招待と警告
レジナルドは三日とあけずにやって来るようになった。
ライアはそれに慣れて来た。
「だっていつ耳が聞こえるようになるかわからないでしょ。聞こえるようになった時に真っ先に会いたいし」
なんて言い出すレジナルドには。
「あ、それね。満月の時期の一週間くらいだから毎日張ってなくて良いわよ」
と、サクッと答えたところ、かくんと肩を落とされた。
とはいえそんなやり取りも楽しくなりつつあり、だいたい今日あたり来るかなーなんて思っているとやって来るという妙な息の合い方までしている。
そんなわけで。
「あら、また来てるのレジナルド」
「はい、こんにちは。薬師を落とす秘訣ってありますかね?」
「ちょっと! レジナルド! お客さんを巻き込まないで!」
なんだか常連客をうまく会話に巻き込むようにまでなってしまった。
「まぁ、頑張りなさいな」
「はーい」
にこやかに帰っていく近所のおばちゃんに笑顔で手を振るレジナルド、っていう光景もなんだか目に慣れてきた。
深刻な症状を抱えていそうな人が来た時には気を利かせて台所の方に引っ込んでくれるし、そうでない時は合間合間でにこやかに相槌を打ってくれるのでお客の緊張が和らぐらしく会話がスムーズに進む。
ちょっとオルフェと似ている、と思わなくもない。
オルフェも仕事という名目でお茶をしに来た時に、客の相手をしてくれて仕事の邪魔はしなかった。まぁ、彼の場合は何だか気疲れしてしまった記憶があるが。
「で、お昼も食べていくの?」
午前中のお客が引いた頃にライアが声をかける。
「うん。手伝う」
邪魔をしないようにソファの方に座っていたレジナルドが立ち上がっていそいそとライアの方に来る様は……やっとご主人様に呼んでもらった兎……もとい仔犬だ。兎は尻尾をぶんぶん振ったりはしないだろう。
「……オムライス、かな」
ライアがポツリと呟くとレジナルドの発光度が上がった。
……うん、好きよねああいう卵料理。
ちょっと前に一度作ったら目を輝かせて食べていた。
野菜を刻んでご飯と一緒に炒めて軽く味付けしてからオムレツで包んだオムライスに、トマトを煮詰めて作ったソースを掛けたら結構ボリュームのある食事になるのだ。
オムレツにご飯を包むところはレジナルドにはまだちょっと無理そうなので、野菜を刻んでもらったり卵を割ってときほぐしてもらったりして手伝ってもらうことにする。
「そろそろ満月が近い?」
食事をしながらレジナルドが思い出したように明るい声を出した。
さすが育ちが良いだけあって食べ方も綺麗だな、なんて思いながらライアが視線を宙に浮かせる。
……うん、そうね。そういえば、もうあれからそんなに経ったのか。
なんだかここ最近は毎日が心身共に慌ただしくて……あっという間だった。
「……そうね」
食べていたものを飲み込んでから相槌を打つ。
実は昨日から聴覚が戻ってきている。
料理をしながらうっかり鼻歌が出そうになるのを何度か止めた。……気付かれただろうか。
「あのさ。満月期は逃しちゃうから申し訳ないんだけど……今度うちでパーティーがあるんだ。一緒に参加してもらえないかな」
「……え?」
ライアが食事の手を止めた。
ふと気付くとレジナルドはいつの間にかスプーンを置いてこちらを真っ直ぐに見ている。
「あの……ライアって……人、苦手なんだよね。知ってるけど……出来れば……来て欲しい。祖父が、さ……僕が身を固めないのが気に入らないらしくて、家業を継がないにしてもさっさと結婚しろってうるさいんだ。で、ずっと誤魔化して来たんだけど今度のパーティーで少なくとも候補をあげろって言われてて」
「ええーーーー……」
反射的に思いっきり不満そうな声が出た。
内心、レジナルドの家って見てみたいとかいう気がしなくもないけど……パーティーっていう段階で面倒くさいし、何度か話に上っている彼のお祖父さんとなると……それに輪をかけて……面倒くさそう。
「駄目、かな……」
しゅん、と肩を落としたレジナルドが俯き加減で視線だけこちらに向けて来る。
……だから。小首を傾げるな、小動物。
ライアが横を向いて一つため息。
「それ、行かないとレジナルドは他の女の子を候補にしなきゃいけなくなる?」
「そんなの絶対しないけど……祖父が勝手に決める可能性はある」
……別に独占欲とかそういうんじゃないけどね。まだはっきり返事をしたわけでもないし?
でも。なんか可哀想だなとか……?
「私、そんなに愛想よく出来ないわよ?」
つい眉を下げながら断りを入れてしまう。
途端にレジナルドの発光度が上がった。
「大丈夫! 来てくれるだけでいいんだ。ライアは誰とも喋らなくていいし何もしなくていい! だいたい僕以外の人間に笑いかけるとかしなくていいからね!」
ぱああああああっ! っと笑顔になったレジナルドが皿に残っているオムライスを勢いよく食べ始めながら「当日は僕が迎えに来るし、服も用意させてもらうからね」なんて次々に計画を立て始めた。
ひとしきり楽しそうに計画を立てて「じゃあ用意があるから今日はこれで帰るね!」と嬉しそうに帰っていくレジナルドを門柱の木の所まで出て見送りながら。
まぁ、嬉しそうにしているレジナルドを見るのは好きだし……良いか。
それにしても……なんか既視感、と思ったら……。
私、聴覚が戻ってる時に普段なら承諾しないようなこともうっかり承諾しちゃうのって……やっぱり必要以上に気が大きくなってるからなのかな。
ライアはつい遠い目をしてしまった。
「あいつ、ずいぶん楽しそうだな」
聞き慣れた声に目を向けると。
「あら、オルフェ?」
長髪赤毛が旅装束でこちらに向かって歩いて来る。
荷物は持っていないから……ああ、まだ宿屋に荷物も馬も置きっぱなしかな。なんて思う。
「ようやく橋が渡れるようになったらしいから出掛けられることになった」
そう言いながらライアのすぐ隣まで大股で歩いてきてにっこり笑う。
「その格好ってことはもう行くの?」
今にも出かけると言わんばかりの出立ちではある。
「おっ、寂しいか?」
「……次の仕入れが遅くなるから早く行ってくれないかな、と」
じとっとした目で返すとオルフェの口元が歪んだ。
「……お前さ、ああいうお子ちゃまの方が好みなの?」
微妙な間を置いてオルフェが尋ねてくる。視線はさっきレジナルドが帰っていった方向に向けたまま。
「え……べ、別に好みとかそういうんじゃない、わよ」
「ふーん……」
なんとなく視線が泳いでしまうのは仕方がないとして。少々どもってしまったせいかオルフェの視線がこちらに戻ってきてしげしげと見られているのがちょっと辛い。
そしてまた妙な間が空くので。
「……慕ってくれているのは、可愛いけどね」
「あいつはやめとけよ」
ライアの言葉に間髪入れずに返ってきたたオルフェの声は、思いの外低い真剣なものだった。
「……え?」
つい、目を丸くしてオルフェの方を凝視してしまう。
「お前とは釣り合わないし……何かと厄介だ」
……はい?
ライアがほぼ条件反射のように眉をしかめてそのまま睨みつけると。
「おい、待て……まさかあのお子ちゃまにもう本気になってるのか?」
「……そういうことじゃないわよ」
自分が抱いている感情の種類が分からなくて言葉にならなかったのだけど……オルフェの言葉のどこに引っかかったのか分からないままにも声に出してみて自分が怒っていることに気づく。
「なんであなたがそんなこと言うのよ。レジナルドのこと知らないくせに」
……そう、彼はレジナルドのことを「厄介だ」と言ったのだ。
それは何だか自分に言われてきたことを瞬間的に思い出させる言葉だった。
まだ幼かった頃。
母親がまず自分に向けたのはそういう感情だった。
『変なことを言い出す厄介な子』
父親から向けられていたのもそういう感情だった。
『連れ子だから引き取ったが母親からも厄介者扱いされて面倒くさい子供』
家にいる使用人から向けられていたのもそんな感情だったように思う。
『ご夫婦がうまく行かなくなったのはあの子が変なことを言い出すからだ。巻き込まれるのは厄介だ』
そうやって新しい、でも自分にとっては初めての父親が家を出て行き、取り残された母親は再婚の邪魔だと私を捨てた。孤児として引き取られた施設でも植物と話す私は「厄介だ」という感情を向けられて居づらくなって飛び出した先で……師匠に拾われた。
ただでさえ聴力に問題があって人とのコミニュケーションがうまく取れない子供がさらに変な能力を持っているとなるともう「厄介」としか思われない。
そんな、もうここ最近は全く思い出しもしなかったことを一気に思い出してしまって……ふつふつと怒りが込み上げてきた。
「……よく知りもしない人のことをよくもそんな言い方ができるわ」
もう一度、思いっきり低い声でそう言い捨てたライアは目を見開いて言葉を失っているオルフェをその場に残したままくるりと踵を返し、勢いよく玄関に向かって……そのまま家に飛び込んだ。
後ろでオルフェが何か言ったような気もしたけど無視。
家に入ったライアはそのまま台所まで入って行き作業台に引き寄せてある椅子に座って作業台に肘をつき、そのまま頭を抱える。
落ち着かなきゃいけない時にここに来るのはもう、師匠がいた頃からの習慣。
老年の師匠はいつも落ち着き払っていて、取り乱すとか勢い任せに叱りつけるとかする人ではなかった。その反面、子供にわかりやすい愛情をたっぷり注ぐタイプの人でもなかった。
でも、そういう愛情に慣れていなかったライアにはちょうど良かったのだ。
施設に預けられた時、初めはそういう愛情を向けられてドキドキした。大人からそういう扱いを受けたことがなくて正直戸惑ったのだ。そしてそれが間もなく手のひらを返したように冷たい反応に変わった。そのギャップに恐怖を感じ……わかりやすい愛情表現が、薄っぺらなものへと壊れていく可能性を思い知った。
それは母親から向けられていた笑顔に似ていて足がすくむような感覚を覚えるもの。
そんなライアに師匠は最初は気難しいただの老人だった。
十二歳で孤児院から飛び出してその辺をうろついていたライアは薬草を探してここからはかなり遠く離れた東の森の奥まで遠征して来ていた師匠に拾われたのだ。
……森の中に粗末な身なりの女の子が一人でいたら真っ当な大人なら保護しようとするだろう。そんな常識的な行動の一環だったのだと思う。
どこから来たのかは絶対に答えなかったし、親について聞かれても答えなかった。
「答えられない」年齢ではないことは明白だし、きっと家庭に問題があって「帰れない」のだと判断するのも自然な成り行きだっただろう。
女の子の成人は十六歳だ。もう数年で結婚も自立もできる年頃でもあることを見てとった師匠は「好きなだけここにいれば良い」と、この薬種屋に置いてくれた。
渋々、という感じではなかったのが心地良かった。
それで調子に乗って裏庭にある薬草の世話をして、怒られた。
『毒性のある薬草の知識もなく勝手に入るな』と。その筋の通った怒り方があまりにも心地よく、怒られることがこんなにも嬉しいものなのだと感動したことを覚えている。
たぶん、そのあたりで信頼関係が生まれた。
そして、植物と意思を通わせたり成長を促したりすることも出来るという事を説明して……師匠の反応は「厄介者」が来た、というものではなかったことに安心したのだ。
思いがけず、師匠は喜んでくれた。
『弟子を取るつもりなんかなかったけどね。お前がやりたいというなら薬師の仕事を教えてやるよ。人には天職ってもんがあるからね』
そう言って満足そうに頷いた師匠の顔は今でも忘れない。
人に認めてもらうことって本当に嬉しいものなのだ。
以来、何かあって話を聞いてもらいたいときや気持ちを落ち着けたいときはここで時間を過ごすのが常だった。
一人になれる自分の部屋でも、明るくて爽やかな雰囲気の居間でもなく、師匠が作業をしているのを見ていられる台所の作業スペース。
そんな年月を重ねるうちに、いつのまにかようやく自分の心の形が定まったのではないかと思っている。
今はもう、小さな頃のことを思い出してもそれほど胸が痛まない。そもそも思い出すこと自体が稀だ。……人が苦手というのは変わらないが、それは主に聴覚の問題のせいで相手の言葉が聞き取れないことに起因している。昔のように得体の知れない恐怖感によるのではない。
「パーティー、行ってきてやる……」
ライアがぼそっと呟いた。
理由はともあれ人を厄介者扱いするのはいかがなものかと思う。
私がレジナルドをよく知った上でそう思うならともかく、そんな事かけらも思ってないのに他人に言われたことだけを根拠に避けるなんて絶対しちゃダメ。
だって、レジナルドのあの嬉しそうな笑顔は本物だったから。私に向けてくれる笑顔はいつでも本物だ。
恋人になるかどうかは置いておくとしても、友達として大事にしなきゃいけない人だと思う。




