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ささやかな趣味

 

 町とは賑やかなもの。

 そんな常識にもれずガドラも結構な賑わいだ。

 商業で繁栄している町でもあるのでさらに輪をかけて賑やかなのかもしれない。

 通りを歩く娘達の服装はあか抜けていて華やかだし、男性も紳士らしい装いの者が多い。

 街全体が便宜上整備されているから通りも綺麗に舗装されていて馬車も行き交っている。

 こうなるとほぼ都市と変わらない。

 厳密には昔は大きな城壁があったことと軍備がきちんとあったことが都市と呼ばれる条件のようだったが今はそこまで厳密な呼び分けもしなくなっている。政をどの程度、どこで行っているかでざっくり都市か町か呼び分ける程度。

 ガドラは元々歴史のある古い町だったが、昔は騎士隊もなく自警団が機能しており一番近くにある大きな都市、東の都市の援助を受けていた。

 今もその名残で政は正式には東の都市の援助を受けている。一時は独立の動きもあったらしいが今は東の都市自体が安定しているので恩恵に預かる方が利益になるというのが一般的な考え方だ。

 そもそも現在、ここまで自由にさせてもらって町が本格的に賑わうようになっているのは東の都市のおかげでもあるのだ。


 そんな街の通りを歩くライアは少々浮いている、のかもしれない。

 年頃の娘達は比較的華やかな服装で歩いているのに、いつものブルーグレーのワンピースに白いエプロンだ。

 装飾品らしきものも身につけておらず、かといってどこかの屋敷の使用人がお使いに出歩いているにしては……目的地に向かって足を急がせるでもなくどことなく優雅な足取り。

 質素な育ちの者にしては姿勢も仕草もどことなく落ち着きと品があって、どこのお嬢さんだろう、とすれ違いざまに振り向く紳士がいるくらいだ。


 実年齢を知らないというのはそういうことなのかもしれない。

 実際、手入れの行き届いた髪は艶があり、肌や唇といった正しく手入れをすれば応えてくれるパーツはみんな艶々だ。

 そこへ持ってきて本来の顔立ちもそう悪くなく、すらりと伸びた背も姿勢良く、時々頰にかかる髪を払う指先も綺麗。

 こうなると華やかに着飾った若い娘たちに引けを取らない「お嬢さん」で十分通用する。

 ……もう少しにこやかであったなら声をかけられてもおかしくない程度には。



「……こんにちは」

 ライアがためらいもなく入っていくのは大通りから外れた細い道の途中にある小さな店だ。

「あら、ライア! 元気?」

 中からする声はちょっと大きめ。ライアの聴覚の事情を知っている様子。

 店のドアを開けた時から鼻につくほどに香っているのは多種多様な香料の甘い香り。棚に並ぶ沢山の小さな瓶が香りの源。香水の瓶だ。

 そして店の奥で華やかな笑顔を向けている店主の女性はさまざまな香りにも負けない艶やかな色気を纏っている。服装はシンプルな濃紺のドレスだが胸元を大きく開けて綺麗に結い上げた髪は夜のパーティーに出ていてもおかしくないほどの華やかさ。ぱっちりとした黒い瞳に艶やかな唇が印象的な女性だ。


「相変わらずですよー。今日は仕入れと、ちょっと試作品を見てもらいたくて」

 ライアがそう言うと店主のいるカウンターの方に歩み寄る。

 町でちょっと名の知れたこの店の店主はとてもおおらかで性格の良い女だ。この店では香水の他に香りの良い石鹸や、化粧水、クリームの類なんかも扱っている。

 ライアが薬種屋で髪の香油や、唇や手のクリームなんかを作るようになったところで師匠が使える材料を分けてもらえるように話をつけてくれたのでベースになる油や蜜蝋などを仕入れに時々来ているのだ。

 そして作った精油をここに卸すこともしている。


「へぇ、試作品?」

 目を輝かせるように身を乗り出す店主にライアが小さな瓶を差し出す。

 この店にあるような綺麗な小瓶ではなく、試作品用の地味な茶色の小瓶だ。

 どれどれ、と笑みを浮かべてその瓶を取り上げた店主がそっと蓋を外して香りを嗅いで。

「あらぁ! いいじゃないこれ! ……ムスク?」

 ライアの方に視線を向ける。

「そうなんです。動物性の生薬なんかなかなか扱わないんだけど……ちょっとだけジャコウを仕入れたので精油にしてみました」


 先日オルフェから仕入れたのは結局ジャコウだけになっていた。

 でもそれなりのまとまった量で仕入れたので薬として使うよりも精油にしたのだ。

 薬として使うには薬草との相性を考えねばならないところだが、ライアの場合薬草の発揮する力が常識のそれではないので計算して組み合わせるのが困難だ。

 そんなわけで薬ではなく精油。これなら香油や香水の類として活用できる。

 で、少し前からイメージしていた香水のブレンドを試してみた。


「良いわね。うちにあるムスク系の香水は催淫効果を謳っているから若いお嬢さん達が気軽に買える商品じゃないけど、このくらいささやかに香る程度なら若い子達も楽しめそうね」

 ライアが調合したのは瑞々しい花の香りの中に僅かに香るムスクの香水だ。メインで香っているのは忍冬。

「あ、本当ですか?」

 顔を寄せて嬉しそうに感想を述べてくれる店主は茶目っ気たっぷりにウインクしてよこすのでライアもついほっとして頰が緩む。

「うちにおいても良いの? これだけ完成度が高かったら自分のお店で売った方が儲かるでしょうに」

 ちらりと店主が視線を向けた先には特設の小さな棚があり、こうやって時々ライアが持ってくる香水が並んでいる。

「いいんです。うちは薬屋なので。香水は村ではそう売れませんし」

「町から買いに行くお客が増えたら儲かると思うわよ? こういう物には値段の上限を気にしない人って結構いるんだし。そもそもライアの香水は結構人気なのよ?」

 ライアの返事に店主が残念そうに眉を下げるがライアとしてはここで売ってもらうことで、こんな小さな趣味が続けられることがありがたいのだ。


 店主が言うように自分の店で売ることも可能だが町から人がわんさかくるようにでもなったらちょっと気まずい。村には町と関わらずに静かに暮らしたいという人が結構いるし……それに値段の相場もよく分からないのでどんな値段をつけたらいいかでも困ってしまう。ここでついでのように売ってもらえることで、作ったものも消費できて次の作品の資金も得られるから助かるのだ。


 そんなこんなで作った香水の評判が良かったのでそのまま商品として納めることにして。

 それからいつも通り幾つかの材料を仕入れる。

 で、用事が済んだところで。


「こんにちは……っと、あれ?」

「あら、オルフェじゃない。今日は何?」

 入ってきた客に店主が明るく声をかけるのでライアが反射的に振り返ると、ちょっとばかりめかし込んだような格好の赤毛の男。

 いつもはもっと素朴な感じの格好というイメージだったが濃いグレーのズボンに黒のロングベストに髪は結ばずに下ろしたオルフェはなかなかお洒落な雰囲気でこういう店にも馴染む。

 オルフェが意外そうにライアを眺めているので。

「あら、何? 知り合い?」

 店主が声を上げた。

「そのムスクの原料を仕入れた業者さんです」

 ライアが答えると店主は「ああそうか、なるほど」と大きく頷く。

 で、オルフェが。

「ああ、ライア、こんなところで会うなんてびっくりしたよ。もう帰るのか? あ、ちょうど良いや。ちょっと店の外で待ってて」

 なんて言ってくるので「え、なんで……」と答えそうになるがオルフェの方も店に用事がある身でありそうなので取り敢えず店主に頭を下げて店から出る。


 しばらくして店のドアが開き、明るい店主の笑い声とともにオルフェが出てきた。

「じゃ、オルフェ。がんばってね! ああ……そういう格好で女の子連れて歩いてるのもなかなか様になってるわよ」

「からかわないでくださいよ。こっちは真剣なんですよ」

 なんていうやり取りにどんな流れがあったのかわからないが、通りを歩いている人達がちらちらとこちらを見ているのでライアとしてはちょっと居心地が悪い。

 じゃあねー! なんて言って手を振ってくれる明るい店主に意味がよくわからないまでも、そして自分がどうしてここで待っていなければいけなかったのかという腑に落ちない思いを抱きながらも改めて頭を下げたライアの手がふわりと温かくなった。

「……はい?」

 視線を下げると右手がしっかりとオルフェの左手で掴まれている。

「折角だからその辺で何か食べよう。奢るから。……そろそろどっかで何か食べようかと思ってたんだけど一人じゃなんとなく店に入りにくくて」

 訝しげな視線を向けられているというのに緑の瞳は楽しそうに細められている。


 ちょっと歩いた先の店は軽食で人気のある喫茶店らしい。

 大衆食堂のような店ではなくちょっとおしゃれな感じで、軽食や甘い物を食べられるような店は最近の流行りなのだとか。

 そんな店に入って慣れた様子で席を取り、何を頼んだらいいのか困り果ててしまっていたライアに店のおすすめだというパンケーキを二人分頼んだオルフェはちょっと決まり悪そうに小さな包みをテーブルの上に出した。

 小さめのテーブルと周りに客が少ない位置のせいでオルフェの声もききとりやすい。


「……今日さ、取引先でちょっと失敗しちゃって。頼まれていた品物に傷があってね。お詫びに香水を買って持っていくことにしたから買い付けに行ったんだ」

 出された包みは確かに先程の店の商品の包み。プレゼント用にリボンが結んである。

「ふーん……」

 またマメなことで。なんて思いながらライアがその包みを手に取って眺める。

「いやぁ、一応訪問の目的が目的だからさ。こんな格好してみたけど……これだと一人で店に入って食事って……なんか待ち合わせ相手にフラれた男みたいだし?」

 ……知らんわそんな事情。てゆーかそんなことをわざわざ気にするなんてなんか逆に気の毒だわ。

 という視線を思わず向けてしまうライアに。

「……なんか失礼なこと考えてるだろ?」

 オルフェが半眼になったので、すかさずライアが目をそらすとオルフェはわざとらしく小さな咳払いをして。

「……その傷があったっていう商品がさ、取引先の旦那が奥方へのプレゼントにするための宝石だったから他の宝飾品で埋め合わせることにしたんだけど、人気のある香水をおまけにつけたら少しは和められるかなと思って」

 と、先ほどの話の続きに戻った。

 なのでライアも気まずくてそらした視線を戻してみる。

「ああなるほどね……って、え? 宝石に傷?」

 宝石ってそう簡単に傷がつくんだっけ?

 なんて思いながらライアが尋ねる。

「ああ、翡翠だよ。あれは傷がつきやすいからね。だから細工に向いているんだけど今回はちょっと俺も油断したんだ。最近腕を上げている細工師から買い付けた商品で……細工は良かったんだけど、ね」

 はは、と笑うオルフェを見るに本当に「うっかり」なんだろう。

 そういえばここ何年か村の娘さんたちがオルフェからもらうお土産に翡翠はよく聞く。そうか、そういう職人と懇意にしているから商品の他にお土産用も仕入れられているということか。

 なんてことも思いついたが……仕事のことに口を出す義理もないのでライアも「ふーん」と軽く流す。

「で、さ」

 反省していても良さそうなオルフェが何故か楽しそうに身を乗り出してくる。

 小さなテーブルでこちらに身を乗り出してくる様子は……聴覚的にはありがたいが、はたから見てどうなんだろうと思うのでライアが思わず眉を顰めた。

「そのプレゼントの香水、ライアが作ってるんだって?」

「え!」

 ライアが思わず反射的にまだ手の中にある包みに視線を落とすと、そういえば知っている香りがほのかにそこから漂っていることに気づく。

 ちょっと前に店に納めたハーブの香りを数種類ブレンドした香水だ。

「それ、最近人気なんだって? 素朴な華やかさが良いらしいぞ」

 嬉しそうに説明するオルフェの声がちょっと遠くに聞こえる気がする。

 聴覚の問題とかそう言うことではなく。

「……え……ライア?」

「……」

 なんだろう、このなんとも言えない気恥ずかしさ。

 こっそりやっていたことが知り合いにバレるって……ものすごく、恥ずかしい。

 目の前で真っ赤になって俯いているライアを見るオルフェが目を丸くした。

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