記憶を幸せで書き換えたい
結局、もう一度ゆるゆると睡魔に襲われたらしいレジナルドは眠りに落ち、夕食を一緒に食べようとライアは食事の支度をしに下階へ降りていった。
しばらく寝息を立てるレジナルドを眺めていたけどもう、うなされそうな気配はなかった。
あんな、ちょっとした言葉がどこまで影響するかわからないけれど……それでも苦しさを少しでも和らげられたらいいと思う。……もしくはこれはただの偽善、自己満足に過ぎないのか。
そんな考えがぐるぐると頭の中を回ってしまうのは……きっと、今までそういう事をやらなさ過ぎて、慣れていないからなのかもしれない。
そう思うとつい自嘲の笑みが漏れる。
そんな中で料理がいくつか完成していく。
茹で野菜とゆで卵と塩漬けの肉を一緒に並べた上からミルクと小麦粉で作ったソースをかけたグラタンは削ったチーズをたっぷりかけてオーブンへ。
根菜類と腸詰を煮込んでいる鍋にはトマトを入れてそのまま煮詰めているのでいい感じにトマトベースのとろっとしたシチューになっている。
朝焼いたパンは少し硬くなっているのでスライスして軽く焼いておこう。
葉物野菜とハーブを刻んで混ぜ込んだサラダは蒸した鶏肉をたっぷりトッピングして塩と檸檬とオリーブオイルをかけておく。
そんな事をしている間に二階で物音がして階段を降りてくる足音が聞こえてくる。
「ライア、ごめん……なんかすっかり眠ってた」
そんな声とともに開けっ放しにしておいた台所のドアから決まり悪そうに耳を垂れたような白ウサギが顔を覗かせる。
「いいわよ、気にしないで。夕飯食べられる?」
ライアが笑顔を作って振り向くと、一気に薄茶色の瞳が輝いた。
……さすが男の子。寝る前にしっかり食べてたのにまだ食べられるのね。成長期……終わってるよね?
ライアが内心ちょっとたじろぎながらも……まぁ、食べてもらうつもりで大量生産してるんだから食べてもらわなきゃ困るのか、と思い直す。
「……手伝う?」
いそいそと隣に来て手元を覗き込んでくるレジナルドに。
「あ、じゃあオーブン様子見て良さそうなら出して」
と伝える。
「うん、分かった」と言ってオーブンの方に行きオーブンの横の壁にかけてある鍋掴みを手に取る動きはもうまるでここの家人だ。
この人、いいとこの御坊ちゃまじゃなかったっけ? と首を傾げたくなる。
「……うん、美味しい」
自分でオーブンから出したグラタンをまず一口食べてレジナルドがしみじみと呟いた。
「そ? 良かった」
ライアもちょっと嬉しい。
自分が作った物を食べてくれる人を目の前にして、その人が食べたもので笑顔になる瞬間を見れるというのはなんだか非常に照れくさくもあり……嬉しい瞬間だ。
「ライアが作るものはみんなあったかいな……」
スープにスプーンを差し入れながらレジナルドが続けた。
「え……うん、それも熱いから気をつけてね?」
あれ、猫舌だったか。その主張?
なんて思い直してつい真顔になるライアに。
「ええ? ……なに言ってんの、そういう事じゃないって。えーと……うちの使用人が作る料理とは全然違うって意味」
あれ?
使用人と比べた?
……使用人って……言ってみれば料理のプロじゃないの。
ああ、そうよね。そういう人たちが作る完璧なご馳走とは違いますよ。
やだ、なんか複雑。
そもそも誉められ慣れていないライアは懐疑的な視線をレジナルドに向けてしまう。
そんな視線に気づいた途端レジナルドが若干慌て気味に。
「え、あれ? なんか言い方間違えた? 誉めてるんだけど。あのさ、うちで食べる食事ってなんかいつも味気なくて……なんていうんだろう……ああ、みんな料理の腕はいいから誰が作っても店で食べるような料理なんだけどさ。なんかこう……食べる作業をする為の道具って感じがする。味がいいから作業がしやすいってだけの。……でさ、ライアが作る料理はいくらでも食べたくなるし……ライアと一緒にこうやって食べるのは本当に楽しい」
後半で頬を赤らめながら俯いたレジナルドは……。
おおう、どうしてくれようこの白ウサギ。
可愛すぎる。
ライアの方まで何だか気恥ずかしくなって顔が熱くなってきたのを自覚し……思わず目を逸らす。
いやいや、ちょっと冷静になろう。
今なんかすごく、悲しい発言があったよね。なんか聞いててぐさっと来たけど。
「家で食事って……そんなに大変?」
緩んでしまう頬を引き締めながらライアがそう聞いてみるとレジナルドが「うーん」と小さく唸った。
「大変……っていうのとは違うかな……昔からそうだからもう慣れたと言えば慣れたし。あの祖父さんがいなけりゃまだ楽だよ。一人で食べるのはめちゃめちゃ静かだけどね、気は楽」
唇の端を無理やり釣り上げたような笑みを浮かべてそう言われると、そういえば昼間一人で食べるのがどうとか言って結局目の前に私がいたままご飯食べてたなこの子。なんて思い出す。
そうか。食事に対する印象が異常に悪すぎるんだ。
お祖父さんのニールが一緒にいるともっと大変……ってどういう事だろ。
「一人の方が楽ってことは……一緒にいると何か言われる?」
思わず突っ込んだ事を聞いてしまった。
……ああ、こういう事、仕事の時でもなければ今まではしなかったな。と、思う。
仕事であれば薬を調合する都合上、相手の生活について気になることがあれば色々聞いて原因と解決法を探る。
でも、そういう仕事上の都合がなければ……今までは責任を負える自信がないのと面倒くさいという思いが強過ぎて他人のことに首を突っ込むことなんかしなかった。言われたことだけに適当な相槌を打って、言われないことには関心を示さない。そういう責任逃れをしてきたから本当の友達と呼べるような人はいなかった。広くもない浅い付き合い。
シズカのように向こうからぐいぐい来る人は珍しいくらいだ。
でも、なんだか、レジナルドに関しては。
もう色んなことに首を突っ込みたくなる。突っぱねられたらどうしようとか、そういう力加減がわからなくて怖いと思う反面、それでも聴ける範囲で聴いて理解したいと思ってしまう。
「……うーん……特になにも言われないかな。最近は。昔はね、結構厳しくて食事中は食事のマナーを逐一叩き込まれる時間だったね。ああほら、こういう家柄だからしょっちゅう会食とかあるからさ、商談相手に見下されないように仕込みたかったんだろうね。ちょっとでも音を立てると、勢いよくこっちに来て頭をゲンコツで殴られるんだ」
へへ。と笑いながらそんな話をするレジナルドにライアは目を見張る。
そんな躾け方って……ある?
「でさ、マナー以外だと仕事の話は良くしてたかな。食べ方に集中してるとあいつの話がちゃんと聞けなくて、仕事関係の話にもきちんと意見が言えなくなるとそれも殴られたね。あれは……多分会食の練習だったんだと思うけど」
……怖!
食事、怖!
ライアの手は完全に止まっている。
レジナルドもどうやら思い出しながら話しているせいか、完全に食事の手が止まっていて……あ! いかん! これ、彼の気持ちの中でその頃の食事の再現になっちゃってないだろうか。とライアがハッとした。
今のレジナルド、食事を楽しむというより聞かれたことにきちんと答えようと必死になってるような気がしなくもない。
「レジナルド!」
「へっ?」
ライアが焦って身を乗り出しながら名前を呼ぶとレジナルドの視線がこちらに戻ってきた。
「あのね。とりあえず、食べようか? せっかく美味しいって言ってくれたのに変なこと思い出させちゃってごめんね。レジナルドがね、美味しいって言って食べてくれるのが嬉しくてたくさん作ったのよ。私、レジナルドが美味しそうに食べてるの見るのとっても好きだし。そもそも食べるのが辛くなるなんて、ダメだと思うの! 食事は人を幸せにするものでなきゃいけないと思うのよ」
ライアも必死になっているので自分で言っていることもよく分からなくなっている。
「……幸せに……?」
不意に思わぬ言葉をレジナルドが拾った。
でもライアはそれを肯定するのに必死。
「そうよ。例えばね、好きな料理でも悲しい思いや辛い思いをしながら食べると次にその料理を目の前にした時に悲しかったり辛かったりした事を思い出して前ほど食べたくならないことってあるの。そうやって美味しく作った料理が嫌いになるのって勿体ないし、嫌いなものが増えてしまうのって残念なことだと思うのよ。美味しい物は美味しいって、楽しいって思いながら食べなきゃ食べ物に申し訳ないじゃない? 私はレジナルドにはそういう幸せだと思える瞬間を増やしてほしい、と思う……んだけど」
あれ?
私、こんな風に「幸せ」なんて単語を熱く語ってしまうほどその感情を知っている人間だっただろうか、と途中で思ってしまってライアのセリフが失速した。
なんとなく、イメージしていた「幸せ」という状態は。
それは私自身も、子供の頃から求めていながら諦めてもいた、追求する資格なんかないと心のどこかで思っていたものだ。それを他人に力説しちゃうなんて……恥ずかしすぎる。
「ライアは僕に幸せになってほしいとか……思ってくれるの?」
「ふへぇっ?」
思わぬ質問が飛んできてライアが物凄く妙な声を出した。
聞き返したところでもう一度同じことを言ってくれる気はないようで薄茶色の瞳は……何だか縋り付くようにこちらに向けられている。
「お、思うに決まってる、じゃない」
ライアが思わずどもりながらも肯定する。
これは、適当に流してはいけない、と思った。そして、嘘偽りなくそう思う。レジナルドには……幸せに……それが具体的にどういうものか分からないにしても……穏やかな気持ちのまま笑っていてほしいと思う。
「……そ……っか」
縋るように向けられていた薄茶色の瞳が、安心したように細められて……そんな言葉が薄い唇から漏れた。
その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいて。
その笑みは決して張り付けたようなものではない、内側から滲み出したような、表面に出そうという意図はないのにうっかり出てしまった、くらいの自然な笑み。
ああ、こんな表情を見られるというのは……「幸せ」かも。
と、ライアはぼんやり思う。
どことなく二人の間を流れる空気が柔らかく温かくなった気がして、食事が再開された。
食事を終えて後片付けに入ってもレジナルドはやっぱり手伝ってくれる。
もうこうなると飼い主にまとわりつく小動物だ。
ウサギってこんな懐き方するっけ? と突っ込みたくなる。
そして、この懐かれ方が心地良いと思ってしまえる自分にライアはちょっと驚く。
洗い物を片付けていると肩越しに「食後のお茶は?」なんて聞いてくるレジナルドにも……慣れた。最初はこの近過ぎる距離に固まったけれど。
そういえば今日は食後のお茶、何にしようかとか考えてなかったなということを思い出してライアが「うーん」と視線を棚の方に向ける。自分が飲む分にはなんでもいいけど……レジナルドには何がいいかな……と思いつつ。
「ほうじ茶、ミルクで淹れようか?」
なんて聞いてみる。
「あ、飲む。あれ好き」
レジナルドが素直な笑みを作って必要な物を揃える。
……慣れてるな。慣れすぎなんじゃないかってくらい、慣れてるな。
ライアがつい苦笑した。
そのまま見守っていたら自分で最後まで作ってくれるんじゃないかと思って何も言わずに見ていたら途中で手を止めたレジナルドが「ん?」とこっちを向いた。
「いや、もしかして作ってくれるのかな、と思って」
と悪戯っぽい笑みを浮かべるライアに。
「……えー、ライアが作ったやつを飲みたい」
わざとらしく拗ねた声を出された。
……可愛いな。
ライアが内心悶えそうになりながら黙っていると。
「ライアが作ったお茶を飲む方が、僕は幸せになれるし」
……追い討ちか。何狙いだ。
「……分かったわよ。私が作らさせていただきます」
今日は何度目だろうという赤面を隠すようにわざと作った顰めっ面でライアは小鍋を手に取った。
「ああそうだ。レジナルド、今日って泊まっていく?」
「……ぐっ……!」
テーブルでお茶を飲みながら思い出したようにライアがレジナルドに声をかけた、ところでレジナルドが飲んでいたお茶を吹き出しかけて……根性で飲み込んだ。
「あ、大丈夫?」
ライアの方は至って平然と。レジナルドの反応の意味までは考えていない。
ちょっと前から気にしていたことなので。
夕食を食べて落ち着いたレジナルドを見るに、大丈夫そうだろうとは思うけれど。
さっき客室で寝ていた時の様子とか、夕食を食べながら聞いた話とかを照合するに……今家に帰すのって彼のメンタルに凄く良くない気がしている。ちょっとでも距離を置いて心を休める時間って必要なんじゃないだろうか。
それに部屋だって用意してあるままだしもうこのまま今夜はあの部屋を使ってもらってもいいと思うのだ。
「……あの、ライア……? 今なんて?」
けほけほと軽くむせながらレジナルドが訊いてくるので。
「え? だから泊まって行かないかって訊いたんだけど。だってこのまま家に帰って明日また来るんでしょ? 部屋はそのまま使えるのにわざわざ帰るのも大変でしょ」
用心棒になると言ってここに通っているとはいえ、いつもなら夕方になる前には家に帰っているレジナルドが今日は夕食を一緒に食べていつもより遅い時間になっている。彼は馬を使うとかはなくここまで町から歩いて通っていて……本人曰く「歩いた方が気分転換になっていい」らしいのだが、それにしても家との往復には結構な時間がかかるだろうし。
そういうところしか考えていないライアは何を今さら、とでも言いそうな顔でレジナルドを見返している。
「えーと……男を泊めるって……意味わかって言ってる?」
ひくっと、レジナルドの頬が引き攣っており。
「どの口が言ってるの?」
泊まったよね。朝帰りしたよね。ちょっと前に。
なんなら私が帰そうとしたのに居座ったくらいに記憶してますけど?
ライアがじとっとした視線を向けると、レジナルドが目を逸らした。
「……いいの?」
一瞬だけチラッとこちらに視線を向けてライアが答える前にまた視線が逸らされる。
「どうぞ?」
ライアはそう言うと目の前のカップを取り上げて口元に運んだ。
 




