に笑顔になった。
どうやらここに屋敷の人たちは作ったものの中からその日の気分で食べたいものを選んで食べて、半分以上は廃棄させるというのが当然だったらしく……それが仕事と割り切ってはいても毎回自分たちが作ったものを捨てる作業を強いられる者としては良い気はしなかった、ということなのだろうと思った。
その流れで自分用には夕食後のデザートもいらないと断ったので、時々午後のお茶用にカエデと一緒に食べる用に、と料理長の新作のお菓子を少しだけ分けてもらえるようになった。
「……そんなこともあったわね……」
ライアが若干遠い目をした。
いや……多分こういうお屋敷では当たり前のことなのだろうけど、私には我慢できなかったのよ。あれ、多分リアムとかリアムの父親あたりに知られたら何か言われそうだ。
……それこそレジナルドのお祖父さんがとった態度と同じものがこちらに返ってきそうな気もする。
そうなっていないのはひとえにここの使用人の方々の好意によるのだろう……と、思うとちょっと申し訳ない気持ちにもなる。
「それに次はお掃除についても……」
「わーーーっ!」
嬉々として話を続けようとするカエデにライアが声を上げた。
「もう良いから! その辺はもう良いからっ!」
なんだか恥ずかしい。
そこいらじゅうを毎日ピカピカに磨き上げる皆様に感服したライアはその掃除の仕方に目を輝かせて「自分の部屋くらいは自分でやるからやり方を教えて!」とねだったのだ。
だってそもそも、汚れてなんかいないところを盛大に掃除する皆様の作業は本当に大変そうで……少しくらい手伝いたいという気持ちになってしまった。
でもあまりにあちこちをやっていたら、屋敷の主人に何を言われるかわからないというのは言われなくてもわかるので自分の周りだけでも、とお願いしたのだ。
そして、自分の部屋がある階は他に普段使いされている部屋はないということもわかったので、その階は自分が時々窓を開けるなり埃を払うなりするからそんなもんでいいんじゃないか、なんて言ったところ掃除担当の方々が一気に和んでしまった。
……どうやら将来の「女主人」に気に入られるように気合を入れ過ぎていた、というのもあったらしい。
結果的に良かったとはいえ、人様の仕事に口を出すというのはあまりにも失礼なことだったと今思えば恥ずかしい限りだ。
なのでどうにか話題を逸らそうとライアが目を上げて周りを見回す。
で。ディランの方に向き直って。
「この庭もとても綺麗ですね。こんなところで食事ができるなんて贅沢だわ。お花の手入れも木の手入れもよくされてるから花も木も喜んでるし!」
思わず照れ隠しに捲し立ててしまってから「あ、言い方間違えたかな」と慌てて口をつぐんだがディランの方はライアの言葉に違和感を感じた様子もなく。
「ありがとうございます。お嬢様は植物がお好きなんですね」
と、嬉しそうに目を細めただけだ。
よかった。
変な意味合いを拾われなかった。
と、ライアはこっそり胸を撫で下ろす。
……実際ここの庭の植物たちはかなり機嫌が良さそうなのだ。これは手入れがいいからなんだと思う。手入れがいいから、その世話をしてくれる人に愛着を持って応えようとしている。そんな気配が満ちている空間だ。
満足げなディランは自分の仕事を褒められて嬉しそうにカエデが入れた紅茶のカップを手に周りの花や美しい枝振りの木に視線を送る。
で、ふと、その視線が一点で固定された。
「……おや」
一瞬、目つきが鋭くなって手にしていたカップが慌てるようにソーサーに戻されたのでライアもついその視線をたどる。
ちょうど自分の後ろあたりだ。
「……え……まさか……」
聞こえるか聞こえないかの声で呟いたディランが椅子からそろそろと立ち上がり、吸い寄せられるようにライアの背後にある花壇に向かい。
「……咲いている……」
呆然としたように声が発せられて……なんだかちょっとだけ嫌な予感がしたライアがそろそろとディランの視線が行き着く先に視線を送ると。
「あら! 綺麗ですね! そんな色の花があるなんて!」
カエデもディランの様子に興味を引かれたように花壇まで寄ってきて声を上げた。
「ああ……この株は難しくて……いつも蕾のまま枯れてしまっていたんだ……」
ディランが目を丸くして眺めているのは一輪のダリアだ。
花壇にはダリアにしては色とりどりの花が咲いていた。
その中にひとつだけ、青いダリアの花が咲いている。
……っあー……やらかした。
ライアが目を泳がせた。
うん、知ってる。
さっき声をかけたらむくむくっと一気に蕾が膨らんだ子。なんかすごく咲きたそうで、でも力が足りないって感じで……私が声かけた上キスしちゃったから勢いづいちゃったんだよね……言わなきゃわからないかな……うん、わからないよね。
「わー、素敵。青いダリアなんて珍しいんじゃないですか?」
しらばっくれてライアが声を上げると。
「ああ、そうなんですよ。この株は特別に仕入れたんですが何年経っても咲かなかったので少し諦めていました。……いや、本当によかった……しかもお嬢様がいらした時に咲くなんて奇跡だ」
「あ、あら……奇跡だなんて……」
……いや、分かってますよ。社交辞令。
でもなんかこういう時に使う「奇跡」発言にはつい冷や汗をかいてしまう。
「本当ですよ。この庭を楽しむ人間は花の価値を本当の意味でわかっているわけじゃない。……いや、そんなことは理解しているんだがそれでもこんな、たったひとつの花にでも目を向けてくれるような人がいる時に咲いてくれたというのは奇跡ですよ」
そう言って目を細めるディランは本当に嬉しそうだ。
なので。
「そうですね。言ってみれば今日私がここでお茶できたりディランさんとお食事できたりするのも奇跡ですもんね!」
とライアも満面の笑み。
こういう時に相手の言葉のニュアンスが理解できるというのはありがたい。普段だったら相手の言葉の真意を探ろうとしてしまうから心置きなく、の笑顔になんてなれない。
「本当に! 珍しいお花が咲くタイミングで食事ができたなんて奇跡ですね!」
カエデも声を上げて笑う。
……うん、いい方向に「奇跡」発言が転がって行った!
と、ライアも緊張が緩んだ。
夜。
ベッドに横になりながらライアが満足げなため息をついた。
なんだか久しぶりに充実感。
これはいつも以上に人と喋ったせいだろうか。
村にいた時もそう色んな人と話すなんてことはなかった。それでも、訪ねて来るお客との会話はあったわけで。
こんなにも限られた空間だけで限られた人とだけしか言葉を交わさないなんていうことは初めての経験だ。
そんな中で、屋敷の庭というやはり限られた空間とはいえこの部屋以外の場所、しかも外で食事ができたうえ、初対面のディランとも会話ができたということからくる久しぶりの高揚感でベッドに入った今でもまだ頭が興奮している。
庭の木や花との触れ合いも心が和んだ。
いつもの自分が戻ってきたように思えた瞬間だった。
……素敵なお庭、だったな。
ふと昼間の庭の光景を思い出す。
陽を浴びた葉や花びらがキラキラとして、生き生きと楽しそうで。
あんな光景を見て「植物が機嫌良さそう」なんて感想持つのは私くらいだろう。あとは……レジナルド。
彼なら分かってくれるだろうか。
……レジナルドにも見せてあげたい光景だったな。
ふと頭の片隅に押しやっていた筈の面影が引っ張り出されてライアの思考がそれ始める。
彼……今頃どうしてるだろうか。
私がいなくなった事に気づいただろうか。
……気付くよね、きっと。
だって、もうずっと家に帰ってない。
必要なものはこっちに持ってきてもらってるから……もしかしたら家の中のものが一部なくなっている事にも気付いたかもしれない。
なにしろ安全極まりない村の小さな家だ。鍵なんかないし、レジナルドなら勝手に入って来るだろう。店に私がいないと思ったら二階に上がって部屋の様子を見るかもしれない。
……そこまでは、しないかな。
ふ、と。
小さく笑みが漏れる。
これは単なる私の願望かもしれない。
心配してくれたらいいな、という。
私の身に起きた異常事態に気付いて欲しい、という……単なる願望。
現実は、ドアにかかったプレートがクローズになっているのを見て「ああ今日もタイミング悪く外出中か」と諦めて家に帰っているだけかもしれないのだ。
そしてそのうち……あの家には来なくなってしまっているかも知れない。
会えないのも……もしかしたら私が意図的に避けているからだと思って、それなら仕方ないと彼の方でも距離を置いてしまっているかも……しれない。
それに。
彼だってしばらくは忙しくなる、みたいなことを言っていた。
自分の身の回りのことで手が一杯なのが現状かもしれない。
だとしたら……私がいなくなったことなんて、気付いてすらいないかもしれないのだ。
さらに言えば。
さらに言っちゃえば……。
ずっと縁を切りたいと思っていた自分の家のしがらみから解放されて身軽になって……もう、私のことなんか必要なくなっているかもしれない。
私は……彼が窮屈な生活の中で安らぎを作るために必要な薬茶とか場所とかを提供するだけの便利な薬師に過ぎなかったかもしれないのだ。
その窮屈な生活という環境がなくなったら、もう私を必要となんか……しないかも知れない。
そんな事に思い当たった途端。
高揚していた気分が一気に沈み込んだ。
くるりとうつ伏せになって枕に抱きつく。
ああ、そうか。
そういう事なら……。
よかったかも知れない。
彼の気持ちにはっきりと答えていなくて。
まだ、はっきりと「あなたが好き」なんて言ってない。
それは、怖くて言えなかったことだけど……今となってはそれでよかったかも知れない、なんて思えて来る。
……あなたが好きです。
そんな言葉。
口に出せない言葉の代表格だった。
昔からずっとそう。
私が好意を抱く人はたいてい私の事を気味悪く思う。
母親も、使用人も、新しい父親も。
私が「大好き!」と言った途端、微妙な顔をして目を逸らされるのだ。
お世辞でも「私も好き」なんていう言葉は返ってこない。
施設でもそうだった。
仲良くなりたくて笑顔を向けただけでも眉をしかめられる。
後でこっそり「あの子、気持ち悪いよね」とヒソヒソ話をされているのを聞いてしまってもう二度と誰かに「好き」なんて言わないようにしよう、と心に決めた。
だから。
レジナルドにもそんな言葉は……言えないのかも知れない。
心のどこかで、過去に見た、いろんな人たちの顔が重なって……彼がそんな顔をしたらどうしよう、と怖くなってしまうので……言えないのだ。
深い深い、ため息が漏れる。
誰もいない部屋で良かった、と改めて思いながら。




