調香
翌日。
玄関先で、ライアがじとっとした目を向けている。
目の前にはレジナルド。
朝、いつも通りに朝食を済ませて……今日はさすがに店を開けても大丈夫だろう、と玄関のドアを開けたところで薄茶色の瞳の白ウサギと目があった。
「連日って……どうなの?」
ライアがボソリと呟く。
「うん。僕も思った」
白ウサギはそれでも終始ニコニコと午前中の眩しい陽の光を背負って輝いている。
「……思ったんならさー……」
もうちょっと控えようよ。
そう言いかけながらもついドアを大きく開いてしまう。
なんとなく、拒否できない圧のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
「なんかね、僕の気持ちを全部話しちゃったら変にスッキリしちゃって。僕がライアのこと好きなのはもう隠す必要ないんだから、あとはライアに僕のこと好きになってもらえるまではできるだけそばにいようかと思って」
開けたドアを押さえたまま、中に入っていくレジナルドを見ていたライアが目を見開いた。
ちょっと待て。
どんだけ暇人だよ。
いや、そうか、遊んで暮らせる暇人か。
で、当たり前のようにいつものテーブルの席に座るレジナルドは玄関に立ったままのライアの方にキラキラ笑顔のまま「ね?」なんて声をかけてくる。
……どうしよう。どうしたらいいんだろう。
……なにげに……嫌じゃない自分がいる……。
なんなら可愛いなこの子、とか思ってしまった。
……流されてる気がする。
「まぁ……仕事の邪魔しなければ問題ないんだけど……」
つい甘い事を言ってしまっているのはもう仕方ない。
でも途端にレジナルドがパッと笑顔になったところを見ると……うん、甘々だったんだろうな。と思う。
「あ、仕事っていえば!」
レジナルドがライアに向けた視線に力を込めてきた。
「こないだ香水を作ってるって話、してたよね」
「ああ、うん、そうね」
したね、そんな話。
オルフェのことを誤解されないようにと思ってその日にあったことを全部説明するついでに。
「僕にも作って」
「はい?」
キラキラした目でこちらを見上げながらそう言い放つレジナルドはとても楽しそうだ。
「レジナルドに? 香水?」
一応改めて聞き直してみる。
「うん。最近流行ってるんだよ男物の香水。知らない?」
「っあー……知ってる、けど……」
そういえば例の店主が幾つか男性用の香水のサンプルを嗅がせてくれたことがあったっけ。
富裕層の男性は自分の香りをつけるのが最近の流行りなのだとかで。
『こんな感じのを作ってくれたらここで売ってもいいのよ』なんて言われたけれど、男性がつける香水のイメージが湧かなくてそれっきり忘れていた。
「ライアが僕のことイメージした香りを作ってくれたら嬉しいな、って思ったんだけど……だめかな」
そこで小首を傾げるな白ウサギ。
「……わかった」
承諾してしまったじゃないか。
「やった!」
……完全に流されてるな、私。
そんなわけで裏庭にある作業小屋の方に移動したライアは後ろから楽しそうについてくるレジナルドをもう止めることもできなかった。
「一応言っておくけど、裏庭は本来立ち入り禁止なのよ。毒のある薬草もあるし、作業小屋には他人を入れたこともないんだから」
あまりにも当たり前のようについてくるのでそう言っておけばちょっとは遠慮するかな、と思ったところで。
「え……そうなの? じゃ、僕、特別ってこと?」
物凄い発光度の笑顔にさせてしまった。
……なにを間違えたんだっけ。
でもまぁ、そう言われれば確かにレジナルドは自分の中で「特別」になりつつあるなという認識もあって、否定できないまま作業小屋に入れてしまった。
だって、聞こえない事を自ら話した相手なんてそう何人もはいない。
聞こえるようになる時期があることについても、自分から話したのは初めてだ。
植物と話が出来ることを話した上で歌うところを見せたのも……師匠以外では唯一の存在だ。
「色々あるけどあんまり触らないでね」
精油を作るための機械類はちょっと高価なものなのでまかり間違って壊されると困る。
それに出来上がった精油が並んだ棚も規則性があって並べているので勝手にいじられると後が面倒になる。
換気を良くするために大きめに作ってある窓があって、匂いを溜め込まないように極力布製品を置かないようにしている部屋の中は、決してくつろぐような場所ではなく、言ってみれば研究室のようなものだ。
板張りの床に机と椅子、ちょっと休憩するためのテーブルと長椅子もあるけどこれはクッションの類のない木製のベンチだ。
「うん、わかった」
と、頷いたレジナルドは部屋の中のものを端からそっと順番に眺めているが、触らないように、なのか後ろで手を組んだまま少し距離を置いて眺めている。
そんな様子が微笑ましい。
で。
そうか、レジナルドのイメージの香りの調合。
ていうか……男性用か……。
机の上に道具を並べながらライアがつい「うーん」とうなる。
男性用ってなにをベースにすればいいんだろう。
……花じゃないんだろうな。
薄荷とかのスッキリした感じのハーブ系、だろうか。
なんて思いながら材料を集めに棚に向かう。
あとは……まぁ、できればつけていて本人が落ち着くような香りがいい、か。
「……どんなのがあるの?」
後ろから肩越しに覗き込まれてライアの肩がびくりと震えた。
「ちょ、ちょっと! 近すぎる!」
つい抗議の声をあげてしまうが頬が熱くなっていくのは自分では止められず。
「あ……ごめん。でもライアが可愛い」
ニッと笑うレジナルドはどことなく意地悪そうで。
「あのね! ベタベタされるのは嫌なんでしょう?」
昨日聞いた話を持ち出して抗議を再開してみる。
「ああ……そうだね。あの女の子たちにベタベタされるのって気持ち悪いとしか思えなかったけど……あれ? そういえばライアがベタベタしてくれるんならそれはそれで嬉しいかも」
……いかん。
その若干頰を染めて視線を逸らす感じは、いかんやつだ。
ふいと横を向いて何かを考えるように僅かに眉間にシワを寄せながらも色白の頬がちょっと赤くなってたりして……なんなら薄茶色の瞳は僅かながら揺れている。
……何かを想像しているのがバレバレだ。
整った横顔に薄い唇がぎゅっと引き結ばれて……変な妄想をしている気がしてならないのに……庇護欲をそそる……。
この状態で下手に関わったら……何かに巻き込まれそうな気がしてならない。
そんな感想しか抱けなくなり、見ているライアの膝の力が抜けてしゃがみ込みそうになった。
……がんばれ私の膝!
ライアは必死で自分を持ち堪えさせようと……レジナルドから視線を外して棚の瓶を適当に取る。
「これとこれ、どっちの香りが好き?」
視線は飽くまで外したまま、レジナルドの方に瓶を差し出す。
適当に取ったけどうまいことタイプの違う精油の瓶だった。
グリーン系の爽やかな香りと、一番近くにあったからつい取ってしまったけどこれ、こないだ作ったムスクだ。
何も言わずに手に取ったレジナルドはゆっくり瓶の蓋を外して香りを嗅いで……。
グリーン系は一回だけ嗅いで「ふーん」と頷いてからムスクの方は近くで嗅いだりちょっと離して嗅いだり何度か試している……ところを見るとこっちが気になっているということかな。
「これ……もう少し薄かったら良いんだけど」
ムスクの方が手渡される。
ので。
「そっか……。これ、こないだオルフェから仕入れたやつよ。鹿の……」
「えええええ! いや、それは却下で! いろんな意味でだめだそんなの!」
全部言い切る前にレジナルドが声を上げた。
そうか、だめか。
うん、私も動物系はやっぱり自信がないんだよね。
そう思いながらライアが棚の方に視線を向け直す。
でもこういう系の香りの方が好きなんだよね、きっと。
……ああそうか、もしかして。
ライアはちょっと思い当たるところがあって二つの瓶を新たに選び直す。
乳香と没薬。どちらも樹液が原料なので植物系。
「これ、どう? こっちは植物が原料よ」
一応説明も付け加えてみて。
ホッとしたように再び香りを試したレジナルドが「あれ」という顔になる。
「……さっきのいかがわしい材料のやつと……ちょっと似てる? 良い匂いだけど」
「そうね、香りの系統がちょっと似てると思うの。もしかしてレジナルドってこういう香りを嗅ぐと落ち着くんじゃない?」
「うん……落ち着く、かも」
なるほど。これって確か気持ちを落ち着ける作用がある香りだ。気が滅入っている時とかには良い薬効が期待できる。
なんとなく、普段からストレスを抱えていそうなレジナルドがもしも香りで安らぐとしたら……こんな暖かい感じの香りではないかな、と思った。
もちろんこれだけをストレートに使うのはいかがなものかと思うのでもう少し和らげてみようとは思うけど……。
うん、ちょっとイメージが湧いてきたかも。
見ていると没薬の方が気になるようで何度も香りを試しているのでそちらを使うことにして。
そんなこんなで試行錯誤の末。
「どうかなこれ」
小さな瓶に詰め込んだ数種類の香りを目の高さまで持ち上げてみる。
「……すごい! もう出来たの?」
作業机の向こう側で大人しくしていたレジナルドが長椅子から立ち上がってこちらにいそいそと歩み寄ってきた。
「これで良いかどうか、なんだけど」
細く切った紙を瓶の中に差し入れて中身を少し吸わせてからレジナルドの方に差し出す。
没薬に混じり合うのは柑橘系。乳香なら微かにレモンのような鋭い柑橘系の香りが元々混ざっているが、彼には鋭すぎるのだろう。なので、オレンジを少し混ぜて穏やかな柑橘系にする。で、後は勝手なイメージでクラリセージ。リラックス出来るような爽やかな感じにしてみる。
若いんだし、このくらいなら爽やかなイメージで使えるんじゃないだろうか。
「……良い匂い……」
レジナルドが目を見開いて……それからふわっと笑顔になった。
お。極上の笑顔だな。
やっぱり美人って得よね。
こんな笑顔向けられたらコロッと射殺されちゃいそうだわ。
なんて思いながら。
「じゃ、それで決まりね。仕上げるからちょっと待ってて」
精油を調合し終わったところでアルコールで薄めて完成だ。
このアルコールも香水屋の店主から分けてもらっている。
「まだ完成じゃないんだ?」なんて言うレジナルドに簡単に説明して、出来上がったものを製品用の瓶に移してから蓋をする。
「これで完成。はいどうぞ」
ちょっと大きめの瓶になって自分の手の中に入った香水を嬉しそうに眺めるレジナルドはとても幸せそうだ。
そうか。
この子、こんな顔もできるのね。
なんて、見ているライアの方が嬉しくて幸せな気持ちになってしまう。
こんなふうに喜んでもらえるものを作れるのって……いいな。
それは物作りをしている者にとっての、至福の時でもあるのだ。
午前中をそんなこんなで使い果たしたライアが店の表に戻ってきて「ああそうか」と小さく声を上げた。
後ろからついて来たレジナルドが「なに?」とライアの顔を覗き込むので。
「……今日は店を開けるつもりだったのに……」
店に戻って来てドアのプレートがクローズになったままであったことに気づきライアはちょっと落ち込んだ。
こう連日閉まったままだと村の常連さんに変に思われなかっただろうか。
いやでも、裏の作業小屋にいたからクローズにしていて良かったんだけど……。
「そっか……ごめん。僕のせいか……」
レジナルドがわかりやすく視線を落とした。
「ああ良いのよ。調子に乗ってその場で作り始めた私が悪かったわ」
注文を受けただけにしておいて店を閉めてから作るようにすれば良かったのに、ついその場で作り始めてしまったのは私だし……楽しかったし。
「これ、オーダーメイドだから料金はそれなりに払うからね」
「え……ああ……」
そっか、収入の心配をしてくれたかな。
なんて思い当たってライアが情けなく笑みを作った。




