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カミングアウト

 

「……どう?」

 レジナルドが自分の前のお茶を一口飲んでから同じように一口飲んだライアの方に目をやって尋ねる。

「うん。美味しい、わよ」

 ライアがちょっと緊張気味に答えると薄茶色の瞳がほっとしたように細められた。


 結局、ライアは手を出す事なくレジナルドが指示した通りにミルクティーを作ってくれたのだ。

 本人曰く「こういうのは初めてやるから適当とかいう感覚がわからない」という事だったがライアの指示は茶葉の分量にしても水やミルクの分量にしても適当が多くて最初はどうなることかと思った。

 最後に少し砂糖を入れるのもうっかり「ちょっと甘めの方が美味しい」なんて言ったら、どばっと入れられそうになって焦ったりもしたものだが……どうやらレジナルド、教えてもらいながらやるという行程の慎重さを知っているらしく実際に混ぜてしまったりする前に加減を確認してくれるので失敗するということがないようだ。

 こういうのも、性格なのかも知れない。


 自分もそういう意味ではちょっと似ているのかも、なんてライアは思った。

 薬の調合なんていう仕事を教えてもらうときに師匠に褒められた記憶がある。

『やたらと自分に自信があると制止する間もなくやらかす、ということが常になって教える方がめげそうになるものだけどね。ライアは教えてもらうって事をちゃんとわきまえてるね』

 そんな言葉の意味なんて深く考えたことがなかったが、自分が教える事に対して丁寧かつ慎重に応じるレジナルドを見て「ああこういう事か」なんて納得した。


「……あのさ……」

 カップをテーブルに置いたレジナルドがポツリと口火を切った。

 ライアがふと視線を上げると、こちらに視線を向ける事なく手元のカップを見つめたままのレジナルドが。

「……いつか……僕のこと好きになってくれる?」

 消え入りそうな声だ。

 そして……今のライアには、残念な事に、聞き取れない類の声。

「……」

 ……今、レジナルドは大事な事を言った気がする……! これ、恐らく……「は? なんか言った?」とか聞き返しちゃいけない雰囲気!

 そんな気がしてライアの全身が緊張で硬直した。

 そんなライアの方に一旦チラリと視線を向けたレジナルドは緊張のあまり固まりきっているライアを恐らく何か違う方向に勘違いして、わずかに肩を落とし。

「ごめん……無理強いする気はないよ。迷惑なのもわかってる。……でもやっぱりここにいるとすごく、落ち着くし……ライアがそばにいると気持ちが和らぐんだ。ずっとそばにいたくてしょうがない……」

 小さな声で一生懸命話すレジナルドを見つめるライアとしては。


 こ、これは……まずい。盛大にまずい。なんかどんどん深みにはまっていくように思える。所々は聞き取れるけど……全体が分からない以上、変に相槌うっちゃいけない雰囲気がビシバシする! どこかで私の聴覚の問題をカミングアウトしなきゃいけないのもわかってるけど……これ、今なの? 今言っちゃって大丈夫なの?

 だって細かいところが全く聞き取れないんだもん。どういうニュアンスで話をしてるのか分からない。ああもう、こういう事なら読唇術とか身に付けておくべきだった!


「……え……ライア?」

 不意にレジナルドのちょっと大きめの声で名前を呼ばれてライアが我に返った。

「あ……」

 しまった。ものすごい勢いでレジナルドの口元を凝視していた。なんならこれ、睨みつけると言ってもいいような目つきだった自信がある。


 レジナルドだって自分の気持ちを言葉にするのに精一杯でやっとの思いで言葉にしている最中に、なんなら真剣な告白に近いような事をしている真っ最中に、まさか自分が睨みつけられるとは思ってもいなかっただろう。

 そんな事を思い当たったライアが途端に顔を赤くして。


「あの、ごめんなさい。……もっと早く言わなきゃいけなかったんだけど」

 そう言って、ちょっと息を整えようと深呼吸。

 と。

「っあ! うん、ごめん! そうだよね。その気もないのにこんな事言われたって迷惑だよね、ごめん、いいんだ。忘れて!」

 無理矢理笑顔を作ったレジナルドが慌てるように捲し立てる。

「え! 違う! そうじゃないわよ!」

 ついライアも慌ててテーブルで前のめりになってしまった。

 レジナルドは思わぬライアの反応に固まった。

 で、ここぞと思ったライアが。


「あの、ね……聞こえないの」

 ようやく言葉を吐き出した。


 なんだか泣きそうだ。

 こんな事、人にわざわざ言った事ない。

 シズカは自分から気づいてくれた。「あんた、もしかして耳が悪かったりする?」って聞かれて頷いたら「あーなるほどね」なんてあっけらかんと受け入れられた。

 師匠も自分から気付いてくれた。で、その後は必要な時は師匠が周りに教えてくれていたので……例えば師匠の親族たちはいつのまにか私の聴覚に問題がある事を知っていた。

 村の人たちに至ってはどこまで知られているか分からない。シズカは案外口が固くて他人のことをあれこれ言わないから……彼女を通してみんなが知っているとは思えない。

 でも、村の人からうまく聞き取れていないことが原因で嫌な顔をされることはないと思うから……みんなそれとなく知っているのかも知れない。

 その程度に作られた環境で、今まではことが足りていた。

 そして自分から新しい人間関係を築くつもりがなかったので……こんな風に他人にカミングアウトするのが難しいって事に気づいてなかった。


「え?」

 ライアが絞り出した言葉の意味がわからなかったらしく、レジナルドが目を丸くしている。

 なので、ライアはもう一度深呼吸をしてみてから。

「私、耳が、悪いの。今のレジナルドの声量だと……ちゃんと聞き取れないの。だから、ごめんなさいって言ったの」

「え……うそ……だって……今まで……」

 記憶を手繰るようにレジナルドが視線を宙に彷徨わせ始めたので。

「あのね、時々聞こえるようにはなるのよ。最初にあなたに会った時は聞こえる時期だった。だいたい月に一回、一週間くらい聞こえるようになる時期があるの。……面倒くさいからあんまり人には言わないんだけど。あと、全然聞こえないわけじゃないの。ぼんやりは聞こえているから面と向かって話をする分には極端に小さい声とかじゃなきゃ聞こえてるわ。あとは外で他に雑音があると、かなり集中しないと聞き取りにくいっていう程度で……それも面倒くさいからもう聞こえないって事にしちゃってるけど」

 一気に捲し立てるように説明をしてしまうと。

 見開かれていた薄茶色の瞳が徐々に細められて、肩の力が抜けたように椅子の背もたれに向かって脱力するレジナルド。

「あ……あ……そういうこと……」

 ふへっ……と、間の抜けた笑い声のようなため息のような声が口から漏れた。


「で、そういうわけだから」

 ライアが気を取り直したように背筋を伸ばした。

「悪いんだけど……今の話、もう一回してもらえる?」

 悪意はないので、ちょっと口角を上げて笑顔らしき表情も作ってみる。

「え……もう一回……? いや……それなんの試練だよ……」

 レジナルドが力尽きた。


 えー、どうしようかな。

 言わなきゃいけない事を言ってしまった後というのは気が軽くなるもので、ライアはちょっと気持ちに余裕が出てきた。

 そんな心境になってみて改めて向かいの席に座るレジナルドを観察する。

 さっきの話が純粋に聞こえていなかったということが分かって力が抜けたように頬杖をついているその表情は情けなくちょっと歪められているが……それでもとても整っている。

 薄い金色の前髪は柔らかそうに俯き加減の目元に影を作っており、同色のまつ毛の下で薄茶色の瞳が硝子のような透明感をもっていてまるで人形のようだ。色白の肌も人形のようだという感想を持たせる要因の一つだろう。

 指は良く見るとごついけれど白くて長く、整えられた爪も綺麗だ。

 白いな、と思ったけれどさっき手当てしてもらった時に自分の手と比べたら病的な白さってわけじゃなかった。色白な部類の人の健康的な白さなのだ、と思った。

 そういえば最初に会った時より顔色も健康的になったかも知れないな、なんて思う。

 これだけ整った顔立ちや、見栄えのする背格好で健康的な雰囲気なら……相当モテるんじゃないだろうか。


 あれ?

 だって、彼、モテ要素てんこ盛りだよね。

 街にいたら、この容姿でお金持ってて遊び歩けるような男の子って……女の子たちが放っておかないんじゃないだろうか。

 何も私みたいな問題抱えてる年上の女じゃなくて、いい家柄の若い女の子がいくらでもいるだろう。


「あの……ちょっと聞いてもいい?」

 いくつか疑問が湧いてきて、ライアの方が今度は口を開いた。

 頬杖をついたまま横を向いていたレジナルドがチラリと視線をこちらに向ける、ので。

「レジナルドって、周りにたくさん可愛い女の子いるんじゃないの? 私みたいな女じゃなくて他に若い子がいるでしょう? なんで私なの?」

「……他の女になんか興味ない」

 一瞬目を見開いたレジナルドはそのあと若干不機嫌そうに、それでもきっちり聞こえるようにはっきりした口調で答えた。

 それから再びライアの方に真っ直ぐ向き直って背筋を伸ばし。

「うちは家柄がそこそこいいからね。付き合いのある家から縁談の話もあったよ。でも、ああいう人達って結局家とかお金とか、僕の見た目にしか興味が無いんだ。前にね、見合いみたいなのもさせられたしそういう目的のパーティーにも出席させられたんだけど……」

「お見合いパーティー……」

 中途半端なところでレジナルドが言葉を切るのでライアがつい言葉尻を捉えると、薄茶色の瞳がキッときつくなった。

「昔はね、全てがどうでも良かったからちょっとは愛想良くしてやったりもしてたんだ。でも、僕の身の上がわかるとああいう女たちって物凄くうるさくて。可哀想とかなんとか言って気持ち悪いくらいベタベタしてくるし。ほんっと面倒くさい」


 ああ、そうか。

 やっぱり本来なら同情されて然るべき境遇の人なんだよね。

 なんて思いながらライアが「ふーん」と相槌を打つ。

 私は、そういう優しさを持ち合わせていなかった。

 優しい言葉も、仕草も。


「でもさ、ライアってただ黙って聞いてくれるじゃない?」

 そう、ただ黙って聞くしかしてあげられなかった。

 聞こえてくる言葉を否定的な感情で肯定しながらライアが「あれ?」と思う。今のニュアンスって……。

 目を上げるとレジナルドがちょっと照れたようにはにかんでいる。

「あれさ、すごく嬉しかったし……なんか自分で自分を納得できた」

「なに? どういう……?」

 意味がわからない。何が良かったんだろう。あんな淡白な反応。

「僕もさ、女の子にこういう話をすればだいたい同情して優しくして貰えるってどっかで計算してたんだよね。でも、ライアってそういう反応しなかったじゃない? で、なんか安心したんだ。自分の思い通りにならない方が居心地がいいんだって思えて。それに……なんていうかこう距離感がね、ちょうど良くて。そばに居させてもらえるのにベタベタされなくて、なんだか僕っていう人間を家とか金とか関係なく見てくれる人だなって思った」

 レジナルドの言葉はちゃんとこちらに届くようにという意図を持ったものだった。


 きっと彼にとって、私の反応は今までの経験からして新鮮だったんだろう。

 目新しくて、興味を持った、みたいな。

 でもそれって……そのうち飽きないかな。

 もしくは……恋人とかいうより友達として長続きする関係とかじゃないだろうか。


 話を聞きながらも頭のどこかで冷静になってしまいつつライアはどこか他人事のように考えていた。






 夜。

 ライアはベッドの中で自作の軟膏のおかげであっという間に痛みの引いた手を眺めながらぼんやりしていた。


 ……レジナルドの手って結構大きかったな。


 なんてぼんやりと思う。

 掴まれた手首を自分でも掴んでみる。

 うん、私の手よりだいぶ大きかったんだ。

 手当てしてくれる様子を見ていた時も思ったけど……標準的なサイズだと思う自分の手が小さく見えた。

 あの子、華奢だと思ったけど自分と比べるとそうでもないんだね。


 前にここに引きずってきた時のことをちょっと思い出してみる。

 ……うん。かなり重かったし。

 手があのサイズで……腕とかだってちゃんとしっかり筋肉ついてたもんね。

 腕とか、肩とか、胸のあたりとか……。

「……っ!」

 なんとなく今日の彼の様子を思い出しながら自分に触れた彼のパーツから順番に体つきを思い出しつつそれらが意外に大きかったことに思い至ると同時に……顔が熱くなる。

 なんならその思考が怪しい方向に向きそうになっている事に気づいて体中から火が出るんじゃないかっていうくらい恥ずかしくなってきて「わーーーーーーっ!」と声を上げながら布団にくるまってジタバタしてしまう。


 ああそれでも冷静になれ、私。

 と自分に言い聞かせて。


 この気持ちが長続きするものかどうかなんかわからない。

 レジナルドの一時の気の迷いである可能性が大だ。

 彼の言葉の中に、そういう可能性を見つけてしまったような気がして……自分を力ずくで現実に引き戻す。

 ……私は、誰かと一生添い遂げるとか、そんな大それたことができるんだろうか。なんて思えてもしまうのだ。

 舞い上がるだけ舞い上がって、後で急降下するくらいなら最初から夢は見ない方がいいんじゃないかとも思えてしまう。

 だって多分レジナルドと私は……住む世界が違うし、見ているものが違う。

 ……そんな気がする。

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