ゼアドル家 1
異常に、だるい。
意識が戻って最初のライアの感想はそれ。
なんだっけ。
なにがあった?
なんとなく異常事態なような気配はするので体は動かさないようにしながら周りの気配を伺ってそっと目を開けてみる。
あてにならない感覚で、人の気配はしないなと思ったけれど多分本当に誰もいない。
ちょっと広めの、部屋だ。
自分が寝ているのはベッド。白いシーツは清潔そうで……きちんとした客間か何かじゃないかな。
そこまで確認して起き上がってみる。
……うん、ちょっとぼんやりする程度でどこか痛いとか気持ち悪いとかはないな。
そう思ってベッドの下に足を下ろす。
ああ着ていた服がシワになってる。なんて思いながら周りを見回すと。
どうやら本当にどっかの上等めの部屋。
床には毛足の長い絨毯が敷いてあって綺麗な布製の部屋履きもある。ちょうど足を下ろしたところにあるのでそのまま履いてみて周りの様子を見るためにそっと歩いてみる。
部屋の一角にテーブルと椅子があってお茶でもできるようなスペースがある。
窓に近づいて外を覗き込んでみるが品のいいカーテンをめくった窓の外はもう暗くてここがどこなのかよくわからない。
窓際には小さなソファがあってそっちはくつろぐためのスペースといったところ。可愛らしい花模様が彫り込んである机にクローゼット、本棚はそう古い物ではなく……本棚は空っぽだ。
なんとなく気になってクローゼットをそっと開けてみると。
「お……っと……」
思わず小さな声が漏れた。
中は空ではなかった。
わりとシンプルではあるが可愛い服が一杯入っている。色合いは派手ではなく落ち着いた色ばっかりだからこういう感じなら私でも着れそうだな、と思いながら、はたと。
……え、私が着れる、服?
そこまで考えてから、自分がどうやってここまで連れてこられたかを考えなければいけないことに気がついた。
あ。私もう少し慌てるなり警戒するなりしなきゃいけないんだった。
なんかあまりに普通な部屋に放置されてるからうっかり現状把握ができないところだった。
で、ドアの方に歩み寄り、そのままそっとドアを開けてみる。
と。
「何か御用がございますでしょうか」
「ひゃっ!」
いきなり声をかけられたのと、思わぬところに人がいたことにびっくりしたライアが息を飲むついでに変な悲鳴を上げた。
何となれば、ドアのすぐ脇に女の人が控えていた。
濃紺のワンピースにきっちりと髪をまとめた同年代か少し年上かな、というくらいの女性。
今の感じ、多分ドアの横で壁に背中を向ける感じで立っていて、ドアが開いてこちらに向き直ったといったところだろう。向き直っただけでなくこちらに深々と頭を下げて。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ライア様のお世話を担当することになっておりますカエデと申します。御用があればなんでもお申し付けくださいませ」
「え……カエデ、さん?」
世話係ってなんだ?
「さん、はいりません。お嬢様付きの侍女といったところです。ライア様……まずはお召し替えのお手伝いが必要ですか?」
はい? 今なんか変な単語が出たかな?
そう思って目を丸くしたライアの方にカエデと名乗った女性は視線を這わせてきた。それは業務的な視線なのだろうがあまりに真っ直ぐなのでライアは聞き返す前にその視線を辿ってしまって。
「……あ」
小さく声を上げる。
改めて見ると思いのほかシワがひどい。
うん、そうよね。ワンピースのままベッドで寝てたんだもん。こうなるわね。
いろいろ確認したいことはあるけれど、恥ずかしい恰好な方が気まずいので一旦部屋の中に戻る。
「クローゼットの中の服はお好きに使っていただいて大丈夫ですよ。ライア様はご自分の身の回りのことはおできになるとお伺いしておりましたが、何かお手伝いした方がよろしいことがありますか?」
特に棘のある言い方でもなく、確認のように尋ねられライアは首を振る。
「大丈夫。よほど着るのに手間のかかる服とかじゃなければ自分で着られるし……手伝いは必要ないんだけど」
ライアがそう答えるのを見届けたカエデはクローゼットを開けて中から幾つかの服を出し、ベッドに広げる。
濃い青のワンピース、グレーがかったローズピンクのワンピース、モスグリーンのワンピースだ。
「この辺のものでしたら着心地が楽ですし、お似合いかと思いますが」
ああ、これ。どれになさいますか? っていうことか。
と、彼女の作業をぼんやりと見守っていたライアがはたと気づいて。
「え、ああ。えーっと……」
え、でもこれ、簡単に拝借して大丈夫かな……と妙に引っかかる。
ここまで強制的に連れてこられた事を考えるとここはゼアドル家で、これってゼアドル家の物よね。それを使ったら不本意であっても「政略結婚」とかいうのに合意したことになっちゃわないだろうか。
「お気に召しませんか?」
カエデが首を傾げてそう言うと再びクローゼットの方に歩き出そうとするので。
「あ! 違うの、そうじゃなくて!」
思わずライアが声を上げる。
まずい。このままだとクローゼットの中身が全部ここに持ってこられてしまう。
と。
コンコンコン。
と、軽いノックの音がした。
ライアが顔を上げるとカエデが「そのままお待ちください」と、軽く膝を曲げてからドアの方に向かう。
小さくドアを開けて一言二言やりとりしてから。
「ライア様、リアム様です」
と言ってカエデがドアの横に控えるような形で立ち、姿勢を正し直す。
ので。
はい来た! 諸悪の根源。何をどう間違ってこうなったかまず説明を求めるべき当事者!
ライアが背筋を伸ばしてそちらに向き直る。
そのタイミングを見てカエデがドアの方に視線を送り、ドアが大きく開く。
「ああ、ちょうど良かった。これから夕食らしいので起こしに来たところなんですよ。気に入った服はありましたか?」
起こしに来たって……なぁにをいけしゃあしゃあと。あんたが「眠らせ」たんだよね。こちらの意思を全く無視した、いたって不健康極まりない方法で!
あまりにも突拍子のない温厚かつ平和的に見える態度に言葉が出ないライアは思わず目を見開いて、そのまま金髪男を凝視した。
「今いくつか選んでみたところです」
言葉が出ないライアの代わりにカエデが静かに答えて、リアムが「ほう」と小さく声を上げながら部屋の中にズカズカと入ってくる。
……いや、ズカズカとっていうのは思いっきり主観だけどね。
どうせ彼の家なんだろうし入ってくるのは自由だろうよ。でもさ、一応女の子に用意した部屋に本人の許可なく勝手に入ってくるっていかがなものかと……あ、もしかしてこれ、この家の人には当たり前の行動なんだろうか。そういや家探しってそういう行動だったな。
なんてライアが思いながらその動きをただ眺めていると。
「これなんかどうですか?」
と、落ち着いたローズピンクのワンピースをリアムが持ち上げた。
……ピンクが嫌いになるかも。
そう思って一度視線を逸らしたが、これ以上嫌いな色を増やすのも嫌なので「あーはいはい」とそれを受け取る。
グレーがかったローズピンク。もっと華やかな色だと若い子向きだけどこんな感じなら私が着ても大丈夫そう。
肘までの袖もシンプルで袖口には濃いグレーのささやかなレース。胸元には薄いグレーのレース生地が重ねてあって境目と裾には濃いグレーのリボンが縫い付けてある。
あんまり盛大にふりふりしたのはどうかと思うけどこのくらいならまぁいいか。
「……着替え、手伝いますか?」
リアムの言葉にぞくりと悪寒が走ったライアは。
「ふざけんな変態!」
もう本気で罵るしかない。
罵られても特に気分を害する様子もなく肩をすくめて部屋から出ていったリアムにライアはまずため息を吐き。
「着替えなきゃだめか……」
と小さく呟く。
と。
一瞬妙な空気感があったような気がして他の二着をしまっているカエデの方を見やると。
「……どうかした?」
「っあ、いえ……」
なんとなくカエデの表情が不自然な気がして声をかけたところでその表情が改まった。
……なんだろう。
と、ライアが首を傾げたところで。
「……っく!」
いきなりカエデが体を二つに折った。
「え……?」
お腹を押さえ込むようにして急に体に力を入れたようなカエデにライアが焦る。
「だっ大丈夫っ? 具合悪い? どっか痛い?」
これって腹痛だろうか。顔色が悪いようには見えなかったけど……でもこういう仕事をしている以上はそう簡単に具合悪いのを人に見せちゃいけないだろうしギリギリまで我慢して……動けなくなる事だって十分あり得る。
とにかくベッドに横になってもらって、何か薬の調合を考えた方がいいだろうか。でもここでいきなり薬草なんか手に入らないだろうからすぐできる処置としては……。
と、咄嗟に頭の中でいろんな可能性を考えつつ処置について思考を巡らせ始めたライアに。
「くくくくっ……ふ、あははっ……」
カエデの様子が急変……じゃなくて大笑いに変わった。
……えー……なにそれ……。
呆然とするライアの前でカエデは止まらなくなった笑いを吐き出すようにひとしきり笑い。
「申し訳ありません……あのっ……くくくっ……あー駄目だわ止まらない……」
一旦顔を上げて言葉を出しかけたカエデは再び視線を逸らして笑い直しに入り……。
もう止まりそうにないのでライアはさっさと着替えを始めた。
で、そんなライアに気づいて背中に並んだ釦を留めるのを手伝ってくれるカエデだが息づかいがまだ怪しい。
で、とりあえず落ち着いたかな、というタイミングでライアが振り返って目を合わせると、黒い瞳の目尻にはうっすらと涙まで滲んでいる。
「すみません。もう可笑しくて。……あのリアム様をあんなにはっきり変態呼ばわりできる方なんて見た事なかったものですから」
「あー……なるほど、そこか」
急に雰囲気が変わったカエデは初見で感じた張り詰め気味の空気感はどこへやら、の一変して可愛らしいしっかり者といった雰囲気になっている。
笑い転げてしまっている間に可愛らしいという雰囲気が湧き上がり……きっちりと一切の乱れを許さない、というくらいにまとめた髪と切れ長の黒い瞳という見た目が、しっかり者というイメージを崩さずに留めている。
「あなたのような方を奥様としてお迎えできるなんて、この屋敷のみんなが大喜びいたします。あ、もちろん使用人一同ですわ」
目尻の涙を拭いながらカエデが歓迎の言葉を告げてくるのだが。
「ちょっと、待って。……えっと、私べつに結婚するなんて承諾してないから」
ライアが一旦言葉を選ぼうとしたがうまく柔らかい言葉が見つからずに結局ストレートな言葉を告げると。
「はい……?」
カエデが目を見開いた。
「あの、ごめんなさい。ちょっと現状把握ができてないんだけどね。私、結構無理矢理連れてこられたわよね? なんか薬で気を失ってる間にここに連れてこられた状況なんだけど、それでどうしてそういう『何もなかったですよー』な対応ができてるのかな?」
ライアが頰のあたりを引き攣らせながら簡単に説明すると、カエデがサッと顔色を変えた。
「ええ! そうなんですか? あの……私どもはリアム様が『デートの最中で眠くなったらしい』と連れてこられたのでてっきり。……それにこの部屋もライア様がこちらに早めに慣れたいとおっしゃったとお聞きして数日前から急いで準備致しましたのよ」
「……んな訳あるかい。誰があの金髪男とデートなんかするよ」
やさぐれたライアの心の声はもうダダ漏れだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。……ではリアム様の恋人というのは……」
「誰よそれ。私あんな人に興味もへったくれもないけど」
「じゃあ……ここに連れてこられたのは……」
「ただ拉致られただけだってば」
「……なんてこと……」
ちょっとしたやりとりで、カエデは事態を理解したらしい。
そもそもその程度の情報提供で理解できてしまうというのは……リアムの人格がどう評価されているかを暗に物語る由々しき事態ではなかろうか。あの人、ゼアドル家の跡取りなんだよね。
ライアはカエデの反応を見ただけで、つい遠い目をしてしまう。
「そういう訳だからさ、私帰っていいかな」
ライアがそう呟くと。
「ええ! 駄目ですよ! ……あ、いえ、お気持ちはわかります。分かりますが、今お帰りになるのはやめた方がいいかと思います!」
ひしっとした視線が向けられてライアが一歩引いた。
無言で「それどういう意味?」と問う視線を向けると。
「あのですね。……ライア様はこの家からお出になることがないようにというのが旦那様のお言いつけです。リアム様はライア様がそれを承知でこちらにいらしたということにしておいでですし、もし出て行きたいと言うようなことがあってもそれはただの痴話喧嘩だから使用人は貴女を宥めてここから出さないようにと言われております」
「……それ監禁じゃない」
「そうとも……言いますわね」
「そうとしか言わないわよ?」
「あ……いえ。あの、一応ですね。ゼアドル商会にまつわる情報を外部に漏らさないという建前があるんです。なのでご結婚までの間はここでの生活に慣れることとリアム様のお仕事のサポートを学ぶために屋敷の敷地から一歩も出ないという条件を飲んだ上でライア様はいらっしゃった、と承知しています」
ライアの鋭い視線におどおどしながらもカエデは説明を加える。
「それ……建前はともかく、この拉致監禁の事実が私の口から漏れないとかってどうして思ったのかな……」
カエデの説明を聞いてライアが呆然としながらこぼすと。
「あ……」
何かに思い当たったようなカエデの反応にライアが視線を向ける。
「だから私が割り当てられたのかもしれません。……申し訳ありませんが、私……このお屋敷ではまだ新米で……使用人仲間からもそう信頼されているわけではないんです。私が聞いたことを他の者に伝えたところで信じてもらえるとは思えませんし、私としてもそういう事を報告してここをクビになるのは困る身なんです……。それに……多分、ここの使用人たちは内心リアム様や旦那様のお人柄をどうこう思っているとしても仕事上それに楯突くことは絶対にしない人たちばかりなんです」
「うわー……」
なにそれ。
そうか、カエデってベテランさんかと思ったらそうでもないのか……。いや、それはいいけど……なんかややこしい事態になってる……。
ライアの頭はすでに色々混乱状態だ。




