晴れの日
「あああああ、どうしましょう!」
「落ち着いてアリーさん……」
鏡の前で自分の姿を眺めるだけでいいはずのライアが引き気味の半眼で同じく鏡に映っている女性を眺めている。
鏡の前で、ドレスアップ。化粧。
ドレスの色は白を基調としたもので所々に淡い緑のレースや刺繍が入り……言うまでもなく花嫁衣装。
本日、晴れて結婚式となっております。
で。鏡越しに興奮気味で「落ち着け」と花嫁から釘を刺されているこの女性は、約一年ほど前にライアがグランホスタ家のパーティーに参加するに当たって身支度を手伝った女性である。
彼女はグランホスタ家お抱えの洋品店店主兼デザイナーだったらしく、この度はドレスのデザインから着付け、メイクに至るまで全部担当してくれている。
これもちょっとした曰く付きで。
なにしろ、グランホスタ商会。
例の事件のせいでガドラにおいてはかなり事業が縮小されてしまったのだ。で、ライアとレジナルドの結婚式となると利用できるのがゼアドル商会絡みの店や商品になってしまうという、ライア的にはちょっと気に食わない事情ができてしまい。
婚約祝いにとゼアドル家からはかなりのお金が貢がれた。それをそういう使い方するのはなんだかなー……。と難色を示したライアとそれに便乗したレジナルドにヘレンが「いい店を紹介しますよ」と気を利かせてくれたのだ。
グランホスタ商会絡みで一旦店を失ったアリーはよその町で細々と再スタートを切っていたところ、ヘレンの声かけに快く応じて飛んできてくれたのだ。
そんなこんなでなんと、此度の結婚式。
関わる人達が全員、元グランホスタ商会絡みの人たち。(注・勿論テスラート家を除く)となっている。
で。
冒頭に戻りアリーが興奮気味なのは。
「だって、だって……なにをどうしたらこんなに綺麗な髪になるんですかっ? これ、結い上げちゃうの勿体無さすぎだけど……ああもう、アップにしないとドレスに合わせた髪飾りもつけられないし……! それに肌も……これ、お化粧なんかしちゃったら勿体無いわっ!」
「いや……もう、そこは……遠慮なくやっていただいて構いませんから……」
ライアも自覚しているのだ。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
なにしろ、結婚式。
女子としましては一番気合を入れたい晴れの日です。
なのでまずシズカが念を押してきた。次いでエリーゼが圧をかけてきた。最後にヘレンが脅迫してきた。
一様に「薬師の腕の見せ所! 自分磨きに手を抜くな!」っていうやつだ。
で。ひと月かけて……磨いたのだ。
これは薬草たちの尽力の結果でもある。
みんなして本気を出してくれるもんだから……香油も、薬茶も、マッサージオイルも、バスオイルの類も全部今まで以上の出来栄えで。
使用感が今まで以上に良くなった自作の商品を使うこと自体が楽しくなってしまった結果が……これだ。
爪の先までつやっつやとか……自分でも見惚れるものね……。
アリーが興奮気味に誉めそやすのも「お世辞でしょう」とか言い切れない自分がいる……。
そして、取り乱すアリーを宥めすかしてようやく完成した花嫁姿。
うん。我ながら……他人だね。
ライアが鏡を見つめながら逆に冷静になった。
……綺麗だわ。自分で見ても。
つい乾いた笑みが浮かんでしまう。
綺麗に編み込みながら結い上げた髪はアリーが「勿体無い」を連発して、ついに一房だけくるりとカールさせて肩にかかるような髪型におさまった。
編み込んだ部分にはささやかな銀の髪飾りがついており、アクセントになっている。
花嫁のドレスは、今流行りの身動きが取れないのではと危惧するようなボリュームのあるものではなくシンプルに体のラインに沿ったデザインにした。これは訳あってライアのたっての希望。
「動きやすいもの。腰を締め付けないもの」と言うライアの希望にアリーは「そんな斬新な花嫁衣装、腕がなります!」と大喜びで試行錯誤してくれたのだ。
その結果、軽くてしなやかな生地を使ったドレスは形こそシンプルだがレース使いや刺繍の入り方が美しく、胸元や袖口に立体的な花々をあしらったとても上品で可愛らしいデザインになっている。
「ほらにこってしてください! にこって!」
アリーが眉を下げて苦笑するのでライアが我に返り、言われるままに口角をちょっと上げてみると。
「もぅ! それは営業用スマイル! それじゃ新郎が怒っちゃいますよ? はい、彼の笑顔を想像して!」
もはや笑顔の作り方講座が始まりそうで……やだなにこの既視感。
と思いつつもライアは言われた通りレジナルドの笑顔を想像して……。
「あ……それは……行き過ぎ……」
アリーが後悔の念の混ざった声を上げた。
なにしろライアの首筋から耳から頰まで一気に茹で上がってしまったので。
「あっ! 花嫁の到着だ!」
誰かが声を上げて視線が一斉に集まる。
場所は東の森の外れあたり。
村の人も町の人も集まりやすく春先のこの季節には気持ちの良い場所だ。
開けたその場所には結構な数のテーブルが用意されて料理やデザートが並んでいる。
そこに集まるのは村の人たちとガドラで知り合った人たち。
この人選もライアとレジナルドの試行錯誤の末。
村の人たちには是非祝って欲しかった。
ガドラにもライアが個人的にお世話になった人がいる。
なので。
「あら、そのドレスいいわねぇ! 綺麗よ!」
真っ先に褒めてくれたのは香水を卸していた店の店主だ。
そして少し離れたところから駆け寄ってきたヘレンとエリーゼがライアを思いっきり抱きしめる。
そしてちょっと間を置いて涙を浮かべているカエデが無言で頷きながらライアの手を握りしめてきた。
その後ろに控えめに立っているのはアビウスとリアム。
必須項目として招待が確定していたヘレンとエリーゼには「同伴一名まで可」という内容の招待状を出した。アビウスやリアムの名前を招待状に書いたわけではないので二人の立ち位置を意識させるにはそれで十分だろうという事で。
そして、それとは別にカエデに出した招待状には「ご友人をお誘いください」の注記。なので。
「ライアさん、この森は本当に気持ちがいいですね。貴女の事を歓迎しているのを肌で感じますよ」
満面の笑みを浮かべるディランはきちんと髪を整えた正装姿が微妙に浮いていて微笑ましい。
新婦が独り者の男性に招待状を出すのはこの辺りの文化でははばかられるのだがこれならディランにも来てもらえる、という算段だった。
そして。
「ああほら、新郎が花嫁に近づけなくてイラついてるわよ」
ヘレンがそう言いながらライアの背後に視線をやって苦笑するので。
「あ……」
振り返ったライアの視界に入ったのはアイボリーのスーツ姿の王子様。
スーツの襟飾りやちょっとしたアクセサリーはライアのドレスに合わせるように緑色が取り入れられており、隣に立つと「一揃い」になる。
その姿が目に入るなり頰が上気してしまうのはもうどうしようもない。
そんなライアを見たレジナルドの方もそれまでわざとらしく不機嫌そうにしていたようだが一気に目を見開いて固まった。
「固まってる場合じゃないだろう」
バシッとその背中を叩くのはカツミだ。
で、我に返ったレジナルドが「ああ」と小さくため息を吐くように肩の力を抜いて。
「やっと来たね。僕の奥さん」
と微笑んで両手を広げた。
なのでライアはもう反射的にその胸に飛び込む。
「はい! 旦那さま」
新郎の首に両腕を回して抱きついた新婦の姿に周りから一斉に拍手と歓声が湧き上がり、それと同時に足元に広がる草が小さな花を咲かせ始め、森の木々が爽やかな芳香を放った。
これは結婚式、と言うより披露宴なのだ。
ガドラの町に正式に婚姻届を出して受理されたのは昨日。
村の習慣では婚姻届を出すのと結婚式は別であることが多く、結婚式自体はやらない人もいるくらい。結婚の記念にと仲間内で宴会をすることの方がメジャーだったりする。
ライアとレジナルドは祝って欲しい人達がたくさんいたので呼べるだけの人は呼んで食事会をしよう。ということにしていた。
そして儀式的な事ではなくて気兼ねなくみんなで楽しめるパーティーがいいというライアの希望で野外の立食パーティー形式となっている。
これが仰々しいドレスを却下したライアの事情の一つ。これならそれぞれのテーブルを回って自分から招待客に挨拶ができる。
「こういう結婚式を思いつくなんてライアらしいね」
各テーブルで思い思いに歓談している招待客たちを眺めるライアにレジナルドが囁く。
その腕はライアの細い腰に回ったまま逃すまいとしているかのようだが、薄茶色の瞳はさっきからとろけるように細められて幸せそうだ。
「だって堅苦しいの苦手なんだもん。レジナルドもこの方がいいでしょう?」
主に新郎側の招待客に関してなんだけど。という言葉は引っ込めつつもライアがレジナルドの顔を覗き込むと。
僅かにその薄茶色の瞳が眇められた。
あ……やっぱりこういう話の振り方は良くなかったかな……。
ライアが思い直したように口元を引き締めると。
「ふーん……こんな日でもちゃんと教え直さないといけないのかな? 僕の奥さんは」
レジナルドの瞳の奥に怪しい光が灯った。
「え……」
ライアが驚いたように目を丸くすると。
「呼び方。それじゃないよね?」
そう言いながら空いている方の手でライアの顎が捉えられる。
「え、あ……ええ? だって、ちょっと待って。……二人でいる時って言ったわよね? ここ、人前だから! 完全に人前。公の場です!」
力説するライアは目の前に迫る美しくも怪しさ満載な瞳に腰が抜けそうになっている。
この大勢の中で「二人の世界」を作り上げる創作意欲には感服しますが、ダメです。今はその顔で迫ってこないで!
なんなら村のおばちゃんたち、そばで微笑ましいものを見るような目でこっち見ないで! てゆーか見ないふりするのもなし!
赤面したライアはもう反射的に、迫ってくるレジナルドの顎の辺りに両手をかけて「ぐぬぬ」と押し返した。




