柳の下で
そんなこんなで翌日。
なんとなく昨日のオルフェの様子が気になって自室の鏡の前でしげしげと自分の姿を観察してしまう。
服には全く問題はないと思う。
あるとしたら……私自身か。そこはもう変えようが無いから諦めよう。
服の方は……ああいう人たちのカジュアルなパーティーならこのくらいの感じでも多少地味なくらいではないかとも思うし。
アクセサリーの類は無いのでそこは質素……いやシンプルにいこう。髪を下ろしてしまえば髪にアクセサリーをつける必要はないし耳飾りがなくても目立たない。というわけで……ネックレスも割愛! ……どういう「わけ」か良くわからないけど。
ああそういえば……庭のハーブがいい感じに花をつけていたっけ、なんて思い出してそそくさと一階に降りて庭に出て……薄紫の花を小さなブーケにしてみる。どういうわけかライアが手折った花は普通の切り花より長持ちする。小さな花ばかりだが水に差さなくても一日くらいはもってくれるはず、なのだ。
「ごめんね、帰ってきたら水あげるからね」
なんて囁きかけて小さなピンでショールの上から胸元に留めつける。
ワンピースの胸元の生地も一緒に留めているのでショールのズリ落ち防止にもなって動きやすいかもしれない。
爽やかな香りにはリラックス効果もあるから……気が進まない集まりでも私にとってお守りになってくれそうな気もする。
そして、一つ深呼吸。
よし。行くか。
「ああ良かった来てくださいましたね」
満面の笑みで迎えてくれたのは昨日、招待状を持ってきた男だ。
「あら、リアム。そちら、どなた?」
男にしなっと寄りかかるように黒髪をくるくると綺麗に巻いた女が腕を絡めてライアの方に視線を向けてきた。
……あ。リアムっていうのかこの金髪。良かった、変な間を作ってから名前を聞くようなことにならなくて助かった。
ライアがちょっと安心して口元に笑みを貼り付けた。
「ああ、ライアさんです。村の薬師を継いだ人ですよ。ライア、こちらはアオイ」
リアムが紹介してくれたのでライアが軽く会釈をして「どうぞよろしく」なんていう軽い挨拶をするとアオイという女は「ふーん……よろしくねぇ」なんて言いながら意味深な視線を寄越した。
……うん、なんかやっぱり……こう……居心地悪い。
ざっと見回すと広々としたスペースに白いテーブルクロスをかけたテーブルが幾つか並んでおり、簡単な料理が出ている。ランチを兼ねた軽食というコンセプトだろう。お菓子のテーブルやカットフルーツのテーブルもある。
それぞれのテーブル付近にお花が咲いたように華やかなドレスのご婦人方。年齢層も様々で師匠のような老齢の方もいれば十代ではなかろうかという若者もいる。
東の森もガドラの町に面したこの辺りは樹木もまばらで明るいし木陰でパーティーをするのにうってつけないい感じの枝振りの木ばかりだ。
もう少し奥に入ると一旦茂みが深くなった後に開けたところがあって人目を避けて一休みするにはちょうどいい所があるんだけどな。湧き水の池なんかもあって気持ちいいんだけどなー。
なんて、もう既に早速ここから現実逃避したくなってきている私って……。
そう思いながらついそわそわとどこまでが会場なんだかわからない会場の隅を目指してじわじわと後ずさっていると。
「……やだーリアム、ああいう子が好みなのかと思ったー」
「……そういうわけじゃないですよ。でもあの店の権利を持っている唯一の存在ですからね」
そんなやり取りが聞こえてくる。
……まぁ、そうでしょうとも。
別に好みとかじゃなくていいですよ。良いんですけどね、なんでそういう悪代官みたいなセリフを普通の声量でしかもあっけらかんと言えるんですかね。……ああ、私に聞こえてないと思っているからでしょうか。いやでも他の方々にも聞こえると思うんですが。その場合自分の性格の悪さをぶちまけていることにならないんだろうか……ああ、そうか、周りの方々はみなさん自分たちの話に夢中になっておいでのようだわね。こりゃ他人の話なんかにわざわざ耳を貸したりはしないか。
そうか……。
もう帰っても良いかな……。
ゆっくり後退りしたライアは後ろにある木に軽く寄りかかりながら周りを観察していたが、パーティーを楽しんでいる人たちから身を隠すようにそっとその木の後ろに回り込んだ。
多分、あの金髪にとっては私をこの場に引っ張り出すという目的さえ遂げられればそれで良かったのかもしれない。
で、更に何らかの商的な取引まがいの話を持ち出すのは他の人の役割かなんかで……その人はきっとどこかで楽しいおしゃべりに夢中になっているとか。
つまり、今私は、誰からも必要とされていないわけで。
うん。
もういいや。
帰ろーっと。
あ、いや。
一度帰る方向で決め込んでいたところで、家に帰ってオルフェに見つかったらどうしよう、なんていう思考がよぎる。
あんまり早く帰ったら何かあったと思われる。せっかく服を用意してもらったのだから問題があって早々に引き上げてきたなんて思わせたら気を使わせてしまうだろう。
……時間潰そう。
ライアはそっと森の中に入っていった。
少し入っていくと木々の足元を隠すように低木の茂みが出てくる。けもの道に似た感じの小道はほぼライアと師匠が薬草を取りに行くために付けた道のようなものだ。それを辿っていけばだいぶ古くなった昔の小さな道路を渡る事もできる。
茂みは奥に入っていくにつれ、丈が高くなり最初は膝丈くらいでそのうち人の腰くらいの高さまでの茂みが所々に出現する。
植物の種類は様々でイバラだったり木苺だったり、香りの良い花をつける低木だったり色々。そんな低木の間に入り込んでお願いすればしばらく隠れていられるように助けてくれる事もある。
でも今日はそんなお願いはしなくても……わざわざこんなところまで探しにくる人なんかいないだろう、と思うので。
茂みの枝を優しく撫でながら奥へ入っていき、目的の場所にたどり着く。
池のほとりだ。
湧き水の池は結構な大きさで岸辺から覗き込むと水が澄んでいて底が見える。
そして岸辺にはライアお気に入りの柳の大木があるのだ。
地面につくかつかないかくらいに伸びた枝は美しく、みずみずしい葉が視界を遮るカーテンのように揺れる空間だ。ここでも木にお願いすれば外の世界からうまく隠してもらうことができる。
これは、ライアの持つ能力の一つらしい。
子供の頃は自覚がなかった。
みんな普通にできる事なのだと思っていた。
だってよく小さい子にお母さんが「ほら猫ちゃんがこんにちはって言ってるでしょう」とか「お花に水をあげましょうね。喉が渇いたって言ってるわよ」とか言っているから、人によっては動物と話ができたり自分のように植物と話ができたりするものなのだと思ったのだ。
「ほら早く起きて小鳥さんにご挨拶しなさい」なんて言う母親に「私は小鳥さんの言葉はわからないの。それより昨夜居間のお花が『アイジンがキョヒした花をツマが受け取った』って笑ってたけどどういう意味なの?」って答えた時の母親の顔が忘れられない。
あの後母親はまだ綺麗な赤い薔薇の花束を花瓶から引き抜いて庭に捨てた。
それだけでも怖かったのに、その日以降私を見る目は二度と笑わなくなったのだ。笑うとしてもそれは口元だけ。赤い唇が弧を描くたびに足がすくんだ。
「はぁ……疲れた……」
柳の木のすぐそばまで来たところで小さくつぶやくと。
『おや、お嬢。また来たのか』
低い優しい声がした。
男性とも女性ともつかないその声は、眠りから覚めたばかりのような気怠げな雰囲気で。
「……寝てたの?」
ついライアがくすりと笑みをこぼす。
ゆっくり揺れる艶やかな緑の葉は池が反射する陽の光を受けてキラキラと……笑っているようにも見える。
「またここで一休みしても良い?」
足元まで下がっている細い枝を緩く、飽くまでそっと包み込むように握り込みながらライアが小さく首を傾げると。
風のせいでもあるかのようにふわりと枝が揺れ、木の真下に招じ入れるようにしてカーテンを開いたような隙間ができた。
「ふふ……ありがとう」
そう言って中に入ると目の錯覚なのか見事な枝の重なり具合で外の景色が見えなくなる。恐らく外からも見えなくなっているのだろう。
『花屋の花は性格が悪いのが常だ。古い木でも花をつけるそばから切り取られて雑な扱いを受けることが多いから声の届いたお嬢に意地悪をしたんだろう。……もう気にするな』
そんな優しい囁きが聞こえてくる。
ああ、ここに来たばかりの頃過去の話をしたのをまだ覚えていてくれるのか。
そう思うと「もうそんなの気にして無いわよ」なんて言う言葉も喉に詰まって出てこなくなる。
そんな風に大切に扱われた記憶が無さすぎて、あからさまな剥き出しの優しさを自覚すると涙が出そうになるのだ。
地面に腰を下ろして幹に寄りかかり、頭上を見上げると細い枝についた緑の葉が万華鏡のようになって視界を埋め尽くす。
ゆらゆら揺れて、揺れながらきらめくその様子は柳の木の小さな子供たちが笑いながら慰めてくれているようで心が落ち着く。
『……もう泣き止んだ?』
『……もう涙出てない?』
『……もう痛くない?』
小さな小さなそんな声がキラキラとライアの耳元に響いている。
「……ありがとう。もう平気よ」
しばらくそんな光景を楽しんだ後ライアの頰がふっと緩んだ。
背にしている木の幹が、上の方で安堵の息をついたような気配がする。
「いつもありがとう。……ああそうだ、月が満ちるから今日は歌おうかと思ったんだった!」
思い立ったようにライアが腰を上げると周りの枝が喜びの声をあげるように小さく揺れ、その揺れがさざ波のように木全体に広がった。
『ああ、もうそんな時期か。お嬢の歌が再び聞けるとは幸甚の至り』
「大袈裟ねぇ……月が満ちる頃にはいつでも歌うわよ?」
ライアの声もつい弾む。
聴覚が戻っている時期、植物を相手にするのは大好きなのだ。裏のない真っ直ぐな気持ちを心に届けてくれる相手であることはよく知っているしそんな相手にこちらからも真っ直ぐに言葉をかけられる。こんな時間がたまらなく楽しくて仕方ない。
そんな楽しい気持ちを歌に込めようと思うとわくわくする。
目を閉じて、まず深呼吸。
目を閉じても、瞼の裏にしっかりと笑うようにきらめく緑の小さな葉っぱたちが焼き付いている。
楽しげな弾むリズムを頭の中に思い描く。小さくステップが踏めそうな曲だ。
そしてゆっくりとライアの唇から音が流れ出す。
足をそっと踏み出しながら小さく歌うと周りの枝がライアの体に優しくまとわりついては離れるを繰り返し……何だか一緒にダンスをしているような気分にさえなる。
流れるような滑らかな音階が口をついて出る。弾むように楽しく、それでいて流れるように優雅。そんな曲。
緩くステップを踏むのに合わせて淡い翡翠色の裾が揺れる。
両腕は後ろに組んだまま、前後左右に体がゆっくりと揺れる。
その度に細い枝がサラサラと音を立ててライアの体を撫でる。
いつの間にかライアの歌声はくすくすと笑う声に変わっている。
くすくすと笑う声の合間にステップに合わせて楽しげな音が紡がれる。
そんなことの繰り返しは、なんだか夢の中の舞踏会のようでもありライア本人だけではなく柳の木も周りの草や低木たちも揺れながら楽しんでいるような空気に包まれている。
そして最後にライアがくるりと回ってステップを止め、同時に歌が終わると。
ほんの数瞬の静寂が訪れる。
この静寂が好きだ、と、ライアは思う。
不安になるような変な間ではない。
一曲聴き終わって、楽しかったと、満足したと、そういう気持ちが伝わってくる静寂だ。
『……良い曲だったな、お嬢』
優しい声で囁かれてライアも満足げにうっとりする。
「ありがとう」
お礼を言うと共に慇懃に礼をするのは半分おどけているからだ。
「また来るわね!」
来た時のようなしんみりした雰囲気ではなく明るい笑顔を向けて挨拶をして緑のカーテンをそっと開け、外の世界に足を踏み出す。
うん、楽しかった。
楽しかったと思えるうちに帰らなきゃ!
そう思いながら歩き出した矢先。
バサバサバサ……ドサ。
「……はい?」
何かが勢いよく落ちてくるような音が近くでしてライアがギョッとして立ち止まった。
今の音、結構というか、かなり近かった。
すぐ近くの……木の上から何かが落ちてきたんだろうか。木の下には低木の茂みがあるからあの中、かな。
音の感じからして小動物の類より大きいものだった気がしなくもないんだけど。
そんなことを考えながらライアがそろそろと近くの茂みの方に歩み寄り、大きく陥没している茂みの中を覗き込む、と。
「……え、うそ……」
人だ。
しかも、これ……え……? あれ? 本当に人かな?
なんて非現実的な疑問が浮かんでしまうくらい、綺麗な……男の子。
いや、正確には子供ってわけじゃないけど。
私より年下でも十歳は離れてないんじゃないかっていうくらいの、なんなら成人男性の類に入る……でも見た感じ、雰囲気が「男の子」。
そして綺麗と形容したくなるのはその容姿が。
……この子、めちゃめちゃ色素が薄くないか?
まず細くて柔らかそうな髪は色の薄い金髪。軽く波打つその髪は短く整えてはいるとはいえ前髪はちょっと長め。睫毛も同色で……お人形さんのように長い。睫毛が頬に影を作るって……ちょっと腹立たしい。色白だし、気を失っているのか目は閉じたまま動かないけど……この感じだと瞳の色も薄いんじゃないかな、という気がする。
茂みに埋もれているからよくわからないけど腕も腰の辺りも細そうな……気がしなくもない。なんとなく、物語に出てくる妖精とか精霊とかそういう雰囲気だ。
で、この感じ、眠っているんじゃなくて気を失っているんだよね?
あの音の感じからして落ちてきたって事よね……。
そう思いながらライアは視線を頭上に上げてみて。
「……うわ。あれか……」
目の前の木の、上の方に折れている枝がある。
あの辺りから落ちた、ということらしい。
「……えーと、あんなところから落ちたっていうことは……え、うそ……ちょっと! ねぇ、あなた、大丈夫っ?」
はたと我に返ってライアが慌てる。
これ、ちょっとただ事じゃないかもしれない!
あんな高さから落ちて意識がないって……頭を打ってる可能性!
ガサガサと茂みをかき分けて男のすぐそばまでどうにか行きつき、顔を覗き込む。
「ねぇ! ちょっと! 大丈夫っ?」
あんまり激しく揺さぶるのはどうかと思うので頬のあたりを軽く叩いてみながら声をかけてみて。
と。
「……うぅ……ん……」
薄い唇の隙間から小さい声が漏れた。
よし、しめた! と、ライアがさらに頬を叩いて。
「もしもし? 大丈夫ですか? どっか痛いところとかある?」
なんて声をかけていると、睫毛が震えて眉間にシワが寄り、薄い茶色の瞳が覗いた。
そしてゆっくりその瞳の焦点が合って……さまよっていた視線とライアの目が合った。
「……あれ……人間……?」
「……は?」
妙な言葉を聞いた、と思ってライアが目を丸くして反射的に聞き返す。
と、同時に彼はその目を再び閉じてしまった。
そして。
ぐううううううううううううううううう。
……は?
なんだこの子。盛大にお腹が鳴ってる。
え……でも、今なんか変なこと聞かれたよね私。
人間か? って聞かれた?
えーと、という事はですよ。
この子自身が人間じゃないって事なのかなっ?
やっぱり物語の中の精霊とか妖精とかそういうやつ?
……いや、うん。一回落ち着こう。そういうものが実在すると信じるような女じゃないでしょ私。むしろこう……例えば幽霊とかそっちの方じゃないかって……おい、やだなそういうの。どっかの誰かの怨念とかの相手するのは絶対ご遠慮申し上げたいけど。
そんなことを考えているライアが完全に固まっていると。
ぐうううううう……きゅるるるるるるる………。
うん、幽霊はお腹空かせたりしないと思う。それに精霊とかが空腹でお腹鳴らせるなんてお話は読んだことがない! つまりは、この子はきっとちゃんと人間! なんならこのびっくりするくらい色白なのは空腹とか……貧血とかかもしれない!
そう思い立ったライアは。
「ちょっと、しっかりしてね! 今うちに運んであげるわ!」
と、男の腕を掴み上げ自分の肩に回した。