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日常に潜む不安と危険

 

 閉塞感のある日が戻ってきてもライアはなんとなく、気持ちが軽い。


 レジナルドはしばらく家に戻って今までやってきたことのあれこれを片付けると言っていた。

 帰り際のさっぱりした顔にはつい「頑張ってね」と声をかけてしまえるほど晴れやかな雰囲気さえあって送り出す方も安心できたのだ。


「……へーえ。いつのまにかずいぶん落ち着いたこと」

 茶化すような視線を向けながらテーブルでお茶を飲むシズカには聞かれるままにレジナルドのことをざっくり話した。

 シズカは根掘り葉掘り聞くわけでもなく、こちらの気持ちに圧力をかけるわけでもなくただ黙って聞いてくれるのでこういう話もしやすい。茶化すような視線を向けてくるとはいえ押し付けがましさのないちょうどいい距離感だ。

「落ち着いた……っていうの、これ?」

 ふふ、と笑いながらライアも自分の前にあるお茶のカップを手に取る。

 彼女に出すのは薄荷をメインにしたブレンドのハーブティーであることが多い。

 今日は薄荷のミルクティーに蜂蜜を入れてある。

「……へー。無自覚かぁ。……レジナルドって凄いわね」

 シズカが目を丸くする。ので。

 ライアは無言で眉をしかめて小さく首を傾げた。

「うーん……あなたねぇ。ここ最近やたら表情が柔らかくなったって自覚してない? 前はそんなふうに笑ったりしなかったし、笑わないまでもそういう微妙な表情なんかまずしない子だったわよ?」

「え……そ、そう?」

 指摘されたことがあまりに意外すぎてライアの口元が引きつる。


 表情……そうか……そういえば前よりだいぶ気持ちにゆとりが出てきたような気がする。ゆったりとした気分でいる日が多くて……そうなると他の人と話す時もそういう表情になっているかもしれない。

 前はもっと……いつも緊張していて……意識して笑顔を作らないと顔が固まっているような気がすることが多かったな。

 なんて思いながらつい自分の頬に片手を当ててしまう。


「恋の力ねー」

「はいいいいいっ?」

 深い意味はないであろうシズカの言葉につい大袈裟に反応してしまうと、シズカが一瞬目を見開き、そのあとケラケラと声をあげて笑い出す。


 そんな昼下がりのひと時。

 こんな時間を過ごすことさえ自然体で楽しめている自分が嬉しい。

 シズカはとても楽しそうにお茶をして帰っていく。

 いつも出しているブレンドしたものもお気に入りのようだが、今日の薄荷のミルクティーもだいぶ気に入ったようだった。

 帰り際に薄荷の茶葉を買っていったところを見ると家で夫婦で飲むつもりだろう。

 あそこはなんだかんだ言って夫婦仲がいい。


 夫婦……結婚……。

 なんだかそういう単語を意識してしまう。

 レジナルドの、お嫁さん……って、何だかピンとこないんだよなぁ……。

 そんな事を思ってしまう私って罰当たりだろうか。

 なんでだろう、とむしろ首を傾げたくなる。

 レジナルドのことは好きだし、大切だ。

 それに……多分他の女の子がレジナルドの恋人になるとか婚約するとかあったら……立ち直れない気がする。

 でも……だからといって。

 結婚生活をイメージ出来ない。


 幸せそうな夫婦を、間近で見たことが極端に少ないから、だろうか。

 そんな考えがふとよぎる。


 村の人たちの場合はみんな家族で仲が良さそうだけどシズカを始め、家庭を覗くわけじゃないから普段の様子なんてそう見ない。「うちの旦那がねー」とか「うちの家内が……」なんていう話を聞くくらいだ。

 家庭の様子、といって思い描くのは自分の家。昔の。

 私を身籠った母は当時複数の男性と付き合いがあったらしくて本当の父親は分からない、と言われた。

 そんな母だったから子供ができてもしばらくは結婚なんかできずに、そのあと結婚した人とも長くは続かなかった。

 それは恐らく私のせいで。

 母はかなり綺麗な人だったのだ。今思えば。

 そもそも誰の子だか分からない子供を身籠るような道徳観の女がそう簡単に結婚できる世の中じゃない。それでも結婚相手を選ぶために定期的にパーティーに参加したり主催したりしていたし、ダンスの相手には困っていなかったと思う。

 合間で娘の私がダンスの相手をしなければいけないほどだったのだから。

 そうやって言い寄ってきた男の中から母が気に入った人が「新しいお父さん」に決まって家に来たが二人が楽しそうな毎日を過ごしていたという記憶はない。

 もしかしたらあの男は……母の財産目当てだったのかもしれない。

 今思えば「新しいお父さん」ができて引っ越した記憶はない。つまり家も家財も元々母の物だった。

 そうしていつのまにか冷え切った家庭はそのまま崩壊した。

 引き金は私の存在だったけれど。


 だから私は幸せな家庭を具体的に思い描けないのだろう。そういうところに自分がいるということが想像できない。


 だからだろうか。

 分からないことが怖いから、極力触れないように……避けてしまう。考えること自体、拒否しているのかもしれない。

 いろいろ理由をつけてこれ以上彼と親しくならないようにとか、これ以上のめり込まないようにとか……変に線引きしようとしていたかもしれない。

 だというのに、彼は……なんっかこう、ぐいぐいくるのよね。


 そしてそれもまた、嫌じゃない。


 そんな自分を客観的に見て笑うシズカを見ると、なんだか少し落ち着く。

 ああ、笑ってもらえる程度のことなのかなって思えてちょっと安心できる。

 女友達、ってこういうものなのだろうか。なんてぼんやり思っていると。


「こんにちは」

 聞き覚えのある声が聞こえて嫌な予感がしたライアがそちらに視線を向ける。


 シズカが門から見えなくなった後。

 しばらくぼんやり玄関に佇んでいたライアに声をかけてきたのはリアムだ。

 いつものように空気を読んでるんだか読んでないんだかの笑顔でこちらに歩いてくるリアムにライアが反射的に眉をしかめた。

「そんな嫌そうな顔しなくても」

 相変わらずにこにこと……いや、にやにやした笑いを崩すことなくライアの正面まで来たリアムがそう言うので。

「今日はなんですか?」

 ついライアも反射的に目を逸らしながら訊いてしまった。

 一人で来ている時は本格的な家探し部隊ではないというのはなんとなく分かってきている。

「ええ、ちょっと話がしたくてね」

 そう言いながらライアの後ろのドアノブに手をかけようとする。

 のでこうなるとライアも一歩下がって……家の中に入らざるを得ない。


「……グランホスタ商会の話はもう聞いているんですか?」

 家の中に入るなりリアムがそんな事を言う。

 テーブルの席に座るでもなくソファに座るでもなく、部屋の中をくるりと見回して……恐らく他に誰もいないのを確認して……その後はやはり座るでもなく窓際に行って外を眺めている。

「商会の話?」

 割とはっきりと発せられた言葉なので聞き取れはしたが意味がわからないのでライアが聞き返すと。

「後継者が変わる、と言う話ですよ。先日お目にかかったレジナルドは後継者候補から外されるようですね」

 ああ、そのことか。

 と、ライアが再び視線を逸らした。

 ……ていうか、相手が座らないから私もどうしていいかわからないんですけど。

 まぁ、気を使うような相手じゃないから座っちゃうけどね。うん、座っちゃえ。

 と、ライアは一応リアムに一番近いソファの方に腰を下ろす。

 もうお茶を入れるとかはしない方向で。

 そんなライアを一瞥してからリアムは再び窓の外に視線を送る。

「……残念でしたね」

「は?」

 リアムの一言にライアが目を丸くすると。

「グランホスタ商会の跡取りにうまく取り入ろうとしたんでしょう? 彼はもう間もなくなんの肩書きもない男になりますよ」

 そう言うと窓を背にしてこちらに向き直ったリアムがわざとらしく哀れなものを見るような目でライアの方に視線をよこした。

「別にそんなつもりはないですよ。そもそも私、商会にも肩書きにも興味ないですから」

 この金髪、何を言い出したのかと思ったら……そうかお金持ちおぼっちゃまに群がるその他大勢のお嬢様方と私を同一視してたのか。

 そう思ったらライアの肩の力が抜けた。

 もはや呆れを通り越して脱力だ。

「……ほう……なるほど」

 リアムが片眉を上げて興味深そうにライアを見やる。

「本当に欲のない人ですね。……そういうことなら貴女にはこのわたしがあの男以上のものを提供しますよ」

「はい?」

 にやりと笑うリアムにライアは背筋がぞくりと震えながらも視線を鋭くして聞き返す。

 と。

「ほら、そんな怖い顔しない。美人が台無しですよ」

 なんて茶化すようにリアムが目を細めて。

「今日は正式に貴女に求婚しに来たんです。わたしの妻になれば貴女のしている仕事にはゼアドル商会の後ろ盾がつくことになる。薬作りにも研究にも必要なものは何でも揃えてあげられますよ。それに作ったものを効率よく売ることもできる」

「……は?」

 スラスラと何かを読み上げるように笑顔で言い切るリアムにライアは完全に固まった。

 ……だめだ。頭がついていかない。今この金髪、何言った?

「ああそうだ。こういうのを政略結婚って言うんですよ。なので貴女の意思は関係ないです。こういう家系なのでわたしも言われた通りにするしかない身でして」

「ちょ、ちょっと待って。政略結婚? え、何? なんの話してるの?」

 意思は関係ないも何も……そもそも政略結婚って意に沿わない以前に両者に何かメリットがあるんだよね。私は必要としてませんけどそんなの。

「貴女はわたしのこの怪我の責任を取らなければならないでしょう? そもそもゼアドル家の跡取りがこんな事になったとなると、取らなきゃいけない責任なんてただごとじゃないですよ。で、うちとしては貴女にはもっと自由に仕事をしてほしいと思っている。となると、ここは貴女がゼアドル家の人間になれば責任は取れるしこちらとしても貴女に自由を提供できる」

 そう言いながら白い包帯の巻かれている手を目の前に出してわざとらしくため息を吐くリアムはもはや役者だ。


 そしてライアは。


「責任て……」

 そこまで声には出したものの次の句を飲み込んでしまった。

 そりゃ、あれだけ派手に毒液が付いたのだから……相当な後遺症が残っているのかもしれない。右手だし、生活にも不自由していると思われる。

 となると、そういう考え方に発展するのも分かる……気がする。

 やっぱり……私が責任を取るべき、なんだろうか。

 仕事柄、生活に不自由するような健康上の問題には敏感なのだ。ちょっとどこかを痛めているだけでも今まで健康だった人はすごく不便だし気持ちも落ち込んだりする。


 そんな、思わず深刻に考え込んでしまっているライアの様子を見たリアムは微かな笑みを口元に浮かべて、どこか満足げだ。

「では来ていただけますか?」

「……え?」

 窓辺に立ってこちらを見ていたリアムがゆっくりとライアのいるソファに歩み寄る。

 考えがまとまらないままその動きを見守っているライアにリアムは相変わらずの微笑を浮かべたまま。

「こういうことは早い方がいいと思います。貴女にもうちでの生活と仕事に慣れていただきたいですし」

「え? 慣れるって……え?」

 リアムの笑みと口調にどことなく危機感を感じたライアが慌てて立ち上がろうとしたところで、その腕が掴まれた。

 そして。

「……逃げられると困るんですよね」

 そんな声とともに口と鼻が塞がれる。


 ……これは絶対危ないやつ!


 そう思っているのに、こういう時にどうして反射的に大きく息を吸ってしまうのだろう。

 くらっとするくらいの甘い臭いと鋭い刺激を鼻の奥で感じた途端視界がぼやけた。


 これは結構強いな……。


 そんな事を考えている間にライアの意識が薄れ、体の力が抜ける。

「迎えも控えていますから、このままお連れいたしますよ」

 そんな声がどこかで聞こえてふわりと体が抱き上げられる感覚があり……聞こえた言葉の意味を考える間もなく、ライアの意識は完全に落ちた。


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