表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/139

老木との馴れ初め

 

 とにかく、裏庭のみんなにお礼を言いにいかなければ。そして心配かけたお詫びもしなければ。

 ライアが朝食の直後からそわそわしだした。

 連泊しているレジナルドもシャワーを浴びるとかそういう余裕はなかったようなので浴室行きを命じると素直に従ってくれたので、それが済んだら一緒に裏庭に行こうと話して。


 そわそわしながら食べ終わった食事の後片付けをして、居間の鉢植えたちに水やりをして。

 ああそうだ。耳が聞こえている間に柳の木にも会いに行きたいな、なんて計画を頭の中で確認してみる。

 それにしても、レジナルド。

 こんなにうちに連泊して大丈夫なんだろうか。家はいいのかもしれないけど……仕事、詳しく聞いてないけど何かしてるんだよね……。

 なんて一抹の不安もよぎる。

 用心棒とか言ってうちに来ていたにしても一日中ここにいるわけではなかった。朝から来ていても午後には帰っていたし。

 多少都合はつけていたようだが……さすがに全くそちらに関わる時間がないというのはまずいんじゃないかな。


 ライアがそんなことを考えながらあれこれをしているうちにレジナルドはさっぱりした顔をして戻ってきた。

 かなり念入りに拭いたのであろうが、わずかに髪が濡れているのが少々色っぽいな、などという感想はライアは頭を振って追い払う。



 ざわ。

 裏庭にライアが足を踏み入れると、まさにそんな感じで空気が変わった。

 レジナルドもそれを察したようで一瞬足が止まる。


 いつもの、さわさわと自分たちのおしゃべりに気を取られている中にライアが入って来たという感覚ではなく、ずっと気にしていた渦中の人が来た! という感覚。

 心配そうな気配や、喜んでいいのか伺うような気配がしてライアが笑みを漏らす。

「うん、もう大丈夫よ」

 小さく囁きながら通り過ぎがてら周りに茂っている葉に手を伸ばし優しく触れる。

 すぐ後ろからついてくるレジナルドにもライアの行動の意味はわかるらしく少しだけ距離を置いて見守ってくれている。


『……無事だったか』

 低い穏やかな声がしてライアが顔を上げた。

 巻きついた蔓で元の木が見えなくなっている古木の前だ。

「ありがとうございます、老木殿。おかげさまでもうすっかり良くなりました。それに……ぶつかってしまってごめんなさい。心配かけちゃった……」

『構わぬ。お前を見守ると決めてここに根付いた身だ。まさかただの人の子とここまで言葉を交わすことになるとは思わなんだが……お前を守ることができたならそれも良しとしよう』

 深く安堵の息を吐くようなそんな口調が紡がれてライアが肩の力を抜いた。

 それだけでもうお互いの気持ちは全てやり取りしたかのような力の抜けた笑みが漏れる。

 そしてふと、すぐ後ろにいるレジナルドの事を思い出して。

「あ、レジナルド。声、聞こえてるんでしょう? お礼言ってあげて」

 そう促すとレジナルドがはっとしたようにライアの隣に一歩進み出た。

「すみません! 僕なんかに声をかけてくださってありがとうございました。おかげで大切な人を助けることができま……え……?」

 進み出た勢いでそこまで言いかけたレジナルドが不意に目を丸くして古木を見上げる。

 そして。

「あ……の……え? ライア、この木って……死んでる……」

 小さな声でライアの耳元に囁きかけるレジナルドはライアの聴覚が戻っている時期であることにはもうとっくに気付いていたようだ。

 そして、そう囁くレジナルドの視線の先に立つ古木は。

 蔓が巻き付いていて、その蔓の青々とした葉が繁ってはいるものの、木自体はもうとっくに葉の一つも付けていない、枯れ木だ。

 よく見ればもう随分前に枯れ木になったまま、といった風で新芽を出した気配すらない。

 レジナルドは今までこの木をそんなにまじまじと見たことはなかった。

 言葉を聞く事がある時は大抵は夕方や夜でもあったし、ライアに言われていたこともあってこんなに近くまでは来ることもなく木の様子までは観察していなかったのだ。


 明らかに立ち枯れした古木。

 なのにライアは「老木殿」と話しかけ、相手は答えてくれている。

 そんなことを自覚した途端、レジナルドの背がすっと伸びた。

 ……こんな姿でもなお……生きて、いるのか?


「……え、あらやだ!」

 隣のライアが不意に目を丸くして明るい声を出した。

『……ふ』

 同時に木が笑う声がした。

 なんだ? と思ってレジナルドがライアの方に目を向けると。

「あのね、喋ってるのは蔓の方よ」

 うくく、と笑いを噛み殺している。

『なんと……姫は我を紹介していたわけではないのか……』

 どこか投げやりな声が響いて蔓が繁らせた葉を揺らした。

 それは風で揺れているようでもあり木自体が意志を持って、まるで笑うことを表現するために揺らしているようにも見える不思議な光景。



「……昔ね……」


 あれはもう二十年近くも前の話。

 ライアが昔を振り返るところから話を始めた。


 ライアが孤児院を抜け出すのは日常茶飯事だったが東の森の奥まで入り込むのは珍しかった。……たくさんの声がするので安らぐ一方、帰れなくなるという恐れがどこかにあったのだろう。

 早朝にこっそり抜け出して昼過ぎにはもう帰る方向がわからなくなり、一晩適当な場所で過ごしたあとまた歩き出して……最終的に大きな木の根元にたどり着いて力尽きた。

 そこでこの蔓に出会った。

 まだ若木に見える程度だった蔓は木に巻きつきかけたところで成長を止めており、ライアに『危ないから近寄るな』と繰り返し言ったのだが、ライアが聞かなかった。

 大抵の木は自分が声を聞くことができるとわかると声をかけてきてくれる。からかう目的のものもいるが優しい木もたくさんいた。でも「近寄るな」と拒絶されたのは初めてだった。

 そこで湧き出たのは好奇心と……親しみの気持ち。

 危なくても構わない。

 自分と同じように他者を寄せ付けない存在があるということが、不思議で、嬉しくて、安心できた。

 夕方近く、老女が薬草摘みの帰りに通りかかり仰天するまでその木の根元で丸くなって眠り込んでいたのだ。

 老女が仰天したのも無理はない。

 毒性の強い蔓の根本で子供が丸くなっている光景は、もうその毒にやられて息絶えた姿としか考えられないものだった。なのに、よく見ればすやすやと寝息を立てている。


 特殊な蔓性植物。

 特定の木を好んで共生する。が、しかしその木が生きているうちはそう大きくはなれない。

 木が古くなり枯れてしまうとそこから代わりに成長を始めるのだ。

 それでこの植物の寿命は相当長くなる。

 そしてもう一つ、この植物の希少性。

 この蔓性植物の根には貴重な薬草が寄生する。

 根の付近に集まる土の中の成分を好む薬草が存在するのだ。

 こちらの薬草は、とある致死性の伝染病の特効薬でもありその価値は幻と謳われるほどに薬師の間では探し求められるものだが、薬にする為にはまとまった量が必要であることと生育環境が特殊であることから手に入れることは難しいとされている。


 この幻の薬草を求める薬師は数多くいるが全部の条件が満たされている場所を知らなければその薬草にお目にかかることはできない。

 特定の古木とそこに偶然根を下ろした蔓性植物。しかもその蔓性植物には強い毒があって近寄ることは難しい。間違えて触れることさえ恐れられるような植物だ。

 そんな奇跡的な場所はそもそもが幻だ。


 その条件がライアが眠り込んでいるその場所に揃っていた。

 そして。

 ライアはその植物と意志を通わせられる存在だったのだ。

 こうなると、幻に奇跡が加わって更に幻想とか夢とか、そもそもあり得ないといった類いの要素を乗せられるだけ上乗せしたような状況が目の前にあるようなものだ。


 老女はいつか自分の家の裏庭にその薬草を育てたいと、その特定の古木がある場所に家を建てていた。

 ライアはその場所に根付いていた古い蔓に移動を頼み込み、それと交換条件で孤児院ではなく老女の家に引き取ってもらったのだ。


『……あの時は本当にお手上げだった……』

 昔を懐かしむように柔らかい声がした。

 ライアが照れたように笑う。

『通りかかった薬師にお前をここから退けてくれと……大事な姫だ、傷つけたくはないのだと説明したな……人に我の声を届けようと思ったのはあれが初めてだった……』

「だって疲れて寝ていたのよ。子供だったから事情はよくわからないし」

 ライアがついに口を尖らせて口を挟むも、まるで子供のような口ぶりにレジナルドがつい吹き出す。

「で、離れたくないから一緒に行こうって頼み込んだわけ?」

「そう」

 レジナルドの言葉にライアが頬を赤くしながら蔓の方に視線を移す。

『ここにちょうどいい古木があると言われてな。……姫の頼みだ、聞き入れることにした』

「毒のある植物っていうのはだいたいみんな優しいのよ。誰も傷つけたくないから毒を持って自ら孤立するの。私、老木殿は優しいから大好きよ」

『こら、危ない。我に近づくな。気持ちだけで十分だ……若いの、姫を捕まえておけ』

 ライアがうっとりとした笑顔で一歩近づくと木の方から悲鳴が上がる。

 その様子が何ともおかしくてレジナルドがライアの腕を掴んで自分の方に抱き寄せて。

「だってさ。ほらライア、心配かけるからほどほどにしないと」

 レジナルドの行動にライアは不満げだが、木からはわざとらしい安堵のため息が聞こえた。


「じゃあ、レジナルド。森の柳の木にも会いに行こう!」

 勢い付いたライアは抱き寄せられた腕を振り切ると歩き出した。

 そして。

「あ!」

「……うわ。なに?」

 家を回り込んで歩き出したライアがいきなり何かを思い出したように立ち止まったのでレジナルドがぶつかりかけて声を上げる。

「レジナルドと一緒に行ったことってないのよね。せっかくだから柳にも紹介するけど……老木殿みたいに声をかけてくれるとは限らないんだった……」

 ちょっと考え込むようにゆっくり話すライアは言葉を選ぼうと努力しているようで。

「いいよ。大丈夫。……ライアと一緒に行けるんならそれだけで楽しそうだし」

 レジナルドの頬がつい緩んだ。

「……そう? じゃあ……お弁当作って行こうか?」

 ……なんでそうなるのか。

 よくわからない流れにレジナルドは「は?」と聞き返しそうになったのだが、ライアの楽しそうな雰囲気に呑まれて……それはそれで楽しそうだな、と承諾することになった。


 そんなわけでお弁当作り。

 パンは焼くとしたら前日の夜から仕込んでおくか朝のうちに生地を作るのだが、今日はそこまでの準備はないので。

「これ、炒めて具材作るのお願いしていい?」

 野菜を細かく刻んだものと肉を細かく刻んだものを用意したところで声をかけると隣で興味深そうに眺めていたレジナルドが嬉しそうに作業を代わってくれる。

 ので。

 ボウルに小麦粉を入れてバターを塊で入れる。

 それをフォークとナイフで切り込みながら混ぜ込んで……最終的には指で潰してサラサラに。

「それ、何になるの?」

 作業をしながらレジナルドが声をかけてくるので。

「うん。ミートパイにしようかと思って」

 そういえばレジナルドがいる時にパイ生地ってそうしょっちゅうは作ってないな、と思いながらライアが答える。

 サンドイッチが作れないとなると具材が入っている主食系のものが思いつかなかった。なので、ミートパイ。

 バターは卵やミルクと同様によくもらう物なので大抵常備してある。

 具材はレジナルドが作ってくれているものを少し味を濃いめにして詰めてみようかと思うのだ。

 なので、レジナルドの方にちょっと歩み寄ってスパイスを色々横から振り入れる。レジナルドは興味深そうにライアの手元からいろんなスパイスが振り入れられるのを見ながら手際よく混ぜてくれるので、ライアの方も楽しくてつい笑顔になる。


 パイ生地を伸ばしてカットして、出来上がった具材を真ん中に乗せて二枚の生地を重ねて周りをフォークで押さえていく。

 表面に溶き卵を塗ってオーブンに入れてひと段落。

 外で食べようと思う場合、栄養バランスとか種類を多くとかよりも楽しく美味しく食べることが優先! というライアは、たくさんの種類のものを持っていくというよりは数種類でいいという考えの持ち主だ。

「あとは簡単なクッキーとかでもいいかな」

 なんて呟きながらレジナルドの方を窺うと笑顔の発光度が増した。

 ……はい、甘い物は大好き、と。

 小さく頷いてボウルにバターと卵、砂糖を入れて混ぜ合わせ、小麦粉を入れてそこに刻んだナッツとスパイスを入れる。シナモンは甘い香りでナッツによく合うスパイスだ。

 程よい形にまとめながら天板に並べていき、ミートパイを出した後のオーブンに入れる。

 ナッツとスパイスを入れる前の状態の生地を半分残しておいたので焼いている間にドライフルーツを数種類刻んでこちらも混ぜ込み、もう一種類クッキー生地を用意。

 同じような手順でクッキーを焼き上げて。

 あとは果物があればいいかなと林檎と小さめの果物ナイフをバスケットに詰めて完成だ。



 昼過ぎまでかかって準備した物を持って森に行く二人の足取りは軽い。


 まるでデートだ。

 なんて考えが何度かライアの頭をよぎったが、その考えについて真摯に向き合おうものなら赤面して思いっきり動けなくなってしまうので気付かないふりを決め込んだ。



『お嬢……久しいな。客人とはまた珍しい』

 短い歓迎の言葉が聞こえたのは……どうやらライアだけだったようだ。

 レジナルドは珍しそうに柳の木を見上げたまま、声に反応する様子はない。


 ……まぁ、そういうものです。うちの老木殿が特別すぎるんです。

 ライアがちょっと苦笑を浮かべながら慇懃に礼をする。

 このちょっとおどけた上での丁寧すぎる挨拶はもう習慣かもしれない。

「彼はレジナルドっていうの。私の大事な友人よ。今日はここでピクニックしようと思って。ちょっとお邪魔するわね。あとで歌も歌うわ」

 ふふ、と笑って見上げると柳の枝でキラキラと葉が揺れている。

 レジナルドはやはり何を聞き取るでも感じ取るでもないようだが軽く頭を下げて挨拶をしてくれたので彼の敬意も伝わったのだろう。キラキラと揺れる葉はこちらを歓迎してるようだ。

「……僕、ここにいても大丈夫?」

 なんてレジナルドが心配げに聞いてくるので。

「大丈夫よ。何だか葉っぱたちが嬉しそうだし」

 木の下に大きめのブランケットを広げてそこにライアが座るとレジナルドも隣に腰を下ろし、上から垂れ下がり自分たちの周りで揺れている枝に視線を移す。

 周りをぐるりと取り囲む葉は風に揺れてここが特別な空間であるような雰囲気を作っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ