思い立つ
そして翌日。
「……はぁ」
「あら、どうしたの?」
何の気なしについたため息にお客が声をかけてくる。
出来上がった薬を袋に入れてテーブルに乗せたタイミングだった。
「……え?」
ライアがはっとして目を上げるとお馴染みの近所のおばちゃんが興味津々と言った顔でこちらを眺めている。
「だってあなたがため息なんて珍しいじゃない。そういえば今日はあの子いないのね、レジナルド。喧嘩でもしたの?」
「え、あ! いえ別に……喧嘩なんかしてないですよ」
辿々しい答え方はもう「そうです、私の様子がおかしい原因はレジナルドです」と白状したも同然だ。
「あら、そう? 若いっていいわねぇ」
そう言うとおばちゃんは代金をテーブルに置いて朗らかな笑みを残して出て行った。
……むう。
不覚。
お客を見送った後、ライアは力が抜けたようにソファに座り込む。
こんなに調子が狂うとは思わなかった。
なんだか朝から調子がおかしいのだ。
朝、やけにしんとした家の中が寂しくて、ついレジナルドの気配を探している自分に驚いた。
レジナルドがいないという以外何も変わっていない。
部屋のハーブたちはそこそこに主張をしているし、なんなら聴覚も戻っているからいつもより外の音がよく聞こえる。
それに、そもそも。
レジナルドは一緒にいて騒がしい部類の人間ではなかった。
なのに彼がいないことがこんなに……寂しいとは。
気持ちを紛らわそうと自分のためにお茶を淹れてみて。
今日はちょっと前に貰った白茶。もう残りが僅かになっているので思い切って使い切る。
ほうじ茶のミルクティーにしようかと手が勝手に動きそうになったところを意図的に思いとどまってしまった。
そしてぼんやりとお茶を飲みながら部屋の中を見回す。
鉢植えのハーブたちは相変わらず元気だ。今日はもうこれといって世話も必要なさそうだし……。
ああ……そうか、私の夕飯、何か作らなくちゃいけないかな。
一人で食事するんだったらお昼の残りのパンとミルクでもういいかな……。
なんて、ちょっと前だったらやらないような酷い夕食メニューについ苦笑が出そうになりつつ。
ふと気づくともう夕刻だ。
ドアの外のプレート、ひっくり返さなきゃ。
と思い立って、ドアに向かう。
夜。
一日の仕事を淡々とこなして。
質素すぎる味気ない夕食を済ませてベッドに潜り込んだライアは。
ああ、いつもレジナルドの方から来てもらうばっかりで私から会いに行くとかってなかったな。
なんて、ふと思う。
いや、そうする必要はないと思っていたし、そうしたいなんてかけらも思ってなかったのに。
あれは一方的にレジナルドが熱を上げているだけで、私は単に巻き込まれているだけだ。というつもりでいた。
でも……なんだか、落ち着かない。
私も……少しは動いたほうがいいだろうか。
だって、こんなに会いたいと思ってしまっている。
毎日のように町からここまで通ってくれていたレジナルドを思うとそんな気がしてくる。
なにしろ結構な距離だ。
片道一刻以上歩かなければならないような場所に馬も使わずに歩いてくる。
ああいう家の育ちなら馬車だって使えるだろうし馬に乗ってくるというのもありなのに、彼はいつも歩いてくる。
「ゆっくり自分の足で歩いていると家にあった嫌なものを少しずつ忘れられるから良いんだ」なんて笑って言っていたけど……もしかしたら帰り道のこともあったんじゃないかな、とも思った。
帰りたくない家。
嫌な感情しか持てない家に帰るにあたって、それを少しでも遅くするにはゆっくり歩いていく。
少しずつ近づくにつれて気持ちを整理して心の準備をして……そうやって帰りたくない家に帰っていたのかもしれない。
そんな事に思い当たるといたたまれなくなってライアが寝返りを打ちながら眉をしかめる。
……涙が出そうだ。
なんとなく、そういう感覚を知っている。
子供の頃何度も抜け出した孤児院は自分にとってもそういうところだった。
帰りたくないけれど、帰らなければいけない場所。
そんな気持ちと戦いながら毎日を過ごしている人が、自分以外で今現在、身近にいるという事実は受け入れ難い。本能的に受け入れたくない。
あんな気持ち、絶対に長引かせちゃいけない筈だ。
あんな気持ちを抱いて過ごしているなんて……絶対駄目だと思う。
……お節介だろうか。
ふと浮かんだ考えにライアは冷静に問いかけてみる。
ふと、レジナルドの家に行って、あのニールと話してみても良いかな、なんて思い立ってしまったので。
でも、きっとレジナルドが望んでいることではないだろうな、とも思えてしまう。
頼まれてもいないのにそんな事……ただのお節介かもしれない。
……嫌われるかな。
そう思うと同時に苦笑が漏れる。
嫌われるのを怖がってるあたり……なんだか自分の心がもう決まっているような気がしてならない。
別に嫌われたって良いじゃない。
レジナルドの隣にもっと若くて可愛い女の子がいる将来だって、それはそれで良いと思わなきゃ。私じゃなくても良いと思う。
ただ。
優先したいのは彼の平穏な生活。
無理して温度のない笑顔で笑うんじゃない、ゆったりと微笑む彼を確定してあげたい。
私が嫌われたとしても……そういう毎日が彼の将来にあるならそれで良いんじゃないかな。
そう思うとわずかに胸が痛み……その痛みには気づかないふりをしてライアはぎゅっと目を瞑る。
朝。
目が覚めるのはいつもより早い時間だった。
思い立ったら寝ていられなくなってしまって。
何を着ていったら良いかな、とベッドの中で思案したライアは最終的にオルフェにもらったワンピースに手を加える事にして飛び起きた。
さすがにいつもの仕事着であの家に行くのはためらわれた。
まさかレジナルドにもらったドレスというわけにはいかないし。
他に服がないかと言われればそういうわけでもないが……一番最近のデザインの服っていうとあの翡翠色のワンピースだ。
あれ、パーティー向きだったから襟とカフスを付けたら訪問用のちょっと改まったデザインになるんじゃないかな。
そう思い立ったらもう実行あるのみ。
鼻歌混じりに裁縫道具を広げて布を裁断したり服に縫い付けたり。
ふふふ。裁縫の腕には自信があるのですよ。
なんせこんな村に住んでますとね、身の回りの物はだいたい自分でどうにかするしかないのです。ちょっと問題が発生して着られなくなった服をぽいぽい捨てるわけにはいかないから普段から自分で着る服の手直しはやっています。
そんなわけで昼前には完成。
ラインの綺麗なワンピースはさらに清楚な感じの服になった。
で、とりあえずお腹も空いたので昼食。
簡単にパンケーキで済ませる事に。
「あー……なんか昨日からあんまりちゃんとしたもの食べてないな……」
そう呟きながら台所に入ると目に止まったのは小麦粉ではない麦の粉。
燕麦だ。
こっちの方が栄養価が高いかな、と思ってそちらでパンケーキを作る事に。
ボウルに入れてミルクと卵を混ぜ込む。
燕麦はかみごたえのあるパンを焼きたいときに使う事が多かったのでパンケーキにするのは初めてだ。
これの方が腹持ちもいいかもしれない。
そういえばこないだレジナルドが美味しいって言ってくれた林檎バターまだあったな。あれをたっぷりとつけて食べよう。
あとは野菜で適当にサラダを作れば良いかな。お茶はほうじ茶のミルクティー。
美味しかったら今度レジナルドにもこの組み合わせで出そう。……っと、ああどうしてもそういう思考パターンに走るのね、私……。
もう自主ツッコミをする力もなく、単に脱力する程度。
「うん美味しいな。私、天才かな。……って別に大したメニューじゃないか」
なんて呟いてはみるが小麦粉を使うよりもこちらの方が味に深みがあってかなり美味しい。
そんな食事をしながら、計画を整理する。
いきなり行ってもなんの話をするか決めてなければ意味がない。
とりあえずはニールに会って、ちょっとおしゃべりをするということでもいいだろう。あの人は私のことを「孫が惚れた相手」くらいの認識でいるから……なんとなくお茶をしたいとか言うだけでも通用するような気がする。
でも……できればレジナルドがもう少し生活しやすいようにしてもらえたらいいんだけど。
仕事のことなんて私があれこれ言う立場じゃないからどうこう言えないと思うけれど……レジナルドがどんな立場にいて何を背負っているのか教えてもらうことはできるだろうか。
もし縁を切って彼が何も背負わない身になったら……なんてことを前に言われた。
それを思えばもしかしたらそういう気があるのかも知れなくて。
そんなことを聞き出せたらいいな、とも思う。
何にしても私はレジナルドの事を知らなさすぎるのだ。
多少教えてもらうのは……間違ってはいないはず。




