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後悔の先で

 


 食事を終えたレジナルドを二階の客室に連れて行くと、どことなく緊張気味に着いてきたレジナルドがドアを開けるなり「あ」と小さな声を上げた。

 反射的にライアが振り向くと。

「なんか、いい匂いがする」

 と顔を綻ばせる。

 ああ良かった。精油の配合は彼にとっていい組み合わせだったようだ。

 ドアを開けたことで風の通りが良くなって開けた窓から入ってきた風がドアの方に抜け、精油の香りが僅かに香ったのだ。

「良かった。少しはゆっくり休めるといいんだけど」

 そう言ってライアが手に持っていた大きめのカップを手渡す。

 食後のお茶はテーブルで、というよりこっちで飲んでそのままベッドに入った方がいいかと思って持ってきた。

 差し出されたカップを受け取ってゆっくりベッドに腰を下ろしたレジナルドが受け取ったカップから立ち上る香りをゆっくりと吸い込んで。

「この匂い、やっぱり落ち着くな……」

 小さく呟いた。

 レジナルドに作ってあげている安眠用のハーブティーだ。

 初めて入る部屋で休むのに多少緊張はあるだろうから、知っている香りでリラックスした方がいいのではないかと思って。


「窓、どうしようか。開けておく? 風が入らない方がよければ閉めるけど」

 お茶をのんでいるレジナルドに声をかけると。

「うーん……風は気持ちいいけど……この匂いがしなくなるのはもったいないな」

 とベッドサイドの小石に視線が落ちる。

 最初、目を丸くして見ていたので「石に見えるけどそれ焼き物よ。素焼きだと精油を吸って少しずつ揮発させてくれるの」と説明したら納得してお気に召したようだ。

 なので窓は少しだけ開けた状態にして締め切らない程度にとどめる。

 ついでにカーテンを引くと、午後の日差しがふんだんに差し込んでいた部屋が少し落ち着いた明るさになった。

「じゃ、ゆっくり休んでね。私は向かいの自分の部屋にいるから何かあったら声かけて。もしあんまりずっと寝てるようなら頃合いを見て起こしに来てあげるから」

 そう言ってライアがドアに向かうと。

「え……部屋にって店は?」

 レジナルドが焦ったように声をかけてくる。

「ああ、午後はお休みにしたわ。用心棒がいないのに開けてて何かあったら大変でしょ?」

 くすりと悪戯っぽく笑ってみせるとレジナルドが目を丸くした。

 そんな反応に、ああこれでは気を使わせてしまうだろうかと思い直したライアが。

「……ちょっと読みたい本もあったしちょうど良かったのよ。私も部屋でゆっくりするから」

 そう言い添えて改めて笑顔を作ってドアを開け部屋から出る。

 ドアを閉める直前にチラリと確認したレジナルドがいつも通りの表情であることに安心してそのドアを静かに閉め、ライアは自分の部屋に入った。



 部屋に入ったライアは今しがたの言葉の通り本棚の前に直行する。

 口から出まかせを言ったわけではない。

 本当に調べ物をしようと思っていた。

 厚めの本を三冊ほど引き抜いて机の上に乗せる。そして引き出しの中から紙の束を取り出して。

「さて……と」

 大きく息をつきながら椅子に腰を下ろして本を広げる。

 読むべき場所は何箇所か決まっていて栞が挟んである。

 紙の束には最近まとめている薬の作り方が書き込まれている。


 おそらく、商会が目をつけている薬というのはこれだ。

 裏庭で育てている薬草を使った薬なのだが、そもそも薬を作れるほどまとまった量の薬草はなかなか自生する場所がない。そしてちょっとした理由があってあの薬草が茂るような場所が運良くあったとしても近付くことは難しい。植物の知識がある人間ならなおのこと近づかない。

 なので、理論上は作れるはずの薬でも実際に作ってみようという人はいないのだ。


 数年前に師匠に許可されて薬を作るのを手伝った。

 そうしたら思いの外効き目がはっきりと出てその時はとても役につものだと信じていた。


 あの薬、やっぱり商会も忘れてなんかくれなかったのか。

 それに……手掛けた師匠が亡くなったから作り上げる手段が消失した、なんていう都合のいいことも……考えなかった、ということか。


 なんて思いながらもペンを走らせる。

 製法が確立されれば人の役に立つものだ。確立しておくことには意義がある。

 正確な数値を算出して書き出し、間違いなく薬にできるように安全な方法の条件を詳細に書き出す。

 本来なら多くの人に役立てられるべき薬だから、作り方も誰でもできる簡単なものであるべきだけど、これはそうはいかない。

 だから自分がやらないといけない段階と、ある程度形にしてからそのあと正確な知識を持って作業できる人になら委ねてもいい段階とに分けての記述を確立する。

 そうすれば、自分で全行程を受け持つことによる製造量の減少や、価値が上がりすぎて一般の人が使えない薬になるということを避けられる。

 こういう薬はいつ必要になるか予想がつかないのだ。

 そして必要になったその時に大量生産できなければ意味がない。


 そんなことを考えながらしばらく集中していたところで、ふとライアの集中力が途切れた。

「……はぁ」

 小さなため息が漏れて視線が机の上の紙から窓の方に移る。

 ……思っていたより時間が経つのは早かったようだ。

 陽射しが暖色を帯びてきた気がする。


 客室の方に注意を向けてみるが、物音がする気配はないし……よく眠っているのかもしれないな。なんて思って椅子から立ち上がり、腰を伸ばす。

 ついでに本棚の方に近寄って、一番端にある帳面に手を伸ばす。

 もうだいぶ前に自分で書き留めたメモを綴って作った物だ。

 内容は精油の調合。組み合わせと効能。

 最近はこういうものは見なくても勘で作れるようになったけれど、たまに原点に戻るのも大事。時々見返すと忘れていたことをふと思い出す事もあるし、新しいことを思いつくこともある。


 レジナルドの部屋で使っている精油の組み合わせは普段自分が疲れが酷い時に使っている組み合わせなので何も考えずに出来たけれど、彼に合わせるとしたらもう少し別の組み合わせにしてもいいのではないかなんて思うと……ついページをめくる手が止まらなくなる。


 そんなページの中にふと。

『症状を見るのではなく症状に至る経過を見る』

 という注意書きが目に留まった。


 ああ、師匠の言葉か。懐かしい思いが込み上げてきて、目が細まる。

 あれは師匠の口癖のようなものだったな、と思う。

 それだけ薬師の仕事に真剣だったのだ。

 今は亡くなって三年が経つ師匠が生きていた頃、自分で書き留めるメモの合間合間に意図的にその言葉を入れることがあった。

 薬師の仕事が面白くて薬の調合で全ての問題が解決するんじゃないかとのめり込みそうになるたびに、初心に戻るように師匠に言われていたのだ。

『所詮薬は人の持っている力を補うもの。補うものが人より強くなることはないしそんな事をしたら人の本来の力を殺してしまう。どうやって補うかを考えるためにはどこでその人が自分の力を落とし始めたのかをきちんと見定める必要がある』

 ……つまり、患者ときちんと向き合え。

 ということよね。


 ああそうか。


 懐かしい思いが胸に広がるとともに背筋が伸びる気がしてふと客室の方に気を向け直す。

 レジナルドが疲れているというのも単なる症状だ。

 やっぱり原因……気にしてあげた方がいいんだろうな。


 そんなことに思い当たったライアは客室にそっと向かった。



 控えめにノックしてそっとドアを開ける。

 中から柔らかい風が出てきて精油の香りがふわりと鼻先をくすぐる。

 自分でも就寝時に使うことがある香りなだけに嗅ぐと反射的に安らぐ。


「……レジナルド?」

 あまり大きな声にならないように声をかけてみて、起きていないかどうか確かめてみる。ベッドの中に潜り込んだような格好で眠っているレジナルドは布団と枕の間で薄い金色の髪が乱れているくらいしか識別できないし、微動だにしないので……熟睡しているのかもしれない。

 それでも……もう数刻は経っている。そろそろ起こしてもいいんじゃないかとも思えるのでライアはそっとベッドに近寄ってその肩の辺りを軽く叩いて起こそうかと手を伸ばしたところで。

「……え?」

 伸ばした手が、そのまま止まった。

 布団の隙間からほんの僅かに顔がのぞいていて、確かによく寝ているのかしっかり目は閉じられているのだが。

 ……泣いてる?

 目尻のあたりが濡れている。なんなら枕にも濡れたあと。

 まじまじと見つめていると……僅かに眉間にシワが寄せられていき……あれ、これ、もしかして酷い夢でも見てるかな? という感じになった。


 ……え、どうしようか。

 起こすべき?

 でも、自分が夢で泣いてたところなんて見られたら嫌じゃないかな。

 見なかったことにして退室すべき?

 でも、ちょっと……これ、辛そうだし……。

 そんな思いの葛藤があり。

 ライアは一旦伸ばしかけた手をぎゅっと握って胸元に引き寄せ……ちょっと屈んだ体勢のまま動けなくなる。


 人と関わるのはめんどくさい。

 なぜなら人の心は複雑怪奇だから。

 こちらの親切が迷惑になることだってある。嫌がられたら、親切で差し伸べた手もその勇気も一気に無意味で無価値なものになる。そんな否定と拒絶に直面した時の気持ちの切り替えがめんどくさい。

 そう、ずっと思ってきた。

 だから……こういう時に「どうすべきか」と、「どうしたいか」が心の中で反発し合う。


「う……ん……」

 レジナルドの小さなうめき声がしてライアの肩がびくりと跳ねた。

 視線を戻すと眉間のシワがいよいよ深くなっている。

 ……あ、やっぱり。これは可哀想すぎる!

「レジナルド、ねぇ、大丈夫?」

 一度引っ込めた手は今度はすっと眠っているレジナルドの肩に伸びた。

 ゆさゆさと揺さぶって……夢から引き戻すという明確な目的を持って動く。


 ちょっと揺さぶって声をかけたら案外すぐに薄茶色の瞳が覗いた。

 でも、ぼんやりしたまま。

 そんな様子を見ていたら、ついさっきまで「関わるのがめんどくさい」なんて思っていた感覚がどこかに消えた。

 目尻の辺りの涙のあとにそっと手が伸びてこちらを向かせるように頰に添えながら親指で優しく撫でるように拭う。

 ぼんやりしていた薄茶色の瞳の焦点がゆっくり合って、そろそろとこちらに向かってきて、そしてゆっくり目が合った。

 なんだかその過程に……胸が締め付けられる感じがしてライアがゆっくり微笑む。

「大丈夫? 嫌な夢でも見た?」

「……ゆめ……?」

 まだ意識がはっきりしないのかぼんやりとした声が帰ってきて……それから。

「あれ……ライア、だ。これ、夢?」

 なんて言って目が丸くなる。

 途端にライアが小さく吹き出した。

「もう。寝ぼけてるわね。……なんかうなされてるっぽかったから起こしたのよ。大丈夫?」

 そう言うとレジナルドの視線がライアから離れて……宙に留まった。

 そして大きく息が吐かれる。

「嫌な夢だと思ったけど……夢じゃなかったな……」

「え……大丈夫?」

 思わぬ言葉にライアの声がちょっと震えた。

 頭のどこかで「これ以上関わるな」と警報が鳴っているような気がする。

 でも、こんな顔したレジナルドを放って置いてはいけないのは……分かっている。

 そんな顔だ。

 宙を見つめる瞳は表情のない硝子のようで、いつか見た人形のような顔をしている、と思った。

 一瞬にして表情が抜け落ちたような、そんな瞬間だったのだ。

 こんな顔をしている彼を、放っておいてはいけないと思う。

 深入りしたら引き返せなくなる、という思いと正反対の……もっと強い思い。

 そんな葛藤があったのは、きっとほんのわずかな……時間にして数秒のことだろう。


 かがみ込んでいたライアがそっとベッドのふちに腰を下ろしてレジナルドを見下ろす。多分この方が話を聞きやすい。


「何かあった?」

 そう尋ねるとレジナルドが少し身じろぎしてこちらを見上げて……それから再び枕に顔を埋めた。

「……祖父(じい)さんにさ、隠し子がいた」

「……え?」

 枕の中からくぐもった声が聞こえて、でもそれははっきりした意味のある言葉として聞き取れてしまったライアが咄嗟に聞き返す。

「僕に叔父がいたんだ」

 枕の上でこちらに顔を向け直したレジナルドが視線を合わせようとはせずにそう告げる。

「まぁ、ああいう人種ってそういうこと平気でするだろ。別にそれは気にしないけどね」

 そんなことを言うレジナルドの声からは感情が感じられない。ただ淡々と事実を報告するというだけの言葉だ。

「僕が後を継ぐ気がないってハッキリさせてるからね。あの祖父(じい)さん必死になって当時の愛人を探したらしいよ。……で、見つけたって」

 そんなことを話すレジナルドは相変わらず口調が平坦なまま。

「で、息子がいたってことを突き詰めて……そっちに商会の跡継ぎにならないかって話を持っていったんだって。叔父は僕より全然年上だし、僕に従兄弟に当たる息子もいるそうで……グランホスタは安泰なんじゃないかって」

「……安泰って……」

 ライアが全く熱のこもらないレジナルドの言葉尻を捉える。

 全くもって思っていることと言っていることが一致しないように聞こえる不自然さが、不安を掻き立てる。

 この人は、その事実をどう受け止めているんだろうか。と思えてならない。

 表面上では、継ぎたくない商会、関わりを断ちたい祖父、という環境から縁を切るのには好都合な出来事なのかもしれない。自分の代わりになるものが存在したわけだから。

 でも、喜んでいるように見えないのはなぜだろう。


「……そんな人たちがいたんならさ……何だったんだ。僕の母の人生は……商会のための道具でしかなくて、生きるのが嫌になった母は自分で命を絶ったんだ。父は使い捨ての駒のように切り捨てられた。僕は……今まで何を、何のために耐えてきたんだ……」

 そんな声が絞り出されて、ライアの息が止まった。


 ああ、そうか。

 あまりにも大きすぎた犠牲。

 あまりにも長かった時間。

 それがあっけなく終わった瞬間に、それらが全て無意味で無価値になったと思い知らされたことへの怒りや絶望や哀しみ。


 そういうものを、私も知っている。

 と思った。

 親に認めてもらいたくて払った代償と耐えた年月は、施設送りになった日に無価値で無意味なものだったと思い知らされた。


 そして、師匠もまた。

 そして師匠は誰よりも長い間耐え忍んだ人だったのかもしれない。

 師匠はゼアドル一族の、金になるものなら何でも独り占めして商売に使うという考え方をどうにか変えさせようとしていた。特に医薬品に関しては儲けの道具にすべきではないと、ずっと説得していたのだ。

 それが叶わないと分かった時の彼女の絶望をライアも見ていた。

 愛する家族を捨て、関わりのあった親族を全て捨てる覚悟で主張していた者は……結局呆気なくゴミのように捨てられた。

 ゼアドル一族との離別は師匠にとっては一つの賭けだったのだ。



 数年前、遠方の小さな集落で伝染病が確認された。

 その為の薬の作り方は確立されておらず、理論上出来るはずという程度のものだった。

 その薬を作ることに専念した師匠は自分の命を削るという犠牲を払ってどうにかその試作品を完成させたのだ。でも、そのために資金を出した商会はその薬をその集落に届けることに同意しなかった。量産して儲けることしか考えなかったらしい。

 そして集落は完全に消失し、薬は量産どころか材料が手に入れられないことと作り方が難しすぎることから幻と化した。


 消えていく自分の命と向き合いながら意気消沈した師匠を眺めていただけだった日のことをライアは思い出す。

 自分より背の高い大きな人だと思っていたのに、ベッドに横たわる師匠は気の毒なほど小さく見えた。

『ガッカリしたかい。師匠がこんなザマで』

 そう言って笑う師匠に何も言えず何も出来ずただ見ないふりをして「そんなことありません」とそっけなく言っただけだった。

 もっと何かしてあげれば良かったと何度も思った。

 あの時してあげたかったのは……。


 目の前で絞り出すように言葉を紡いだあと、再び薄茶色の瞳に涙を溜めているレジナルドの髪にライアの手がそっと触れた。

 触れた瞬間、その感触がよほど意外だったのかびくりと震えた頭にお構いなしにライアの手がそっとそれを撫でる。ゆっくり優しく、宥めるように。


「あなたの強さは私が知ってるわ。あなたが頑張ってきたことは何も無駄じゃない。誰も見てなかったとしても私が知ってるし、すごいと思う」


 多分私はこう言ってあげたかったのだ。

 言いながら、漠然とそう思う。

 レジナルドに対して思っていることを素直に口にすると、過去に戻って同じことを師匠にも言ってあげられたら良かったのにと思えてならない。


 そうは言っても時間は戻らない。

 もし過去に戻ってそんな風に素直な言葉を口にできる人になれていたらその後の人生は今よりもっと豊かかもしれなくて……それでもこんな不器用なままの自分なのに、そんな私に関わってきてくれたレジナルドは大事にしてあげなくては、と思った。


 人と関わることは……決して面倒なことなんかじゃないのだ。

 きっと。



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