宴とあれこれ
満月に近い月が照らし出す裏庭でライアの歌声が響く。
今夜の歌は古い旅人の歌だ。
昔、旅をする事がもてはやされた時代があったという。
旅人は故郷を思い、友を思い、そうして一人前になって故郷に戻る頃には故郷が様変わりして過去の思いを懐かしむ。
そんな事が美しい生き方と思われていた時代があった。
ライアの口から漏れるのはそんな時代の歌だ。
さんざめく数多の星は幾度巡り
輝き増す月は幾度満ち欠け繰り返す
人の情けは移りゆき
あの熱情も今は静かに
心に空いた小さき穴は
凍てつく夜空に食らい付き
いつか満たされることを夢見る
繰り返す季節はいつか忘れ去られ
流れてゆく時はいつか消え去る定めを知る
思う心は美しく
今ここにある明日は儚く
思いを映す月明かりへと
盃掲げて飲み干して
いつか満たされることを願って
叶わぬ願いは飲み干して
抱く希望は水に流せ
いずれ我が身に戻る日まで
歌が一曲終わり、数瞬置いて木や植物たちがさわさわと揺れるのはもう毎度の反応。
レジナルドもそれが彼らの賛辞であることを理解しているのでそれに合わせてパチパチと拍手をする。
『今宵も良い月に良い歌……至福よの』
「本当に」
古木の声に応えるようにレジナルドが返す。
今夜もあの木はレジナルドに声を届けている。
そんな事が何だか嬉しくてライアはふと口元に笑みを作る。
「ライアって古い歌ばっかりよく知ってるよね」
歌い終わったライアに水の入ったカップを渡しながらレジナルドが感心したように頷く。
「そう? 最近の歌って軽すぎてあんまり歌う気になれないから覚えられないってだけなんだけど。……あとはそうね。聞いてくれるみんなを思うとこういう歌になっちゃうのよ」
照れたようにライアが頬を染めて周りの植物たちに目を向ける。
風が吹いているわけでもないのにさわさわと揺れる枝や葉はまるでライアの言葉に頷いているか照れ隠しに笑ってでもいるようだ。
「そうなの?」
レジナルドがきょとんとしてこちらを見返してくるので。
「んー、昔の歌の方が情緒があったというか……自然の美しさと心のあり方とか生き方とかをうまく絡めて詩にしてたりするでしょ。そういうのって人の歴史を見てきている彼らにとっては響くのよ。それに……」
『姫は歌に込める感情が豊かなのだ、若いの』
割って入るように古木が静かな声を出した。
レジナルドが奥の古木に視線を送る。
『姫が歌う歌には昔人が込めたものとは違う気持ちがこもることがある。我らへの敬意がこもっておる……その心は歌に別の意味をも持たせる。ゆえに聴いていて心地よい……』
「……へぇ……」
「まぁ、そんなとこ。そういうふうに別の意味を持たせやすいのは昔の歌なの」
ライアがくすりと笑って空になったカップをテーブルに戻す。
で、今度はグラスに酒を注ぐ。
「飲みすぎるなよ」なんて言うレジナルドの声にはほとんど聞く耳持たずだ。
「……木や草を相手にしているときはライアって綺麗に笑うよね」
ポツリとレジナルドが呟いた。
「……え?」
なにしろ聴覚が正常に働いてくれている。酒が入っていようと聞こえるものは聞こえてしまう。
ので、なんだか恥ずかしいことを言われた自覚はあるが聞き返してしまった。
「だから綺麗だって言ってんの」
「……酔ってるよね?」
ライアが口元を歪めながらレジナルドをじとっと見る。
「……ま、多少はね。いやそういうことじゃなくてさ。ほら、ライアって仕事で客の相手してる時とかも笑うけどそういう笑い方じゃないよねって話。僕と話してる時も時々、ああこれ作り笑いだなって思う時がある。……でもこういうところにいるときはそういうの、一切ないもんね。すごく素直に笑ってるし、なんなら時々別人かなって思う」
「……ああ……そう?」
しまった。改めて聞いてしまったら恥ずかしくて居た堪れない内容になってしまった。
ライアが視線を逸らしながらグラスを口に運ぶと外の薬草たちが楽しそうにさわさわと音を立てて揺れている。
……みんなして面白がってるな……。
ライアの頬がわずかにひきつる。
「それってやっぱり一番信頼してて心が許せるからってことなんだよね」
頬杖をついたレジナルドはそのまま真っ直ぐにライアを見つめてそう続けた。
「……ん。そういうこと、ではあるわね」
ライアにとってそこはまさにその通りなので肯定。
「……僕もそういう対象になりたい」
「……は?」
真っ直ぐ。
あまりに真っ直ぐにこちらを見据えたままそんなことを言われてライアが反射的に聞き返した。
「だから僕も、ライアが安心して寄りかかってくれる存在になりたい、って言ってるの」
「え……あ……う、ん」
えーと。
どうしよう。
こういうときはなんて返したらいいんだろう。
とっても、微妙だ。色々と。
多分、昼間の続きでもあるんだろうな、とか思ってしまうから余計に。
と。
『若いの、それは要求するものではないぞ』
くくく、と笑みを含んだ柔らかい声が庭の奥の方から聞こえて来る。
……おぅ。ナイスアシスト老木殿。
ライアが奥の古木に感謝の視線を送りながら肩の力を抜いた。
『信頼は要求するものではない。勝ち得るものだ。……敬意も然り。この姫は我らへの敬意に関しては大盤振る舞いだがな、本来はこんなに易々と敬意を払うものでもなかろうて』
「……もう、老木殿まで酔ってるみたいな言い方しないでくださいね。私がみんなを尊敬してるのは自然なことですよ? あるべき姿でそこにあり続けて全てを受け入れているくせに、私なんかと関わってくれるなんてありがた過ぎてどうしていいか分からないくらいなんだから」
『……まぁ、こうして心通わせ言葉を交わすも何かの縁。若いの、お前も精進していかれよ』
喉の奥で笑うように紡がれる古木の言葉は響きそのものも優しく柔らかく、耳に心地よい。
そんな言葉を向けられてレジナルドは「うーん、そうかぁ……」と小さく唸った。
「そういえばさ」
一通り歌って飲んで、を楽しんで後片付けしながら台所に戻ってきたレジナルドが思い出したように口を開いた。
取り敢えず洗い場に皿やグラスの類を入れたあと袖を捲り上げて洗い物に取り掛かろうとしているライアが「ん?」と視線を向けると。
「あの木って僕にも話しかけてくれるから話の流れがわかりやすいんだけど、他の草って喋ってる?」
「ああ、それ」
ライアがふっと笑って、洗い物を始めながら。
「はっきり声に出して言葉を出すのは古い木が多いわね。多分長く生きてるうちに身につける力みたいなもんなんだと思う。……草花とか低木とか若木だと……言葉っていうより気持ちを伝えてくるかな」
こんな話を誰かにするのは初めてだ、と思いながらもライアはちょっと楽しんでいる自分に驚いている。
自分だけが聞いたり感じたりしていることをあえて人から訊かれて説明するなんて……初めてだし、理解も納得も得られないものだろうと思っていた。
なのにレジナルドはこういう話をしても真面目に聞いてくれる。
またそんな適当なこと言って、みたいに呆れたり馬鹿にしたりしない。
それが、心地良い。
「そっか……」
ほら、妙に納得したような顔で頷いて何事もなかったように洗った食器を布巾で拭き始めた。
ライアがそう思いながらくすりと笑って。
「なに、急に?」
なんでそんなことを聞くんだろうなんていう疑問も自然と口に出た。
「……あー、うん。だってさ。ライアと同じものを聞いたり見たり感じたりしたいなと思って。……草花が気持ちを伝えてくるっていうのは、そう言われれば納得できるんだ。なんか嬉しそうだったり、恥ずかしそうだったり、楽しそうだったり、って事だろ?」
「そうそう、そういう事。今日なんかは特に面白がってたわね。特にレジナルドの話のくだり」
「っあーーーー……やっぱりあの反応はそういうことか! こっちは本気なのに……」
そう言うとレジナルドは布巾を持つ手を止めて視線を遠くに投げてしまった。
ああ、あの反応が感じ取れたのかと思うとライアも小さく吹き出してしまう。
こういう気持ちの共有って、とっても心地いい。
そういうことに慣れていないせいか、ライアはどこかふわふわした気分でレジナルドを眺める。
使っていた食器の類は数としては少なくてあっという間に片付いた。
なんとなくついででお茶を淹れたライアが作業台に寄せた椅子に腰を下ろしたレジナルドにそのカップを差し出して自分用にも注ぎ分ける。
「あ、いい匂い」
今日淹れたのはミルクなしのほうじ茶だ。
飲んだ後だし、外は少し冷えてきていたからさっぱりと温まってちょうどいいかと思った。
「レジナルドは本当に酔わないのね……」
ライアがカップを取り上げて香りを楽しんでいるレジナルドの顔を覗き込みながら呟くと。
「あー、そうだね。ある程度いい気分にはなるけどそれ以上は変わらないかな。ライアだってそんなに変わらないじゃない。こんな片付けまで終わらせちゃってさ」
「私は飲む量を加減してるんです」
勢いに任せて飲むと後が辛い。それは前に経験済みで学習したのだ。美味しく飲んでまた次回の楽しみをとっておく。これ大事。
「ふーん……酔っ払ってもいいよ。僕が介抱してあげるから」
ニヤッと笑うレジナルドに。
「そういう思考パターンがお子ちゃま。そんなのお互いに辛いだけでしょ」
「う……でも僕は辛くないけど! ライアの介抱するのは……やってみたい……」
……なんだそのオヤジ的発言。
つい苦笑しながらも。
「こら。自分さえ良ければいいの? 私が酔い潰れて気持ち悪くなってるのがそんなに楽しい?」
「……楽しくありません」
「よろしい」
そんな他愛もないやり取りの後にどちらともなく笑い出すのがなんとも言えず楽しくて。
ライアは、ああこれは私も酔っているのかな、なんて思ってしまう。




