嫉妬
黄色い女の子とレジナルドが組んでいるダンスの曲が終わると、再びそう間髪入れずに次の曲に入った。
……なんかこのパーティー、ダンスをまきで終わらせようとしてないかな。くらいの勢いだ。しかも一曲がさっきより短くなってる。
そんな気がしながらもライアは手を取られたまま進み出てそのままダンスを始める。
簡単なステップのダンスだ。
さっきも一曲済ませたしもうだいたい慣れた。
なので視線は目の前のパートナーではなく、白い王子様を探している。……無意識に。
で。
……あれ? いない?
フロアで踊っている男女は何組かいるけれどそういう人たちに隠れて見えないのかな、と思ったが……どうやら踊ってない、みたいだ。
……なんだ、まだしばらくダンスしてると思ったけどさっきのが最後だったのかな……。
当てが外れた。と思って視線をフロアの隅に滑らせる。と。
いた。
なんなら、凄い視線をこっちに送ってきている。
凄い……睨みつけるような……視線。
さっきまで女の子たちに向けていた視線に温度はない、という感じがしていたけど、この度は……零下だ。氷点下。向けられた先でこっちが凍りつくくらいの視線。
やだ怖い。
でも、目が合わないところを見ると、私を見ているわけではなく……。
と、ライアがレジナルドの視線の先を辿ると。
「……どうかしました?」
目の前のパートナーが目を細める。
「……あ、いえ、何でもないです」
つい目が合ってしまって、しかもダンス曲が流れる中で囁かれてもあんまり複雑な言葉は聞き取れないからライアはつい目を逸らした。
……さっきはレジナルドと多少会話っぽいことしたんだけどな……と思ってよく考えたら、レジナルドは事情がわかっているせいか自分が喋る時はさり気なくライアの耳元に口を寄せるようにして短い言葉で会話してくれていた。
という事を思い出して……ライアの頬が見事に染まった。
流れるようにステップを踏んで、フロアの真ん中ではなく端の方を移動するのはこのパーティーの主役ではないからだろうか。なんて思いながらライアはリードされるままに周りを観察する。
フロアの隅を回ってくれるおかげでダンスを見ているお嬢様方の様子が垣間見られてちょっと興味深い。
あ。さっきの黄色のドレスの子。
と思ってなんとなく注視すると、他のお嬢様方と何やら言い争っている様子。
「へぇ、あの渦中の人、特定の女の子に笑いかけたりしたんだ……」
目の前のパートナーがちょっと意外そうに声を上げた。
こういう場でそういう声の上げ方はちょっと品がないのでは、なんて思いはしたがよくよく見ると会場の隅で騒いでいるお嬢様方の方が目立っているからこっちはそう目立たないという事なのだろう、と結論。
「そう……」
ライアはなんとなくさっきの自分への一言の事だろうなと思うのでそっけなく答えると。
「あの御令嬢、自分に声をかけてくれた上笑いかけてもくれたって主張してましたね。そりゃみんなから反感を喰らうだろうに」
おかしそうに笑いながらそんな事を言うのでこれもまたライアの耳にはだいたい聞こえた。
「え……そうなの?」
あれ?
レジナルドってあの子にそんなふうに笑いかけたりしてたっけ?
「そうみたいですよ。そんな嘘をついたところで意味はないだろうから本当なんでしょう。……こりゃ妹は望み薄だな」
今度の言葉はもう正常な音量に戻っているのでライアの耳にはほぼ聞き取れないくらいになっているのだが。
へー。そうなんだ。
ふーん。そうか。
ああいう感じの子が、好みなのかな。
なんてライアは黄色いドレスの子の方を見やる。
まぁ、可愛いよね。
歳だって二十歳前後くらいで若いし。髪の毛は明るい茶色でくるくるとカールしている。大きな黄色いリボンと白い花で可愛らしく飾られた髪型はシンプルにアップにした私の髪型とは雰囲気が対照的。
ちょっとポチャッとした若い子特有の頬は薔薇色でオレンジ色がかったピンクの口紅もとっても化粧映えしていて……綺麗。ほぼナチュラルメイクの私とは……正反対だわね!
あれ。
なんでこんなにイラッとしてるんだろう私。
そんな自分との葛藤の間にダンス曲は終わり。
フロアの隅に手を引かれていったライアはふと目の前の男が自分をマジマジと見ているのに気づく。
「結局名前もまだうかがってませんでしたね」
なんて微笑みは暗に「名前を教えろ」と言っているんだろう。
……自分から名乗れよ。
と、つい口から出かかったところで。
「すみません、僕の連れなんですけど」
ぐいとライアの腕が後方に引かれて冷ややかな声がした。
「あ、レジナルド」
ライアが振り仰ぐようにして見ると薄い茶色の瞳が一瞬チラリとこちらに向けられ、そのまま向かいにいた男の方に向く。
……だから氷点下!
ぞくりと背筋に悪寒が走ってライアの表情も凍りついた。
「え……なに、君……彼の連れ、なの?」
男がきょとんとしてレジナルドとライアを見比べている。
「ええ、まあ……」
ライアが思い出したように笑顔を顔に貼り付け直すと。
「ほら、そろそろ帰るだろ。送ってくから」
レジナルドが有無を言わさずライアの手を引いて歩き出す。ので、一応ここは礼儀作法! と思い直したライアがまだ名前さえ聞いていない男にむかって軽く頭を下げる。……ちゃんとした礼をする間はもはやない。
その後、ぐいぐいと引っ張られるように外まで連れ出されたライアはそのままぐいぐいと馬車に押し込まれて、まるで連行される勢いで家まで帰ってきた。
「え……ねぇ、ちょっと……痛いってば!」
ドアを開けて中に入ったところでついにライアが声を上げた。
手を取って馬車から降ろしてくれたというのは良かったが、そのあと手首を掴まれたままぐいぐいと引っ張られ、家の中に放り込まれたような扱いだった。
ただでさえドレスの裾を踏まないように気をつけながら歩かなきゃいけないのにこの扱いはあんまりだ。
そんな抗議の声と視線を向けると、レジナルドはそのまま帰るのでもなく居間の椅子を乱暴に引くとそこに座った。
……まぁ、馬車をそのまま帰していたので、うちで一休みしてからいつも通り歩いて帰るつもりかな、くらいには思ったが。
でも、それにしても馬車の中でもどことなく不機嫌そうだったのでそんな状態を引きずって家に入ってこられるとさすがに居心地が悪い。
ライアとしては、ドレスを着替えてお茶でも淹れたいところだけど……どうにもそういう雰囲気ではない。
かといっていつものように向かいに座るのもためらわれてテーブルのそばに立ったままレジナルドを見つめる。
しかも近くにいくのもなんだか怖いので少し距離をおいて、だ。
レジナルドはといえば、不機嫌そうに眉をしかめたまま腕を組んで横を向いている。
で、大きくため息を吐いて。
「……ああいうのが好みなの?」
ぼそっと呟かれた。
「……はい?」
ライアが眉をしかめて聞き返す。
と、レジナルドの視線はライアの方にまっすぐ向き直り、組んでいた腕を解いてちょっとこちらに前のめりになりながら。
「ああいう、年上っぽい男が、好みなのかって聞いてるんだ。……そうだな、髪の色も目の色も、僕とは真逆だったね。物腰も落ち着いててさ、ダンスの腕も良かったんだろ?」
少し声量を上げてわざとらしく言葉を区切って説明し始めた。
「いや、あの。ちょっと待って。聞こえなかったわけじゃないから。……そうじゃなくてなんでそうなったの?」
ライアが眉をしかめたままレジナルドを凝視すると。
「は?」
レジナルドの方も眉をしかめた。
「は、じゃなくて。なんで私があんな失礼な男のことを好きになるなんて思ったの?」
ライアが訳がわからない、という顔でレジナルドを見下ろす。
「失礼な……男?」
レジナルドの肩の力が抜けた。
「そうよ! 庭のベンチに座ってたらさ、いきなり隣に座ってくるし自分は名乗りもしないでこっちの名前聞き出そうとするし! あれ、そもそもどこの誰よ!」
ぐっと拳を握ってみたりして。
「あ、ああ……そうか……」
レジナルドが片手で顔を覆った。
「いや、そうか……ライアはそうなるか……あいつあれでも結構人気がある奴なんだ。資産家の息子でね、うちとも結構古い付き合いのある家柄だし、あんな見てくれだから多分知らない女の子はいないんじゃないかな」
ああそういうことか。こっちはあの男のことを知っているっていう体でいたのか。で、モテる前提だからいきなり隣に座ったか。……やっぱり失礼な男だ。
ライアがそう思って再び怒りのようなものが込み上げてきた矢先。
「だって、見た目はカッコいいだろあいつ。物腰も大人でさ……今回のパーティーは目的が目的だから僕の周りの女が多かったけど普段はあいつの方も同じくらい埋まってるんだよ。……ライアだって嬉しそうにダンスしてただろ」
「はいいい?」
なんか聞き捨てならない! 主に最後の一言!
そう思うとつい勢いよく聞き返してしまう。で、そのまま数歩レジナルドに歩み寄り。
「だって……嬉しそうに話してただろ。顔赤くしちゃってさ」
レジナルドが決まり悪そうにこちらから視線を逸らしながら呟くので。
「してないでしょ! そんなの……誰が顔赤くするよ、あんな男の……前、で……?」
ん? あれ? そういえばダンスしながら何かこっ恥ずかしかった気が、しなくも、ないな。
何だっけ……なんて最初の勢いがちょっと消えかけてきたところで、不意に黄色いドレスの女の子が記憶をよぎる。
勢いを無くしたライアの言葉に不審そうな視線を戻してきたレジナルドに。
「あの黄色いくるくる髪の女の子だって結構可愛かったじゃない。レジナルドって他の女の子に声かけることなんてないんでしょ。なのに彼女には声をかけてあげたんだってね。とーっても嬉しそうに他のお嬢様方に自慢してたわよ?」
「……は?」
消えかけた勢いが若干戻ってきたライアがレジナルドを見下ろしながら言い切ったところでレジナルドがきょとんとした顔になった。
「僕が、誰に話しかけたって? そもそも今日は女の子とは一回も口きいてないけど」
「え……だってすごく嬉しそうだったわよあの子。……ほら最後にダンスしてた子」
ライアの戻ってきた勢いが再び失速した。
「え? ……最後……ああ、あの子っていっつも自分のことばっかり押し付けてきて鬱陶しい女の筆頭なんだけどな。そういえば今日も最初は色々うるさかったけど途中で静かになったっけ。あれだ、ほらライアに『もう少し待ってて』って言った後くらいかな。さすがに空気読んだのかと思ったんだけど」
はい? 私に?
ライアがその時の光景をもう一度頭の中で思い出してみる。で。
「……っあー……」
なんかわからなくもない、かも。
レジナルドに声をかけられた時、もちろんライアとの間には距離があったので声なんか届いてなかったがライアは唇の動きと視線で自分に向けられた言葉と理解した。
でも、一緒にダンスしていたら声が出ていたかどうかは別としてもあの表情を間近で見たというわけで、自分に視線が向いていないとかって……気にならなかったかもしれない。
それにもし、声を聞いていたとしたら……あの勢いでどんな話をレジナルドにしていたかわからないけど……「後でゆっくり聞くから」くらいに取ってもおかしくない、ということだろうか。
「……誤解、解けた?」
レジナルドの声にライアが我に返ると薄茶色の瞳がこちらを見上げている。
「う……ん、まぁ。……別に、誤解とかそういうんじゃないけどねっ」
ライアが頬が赤くなるのを自覚しながら目を逸らすと、手首が掴まれてぐいと引かれる。
「わ……っ?」
引っ張られたと思ったのはレジナルドが立ち上がったためだった。
しかも目の前まで近づいていた上に手首を掴まれているのでものすごく近い。
で。
「……っ!」
ライアがそのまま息を飲む。
ふわりとミルラの香りがして、至近距離にレジナルド。なんならさっきのダンスのときより近い。
「……それさ、ヤキモチだったってことだよね?」
薄茶色の瞳が細められた。
「……」
息を飲んだまま声が出ないライアを見下ろすようにレジナルドがゆっくりさらに近づいてくる。近づいて……というより密着、だ。
テーブルを背にしたライアは逃げ場がなくテーブルに片手を付いて思いっきり背中を反らせてみるがレジナルドの方もテーブルに片手をついた軽い前屈姿勢になっている。
なんだか押し倒されるような格好になったままレジナルドの空いている手がライアの顎にかかって視線が絡め取られた。
細められた瞳はそのままゆっくり降下する。
頬のあたりをちょっとだけ彷徨って、そのあと唇に。
そこでうっとりとしたまま固定されている。
それを自覚しているのでライアも全く動けない。
息も止まっているんじゃないかというくらいだ。
「僕の気持ちはもう言ってあるよね?」
ゆっくり囁かれる言葉は決して大きな声ではないのにライアの耳は聞き逃すこともできず、シラを切ることもできない。
「そういう態度を取られると期待するけど」
そんな言葉とともに顎に当てられた手の親指がライアの唇をゆっくり撫でた。
ひくっ、と。
ライアの唇が動いた。
触れてくる指先から逃れるように、キュッと引き結ばれて。
同時に眉が顰められて明るい茶色の瞳が潤む。
得体の知れない恐怖が身体中を駆け巡り……体が震える。
そんな小さなライアの変化にレジナルドがハッとして視線を再び合わせてきた。
「あ……ごめん……っ」
さっきまでの、何をやらかすかわからないような妙な色気を纏った表情が一気に改まり、薄茶色の目が見開かれライアとの間に少し隙間ができた。
「あの……怖がらせたかったんじゃない。もう何もしないから……ごめん」
「……あ……」
ようやくライアの口から小さく声らしきものが出た。
急にしゅんとしてしまったレジナルドがあまりにもいつものレジナルドなので安心したら体の力が抜けた。
「……大丈夫?」
レジナルドが困ったような顔をしてライアの腰に手を回した。
軽く引っ張られるので不自然な体勢のまま固まってしまった体を起こしてくれているのはわかるのだが。
「……っ!」
反射的にライアが息を飲んで肩を強張らせる。
縮こまるように下を向いて体を硬くしたままレジナルドの胸元に引き寄せられたライアに小さくため息が吐かれて、背中がゆっくりさすられる。
「……待つって、言ったんだから待つよ。ごめん」
そう呟くレジナルドはとても決まり悪そうで。
「……うん……」
ライアはようやく頷いた。




