ゼアドル家 2
食事の支度ができた、と言われた。
それでリアムはライアを起こしに来た、と言っていた。
時間的に食事とは夕食であり、こういう家の場合それは晩餐会だろう。しかも建前だけを言えばライアはここに花嫁修行をしに来た正式な客だ。
なのに。
「……食事ってこれ?」
ライアが目の前に並んだものをじっと見つめる。
「はい、左様でございます。……食べられないものがおありですか?」
給仕をしているカエデが心配そうにライアの顔を覗き込む。
「いや……そんなことはないけど……」
目の前のテーブルに並べられたのは結構豪華な夕食のメニューだ。
スープにサラダに前菜の皿もあるし、メインの肉料理なんて「これなんのソースですか?」っていうような素敵なソースがかかっていてとっても美味しそう。パンだって焼きたてで見るからにふわふわ。そしてデザートもある。
問題は。
「一人で食べるの? ここで?」
ライアがカエデの方を見上げる。
なんせ食堂にでも案内されるのかと思っていたところが、食事の方がこっちにやってきた。
相変わらず同じ部屋だ。
「そう、ですね。……ライア様を当分部屋から出さないということになっておりますから……そうか監禁……」
言いながらその状況が建前とは別のものであることに気づいたらしいカエデが眉を顰めた。
「ちなみにここの家の人たちはみんな一緒に食事をしてるの?」
何しろ状況が全くわからないので、そしてカエデに当たってもなんの解決にもならないことはわかるしカエデ自身まだ現状把握ができていない身だろうと思うと可哀想な気もするのでライアは情報収集にかかる。
そして、食事もいただくことに。
……だってなんだかどれもこれも美味しそうなんだもん。お腹は空いてるし。
「ええ……皆様というわけではないかと思いますよ」
ライアがとりあえず食事に手をつけ始めたのを見て安心したのかカエデがホッとした顔になって話し始めた。
「旦那様はだいたいお仕事が終わってから夜遅くにご帰宅なさいますので食事は外で済ませてこられますし……ご存知かと思いますが奥様は別宅でございますし」
「あー、ごめん。それご存知ないわ。……そもそもここの家族構成すら知らないんだから」
「えええええ!」
ふわふわのパンをちぎりながらライアが答えるとカエデが一歩後ずさる勢いで声を上げた。
「やだ、そんなにびっくりする?」
だって興味ない人たちだよ? と付け加えようとしたところでカエデがガックリと肩を落としているのでライアはつい言葉を飲み込んだ。
「あの……本当に、ライア様はリアム様とお付き合いされていたわけではないんですね……」
「だから言ってるじゃない。そんなのかけらも無いわよ」
ふわふわのパンもスープも美味しい。スープは、これ野菜の旨味たっぷりだわ。なんて思わずスープ皿をまじまじと見つめてしまいながら答えるライアに。
「えーと……一応ご説明いたしますわね。旦那様は仕事熱心で知られておりますがその先々に愛人がいるという話です。なので奥様は別宅で生活なさっておいででもう一年ほどこちらには顔を見せていないそうです。この家では奥様の話はしてはいけないことになっております」
なるほど。
ライアは食べながら頷いて見せる。
そもそも興味のない家庭の話だから「それは大変ね」とか、まかり間違っても「じゃあリアムは寂しい思いをしたのかしら」なんて感想はない。
カエデの方もここに長く勤めているわけではないということだから表面上の知識として教わったというレベルでその辺の色々を自分で見たわけではないだろう。
「それで、ですね。リアム様の他にはエリーゼ様という方がいらっしゃいます。……恐らく腹違いの妹ってやつですわ」
最後にちょっと声のトーンを落としたカエデがライアの耳元にわざわざ口を寄せて説明した。
「……奥様別居の原因?」
ライアがじとっとした目を向けると。
「ええ。エリーゼ様がこちらにいらした時はそれはそれは大変だったようです。それが昨年。エリーゼ様のお母様がお亡くなりになったとかで旦那様が後継人になるとおっしゃられて引き取ったのですが……年齢がリアム様とほとんど変わらないんです」
「……人としてクズね」
「私もそう思います」
美味しそうなローストビーフを一切れ食べながらライアが呟くとカエデも深く頷いた。
「そんなわけですから」
こほん、と小さな咳払いをしてからカエデが言葉を続ける。
「エリーゼ様とリアム様が食堂でお食事されることが多いですわね。そこにたまに旦那様が入る、という感じです。でもそう楽しそうな雰囲気ではないですからライア様は行かなくていいならその方が良いですわよ?」
だんだん仕事上の言葉に私情が混ざるようになってきたカエデは表情も少し豊かになってきた。
眉を顰めてライアの方に頷いて見せる様子はもう「お姉さんが妹に助言する」といった構図だ。
「了解」
ライアもつられるように同志のような視線を向けて頷く。
部屋には必要なものは全て揃っている。
バスルームもあるしそこそこ広いので歩き回ることもできて拘束されているわけでもない。
お腹が空けば美味しいものが黙っていても運ばれてくる。
「……どうしようかな……」
上等なベッドで寝返りをうちながらライアがポツリと呟いた。
昼間にぐっすり眠ってしまったせいか……いや強制的に眠らされただけなんだけど……もしくはこの異常事態のせいか、すっかり頭が冴えてしまって深夜だというのに眠気が一向にやってこない。
意に沿わない事を強要されるのならどうにか出ていってやろうとか思えるところだが、どうにもちょっと違う。
なかなかの高待遇だ。
……なんて思っちゃいけないんだろうな、とも思うけど。
それに、カエデ。
なんだかとてもいい人だ。
多分私がここから無理に出ていこうとかしたら彼女に迷惑がかかるとしか思えない。
でも。
だからといって。
ずっとここにいるわけにもいかないしな……。
そもそもこの家に愛着はかけらも無い。
ここにいる理由はない。
それに家に帰らないと村の人たちが薬を切らせてやって来るだろう。そうしたら私がいないと困るよね。
騒ぎになったり……しないかな?
ああ、そういえば。
村の人たちとそこまで親しくはないか。
なんて思うとちょっと苦笑が漏れる。
店が開いてなくても「ああ今日はやってないのか」って思うくらいだろうし、帰ってこない日が続いても……「旅行にでも行ったかな」とかそんな感じかもしれない。
レジナルドは……探してくれるだろうか。
いや……でも、彼がここを探し当てる可能性なんて低いと思われる。
グランホスタ家と縁を切ったしまったら、身分も肩書きもないわけでこんな家に乗り込んでこれる筈はない。
そもそもここに私がいるなんて事は知らないわけだし。
結婚かぁ……。
そんな単語も頭に浮かぶ。
政略結婚。
意に沿わない結婚。
きっと私には、誰かと恋愛してふわふわとした恋愛結婚とか幸せいっぱいの生活とか、そんなものは似合わないのかもしれない。
義務感で結ばれた絆。お互いの打算で結ぶ契約。
そんな形でここに引き留められることにはなんとなく……安定感を見出してしまえるんだけど……私は異常なのだろうか。
だって、幸せな家庭とかの方が想像つかない。愛情に溢れる家庭とかってもはやただの物語。
物語のパッピーエンドが「そして幸せに暮らしました。めでたしめでたし」っていうのは好きだけど、それはハッピーエンド。つまりそこで「終わる」からハッピーなのだ。実際にはその後ってものがある。
そんな中に自分を置く想像ができない上にそうなったらどうしていいかすら……わからないような気がする。
あのリアムという男を好きになれる自信はないけど……例えばもし、レジナルドと一緒になったとして、将来のいつか彼に飽きられるとか、私が彼を好きになれなくなるとかそんなことがあったらと思うと、その方が耐えられない。
そんな未知の将来に怯えるくらいなら、予想のつく生活に妥協した方がいいんじゃないか、なんて物凄く後ろ向きな考えに走りたくなる。
こういうの、ただの無気力とかそういう問題かな。
聴覚が鈍くなるこんな時期はどうしても自分から何かに取り組もうという力が出てこなくて無気力になりがち。
ああ、そういえばカエデの言葉はとても聞き取りやすかった。
彼女は……そうか、ゼアドル家は私の耳が悪い事は知っているから知ってて分かりやすく話しかけてくれていたんだろうな。
それもなんだか心地いい。
今は、それがとても楽。




