毒性植物
訳がわからないと言った顔で突っ立っているだけのリアムが邪魔で、ライアも足場が安定しない。
で、安定しない足場で精一杯伸ばした腕でレジナルドの片手を掴んで激突させないようにこちらに引っ張る。が。
引っ張ったところで自分の足場が安定していなかったので……引っ張った勢いで立ち位置がくるりと入れ替わって……。
「え……! ライア!」
レジナルドの声が響いて……バサバサバサ! という音と共にライアの体がその木に突っ込んだ。
裏庭の薬草たちの、さわさわとした空気感がぴたりと止まった。
ライアにはまるで時間が急にコマ送りにでもなったかのように感じられ。
背中から突っ込んでいく先にある木が一瞬息を呑んだような気配がして、茂った葉が精一杯自分から遠ざかろうと動いたような気がした。
そして自分をなるべく傷つけないように、ふわりと抱き抱えられるように葉が弾力をもって包んでくれたように……思えた。
それでも。
ライアが勢いよく木から身を離す。
「老木殿! ごめんなさい! 大丈夫でしたか?」
すかさず声をかけるのは自分が突っ込んでいった木に向かってだ。
『おお、こちらは大丈夫だ。それより……』
古木がライアに答えるがリアムにはその声は聞こえないので。
「ライア? 何ですか、誰かいるんですか?」
会話に割って入るような形になる。
そんなリアムの行動にライアの怒りが一瞬で沸点に達した。
「ちょっと! なんて事するのよ! 毒性が強いって言ったでしょ! この蔓は触っただけでも危険なのよ!」
ライアが声を上げてリアムを睨みつけながら自分の背に蔓を隠すように立ちはだかる。
古い木に絡み付いた蔓だ。
それ自体も相当古そうで蔓というより木になって古木に絡みつき、蔓の茂った葉で古木の方が見えないくらいに覆い尽くされている。
「へぇ、この葉っぱが毒なんですか」
ライアの鬼気迫る警告の声には全く動じる様子はなくリアムが平然とそれに手を伸ばそうとするので。
ぱしっ。
ライアが目の前に伸ばされたその手を払い除ける。
「だから! 危ないって言ってるでしょ! あなたのせいでレジナルドはこの木にぶつかるところだったのよっ?」
私が代わりにぶつかったからまだ良かったものの、という言葉は飲み込んだがまさにその事でライアの怒りは沸点を越えたのだ。
木に愛されている私であれば彼らは私を守ろうとしてくれる。でもレジナルドに対して彼らがそこまで心を動かすということは期待できないし、しちゃいけない事だ。彼らにそんな義理はない。声が届くようにしてもらえているだけでもう奇跡なのだから。
「まぁ、でも……実際にぶつかった君はどうって事なさそうですし毒って言っても大した事ないんでしょう? それに……毒のある植物というのは案外商品価値が高いんじゃないですかね?」
そう言いながらリアムがしげしげと蔓に茂る葉を眺める様子は……あまりにも不躾で古い木に対して敬意を抱くライアにはもう見るに耐えない光景。
なのでライアは、大丈夫だったという確信はあるがぶつかりそうになったレジナルドの方に視線を移して。
「……レジナルド、大丈夫だった?」
と数歩近寄る。
レジナルドの方はといえば先ほどからライアとリアムのやり取りを目の当たりにして……リアムの方を睨みつけているところを見るとライアと同じ気持ちなのかもしれない。
「僕は大丈夫だけど……ライアは……あ」
自分の方に近づいてきたライアに少し安心したような視線を向けてから、彼女が実際にぶつかって行ったことを改めて思い出し身を案じたところでレジナルドの視線がライアの後ろにすっと移動した。
嫌な予感がしてライアが振り返ると。
あろうことかリアムが蔓に茂った葉に手を出して、一枚摘み取っている。
「ええええ! バカ!何やってんの!」
「そんなに怒ることないでしょう。一枚くらい参考にもらったって……え……うわ……」
ライアが声を上げるのと同時にへらりと笑いながら摘み取った葉っぱを戦利品のようにこちらに見せていたリアムの様子が、一変した。
驚愕という表現がよく似合いそうな視線は葉を持っている自分の右手に向いている。
この蔓は水分を多く含んでいて、その水分が猛毒なのだ。
ほんの少し傷がついただけでとろりと粘性のある液体が滲み出てくる。滲み出すというより流れ出すと言った方がいいほどの量だ。そして植物が身を守ろうとする上での定番だが、細かい棘がついていて触れればそれが人や獣に傷をつける。特に毛皮なんかがない人間はあっという間に細かい傷を受けることになり、そこからその液体が入ろうものなら大変なことになるし……傷なんか付かなくたってその液体が直接肌についたら。
「う、うわあああああああああ!」
「わー! バカ! その手、振っちゃダメ!」
ライアがリアムの反応を見て即彼に飛びつく。
レジナルドも意味はわからなくとも危機感を感じたらしくライアに倣ってリアムの体を押さえ込んだ。
なんとなれば、リアムはちぎり取った葉から思った以上に流れ出る液体のせいで見る間に赤く腫れ上がる自らの手を見て持っていた葉を地面に落とし、さらには手についた毒液を本能的に振り払おうとしたのか、叫びながらその手を大きく振ろうとしている。
レジナルドが上手いことリアムの体を押さえ込んでくれたのでライアがその肘を右手で押さえ込み、動かさないように固定しながら左手で自分のエプロンを巻きつけて毒液を拭き取ろうとするが、それもまた激痛が伴うらしくリアムの絶叫が庭に響く。
ライアはお構いなしで器用に着ていたエプロンを外しながら巻きつけついでにリアムの腕をそのまま固定。
「レジナルド、ごめん。この人を居間に運ぶの手伝って!」
「うん、わかった」
短いやり取りでもとにかく優先事項は伝わったようで理由も何も説明しなくてもレジナルドはひょいとリアムを担ぎ上げて家の表に向かう。
うん。
今はどうでもいいことだけど……レジナルドって結構力あるのね。
リアムってレジナルドよりちょっと身長高かったような気がしたんだけど。
緊急事態ではあるがライアが頭の片隅でこっそりそんなことを考えていたのは誰にも内緒である。
居間に連れて行ったリアムは毒液の付いた手を洗浄して、毒を取り除く働きのある湿布をするという応急処置を施したところで落ち着いた。
落ち着いたとはいっても、包帯でぐるぐる巻きになったおかげで炎症が見えないからこその落ち着きだ。
「その手ね、悪いけど切り落とさなくて済むだけ感謝してね。痣が残ると思うし指はもう自由には動かないと思うわよ」
淡々と告げるライアはリアムの目を見るのは申し訳なくてテーブルに出している薬草や道具を片付けながらの説明だ。自業自得とはいえこういう通告をするのはやはり気まずい。
「え……そんな事になるの?」
言葉を失っているリアムの代わりにレジナルドが呟いた。
なのでライアはレジナルドの方に目を向けて。
「だから毒って言ったでしょ。しかもこの人それが付いた手を振ろうとしたけどね、あれ危険極まりないから。飛沫が他のところについたらそこも炎症を起こすし、目に入ったら即失明するし、口に入ったら一刻は苦しむのよ」
「一刻苦しむ……」
リアムがしげしげと自分の手を見ながら呟くので。
「ああ、毒がまわって命を落とすのに一刻って意味よ」
ライアが付け足すとリアムの顔色がさっと無くなった。
「あとは町の診療所でも治療できると思うからそっちに行ってね」
一通り片付けたライアが立ち上がると、リアムも呆然とした顔のままゆっくり立ち上がった。
なのでライアは箱にしまった道具と残った薬草を元に戻すべく台所に向かう。
見送りは必要ないだろう。
台所に戻って先ほど持ち出したものを元の場所に戻す前に一度作業台の上に広げ直す。
そして作業台の上に放り出していたエプロンを丁寧に持ち上げて、汚れている部分を内側にしながら丸めてゴミ箱に放り込む。
そんな作業をしているとレジナルドがそっとドアを開けて入ってきた。
……ああ、そのドア、あえて閉めておいたのに。なんて思いながらライアがノロノロと顔を上げると。
「あいつフラつきながらだったけど帰ったよ……大丈夫だったかな……って、ライアっ?」
リアムが帰ったことを報告しながらこちらに視線を向けたレジナルドが途中で声を上げてライアの方に駆け寄ってきて。
……ああ、ダメだ。もう少し持ち堪えると思ったんだけどな。
そう思いながらライアが差し出された腕の中に倒れ込んだ。
レジナルドの方はといえば。
リアムが玄関先とかで倒れたりしたらこっちで回収しなきゃいけないだろうからという心配もあって無事にこの家の敷地から出ていくのを見送った。
この家の敷地から出てさえいればどこでのたれ死んでいようと構わない。
で、その任務を完遂してから台所に入ってそのことを告げたところでライアの顔色が悪いことに気づく。
それになんだか動きもおかしい。
いつものような滑らかさがないし、足元がふらついている……? と思ったところでそのふらつきが修正不能の大きなふらつきであることに気づいて咄嗟に腕を伸ばしたら、そこにライアが倒れ込んできた。
腕の中に収まった身体は思っていたより細くて小さく……あろうことかなんだか熱い。
混乱する思考をなんとか落ち着けながらも名前を呼んで視線を滑らせると、着ている服の肩に染みがあることに気付いてハッとした。
この染みは……まさか。
先ほど彼女のエプロンについた染みを見たばかりだ。
初めは無色透明の液体の染みが時間が少し経つとどす黒く変色していた。
リアムの手は洗浄してもその色が痣のようについたまま取れず……もう落ちないものだと認識した。
まさか。
「ちょっと待てちょっと待て!」
レジナルドが声にならない声で呟きながら抱え込んだライアの服の背中の釦を外す。手が震えるがそんなことに構ってなんかいられない。
男の腕の中で服を脱がされているというのにライアはぐったりしたまま抵抗すらしない。
これは絶対まずい!
焦りながらもなんとかいくつかの小さな釦を外して肩を剥き出しにしたところで。
「……っ!」
レジナルドが息をのんだ。
「……そんなに酷い?」
掻き消えそうなライアの声にレジナルドが顔を覗き込む。
意識がなかったわけではなかった。朦朧としているだけで……恐らく自分の治療は後回しにでもするつもりが思いの外動けなくなってしまったとか、そんな感じなのだろう。
小さな息をしているライアの肩には手のひらくらいの黒い痣が広がっていた。
そういえばかなりの勢いで木にぶつかったのだ。あの蔓には棘があった。棘で傷ついたところから毒が入ったとしか思えない。
そう思い当たるとレジナルドの顔が一気に険しくなる。
「大丈夫よ……そんな顔しないで……老木殿は私にはそんなに大量の毒を出したりしないから……たぶんぶつかった拍子にちょっと受けちゃっただけなの。洗って湿布すれば死んだりしないから……」
「え、死ぬってなに? 毒がついただけでしょ? あの男とおんなじ……ちょっと待って、今洗浄して湿布してあげるから!」
レジナルドが慌てたようにライアを椅子に座らせようとするがぐったりしたライアは椅子に座る力もなさそうで、そのまま床に横たえる気にもならずに抱き上げて居間のソファまで直行。
クッションに向かってうつ伏せになるように横たわらせて、そういえば台所の作業台に先ほど使ったものがそのまま広げられていたなと思い出し、それらを取りに行って先ほど見た通りに手当てをすると、黒く変色した皮膚に小さな引っ掻き傷のようなものが見て取れて……愕然とした。
そうか。
あの男の場合は主に皮膚についただけだった。
これは確実に傷がついて中に毒が入り込んでいる。……体内に。
『口に入ったら一刻苦しんで、毒が回ったら命が尽きる』と説明された言葉を思い出してレジナルドの手が震えた。
「……ライア?」
レジナルドの声が急に力を失った。
大急ぎで先ほど見ていた通りに処置をしたがその最中、ライアに意識がある気配がなかった。
小さい息は今にも途切れてしまいそうで、瞼はしっかり閉じられたまま。
ついさっきまで、いろんな表情を映すようになったものだと見惚れてしまうほどだった明るい茶色の瞳が覗く気配もなくなっていた。




