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対 老人

 


 どことなくそわそわと落ち着かない様子のレジナルドが帰っていった後、ライアは頭の中が真っ白になったまま、ふらふらとドレスを脱いで、ふらふらと入浴を済ませて、うっかり半分のぼせてしまったところで慌ててバスルームから出てベッドに入った。


 ベッドに入って目を閉じてみても、レジナルドがつけていた香水の香りが心地よく鼻の奥に残っているような気がする。

 そして、思い出す至近距離のレジナルド。


 あれは……誰が彼をウサギちゃんだなんて言ったんだ! ああいや、私か。

 そんな小動物の目じゃなかった。

 あれ、どっちかっていうと……肉食獣。

 パーティーの間、温度ゼロか氷点下の彼を見てしまったせいか可愛いと思っていた印象が一気にすっぱりどこかに行ってしまった。


 でも……嫌じゃなかったのよね。

 もう、このまま食べられちゃっても良いかな……なんて……なんて?

「いやいやいやいや! だめでしょ、私! そういうの、違うでしょう!」

 勢いよく姿勢を仰向けからうつ伏せに変えて枕を力任せに抱きしめながら顔を埋めて叫ぶ。

 落ち着け。とにかく落ち着け。

 どう反応して良いかわからないし、そんな自分をどう処理して良いかわからないぞ!

 どうしよう、これ……明日、また仕事が手につかなくなるんじゃないだろうか。


 そんなことを考えながら……夜は更け。




「ふぁ……」

 朝は無情にもやってくるのである。


 ……今日は休んでも良いかな。

 ……いや、それってただの甘えよね。

 ……でも、お客さんに変な薬を調合しちゃったら大惨事だし……。


 ……裏庭の薬草の手入れをしよう。


 ベッドの中でゴロゴロ転がりながら今日の予定を改めたところで、えいっと起き上がる。


 やることが決まればなんとなく動き出せる。

 身支度をして、食事を済ませて、片付けて、裏庭へ。


 動きを止めると昨日の至近距離のレジナルドを思い出してしまうので目先のことに意識を集中する。

 顔が熱くなるので頭を振って雑念を振り払おうと思うのだけど、背中を優しく撫でてもらった感覚まで思い出してしまって「うわわわっ」と奇声をあげてしまうのでなんとなく薬草たちが引いているような気がしてならない。


『珍しいの。心ここに在らずか……こちらに害する気はないがもう少しばかり気をつけてもらったほうがこちらも気が楽なのだが』

 優しい声が聞こえてライアが顔を上げると困ったように微笑んでいる気配。

「あ……老木殿。うん、ごめんなさい。気をつけるわね」

 足元に茂っている薬草を摘むことに専念しようとしすぎてその先にある蔓が目に入っていなかった。

 古木に絡み付いた蔓はもう相当古く蔓というより木だ。そして絡んでいる相手の木をすっかり覆い尽くしている。

 そして、この蔓は毒性が強い。この辺りでは珍しい薬を作るのに欠かせない存在だが扱い方に注意しないと薬を作る過程で大怪我をする可能性もあるものだ。

『……何かあったか』

 しばらく間を置いて声がかけられる。

 心配そうというより面白がっているといった方が近いような声だ。

「うん……ちょっと……ね。……なんか面白がってるわよね?」

 この老木殿にはどこまでお見通しなんだろうと思いながらもライアは顔が熱くなるのを自覚しつつも照れ隠しで口を尖らせる。

『まぁ、察しはつくものよ。これだけ長く生きているとな。……お前がここに人を連れてくること自体そうないことであったしな……』

 ……やっぱりかなりの確率でお見通しかもしれない!

 ライアの薬草を摘む手つきから一瞬丁寧さが消えた。

「うぉっと……! ごめん。間違えて引っこ抜いちゃった……」

 なんの罪もない小さな薬草をちょっとばかり動揺したせいで一株引っこ抜いてしまってライアが慌てて土に埋め戻す。

 そんな様子を周りの薬草たちが緩く笑うように見守っている気がして、それもまたいたたまれない。

『……客人か』

 ふと改まったような声がしてライアが顔を上げる。

 裏庭で植物に囲まれているとこうやって表に誰かが来たときには教えてもらえるというのも便利だ。

 顔を上げたライアは耳を澄ませてみるがさすがにこの時期はこんな所から表の音は拾えない。

「お客さんかな……」

 なんて呟きながら抱えていた籠を持って店の方に向かう。

 今日はドアのプレートはクローズにしたままなので村の人なら黙って出直してくれるはずなのだが……気がついてしまったら一応接客はしなければ。といったところだ。



「……あら……お客様?」

 家を回って表に出たライアの目に最初に入ったのは門柱の木に繋がれた一頭の馬。毛並みのいい綺麗な芦毛の馬だ。

 で、ということは村人じゃなくてよそから来た人かな、と思って玄関の方に目を戻すときちんとした服装の老年の男が立っていた。

 一瞬、また師匠の親族が来たかと思うような、いかにも町からきましたという出立ち。

 でも師匠の親族でわざわざここまで話をしに来たり家探しをしたりするような人たちは最近なんとなく顔も覚えている。そもそも来るとしたら大抵二人連れだ。

 ライアが訝しげに声をかけたせいで玄関のところで立ちすくんでいた男はこちらに視線を向けた。

「……薬師のライアさんは貴女かな」

 そう言って緊張した面持ちでこちらを眺める男は、白髪が半分ほど混ざってグレーに見える髪を短く整えて、濃いグレーの上着に黒いズボン。それにきっちりとタイを結んだいかにも紳士。

 あれ、どこかで会ったことあったかな……なんて思いながらライアが近くまで行くと。

「孫がずいぶん貴女に入れ上げているようでね。昨日は挨拶もままならず失礼した」

 そう言って軽く目を伏せられた。

 ので。

「孫……? え、あああああ! レジナルドの、お祖父様っ?」

 どこかで見たはずだ。

 昨日ちょっと遠目ではあったけれど……確かに見ている。



「ええと、お茶でよろしいですか?」

 クローズという表示のドアを開けて初老の男を中に通したライアは急いでそう声をかけながら台所へ入っていく。

「ああ……あれがいつもここで飲んでいるもので構わんよ」

 そんな声が背後からかけられてライアがちょっと思案する。

 取り敢えず手にしていた薬草の籠は作業台に置いて、えーといつものお茶っていうことはほうじ茶か……え……まさかミルクで作る方じゃなくていいよね……なんて頭の中で確認しながら必要な茶器を用意して。

 何はともあれ最速で準備して居間に向かう。


「ああ……優しい香りですね」

 ほうじ茶のカップを目の前に出された男はまずそう言って目を細める。

 で、ライアが「どうも」なんて小さく頭を下げて向かいの席に座り。

 ……この人、本当にレジナルドのお祖父さんで合ってるんだよね?

 イメージしていたのは理不尽な頑固ジジイ……いやもとい、我儘な頑固ジ……いや、えーと駄目だ柔らかい表現が思いつかない……。

 と、ライアはつい眉を顰めてしまう。

 で、目の前にいるのはなんだか優しそうな、品のいい、紳士。


「で、貴女はあれをどう思う?」

「はい?」

 あまりにも単刀直入な話の切り出し方にライアは思わず聞き返してしまったが……ああ、いや、変にまどろっこしい言われ方をするよりはこの方が楽。と、思い直し。

「どうと言われましても……」

 と、言い直して会話の進展を試みる。

「あれと一緒になる気があるかどうかを聞いておきたいのだが」

 男はそう言うとふっと目元を緩めた。

 ああ、この人、ちゃんと話す気はあるんだ。なんてライアは思う。


 師匠の親族が何人もここに来るようになって話す気がある人と、意見を押し付けることにしか関心のない人の違いはなんとなく察するようになってきた。

 で、この人は、多分、話をする気がある人だ。

 それに……レジナルドが言っていたことを考えたら多分この人、仕事を成功させて財を成してるわけだし、博打な稼ぎ方をしてるのでなければきちんと筋の通った話し方を心得ているはず。


 そんなことに考え及び、ライアがちょっと背筋を伸ばした。

「そうですね。それにお答えする前に自己紹介していただいてもいいですか? どうもそちらは私の事をご存知のようですが、私は貴方の名前を存じ上げておりません」

 そうなのだ。

 ライアにとっては初対面。

 まぁ、もしかしたらレジナルドから聞いていて知っているだろう、くらいに思っているのかもしれないが初対面で名乗らない、はライア的には無しだ。

 すると、男は目を丸くして、一瞬息を飲んだ。

「そうか……申し訳ない、てっきりご存知かと。……いや、失礼した。わたしはニール。ニール・グランホスタ」

 どうぞよろしく、と、付け加えて軽く頭を下げる様子は嫌味もなく本当にうっかりしていた、という感じだ。

 なのでライアも安心して。

「ありがとうございます。ニールさんとお呼びするべき? それともグランホスタさん?」

 ファーストネームから名乗られた場合の相手の心境を考えて形式的に尋ねてみる。営業用スマイルを貼り付けることも忘れない。

「ニールで結構。……で、先ほどの質問には答えていただけるのかな?」

 そんなライアにこちらは筋金入りの営業用スマイルなのか本物と見まごうほどの微笑みを向けて問い返される。

 なので。

「ああ、レジナルドですよね。うーん……どうと言われても……まぁ、あの……いい子だと思いますけど」

 さすがに襲われかけましたなんてことは冗談でも言えない。

 それに、基本的にいい子だと思うのだ。


「……いい子?」

 ニールが再び目を丸くした。

 レジナルドと同じ薄茶色の瞳は、最初はどちらかと言うと鋭さを宿していたような気がしたが今はかなり表情豊かで柔らかい。

 なのでライアの方も少し話しやすくなった。

「ええ。いい子ですよね。素直だし、優しいし、分かりやすくて見ていて楽しいわ」

 あ。見ていて楽しい、は身内に言っていい褒め言葉じゃないかもしれない、と気がついたが言ってしまったものは仕方ない。

 そう思ってニールの方を伺ったライアは、ああ本当にしくじったかも知れない、と思う。

 なんとなれば物凄く、眉を顰められた。

 で。

「なに……素直……優しい……た、楽しい……?」

 軽く俯いてぶつぶつと呟かれてしまった。

「あ、いや……ごめんなさい。えーと……好感が持てるって意味で……他意はないです。弟みたいで可愛いっていうか」

 慌てて言葉を重ねてみるライアは、よしウサギさんみたいで可愛い、は回避した! と達成感を感じている。

「……それは本当にうちのレジナルドのことかね?」

 え……なんだそれ。

 えーと、レジナルドって他の家にもいるのかな?

 そう思ったライアが軽く眉を顰めながら。

「ええと、昨日のパーティーでダンスのパートナーだったレジナルドですが」

「貴女は確かルドルフ・ホークスともダンスをしていましたね」

 誰だそれ。

 反射的にそう言いかけて、ああそう言えば結局最後に踊った相手の名前は知らないままだった、と思い直し。

「最初に踊った……方がレジナルドですよね」

 ……最初に踊った白ウサギの方、と言うのは回避!

「間違い無いか……」

 ニールがかくっと肩を落とした。

 あ。なんかちょっとレジナルドに似てる……。

 そんな感想を持ってしまうくらい、ニールという人はライアの持っていたイメージとはかけ離れている。

 と。

「……弟、と言ったか」

 ちらりとこちらを見る目に鋭さが加わった。

「あ……」

 えーと……しまった、あれって失言?

 そう思いながらライアが視線を逸らす。

 くすり、と小さく笑う音がして視線を戻すとニールの方もなんだか意味ありげに笑っている。

「いや、別に貴女の品定めに来たわけでは無いのでね。何を言っていただいても結構ですよ。そもそもあれはわたしとは折り合いが悪くてね。わたしが貴女を認めるかどうかはそう重要では無いでしょう」


 なるほど。

 と思うと同時にライアは、ああやっぱり「折り合いが悪い」は本当なのか、とどこかで安心した。

 なんとなくこのニールが言う「レジナルド」と私が知っている「レジナルド」は別人なのではないかという気がしていたので。

 こんなセリフでようやく共通点を見つけて同一人物について話しているのだという確信が持てた安心感だ。

 とはいえ「折り合いが悪い」は両者自覚済みなのか。そんなところはあんまり好ましくない、よね。とも思うのであり。


「やっぱり、悪いんですね、折り合い」

 なんて確認してしまう。

「ああ……それはわたしに非がある。仕事が楽しくてそれにかまけて、稼ぎさえすれば妻も娘も幸せだろうと思い込んでいた。家に帰れば疲れ果てていて些細なことに苛々していた。それでも仕事の後継者が欲しくてね、娘には無理やりわたしの部下をあてがったがどちらも幸せではなかったようだ。あの頃は……ただ全てにイラついていただけだったよ」

「……そうですか」

 ライアの返事は至って平坦。


 レジナルドと、この人の関係性が気になると思うのは自然なことだろう。本人から仲が悪いって言われたらどういうことだろう、と思うものだ。

 でも、ライアにとっては本当にそれだけのことだった。

 他人のことに首を突っ込む気はないし、私が解決してあげましょう! とかはただの偽善的なお節介だと思う。


「意外に淡白ですね」

 ニールが苦笑した。

 こちらの無関心がバレたらしい。

 なのでライアも肩をすくめて苦笑する。

「あら、いい大人がこんな小娘に助けを求めてるなんて思ってませんもの」

「なるほど……確かに」

 ニールはそう言って小さく息をついた。それはまるで自嘲のため息だ。

 そして。

「あれはわたしとは縁を切りたいのだそうだ。だから……貴女が一緒になったところでわたしの持っている財産と権利が貴女のものになるわけではないが」

「何か勘違いなさってます?」

 ライアがニールの言葉を遮る。

「私、まだレジナルドが好きだとか言ってませんよ。それに私には私の生活があるんです。他人の財産まで面倒見る気はありません」

 にっこり。

 営業用スマイルは特上にして付け加えて。

「なるほど。……金ではなくあれ自身が目当て、か」

 いや、なんでそうなるよ。

 まだ好きだとか言ってないって、言ったよね?

 ライアが思いっきり眉間にシワを寄せた。

「もし、わたしがあれと縁を切って……そうだなあれが何も背負わない身になったら一緒になりたいと思うか?」

 ……なんか、もう色々めんどくさい。

 もはや、前提がずれている。私がレジナルドを好きというのが前提で次の段階に強行突破しようとしてるよね。

 そう思えてならないので。

「そんな仮定を前提に質問されてもお答えできませんよ」

 と、だけ答えてみる。


 そもそも「もしこうだったら」なんて仮定で言質を取られたりしたらたまったもんじゃない。そういうことに長けている師匠の親族を定期的に相手にしているので尚更こういう感覚には敏感にならざるを得ない。


「なるほど……賢い女性だ」

 何をどうとったのかニールはそう言うと満足げに微笑んで席を立った。

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