回復の朝(注:断じて何もしてないです)
「……へくしっ!」
出そうで焦ったくしゃみの音をなるべく抑え込みながらレジナルドが視線だけを隣の寝顔に移す。
自分が隣で横になったのを見届けると再び眠りについたらしく、呑気に寝息なんか立てているライアは……飲ませた薬が効いているのかもしれない。
一度体内に取り込んだ毒素を排出するにあたって体力はフル稼働しているようだ。今必要なのは休息なのだろう。
それにしても。
「ほんとに……仕方のない人だな……」
ポツリと小さな声が漏れ、ついでに微笑みが滲み出る。
仕方のない、でも可愛い人。
祖父が自分に見切りをつけるように仕向けたくて、成人してから散々遊び回った。そして見るからにロクでもない女たちと付き合った。
どの女もわがままで、金遣いが荒い令嬢ばかり。こちらを束縛することだけに関心を向ける女もいた。
酒を呑んでは介抱をせがむだらしのない女や、あれが欲しいこれが欲しいと宝石やドレスをねだるくせに最終的には自分ではなにも決められない優柔不断な女もいた。めんどくさいからどんな女にもそこそこいい顔をして見せればそれでみんな機嫌が良くなったものだ。
でも、本当に心から笑ったことなんかなかった。小さな微笑みさえ、計算して作ったものだった。
なのにこの人ときたら。
全部一人でやろうとして、その上本当に一人でやり切ってしまう。……不機嫌なのかと思えばこちらの世話まで妬いてくれるし……でもどこか危なっかしくてつい手が出る。
全部一人で自己完結できてしまうのに、僕の居場所をねじ込もうと思えば作ってくれてしまうって……一体どういうことだ。
それにだいたい、なんでこんなに隙だらけなんだ。
男が自分の寝ているベッドに入ってくるのを許すって、いったいどこまで警戒心がないのか……もしくは信頼してるのか。でも、その信頼は……なにに基づいているのか。
怪我の具合を確認するのに服を脱がせてうっかり直接触れてしまった身体は思っていたよりずっと華奢で小さかった。
こんな細い身体、何かあったらあっという間にポッキリと折れてしまうのではないかと全身から血の気が引く気がした。
それなのに普段の印象はどことなく、自分より大きくて強そうに見えていたのが不思議でならない。うっかりこちらが甘えてしまいたくなるようなそんな存在だった。
自分の手当ての仕方が果たしてどこまで合っているのか自信がなくなって、思い立ったのはあの、意思を通わせてくれる古木だった。
急いで裏庭に回って古木の前に立ち……どう声をかけたら応えてくれるか思案して……両膝をついて頭を下げた。
人間を相手にだってこんな姿勢は取ったことはない。それでも自分が知り得る限り最も相手に敬意と懇願を表す姿勢。
『若いの。我らが歌姫に何かあったか。……いたずらに我の気を引くことが目的なら二度と言葉は交わさぬぞ』
警戒心を感じ取らせるような威厳のある響きが頭の中に響いた瞬間、腹の底から震えたのは忘れられない。
木というのはこんなにも威厳のある存在なのかと正直恐怖した。
そして、恐怖を感じながらも……安堵したのだ。
これで彼女を助けられる、と。
事情を説明して解毒の方法を教わって、後はもう無我夢中だった。
作った薬はいかにも不味そうで、こんなものどうやって飲ませるのかと考えて……意識のない彼女に「頑張って飲んで」と言い聞かせながら小さなスプーンで少しずつ飲ませ……最終的には、途中で意識が戻ったら引っ叩かれるのを覚悟で口移しで飲ませた。
そのまま横たわらせるにはあまりに心許ない場所と服装に、二階に運んで自分が貸してもらっていた寝間着を着せ、自分が借りていたベッドに寝かせ、様子を見て。
夜中に熱に浮かされる彼女の様子に胸が締め付けられる思いで……ただただ手を握って声をかけ続けるしかなかった。
そして夜が明け、昼になり。
ようやく苦しそうな呼吸音が無くなって、木に言われた手順を思い出し。
もう一度同じ薬を作って用意したところで彼女の目が覚めた。
言われた通りに熱が下がって目を覚ました彼女を目の当たりにした時の感動といったらなかった。明るい茶色の瞳が瞼の隙間から覗いた瞬間は宝石が覗いたのかと思ったし、頬の色が艶めかしくてつい熱を見るついでに撫でてしまった。ぼんやりして無反応な彼女で良かった、と安堵したけれど。
それにしても。
ぼんやりして無反応。
本当に、この人は。
どこまで人のことを信頼してるのか。
どこまで人を心配させるのか。
きっと、この後見事に回復を遂げて何もなかったかのように取り澄ました笑みの一つも浮かべるんだろうな、と思ったら。
「……やっぱり寒い」
レジナルドが言い訳のように小さく呟く。
そして。
もそもそと布団の中に潜り込んで温かい身体を抱き寄せてみる。
目を覚ましたって知るもんか。
隙だらけなライアが悪い。
気付けば外はもう暗い。部屋の温度は一気に下がっている。
言い訳は色々思いつくけれど……一番の言い訳は……たぶん心配だから、だ。
ちゃんと元気になってくれないと困るし、元気になる瞬間に僕のおかげだと思い知ってほしい。一番そばに僕がいたことを思い知ってほしいのだ。
……なんだか温かくて気持ちいいな。
そんな気がしてライアが隣に擦り寄ると背中が支えられて安定した。
うん、なんだか緩く抱きしめられてるみたいですごく気持ちいい。
……抱きしめられて……?
「……うお?」
思わず変な声が出てライアが飛び起きそうになり……途端にベッドに引き戻される。
「おはようライア、体はどう? もう辛くない?」
意外にしっかりした声がして、目の前に悪戯っぽい笑顔の……レジナルド。部屋はもう明るくて薄い茶色の瞳がキラキラとしているのは綺麗だけれど……背中に回った腕にはいつの間にか力が込められていて身体が離せなくなっている。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
思わず両手に力を込めて身を離そうとすると。
「こら。無駄な抵抗だよそれ。力比べしたいの?」
全く歯が立たずにくすくすと笑われる。
「レジナルド……なんであなた……」
一緒に寝てるのよ。と、言いかけたところで。
「ライアが誘ったんでしょ。隙だらけな方が悪いよ?」
と返されて……語弊はあるが、そういえば昨日「ここで昼寝したら」みたいなことを言ったような記憶があるなと思い出し……力尽きた。
もういいや。
なんかこう……隠さなきゃいけないあれこれを全て見られたような気がするし……今更だよね。
と、ライアが小さくため息をつく。
で、その無駄な抵抗が諦められたことを確認したレジナルドが。
「それで、体の具合はどうなの? 痛いところとかまだある?」
改めて心配そうな声で訊かれ、顔を覗き込んでくる。
「あ、うん。もう大丈夫。どこもなんとも……ないみたい」
言われて左肩に注意を向けてみるが、そういえば腕に力を入れても痛くなかった。
それに昨日まで軽く目眩がしていたけれどそれもなく、スッキリしているような気がする。
「そう、か。……良かった……」
そう言うレジナルドの声は本当に安心した、という風で。
「……え?」
ライアの体が改めてぎゅっと抱きしめられた。
「……ごめん。ちょっとだけこうさせて。なんなら後で引っ叩いてもいいから」
頭ごと抱き込まれたライアの耳にレジナルドの声は若干震えて聞こえた。
ので。
「レジナルド……?」
思わずライアが心配そうな声を上げると、拘束に近い状態だった腕が緩んだ。
「ごめん。なんでもないよ。ちょっと……安心して気が抜けただけ」
腕が緩んでようやく顔を上げるとレジナルドの困ったような笑みが目に入った。
そんな様子を見て初めてライアは我に返った。
ああそうか。
この人、本当に心配して……ずっと心配しながらそばにいてくれたのか。
申し訳ない、という気持ちともう一つ。
なんだろう。
すごく、温かくて……温かいのに胸の奥がぎゅっと痛くなるような気持ち。
こんな風に誰かに何かしてもらったことを、自分の中で痛みに変換したことってあっただろうか。
いつもは、心のどこかでぼんやりと、平坦な気持ちで「ありがたいなー」とか思っていたような気がする。
ありがたい、という気持ちにこんな痛みが伴うことってあるんだ……。
そう思うとライアの手が自然とレジナルドの背中に回った。
「ありがと……助けてくれて。それに……たくさん心配かけてごめんね」
そう言いながら温かい胸元に顔を埋めると、レジナルドの小さな「うん」という声が聞こえた。
日が昇って昼近くなり。
元気になったライアは、気持ち的なひと段落の後、早々にレジナルドをベッドから蹴落とした。
「なんで、まだいいじゃん」なんて悪戯っぽく笑いながら絡みついてくる白ウサギは、どこかでケジメをつけないとどんどんつけ上がりそうだったので。
で、シャワーを浴びて、着替えて。
危うく浴室についてこようとするレジナルドに「帰れ」と言ったら、ものすごい勢いでしょぼくれたので食事の支度をして欲しいと任務を与えて。
「あ。すごい……ちゃんとキレイが保たれてる……」
台所に入ったライアが目を丸くした。
なにしろ薬草で薬を作ってくれたり食事を作ってくれたりと、レジナルドが台所を一人で使っていた時間は結構長かった。
なのである程度の惨事は予想していたのだ。
なのに。
きちんとあるべきものがあるべき場所に収まったままになっているし、きれいに洗ってある。
「あ、うん。一応使ったものは元通りにしたつもりなんだけど……間違えてるかもしれないから後で確認して。……はいこれ」
と、レジナルドが焼きたてのパンケーキが乗った皿をライアに手渡してくる。
ので。
「わぁ……美味しそう……」
思わずごくんと喉が鳴った。
なんだかやたらとお腹が空いた。
そう思って受け取った二人分の皿を持って居間に行き、テーブルに乗せると他のものはおおかた揃っているようだった。
とろりとしたオムレツの端っこからはとろけたチーズがはみ出ていて、切った野菜をもりつけた皿には刻んだハーブと塩が掛かっている。
湯気のたつスープ皿には、細かく刻まれた野菜と塩漬け肉も小さく刻んで入っていていい香りが漂っている。
「僕が淹れたからライアのやつと比べたら味は劣ると思うけど……今日のところはこれで我慢して」
と言いながら後からついてきたレジナルドがカップを二つテーブルに置く。
どうやら中身はほうじ茶のミルクティー。
こんな朝食をふわふわと温かい気持ちで食べられるというのは……幸せっていうことなんだろうか。
なんて思いながらライアは朝食を堪能した。




