お茶会
なので女子会。
お茶会。
二人だけど。
「相変わらずお茶淹れるの上手ねぇ」
ライアがしみじみと呟くとカエデがふふ、と笑う。
「本当だったら今造っている離れを見学させて差し上げたいところなんですが、あそこはまだ建物の基礎が出来たばかりで私たちが近寄れるような状況ではないんですって」
微笑みを崩すことなくカップを置きながらカエデがそう告げる。
ああ、そういえば屋敷の敷地内に作業場である離れを造ってもらっているのだった。
見た限り綺麗な庭園でそんな気配はかけらもないのでついうっかり忘れていたくらいだ。
「その離れってどこにあるの?」
ライアがつい伸び上がってキョロキョロするとカエデがくすくす笑い出し。
「ああ、ここからは見えませんよ。ちょうど屋敷を挟んで反対側です」
なんて説明を加えてくれるので。
「あ……ら……そうなの」
ちょっと肩をすくめるようにしてライアが座り直す。
そうか、ここって相当敷地広いんだな……。
なんて僅かに頬を赤らめていると。
「おや、わたしを待っていてくれたんじゃないんですか?」
うわ。
いやな声がした。
ライアの顔が一気に歪んでカエデの表情にも一瞬緊張が走った。
すぐ後ろの生垣の間から現れたのは待ってもいなかった金髪男、もといリアムだ。
そしてライアは。
自分の表情が一気に歪んだことは自覚したが同時に正面のカエデの表情の変化も見落とさなかったので。
「別にお待ちしてなんかいませんよ。今日は女子会の気分なんです。カエデに相手をしてもらって楽しくお茶をいただいておりました」
ここでカエデに先に返答させたらカエデがでしゃばったみたいになってしまうし、使用人という立場上彼女が叱られかねない。
言いながらちらりと視線だけリアムの方に向けると陽射しの加減でブルーグレーにも見える瞳が若干細められわざとらしくため息が吐かれた。普段はもう少し落ち着いたグレーに見えるような色だろう。
……そういえば今まで意識したことなかったけどこの人こんな色の目をしていたのか。……もったいない。綺麗なのは顔だけだな。
ライアがそんなどうでもいい事を考えていると、三つあった椅子の最後の一つに勧めてもいないのにリアムが座る。
ライアは反射的に眉をしかめ、カエデが心なしかリアムの方からちょっと身を避けるように体の位置をずらした。
「なんの話をしていたんですか? 周りを伺ったりなんかして。わたしのことを探してでもいるのかと思ったんですけどね」
……んなわけあるか。
ライアがリアムの言葉に一瞬胸の奥に湧き上がったものを飲み下すようにカップを手に取り残っていた紅茶を飲み干して。
「離れの話を聞いていたんです」
と、必要最低限の答えだけを口にする。
「そうですか。あれはご覧いただくにはもう少し時間が必要ですからね、お見せできる日が待ち遠しいです。その頃には貴女のお披露目パーティーもできればいいなと思っているんですよ」
「……はい?」
なんだか不穏な言葉を聞き取ってしまってライアの表情がもうワントーン暗くなる。
同時にカエデが視線を逸らしてこっそり口元を歪める。こちらは事情を知っていて怒りが湧き上がったといったところだろう。
「ですからお披露目パーティーですよ。貴女を正式な婚約者として発表するための。離れで出来る仕事を考えたらゼアドル商会関係者にとってこんなにちょうどいいタイミングはないと思うんです」
晴れやかな笑顔でそう言うリアムは……全く、かけらも、罪悪感とか申し訳ないとかの気持ちはないのだろう。
ライアはもうなんて答えていいのか分からず固まったままだ。
「ああそういえば……貴女の歌はなかなか綺麗でしたよね。その時にでも歌っていただけたら盛り上がるでしょうね。そういう場も設けましょうか……ああなんなら今ちょっと歌ってもらえませんか?」
いいこと思いついた! 的な笑顔のリアムの言葉の意味が飲み込めずにライアがしばらく固まったまま金髪男を凝視する。
え? 歌?
私、この男の前で歌ったことなんかないでしょう? そもそも人前で歌ったのは……せいぜいがレジナルドの前くらいだ。
「ほら、少し前に池のそばで歌いながらダンスをしていたことがあったでしょう。貴女はどうやらダンスもできるようですしちょっと勉強すれば社交会にも出られますよ。ああほら、よかったらあの時のように少し踊っていただけませんか?」
椅子から立ち上がったリアムがライアの腕を掴む。
で、話を聞きながら、ああそうかレジナルドと柳の木の下で歌いながらワルツを踊ったことがあった。あれを見ていたということか、と思い出したところで不意に腕を掴まれたライアが焦る。
「え! ちょっと!」
「いいじゃないですか、少しくらい。わたしは将来の旦那様ですよ? 多少は喜ばせてもらわないとね」
右腕を掴まれて引き上げられると無理矢理立ち上がらざるを得なくなりライアが声を上げるとリアムはなんだか楽しそうに、いやな笑みを浮かべる。
そんなやり取りにカエデが表情を凍りつかせていると。
「リアム様」
後ろから知らない声がした。
反射的にライアとリアムが振り向くと作業着のようなつなぎのズボンを土で汚したような格好の男が少し離れたところから声をかけてきていた。
肩より少し下まであるだろうというようなブラウンの髪は手入れをしていないわけでもなさそうだが大雑把に後ろに束ねている。よく日にやけた印象の男は……歳の頃は六十代半ばといったところだろうか。
「離れの作業で確認したいことがあるとのことです。お越しいただけますか?」
男が視線を送る先には何人かの使用人が待ち構えていてリアムが来るのを待っている様子。
なんていいタイミング!
思わずライアが目を丸くしてからホッとしたように口元に小さな笑みを浮かべた。
「……仕方ないですね。ちょっと行ってきます。ダンスはまたの機会に」
にっと笑って去っていくリアムにはもう寒気しか感じない。
「……大丈夫ですか?」
作業着姿の男がリアムと入れ違うようにライアに近づいてきて声をかけながらカエデの方にも目くばせをする。
「……え、ええ……」
あれ? なんでここで「大丈夫か」なんて聞かれるんだっけ?
なんてライアがきょとんとしながらも答えると。
「良かった。私だけではやはりあの方からライア様を守りきれないところでした! ありがとうディラン」
「いやいや。お嬢様をお守りするのはもうチームワークですからね」
ディランと呼ばれた作業着姿の男はそう言うとシワの刻まれた人の良さそうな顔で笑顔を作ってライアの方に頷いてみせた。
「……え?」
ライアはもう意味がわからない。
と、カエデがくすくすと笑い出す。
「だから申し上げましたでしょ? ここの使用人のほとんどはもうライア様の味方ですって。ライア様が外で散歩ができるように取り計らってもらって、ここでお茶をするという計画を立てたところでリアム様がそれに興味を示されましたのでね、不埒な行動があってはならないと手の空いている者たち総出で守りを固めることになったんです!」
「ちなみにわたしはここの庭師でディランと申します。わたしがこの庭でウロウロしている分にはなんの不自然さもありませんからね。……ほら、あの生垣の陰で草むしりをしている風を装っている奴なんか不自然極まりないでしょう?」
喉の奥で笑うようにしながらディランが顎で指す方向にいるのは、ライアも不自然だと思っていた使用人その一だ。
「……さっき、手入れなんか必要なさそうな木なのに、枝の手入れしてますって顔して木に隠れてる人もいたけど……」
思わず眉をしかめて視線をディランに向けると。
「……ああ……あいつは木の名前が全くわかってないからな……隠れるなら他の木にさせるべきだった……」
茶目っ気たっぷりに苦笑しながらディランが答える。
そうか……じゃああの怪しい使用人そのニも……私を監視しているというよりはリアムから私を守るための尽力の姿だったということか……。
あれ? ……ということは……。
ライアがふと心配要素に気付く。
「あの……じゃあさっきリアムを呼びにきたのって本当に彼に用事があったのではないってこと? 大丈夫なの?」
用事があると思って行った先で「なんのこと?」的な対応を受けたらあのリアム、すぐにこっちに戻ってくるんじゃないだろうか? しかも呼びにきた使用人たちは怒られたりしないだろうか。
と思えてしまったので。
「大丈夫ですよ」
カエデが余裕のある笑みを浮かべた。
それを受けるようにディランも頷く。
「あの人は仕事を急がせ過ぎている上何やら無理な注文までつけているみたいだからね。作業現場はいつも何かしら問題が起こっているんだ。あの人が行ったら当分は離してもらえないだろうよ」
なんとなく楽しげに目を細めるディランは……もしかしてリアムに恨みでもあるんだろうかというくらいの笑みを浮かべている。
一見精悍な日に焼けた老年の男は、こんな茶目っ気のある笑みを浮かべると途端に少年のような雰囲気を纏って親しみが感じられ……ライアも緊張が一気に吹っ飛んだ。
「せっかくだからここで昼食をいただきますか?」
カエデがくすくすと笑いながら素敵な提案をしてくれるのでライアが反射的に目を輝かせると、嬉しそうな笑顔のまま草むしりもどきの怪しい行動をしていた男が呼び出され、短い指示を受けて屋敷の方に去って行こうとする。
ので。
「あの!」
ライアが思わず声を上げて引き留める。
くるりと振り向いた草むしりもどきの男はよく見るとかなり若い。二十歳そこそこではないだろうか、という若者だ。着ている黒のベストとズボンも白いシャツも全く土で汚れてない……って下手だな草むしりの演技! とライアはつい苦笑が漏れるのだが。
「昼食を少し多めに用意してもらっても良いかしら?」
そう言って笑いかけると、一瞬きょとんとしてから「はい」とー短く答えて彼は去っていく。
で。
「そういうわけだからご一緒しませんか?」
ライアがディランの方に目を向ける。
だって庭師と言った。
ライアとしてはここで働くあらゆる人の中で最も興味深い職種の人かもしれないのだ。
ディランはライアの行動と最後の言葉にただ目を丸くするだけで「いやしかし……わたしがお嬢様と同席というのは……」なんて口の中でぶつぶつと言ってはいるがそこはカエデが「あら、いいじゃないですか。ライア様は人を仕事で差別したりはされない方ですものね! 素敵!」なんて言いながら笑顔でディランの背中をバンバン叩く。
……カエデって、なかなかパワフルな人だったのね。色んな意味で。
と、ライアはこっそり目を丸くした。




