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回復に至るまで

 


 ふと、ライアが目を開けると見覚えのない色が目の前にあった。


 濃いブラウンの寝具。

 視線を滑らせるとそう暗くない室内は物音ひとつせずに静かで時折風が入ってくる。

 あれ、ここ……私の部屋じゃなくて……。

 そう思って首を少し動かそうとした時に何かが額に触れた。

「目が覚めた?」

 額に触れたのは大きな手だった。

 間近で見ると想像していたより大きく感じる。白くて長い指が額から頬へと滑り……僅かに震えているようで笑みが漏れそうになる。

「気分、どう?」

 先ほどの声の主がもう一度声をかけてくる。

 そろそろ何か答えないと泣き出しそうだ。

「うん、大丈夫」

 そう答えながら身を起こす。

 身を起こして周りを見て納得。

 私の部屋じゃなくて客室の方だ。ベッドも大きいし部屋も広い。時々ここで昼寝をすることがあるくらいだからよく知った部屋でもある。


「……ライアの部屋、勝手に入るのはどうかと思ったからこっちにしたんだ」

 ついさっきまで泣き出しそうな目をしていた白ウサギは決まり悪そうに薄茶色の目を逸らした。

「うん、ごめんね、面倒かけちゃった。……私どのくらい寝てた?」

 体を支えようと左手をベッドの上についたら肩に痛みが走り……ああそうかこのくらいは残ってしまうものかな、とため息を吐きつつ自分の体に目をやって……ちょっと固まる。

 うん、寝心地は良かったよね。ワンピースのまま寝てたわけじゃないからか。

 着ているのは、これ、たぶんレジナルドに貸していた寝間着だ。結構サイズが大きいから左肩がずるっと落ちていて、ぐるぐる巻きの包帯が見える。


 ……うん?


 左肩に包帯。

 肩。

 ということは二の腕だけじゃなく反対側の「胸」の下まで回り込んでいるということで。


 ……誰が巻いた?


「一日寝てたよ。ああ、これ、起きたらもう一回飲ませろって木が言ってた」

 平然と返される言葉にはライアの思考が固まった理由を弁護するような気配もなく。

 それより。

「はい? 木?」

 意味が分からなくてライアが聞き返すと。

「うん。毒消しの薬、作り方を教えてもらったんだけど」

 目の前に差し出されているカップには何やら知っているような知らないような香りの緑色の液体。

「ほら、これ飲まないと熱が最後まで下がらないよ」

 ぐいと目の前、というか口元まで持ってこられると……青臭さが鼻をつく。

「え、待って……これ、あなたが作ったの?」

 なんだか知っている匂いがするとは思った。

 確かに毒消しに使う薬草の匂いだ。しかも生のまますり潰して何種類か混ぜたのだろう。

 間違ってない。そういう作り方をする薬はある。けど。配合間違えたら結構体張ることになるけど。お腹壊すとかで済む問題じゃなくて……混ざっている種類によってはこの後一週間くらいはベッドから出られない程度にはなるけど。

「そうだって言ってるでしょ。ほら飲まないんだったら口移しで飲ませるよ?」

「あ、まって。飲みます」

 口元から離れそうになったカップを、持っている手ごとライアが押さえ込む。

 で、そのまま口をつけてぐいと飲み干す。

「……まずい」

「はい水」

 新たなグラスが差し出されてライアが反射的に受け取ると。

「うん、たぶんこれで大丈夫。言われた通りに全部やったから」

 と、大きなため息が吐かれた。

 ライアが反射的に受け取ったグラスから水を飲んで口直しをして、視線をレジナルドに戻す。

「誰に言われたって?」

 もう一度聞いてみる。さっき変なこと言ってなかった?

「ああ、裏庭の木だよ。ライアが動けなくなって僕も慌ててさ。……もしかしたら何か教えてもらえるかもしれないと思って裏庭に行ったんだ。で、あの木に事情を話したら『やはり傷付けていたか』ってすごく気にしてくれて。庭に生えている薬草を使った毒消しの薬を教えてくれたんだ。一度飲ませて一晩経って、熱が下がったらもう一度飲ませろって言われたからその通りにしたけど……言われた通りに一晩で熱も下がったんだし、たぶんもう大丈夫なはず」

 そう言ってライアの顔を覗き込んでくるレジナルドは確証が欲しいのか真剣な眼差し。

「……ありがとう」

 そうか。確かにその手順なら問題はないだろう。

 今の薬も結構強烈な味だったけど……裏庭の薬草たちの必死な思いが伝わってきてなんだか微笑ましいというか有難いというか。

 一度飲ませて……というのは記憶にないけど意識がない間に無理矢理飲まされたんだろうな。……さっき飲まされるに当たって不穏な言葉を聞いた気もするけど深く考えるのはよそう。

 そう思いながらライアが微笑んで見せるとレジナルドが今度こそホッとしたように息を吐いた。

「もう昼過ぎだけどお腹空かない? 食べられそうなら何か作ってきてあげるよ」

 そう言われてライアがはたと気づく。

「え、昼? レジナルド、全然家に帰ってないんじゃない? さすがに帰らないとだめでしょ! 私ならもう大丈夫よ」

 そう言いながらベッドから出ようとして。あ、と固まった。

 うん。大きい寝間着、着てるのは上だけだね。ズボン……まあ、大きすぎて履けないと思うけど……さすがにこのままベッドから出るのは躊躇われるな。

「何言ってんの。こんな状態のライアを置いて帰れるわけないだろ。ちゃんと面倒見るから大人しくしてて」

 ライアが固まった理由には気付いていないのかレジナルドはさっさと立ち上がってついでに空になったカップも持って部屋から出ていく。

 ので。

「……あー……」

 ころん、と。

 再びベッドに倒れ込みながら窓の方に目をやる。

 明るすぎないのはカーテンを引いているからと、もう午後の日差しになっているからか。

 なんて、どうでもいいことをぼんやりと考えながら。

 ライアは再び目を閉じた。


 ふわふわとした感覚は熱のせいなのか、慣れないベッドが予想以上に寝心地がいいせいなのか。もしくは。

 泣きそうな顔をした白ウサギがホッとした顔になるまでの過程を見届けて……また部屋に来てくれるという夢のような状況ゆえか。


 ……夢のような?

 なんだろ。私、喜んでるんだろうか。嬉しいんだろうか。

 レジナルドが私の世話をしてくれたから?

 不安の中で意識を手放したのに、彼がその間ずっとそばに居てくれたと分かったから?

 おかしいな。

 私は今まで一人でなんでもできたのに。

 そりゃ、師匠が世話をしてくれたことには感謝しているし、子供だった私を見て見ぬふりをせずにここまで連れてきてくれただけでなく面倒も見てくれたわけだから一人で大きくなったわけじゃない。

 でもそれは一人で生きていくための方法を学ぶための期間だった。


 例えば食べること、自分の体の世話をすること。

 それは具合が悪くなった時にどうやって治したらいいかとか、病気にならないようにどういう食生活をして健康を維持したらいいかとかを学ぶ期間。

 例えば人の社会で生きること。

 それは人の世話にはならず、人に迷惑をかけずに自活するために手に職をつけて生きていく方法を学ぶ期間。人との最低限の距離を保つとしても、ことを荒立てることなく関わり合いながら生きていく方法を学ぶ期間。

 そして一人でも生きていける準備。

 寂しいと思うのは自分で解決できることが少ないせい。誰かに寄りかからないと問題を解決できないようでは一人で生きていくことはできない。自分の心の問題でも感情の問題でも、自分で解決する方法を学んで身につける期間だった。


 何かが不足しているなんて思ったことはなかった。

 いつも十分満ち足りていた。

 だから、彼が必要なわけではないはずなのに……どうしてこの日常に彼がいることを……こんなに心地よく思えるんだろう。



「ライア、起きてる?」

 小さな声がして人の気配にはっとして目を開ける。

 あれ、考え事をしていたけれど眠っていたという自覚はなかったな。

「ああごめん、起こしちゃったかな」

 困ったように笑いながらレジナルドがサイドテーブルにトレイを置いた。

 そちらに目を向けると深めのスープ皿から湯気が立っている。

「ううん、大丈夫よ。ありがとう、なんだか美味しそうな匂いがするわね」

 ライアがそう言いながら起き上がるとスープ皿の中身が見える。

 野菜も入っているけど……パン粥のようだ。

「一日食べてないんだし、熱があったわけだし……あんまりちゃんとしたものじゃない方がいいのかなって」

 決まり悪そうにそう言うレジナルドはなんだかものすごく微笑ましい。

 だいたいパン粥なんてよく思いついたわよ。そしてよく作ったわね。

 ちょっと前までパンケーキしか作れないって言ってなかったっけ?

 そう思いつつもライアの視線は皿から離れない。

「うん、たぶん何でも食べられるけど……それ、美味しそうだからいただきます。作り方、分かったの?」

 と聞いてみると。

「うん……ていうか、パン粥って何か特別な作り方ある? 適当に作っちゃったんだけど。昔子供の頃体調悪くして寝てる時に食べたのが美味しかったから思い出して。あとは最近ライアの手伝いでスープは作ってるからこんなもんかなって思ったんだけど」

 おお、なるほど。

 間違ってないな。発想も合ってると思う。

 なにこの子、料理のポテンシャル半端なく高いのかな。

「うん、それでいいと思う。いただきます……けど」

 ライアがさっきから食べる食べるって言ってるのに、一向にこちらに渡ってこないスープ皿についに首を傾げた。

 なんならサイドテーブルから皿を取り上げたレジナルドはベッドの縁に腰を下ろしてその皿を自分の膝に乗せてしまったし、スプーンは彼の右手にある。

「うん。はい……」

「こら!」

 思わずライアが頬を引き攣らせながら声を上げた。

 なんとなれば、レジナルドのその仕草は「あーんして」ってやつだ。

 スプーンに一口すくってこちらにそろそろと差し出してきている。

 もう、なんの罰ゲームですか。

 こんなの恥ずかしくて無理に決まってる。

 そう思いながらその後はもう無言で睨みつけると。

「え……だって具合悪いんでしょ。こういうのするんじゃないの?」

「どこで覚えたのそれ」

 じとっとした視線を向けると白ウサギは視線が泳ぎ出してなんだか挙動不審だ。

「とにかく。今はちゃんと自分で食べられます。お皿下さい。ついでにスプーンもよこせ」

 もうこうなるとライアの方が恥ずかしくて顔が熱くなってきながら主張する。

 そしてその主張はどうにか聞き入れてもらえた。


「美味しい?」

 こちらを覗き込むようにしながら尋ねられて「うん、美味しい」と答える。

「良かった!」

 ぱあああああっ! と一気に発光度が増すのはなんとなく見慣れてきた光景だ。

 それにしても。

 ほんとに美味しいなこれ。

 野菜はちゃんと味が染みて柔らかいし全体的な味加減もちょうどいい。

 人参なんてそう小さく切っているわけじゃないのに口の中で舌で押すととろんと柔らかく崩れるし、ジャガイモは角がなくなっていてもそこそこのサイズで形を留めているから食べやすい。

 そしてライアはお腹が空いていたこともあって結構勢いよく半分くらいを平らげたところで。

「あれ、レジナルドはご飯食べたの?」

 しまった迂闊だった。

 外の明るさからして……それに「一日寝てた」って言うレジナルドの表現からしてもう夕方だろう。

 そしてこの子、たぶんずっとうちに居たんだろう。

 ちゃんと食べて……あれ? 夜ってちゃんと寝たりなんかできてる? 私がこのベッドを占領してるということは、昨夜って彼はどうしてたんだ?

「ああ、うん。それ味見するのに結構食べたから大丈夫」

 決まり悪そうな答えが返ってくる。

 あ、なるほど。この味と煮込み加減にたどり着くまでの行程はなんとなく想像つくからまあそれはいいとしよう。

「で、昨夜って寝てなかったりするの?」

 続けてライアが尋ねると。

「いや、だって! 寝てる場合じゃなかったし。昨日はライア、ずっと熱が凄かったんだよ? もう、目を離したすきに死んじゃったりしたらどうしようかとほんっとに心配したんだからね」

 ああ、やっぱりそうだったのか。

 なんだか必死なレジナルドを見ているとつい頬がゆるむ。


「分かった分かった。ありがとう。心配かけてごめんね。……じゃあさ……」

 ライアが残った最後の一口を食べて空の皿をサイドテーブルに置いてからベッドの奥の方に移動して。

「少し昼寝する?」

 と、声をかけてみる。

 このベッド、結構大きいから二人で寝てもそう狭くない。

 私が端に寄ればたぶんレジナルドも隣で横になれるんじゃないかな、と思う。

 と。

「え?」

 レジナルドが眉をしかめた。

 うん、なんとなく抵抗あるかなとは思ったんだけどね。

 だって、私が自分の部屋に戻りますって言うとなるとこの格好で歩き回らなきゃいけないんでしょう? 足が丸出しなんですよ。裾は長いけどたぶん横のスリットから絶妙に恥ずかしく太腿が見えると思います。できればベッドから出たくないの。

 そもそもまだふらつきそうな気もするし。

 で、レジナルドに私の部屋で昼寝してって言うのはどうかと思うし、一階のソファでって言うのも……もう可哀想な気がする。

「私が邪魔じゃなければ隣で寝てくれていいんだけど……やっぱり邪魔かな。私が自分の部屋に行けばいいんだろうけど……」

「え! いや、邪魔じゃないし部屋は出て行かなくていいよ! まだ心配だからそばにいたいし」

 あまりにも固まり切っているレジナルドに不安になったライアが説明をしようとしたところで、堰を切ったようにレジナルドが捲し立てる。

 で。

「……あの……じゃあ端っこ、お邪魔します」

 と、ベッドの上にそっと乗っかる。

「うん……え? 布団の中に入らなくていいの?」

 ライアが安心したように布団に潜り込もうとするとレジナルドはそんなライアのすぐ隣ではあるが掛け布団の上で、もそもそと横になった。

「うん。とりあえずここでいい。今日はそんなに寒くないし」

 そう言ってぎこちなく微笑む。

 そうか、ちょっと寒いなと思う私はもしかしたらまだ熱があるということなのかもしれないな。

 そう思ってライアが「そっか」と頷いた。



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