招かれざる客
「そろそろ大丈夫かな……」
村はずれにある小さな店。
その前にはちょっとした庭があって門柱がわりに小さな木が二本植えてある。店であることを考えてなのか門扉はない。
門柱がわりの木の枝には古い素朴な木のプレートがかけてあって「薬種屋」と書いてある。
これは師匠の代からかけてあるもので……木の成長に伴ってプレートを下げている細い鎖は枝と幹の間に半分飲み込まれたような形になっている。
そんな木の影から店の方を覗き込んでいるのが「店の主人」であるライアだ。
形のいいぷっくりとした唇をキュッと引き結んで緊張気味に覗き込んでしばらくの間観察した後「うん」と小さく頷いて大きく息をつき、店の入り口に向かう。
誰もいないと分かっていてもなんとなく不安でそっとドアを開けると中に頭を突っ込むようにして様子を窺い……肩の力を抜いた。
「はぁ……一難去った……」
小さく呟いてドアの中に滑り込み、後ろ手にドアを閉めたところで。
「はあい! ライア! 元気ー?」
「うわああああああ!」
勢いよくドアが開いて元気な声が真後ろでして、ライアが飛び上がった。
「あ……ごめん……そんな所にいたの?」
目を丸くして目の前でへたり込んでいるライアを見下ろすのは黒髪を肩のあたりで切りそろえた女だ。
切長の目元はこの辺りの昔ながらの特徴的な顔立ち。それでも驚いたように見開く瞳に、面白いものを見つけたとでも言うかのように笑いを堪える口元は表情豊かでとても好感が持てる。黙っていれば美人といった所だがこんな表情を見てしまうと可愛いという形容詞の方が似合いそうだ。
膝下丈の青いワンピースの袖を捲り上げて朗らかな笑顔が似合っている。
「いや……うん。今帰ってきた所だったから……」
ライアは声をかけてきた相手を改めて認識したところで自らを落ち着けるように胸元に手を当てながらゆっくり立ち上がり、今日は何度目だろうかなんて思いながらスカートの裾をパタパタと払う。
「あー、あいつらまた来たの? 毎度毎度飽きないわねー」
「シズカ……口が悪いわよ……一応あの人たち権力者ってやつなんだし……」
ふぅ、とため息をつきながらライアは店の奥に向かう。
店、といってもカウンターがあったり商品棚があったりするわけではない。
むしろ普通の家とそう変わらない造りだ。ドアから入るとまずこぢんまりした居間のような部屋があって木製のテーブルと椅子がある。
四脚ある椅子の一つに慣れた様子で座る黒髪の女、シズカはライアの動きを目で追いながら周りをぐるっと見回した。
「……今日は荒らされてないみたいね……あ……やだもしかして!」
思い立ったように勢いよく立ち上がったシズカがライアが向かった店の奥へと駆け込んだ。
居間を隔てるドアを開けて中に一歩踏み込み。
「ちょっと、大丈夫だった?」
奥にあるのは広めに作られた台所だ。
この場所は、この「店」が「店」としての役目を果たすための作業場。
幾つかの棚が並んでおり、保存が効くようにして瓶詰めされた薬草の類が隅から隅まできっちり並んでいる場所。
普段の食事の支度もすることから、さらに奥には貯蔵庫もあって野菜や卵なんかも保存してありちょっとした地下の保存庫もある。
踏み込んだシズカの目の前でライアが目を丸くしてこちらを向いた。
手にはやかん。
「……え、なに?」
ぱちぱちと瞬きしたライアはシズカの方を凝視している。
ので。
「……あ、いや……良かった。店の方が荒らされてない分こっちが大変なことになってるんじゃないかと思って焦っただけよ」
一気に肩の力が抜けたようにシズカがガックリとうなだれて、そのまま力の無い笑顔になった。
「いつものお茶でいい?」
やかんを火にかけながらライアは棚に並んだ小さな瓶を手に取る。
慣れた動きで蓋を外して香りを確かめてシズカの方に目を向けると切長の瞳が安心したようの細められた。
「うん。あれ、大好き!」
居間に戻って大人しくテーブルの席に着いたシズカの前に白いカップが出されてお茶が注がれる。
薄荷の香りが柔らかく漂い、そこに数種類の爽やかな香りが混ざっている。
ライア特製の薬茶だ。
「うん。相変わらずいい味ね」
シズカが一口飲んでうっとりと目を細める。
「そりゃあ、本職ですから。……まぁ、この程度の薬茶にはそう顕著な薬効はないからね。せいぜいリラックス効果くらいだし」
「うん。休憩しにくるにはちょうどいいお茶だわ」
ライアの言葉にシズカがにこやかに答え……ライアはこっそり「うん、ここは喫茶店ではないんだけどね」なんて内心呟く。
そうは言ってもシズカはこの村でのいい友人だ。
薬種屋であるこんな家に、薬を買いに来るのではなくわざわざお茶をしに来てくれるなんていうのはある意味ありがたい存在なのだ。
特に、ライアにとっては。
「でも、今回は被害がなくて良かったわよね」
お茶を楽しみながらシズカがうんうんと頷きつつ呟き、ライアが小さく笑みをこぼす。
だいたい月に一度くらいの頻度で訪れる客人が毎回厄介なのは、友人であるシズカにはよく知られている。
ライアは子供の頃、この店の主人であった老女に拾われた身だった。
行くところもなく、頼れる人もいなかったライアを彼女はこの店に引き取って世話してくれた。
薬師だった彼女はここで数多くの薬草を扱い、村人だけでなく町から薬を求めてやってくることもある人たちにオーダーメイドの薬を調合していたのだ。
この店の作りがカウンターのある店の形態ではないのもそのせい。
居間でゆっくりお茶を飲みながら患者を観察して相手の体質にあった薬を調合する、というのが彼女のやり方だった。
そのやり方に見惚れたライアは無理を言って弟子入りしたようなものだ。
特に世話好きでもなく、弟子を取る気があったわけでもない彼女は行くところがないというライアを単に拾っただけだった。
でもそれだけではライアの方の気が済まずに、色々手伝いをするうちにひょんなことから弟子入りを決意してしまったのだ。
そしてライアが師匠と呼ぶようになって十数年後、彼女は他界した。
そして、今日の客人。
師匠の親族、なのだ。
近くの町ガドラは比較的大きな町で商業で栄えている。
その町で手広く商売を営むのが師匠の一族だ。
最も、師匠はそういうしがらみが大嫌いで親類縁者ときっぱりさっぱり縁を切ってこの村に引きこもっていた。自分のペースで自分の好きなことだけをしていたいというのが彼女の考えで、儲け主義の親族とは気が合わなかったらしい。
ところが師匠の死後になって、親族たちが頻繁にこの店を訪れるようになった。
師匠が作っていた薬の価値に目をつけていたのだ。そういう事に目敏いのが商売人たちだ。
初めのうちはその薬を後を継いだライアに作って欲しいと「平和的に」頼みに来ていたのだが。
「……そろそろ諦めてくれてもいいのにな」
ライアがシズカに出したのと同じお茶を飲みながらこぼす。
「んー……ああいう人たちって結構しぶといよねー。儲けがかかってるんだからそう簡単には諦めないでしょ?」
「……不吉なこと言わないで……」
にやっと笑って小声で囁くシズカにライアがうんざりしたような声を出した。
そうなのだ。
本当に諦めが悪い。
最初のうちは「薬を作ってうちに買い取らせてくれ」という要求だったのが、最近はちょっとばかり方向が変わってきている。
師匠の血縁である者たちからしたらこの店自体は自分たちの所有物でもある。この店で作られるものに関しては自分たちにも権利がある。なんていう言い分を突きつけてきたのだ。
で、彼らの来訪の目的は。
最近はどうやら店の権利書を手に入れる事にすり替わったようで、話し合いが苦手なライアが家を開けて……言ってみれば逃げている間に家探しをするという強硬手段に移っているのだ。
先月はライアが頃合いを見計らってそーっと帰ってくると居間がめちゃめちゃになっていた。
その前は台所。その前は貯蔵庫だった。
そんな所に隠してなんかないんだけどね。
なんてライアは思うのだが先月たまたま彼らが来た翌日にお茶を飲みに来たシズカが居間の様子が変わっているのを気にして事情を察してくれたのだ。
狭い村だ。
余所者の来客はあっという間に大半の人に知れ渡る。
今日はその来客を知ってシズカはわざわざ様子を見に来てくれたという事なのだろう。
「そういえば今日は耳、聞こえてる?」
「あ、分かる?」
シズカがふと目を上げてライアの明るい茶色の瞳を覗き込んで来たのでライアが口元に小さな微笑みを作った。
「うん。さっき私結構小さい声で話したのに聞き返さなかったからなんとなく」
シズカもつられるように微笑んでテーブルに頬杖をつく。
「ああ、そっか。うん。今日はちゃんと聞こえるわ」
ライアは子供の頃から気がつくと耳が聞こえなくなっていた。全く聞こえないというわけではなく、ぼんやりと聞こえるといった感じだ。
それが時々ふと、聞こえるようになる。
それが満月の時期だと気付いたのは割と最近。
一週間くらい普通に聞こえるようになって……その後また聞こえなくなる。
シズカもライアを気にかけてくれているせいか時々「聞こえがいい時期」があるというのが分かるらしい。
「そっか……」
シズカの表情が柔らかくあたたかみを増す。
そんな表情や仕草から、自分への気遣いをライアは感じとる。
これはもう、癖というか習慣というか、ある意味学習して身につけたものかもしれない。
耳から入る情報が少ないせいで視覚が捉える情報に敏感になるのだ。
相手のちょっとした表情の変化。雰囲気の変化。そんなものにも反応してしまう。
彼女は安心できる、という判断もこういう情報に基づいた本能的な反応なのかもしれないな、なんて思ってしまう。
「今日はお茶だけでいいの?」
安心できる相手にはライアの表情も自然と和らぐ。
口元に浮かぶ笑みには緊張感が薄れ、柔らかさとあたたかさが滲む。
そんなライアを見詰めるシズカはほう、と小さくため息をついたりなんかして。
「ライアねー……そうやってるとほんっとうに可愛いんだけどなぁ。私がお嫁さんにしたいくらいなのになぁ……ホントに残念よね……普段がさぁ……」
「……シズカ……今日の私は聞こえてるんだけど?」
わざとらしく呟かれた低い声も鮮明に聞き取ったライアがじとっとした視線を向けるとシズカが決まり悪そうに笑った。
以前からちょくちょく言われていることでもあった。
普段、耳が聞こえにくいせいでちょっと離れたところでの他人の会話とか、聞こえよがしに囁かれる嫌味とかが良くわからないからつい愛想笑いをしているのだ。
仕事として部屋で面と向かって話す分には相手の言うことも、言おうとしていることもわかる。でも、外で、となると話は別。いろんな雑音に混ざって囁かれるような声を拾うのは困難だ。
だからいつの間にか愛想笑いをするようになった。自分では営業用スマイルと言っているが……シズカに言わせると「可愛さ半減」なのだそう。
「あはは……まぁ、ほら。気にしなさんな、ってことで? ああそうだ、私の髪の香油と旦那の湿布薬が欲しいんだった!」
ライアの視線にわざとらしく笑顔を作ったシズカが片手をパタパタと振りながら答える。
「はいはい。毎度どうも」
ライアが立ち上がって台所の方に行くのを見送りながら。
「やっぱりここで作ってもらう香油が一番髪にいいのよね。ライアがつやっつやの髪をしてるのもいい宣伝よー。今度はリップクリームも買おうかと思ってるのよ」
「あらそう? 良かった。髪質は人によって違うからね。リップクリームもシズカに合わせて作れるわよ? シズカは特に肌が弱いとかなさそうだから好みの香りで作れると思うし……ああそうか、旦那さんの湿布ね。まだ痛みがあるの?」
シズカの夫はつい先日大工仕事の最中に屋根から落ちて腰を打ったらしく痛み止めの湿布薬を出していた。
普段から鍛え上げた体をしている人なのでちょっとの打ち身程度で済んだらしく湿布薬だけでことが足りている。
「んー……まだ痛いって言ってるのよね。でも見た感じあれはただの甘えね。動きが相当滑らかになってるもの。あれよね、男って痛みに弱いのよ。すぐ騒ぐんだから」
ぷうと頬を膨らませるシズカを台所のドアから顔を出して眺めたライアはくすりと笑ってその頭を引っ込めた。
薬の調合を始めながらも頰は緩みっぱなし。
……ああいうシズカの顔の方が可愛いと思うんだけどなぁ。
なんて思ってしまうのだ。
そして夜。
うわ……こっちに来たか……。
シズカが帰った後、日が沈む頃まで店番を兼ねて保存用の薬草の手入れなんかをして、夕飯を作って食べて……なんていう日常の作業をこなした後。
今日も一日お疲れ様ー、なんて自分に声をかけながら二階に上がったライアが目を見開いて……脱力した。
二階は物置と化している部屋が一つと、師匠が使っていた部屋と、自分の寝室そして使っていない客室がある。
その自分の寝室のドアを開けたところで。
まずベッドの上の布団がひっくり返っているのに目が行き、その流れで書き物机の引き出しが少し出ているのが目に入った。小さな本棚も並んでいる本の順番が変わっているし、どことなく乱雑な雰囲気になっている。
「ここがこうということは……」
開けたドアをそのままに、ライアがくるりと方向転換。そして隣の部屋のドアを開け。
「おおう……こっちもか……」
呟きながらもう一つのドアへ向かい。
「そりゃそうよね。ここもそうなるよね……」
結局今日は二階の部屋が家探しの対象だったらしい。
初めのうちは取っ替え引っ替えいろんな人たちが訪れていた師匠の親族は、名目上は話し合いが目的だったらしいがライアの耳が不自由だということを知ってただ書類にサインすればいい、みたいな詐欺まがいの強要をするようになった。
そして話が通じないことが面倒になったらしく今度はライアが意図的に家を空けてしまうのをいい事に家探しが始まったのだ。その頃から「訪問」してくるのは決まった顔ぶれになった。ライアは心の中で「師匠の親族代表」と勝手に呼んでいるのだが。
そんな彼らはたまに「聞こえる」時期に来ることもある。
向こうは聞こえていないと思っているので本人の前でボソボソと本音を話していたりもするのだ。
そんなこんなでライアはもう完全に人嫌いになっている。
「……明日は二階の片付けだな……」
そう呟くとライアは自室に戻り、休む前に自分の部屋だけでも、と片付け作業に入った。