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レジナルドの計画

 

 レジナルドには空気感を切り替える能力でもあるのかもしれない。


 息が詰まるかと思った重たい空気があっという間に軽くなって、ライアは台所に向かい、夕飯を作った。

 いそいそとついて来るレジナルドはごく自然にライアの作業を手伝う。


 一緒に作る料理がどちらにとっても心地よく、いつのまにか笑顔になる。

 こんな空気感が好き。と、ライアがふと思う。

 ただ、こんな感じがずっと続けばいいと思う反面、それはずるい考えだ、とも思う。

 ともすると自責の念に駆られそうになるところだが、その度にレジナルドが手元を覗き込んできて「次は何を手伝えばいい?」なんて聞いて来るのでそんな気持ちもすぐに逸れて……これも彼のおかげなのだろう。


「で、これからどうするの?」

 食事をしながらついライアがレジナルドに尋ねる。

 食べながら楽しくない話をするのはよくないと思うのだが、こればっかりはどうしても気になるので。

「んー……」

 スープの中にスプーンを差し入れながらレジナルドが答えるがどちらかというと食べることに専念している様子。

 そうか、今彼、胃の中空っぽよね……。と、ライアもちょっと反省しつつ彼と同じようにスープの具を一口。

 小さめに切ったジャガイモとニンジンとタマネギはとろけかけててミルク仕立てのスープの味に深みを加えている。塩漬け肉も小さめに刻んでいて……いつものように腸詰めと大きめに切った野菜たっぷりスープではないのは一応レジナルドの体調を考慮しての気遣いだった。

 胃に優しいものだけにしようとしたところ、レジナルドが若干不服そうだったので蒸した鶏肉をスライスして蒸し野菜を添え、ハーブと塩と檸檬を使ったソースをかけた物で見た目のボリュームも出した。

 一応胃には優しいはず。……食べすぎなければ。


「一応、もう一度家には帰らなきゃいけないんだよね」

 スープを半分ほど食べたところで人心地ついたのかレジナルドが話し始めた。

 でも視線はテーブルの上の肉料理の方に向かっている。

 そんな様子が何だか可愛くてライアはつい笑ってしまいそうになるのだが、話の内容的にそれはダメ、と口元を引き締めて。

「仕事に区切りをつけてあの祖父(じい)さんからふんだくれる分だけふんだくってやろうかと」

「……え?」

 どことなく黒い笑みを浮かべているレジナルドにライアがつい小さく聞き返す。

 なんか今、不穏なこと言った?

 そういえば……レジナルドって、仕事してるって言ってたよね。

「仕事って……何をしてるの?」

 恐る恐るライアが尋ねる。

 と。

「ああ、うん……形式上はね、ちゃんと肩書き通りの事やってたんだ。そのために子供の頃から相当仕込まれてたからね」

 レジナルドの唇の端が軽くつり上がる。

 でもそれは嫌な笑みの表情ではなく、どちらかというと悪戯っぽい笑み。

 なのでライアも特に嫌な気もせずにただ頷いて続きを促す。

「ほら、リアムがさ、僕のこと『出来損ないの後継者』って言ったでしょ、あれ、当たらずしも遠からず。そういう風にやってきたから」

 そう言いながらレジナルドがゆっくりとパンをちぎって残ったスープに浸す。焼き立てのパンではなかったのでそうした方が柔らかくて美味しい筈だ。

「でさ。いつかあの商会潰してやろうとか思ってたからあちこちでやってる悪どいこと、全部証拠押さえて持ってたりするんだよね」

「え、悪どいこと……って、そんなのあるの? ゼアドル商会じゃなくて?」

 つい本音が出た。

 師匠の親戚代表を知っているライアとしては「悪どい」なんて言われたら絶対そっちだと思った。

 ニールは人としてはいかがなものかと思うが、仕事は真面目にやっていそうだったし。

 と、レジナルドが目を丸くしてぷっと吹き出した。

「まあね。……そりゃ、ゼアドル商会だって何かしらやってるとは思うけど。うちだって短期間に大きくなったからね。それなりに叩けば埃が出るんだよ。うまく隠してるだけで。で、そういうの一通り押さえるまでは言われるままに仕事してきたんだ。あとは自分の名義の財産をきっちり分離してからぶっ潰そうかと思って」

「ぶっ……?」

 ライアの表情が固まった。

 いや、ちょっと。

 悪戯っぽい笑顔、じゃないね。

 完全に黒い笑みだね。

 ぶっ潰す……って、穏やかじゃない。なんか怖い。

「あ。だからそれまではライアに迷惑かからないように気をつけるね。それまで僕のケジメは終わってないんだし」

 そう言って浸していたパンを口に運ぶレジナルドは、どことなく艶やかで妖しい色気がある。

「ちょっと待って。レジナルド、なんか危ないことしようとしてる?」

 ライアが前屈みになって食い気味で声を上げると。

「え」と小さく声を出して目を丸くしたレジナルドが次の瞬間優しく目を細めた。

 安心させるような、柔らかい笑み。

「大丈夫だよ。ライアが心配することじゃないから。迷惑をかけないようにっていうのはさ、僕が『女に唆されて家業を潰した』とか言われないため。それに話をつけに行った叔父ともそれで合意したんだ」

 その笑みに反射的にライアの肩の力は抜けるのだが。

「叔父さんと……?」

 つい聞き返してしまう。

「そう。だってほらあの人さ、そもそも財産とか地位とかに興味ないっていうくらいだったでしょ。だから僕の計画を話したんだ。で、商会の仕事をしてみて気に入らなかったら自由に潰していいからって押さえた情報全部譲っちゃった」

「ええ!」

 えへ!

 なんて笑いながら蒸した肉にフォークを伸ばしたレジナルドは大きく口を開けてパクリと……おお、それ、一口でいくのか。とライアは目を丸くしたまま見守ってしまう。

「あの祖父(じい)さん爆弾抱え込んだも同然。あとはあの人が祖父(じい)さんをどう思うか次第ってとこ。だから叔父さんがうまくあそこで仕事を始めて僕と立場を交代したことが公にならないと僕としては片がつかないわけ。そのうち公式発表だのなんだので挨拶とかパーティーとかは出なきゃいけないと思うし」

「なる……ほど……」

 つい勢いに飲まれるようにライアが頷く。

 一口食べた後、唇の端についたソースを親指で拭って、それも美味しそうにぺろりと舐めとるレジナルドは妙に色っぽい。

「大丈夫だよ。犯罪まがいのことはしないから。……どっちにしても悪事を暴くっていう大義名分があるから悪い事ではないしね」

 半分固まったままといった雰囲気のライアにレジナルドが笑いかける。

「う……ん。それはいいけど……」

 ああそうか、私が心配することを気に病んでくれてるのか。と、ライアは眉を顰める。

「……けど?」

 レジナルドがライアの言葉尻を捉えた。

「いいのよ。私に気を使わなくて。……私はレジナルドの味方だからね。レジナルドが後で傷付くようなことになるのが心配なだけ。そうでないならいいのよ。それに……あなたが犯罪紛いのことをするなんて思ってないわ」

 結局、優しい人だ。

 今やろうとしていることだって、きっとその気になればもっと早くできただろう。それを別の人に委ねてしまうということは……自分で手を下すには心が痛んでいるのかもしれない。

 そう思って言った言葉に向かいに座っているレジナルドが息を呑んで固まった。で、ゆっくりと頬を赤くしていく。

「……なんだよ。ずるくないかそれ」

 呟いたレジナルドはテーブルの上でフォークを握りしめた手が小さく震えており。

「……え? なに?」

 ライアが聞き返すと恨めしそうな視線が返された。

「……生殺しだっていうの。……ほんとに既成事実作る方向でいこうかな……」

 聞こえるか聞こえないかの声で呟くレジナルドに不穏な気配を感じたライアが頬を引きつらせた。



 なんだかんだで。

 レジナルドって、ちゃんと計画性のある生き方をしてるんだ、と思う。


 食後にお互い寝支度は済ませたものの、そしてレジナルドには客室を使う許可を出したものの、どちらともなく自分の部屋ではなく居間のソファに座って就寝前のお茶を飲む。

 ライアは寝間着の上にショールを羽織っているが……一度徹底的に介抱してもらったことがある以上、こういう姿を晒すことに関してはもう開き直っている。

 そうは言ってもライアの着ている寝間着は色気のあるようなものではなく綿素材のしっかりした生地でできたシャツタイプ。長く着ているうちに染め直したりもしたので今は褪せた紺色だ。

 相変わらず、というかいつのまにか彼用になってしまった新しい白い寝間着のレジナルドの方が色気があるくらいで。


 そんなレジナルドの隣でお茶を飲むのもそう緊張しなくなってきたのは……免疫的な何かだろうかと思いながらライアはちらちらと白ウサギを観察。


 計画性も、甲斐性もある、のよね。改めて考えたら。遊んでるだけかと思ったら仕事もちゃんとしてたんだし。

 しかも、嫌いなニールの下での見習いとしての毎日はそう楽なものではない。楽じゃない……なんてもんじゃなく、毎日が苦痛でしかなかっただろう。

 初めて会った時の彼は本当に酷い顔色だったし、不眠症でもあったみたいだし。


 そういえば。


 観察している視線が気になったのかレジナルドがこちらに視線を向けて「うん?」と首を傾げるので。

「そういえば、レジナルドって最初に会った時、木の上にいたのよね。あれ、そもそもなんで木の上だったの?」

 ふと思い出してしまった。

 と、レジナルドが視線を逸らして「あー……」と小さく声を上げ。

「あれね……いやあの辺ってあんまり人が来ないから時々仕事の合間に現実逃避しに行って休んでたんだ。夜眠れないせいか昼間、無性に眠くなることがあって。で、あの木の上なら万一誰かが下を通っても見つかることはないから声かけられるとか面倒なことにはならないでしょ。……でさ、そこで初めてライアが歌うの聞いてさ」

 後半でちょっと照れたように後頭部を掻くような仕草をして。

「最初の時って木の下の茂みの中にライアが隠れて歌ってたんだよね。その歌がすごく気持ちよくて、すごく気持ちが落ち着いたんだ。で、我に返ってさ。……目の前の枝が見ている間に新芽を出したからびっくりして」

 くすりと笑みを漏らす。

「え……そういうことだったの……?」

 ライアの方がびっくりだ。

 この人、あの木の常連だったということか。

 驚いて言葉を失うライアをちらりと見るレジナルドはちょっと得意げだ。

「そう。でも最初は僕の夢かなんかかな、くらいに思って……気分良く休めるしなんだかぼーっと見てたんだよね。そしたら下の茂みから女の子が這い出てくるからびっくりしちゃって」

「う、わー……」

 レジナルドの体調不良が筋金入りだったことへの驚きと、そのタイミングで薬師である自分が出逢えたことへの驚きに目を丸くしてライアが俯いていると。

「……だから女神かと思った」

「は?」

 予期しない一言に顔を勢いよく上げると優しく細められた薄茶色の瞳と目が合った。

「ほら、あの神話。……最初は僕も寝ぼけてたし深く考えなかったんだけど、後でよくよく考えたらさ。あの神話の通りだったのかも知れないって。森の女神と出逢ったら願いを聞いてもらえるっていうやつ。その女神がたまたまそこにいて、現実逃避したいっていう僕の願い事を叶えてくれて、ゆっくり休めたのかなって思ったんだ。……で、また来ないかなって思ってそのあと毎日あそこに行って待ってたんだ。そしたら池の方から歌が聞こえて……女神がびっくりして歌うのを止めないようにと思ってじっとしてたんだけど、歌い終わったみたいだから身を乗り出したら、枝が折れて……落ちた」


 ……なんてこった。

 それじゃ、木から落下したあの日って。

 あの、症状。

 落下の衝撃を受けたにも関わらずあそこまで爆睡できたことや、あの顔色を思い返すに……かなりの極限状態だったのだろう。

 そんな中での彼の毎日が……もしかしたらあの日を境に好転した、ということなのかもしれない。……きっかけが私であると考えるのはとてもとてもおこがましいけど。


 そう言われれば、私の方は、耳が聞こえる時期に時々茂みの中に隠れて歌うことがある。そんな時期と親戚代表の家探し部隊がうちに来るような時が重なれば、そうやって茂みの低木にお礼をしてうまく隠れさせてもらうことも……あったよね。


「ね、ライア。もう聞こえてる時期ってそろそろ終わりでしょ?」

 話される真相に呆然とするライアにレジナルドが改まったような顔で話しかけてくる。ので。

「あ、うん、そうね」

 と、ついライアも背筋を伸ばした。

「あのさ……今、何か歌ってもらうことって出来ない?」

「……え?」

 意外な一言にライアが目を見開く。

「今思い出したんだ。あの時聞いたライアの歌声、すごく気持ちが安らいだ。木のために歌う歌もそれぞれ楽しそうだったり優しかったりして良かったけどあの時聞いた歌はもっと静かで柔らかくて……。ライアが作るものはなんでも気持ちを安らげてくれるんだよね。食事もハーブも薬茶も香水も。でも歌が一番気持ちが安らぐかもしれない」


 うわ……。

 どうしよう。

 なんか……すごく嬉しい、けど。


「ライアがさ、前に言ったじゃない? 耳が聞こえない時期は声量の調整が難しいから周りの植物にどう影響するか分からないって。今なら……どう?」

 ライアの頬がどんどん熱くなっていく。

 そしてこちらを覗き込むように、しかも優しく細められた薄茶色の瞳に一度囚われてしまったら……目が離せなくなっている。


「……だめ?」

 こら白ウサギ、首を傾げるな。

 可愛らしすぎる。

「う……あ……まぁ……いい、かな?」

 ほら、承諾しちゃったじゃないの。

 ……私め。白ウサギには弱いんだよ。……くう。


「本当っ?」

 ライアが自主ツッコミをしていると隣でレジナルドが目を輝かせた。

「うーん……そうね。大丈夫ということにしておこう。曲を選べば……大変なことにはならないと思うのよね」

 一応、部屋の中にはハーブの鉢植え。

 窓の外にはちゃんと植物たちがいることはいるけど、大きな声で元気のいい歌を歌うわけじゃないんだからまず外に聞こえることはないだろう。

 で、レジナルド御所望の曲は安らぐ歌、だからこの部屋の子達だっていきなり活性化するような事にはならないはず。

 ……子守唄系かな……。

 と、ライアが曲を幾つか頭の中に思い浮かべる。


 そして空になったカップをそっと脇のサイドテーブルに置くと、小さく深呼吸して肩の力を抜いて目を伏せて。


 緩んだ口元から小さなハミングが流れ出し……。


 思い出すのは昔どこかで聞いた子守唄。

 私自身が歌ってもらった記憶はない。

 あれは道ですれ違うお母さんが子供に歌って聞かせていた歌だ。

 そして古い記憶を持つ古木が教えてくれた、昔の唱歌。

 そんな歌をいくつか織り交ぜて、自分で新しく組み上げ直す、なんていうアレンジをしてみる。


 思い浮かべる情景を脳裏にしっかり焼き付けるために一度目を閉じ、そっと目を開けてから隣に視線をゆっくり滑らせると、薄茶色の瞳がうっとりと細められている。

 そんな反応を確認してからその曲にそっと詞を乗せてみる。




 茜色の深まる地平線に

 小さな影が滑る

 行き着く道の先で また会えると

 約束をしておこう


 君の旅は 果てしないから

 道の先で 希望失い 膝をつく

 そんな日も

 その瞳 曇らせないで

 真っ直ぐに



 ざわめく星の海がその身つつむ

 今でも旅の途中

 見据えた星の場所があのままなら

 その旅に付き合うよ


 君の肩で 翼震える

 飛び立つ日を見失ったの

 傷ついた 翼なら 

 癒えるまで この手の中で

 守るよ



 極力小さな声でゆっくりと歌っている間にライアの肩にトン、と小さな重みが乗っていた。

 薄い色の金髪がサラリと肩にかかって歌いながらもライアは微笑んでしまう。


 窓辺の鉢植えのゼラニウムの方に視線を滑らせるけれど特にニョキニョキ成長しているという感じではない。

 植物にも眠りを誘う歌だったか。


「……こら。風邪ひいちゃうよー」

 歌い終わってもどかない頭にライアがそっと声をかける。

 と。

「うん、もう少しだけ」

 意外にはっきりした声がして……ああ、寝ていたわけじゃなかったんだ。とライアも思い直す。

 今日はある意味体を張って頑張ったのだ。

 出来るだけゆっくりさせてあげなければ。と思う。

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