使者
この度はゼアドル家に行くのもそう大変てことはない。
ヘレンともエリーゼとも「いつでも遊びにきてね」という雰囲気たっぷりで別れたのだ。
そしてお屋敷の使用人の方々とは未だかつてないほど良い状態の関係を築いていると自負したい。……主にレジナルドのおかげだが。
なのに。
「はああああああ」と、ライアがゼアドル家到着後、すんなり家に入らせてもらえたところで重いため息を吐く。
案の定、帰宅している男たちに足止めを食らった。
応接間にて。
この屋敷の造りはだいたい把握しているとはいえなかなか自分が使うことなんかなかった部屋に通されて、使用人に「少しお待ちください、ご主人様がお会いになられます」なんて言われるとやっぱり気が重い。
これ……あの設計図を取りにきた件を説明しなきゃいけないよね。
しかも、西の都市が後ろ盾になって買い取ろうとしているなんて、ある意味とんでもない儲け話なのにリアムやアビウスがすんなり了承するとは思えないんだけどな。
そんな事をつらつら考えながら待つ事少々。
しっかりした足音と共にドアがノックされて入ってきたのは男二人。
もちろん当主と次期当主だ。
「待たせて申し訳ない」
入ってすぐのアビウスの言葉が全然申し訳なさのかけらもない態度なのは、もう立場上仕方のない事だろう。
で、チラリと見やるとリアムの方は。
こちらには軽い会釈程度。
うん。
想定内。
心の中で苦笑を漏らしながらライアが座っていたソファから立ち上がり頭を下げる。
「この度はヘレンさんとエリーゼさんのご好意でこちらでご厄介になりました。ありがとうございました」
まずこのお礼は言っておかないとね。と思うので。
と。
「ああ、いや。……こちらこそ君には本当に迷惑ばかりかけた。それに今回の件でもグランホスタ……いや、レジナルドのお陰でかなり色々と世話になったのでね。本来なら二人にはこちらから出向いて礼を言わなければと思っていたくらいだ」
アビウスが意外なほど丁寧な口調で言葉を返してきたのでライアが肩透かしを喰らったような気分になった。
……あ、あれ?
なんか思いの外……好意的?
と。
「ほらお前も何か言わんか」
アビウスが隣のリアムを肘で小突く。
「あ……ええ」
こほん、と。小さく咳払いしたリアムがライアの方に視線をまっすぐに向けて。
「貴女には何をどう謝罪しても許してもらえるとは思っていませんし、許しを乞える立場でもないと分かっています。……これだけ家のことで色々してもらった上、エリーゼとも良い友達になってくれて……わたしがそのおかげで得たものは大きすぎる。できるだけの償いはしたいと思っています」
すっ、と。
びっくりするくらいすっと、頭を下げる金髪にライアの目が点になった。
……え?
ええええええ!
なになになに!
この人なんか病気ですか? 何かが憑依でもしましたか?
という変貌っぷりだ。
そもそも。
「あの……家のことを色々してもらって……って……?」
びっくりしながらも意味がよくわからなかった言葉の意味を究明しなければという変な使命感を感じてライアが恐る恐る聞いてみる。
そもそもそんなに色々してあげた記憶はない。何かの誤解かもしれない。
「ああいや、テスラート家の件ですよ」
アビウスがすかさず口を開いた。
「なにしろあれだけの事をやっていましたからね。グランホスタ商会はしばらくテスラート家の尻拭いで精一杯でしょう。その間の町での商売に関する殆どの権利をこちらに譲ってもらった訳ですから……グランホスタ家の現当主にもレジナルドにも感謝しかないといったところです。しかも彼を動かしたのは貴女だというじゃないですか。お二人にはもう頭が上がりません」
ああなるほど。
そんなアビウスの言葉でライアもようやく事情が飲み込めてきた。
つまり、今までは町を二分する勢いだったグランホスタ商会とゼアドル商会は、ここに来て優勢と劣勢の区別がはっきりついたという事なんだろう。
そりゃあ、考えてみたら。
危険な薬物を作って販売していたり人身売買していたなんていうテスラート家が関わっていた店を始めとして、グランホスタ商会の商売は事実上、直接関わっていない職種でも店でも一気に人気が落ちるだろう。
そうなればこの機に商売に勢いをつけられるのはゼアドル商会で。
テスラート家関係で潰れる店が続出する一方でそういう店舗を買い取って新しい仕事を始めるには彼らにとっては良い機会になるということかもしれない。
そもそも、確か今グランホスタの当主に収まってる人って商会の仕事に関しては乗り気じゃないんじゃなかったっけ。
……そりゃ、家のために色々してくれた、ってなるよね。
「なので我々としましても、ライアさんにも何かお礼をしなければと思っているところなんですよ」
アビウスがそう言うとリアムも頷いた。
そりゃもう、渋々とかそういうんじゃなくてちゃんと気持ちのこもった頷き方で。……むしろこっちが目を丸くしてしまう。
と。
「あなた。お礼の前にお詫びもしなければいけないって事をお忘れなく」
とても静かにドアが開いて入ってきた女性が毅然とした声をかけてきた。
「あ……ヘレンさん……」
ライアが振り向きながら名前を呼ぶとヘレンが申し訳なさそうに眉を下げた。
「ライアちゃんが来てくれてるって聞いて飛んできたのよ。あなたがこの屋敷にいた間どんなに酷い扱いを受けていたかは使用人たちから聞いています。それなのにわざわざ訪ねて来てくれるなんて。……あなた。ライアちゃんには心からの謝罪の意を示す必要がありましてよ。分かってらっしゃるの?」
とても柔らかい口調でライアに向かって話していたヘレンが後半できつい口調に変わり、アビウスがたじたじとなる。
なので。
「あ、あの!」
ライアが割って入った。
「私のことはお構いなく! 何かしてもらおうとか思ってませんから!」
なんならこれ以上この男二人とは関わりたくないくらいだ。
「あらライアちゃん、でもそういう挨拶に来たんじゃないの? 良いのよ。ふんだくれるだけのものをふんだくっていきなさいな」
「え……」
にっこり鮮やかに微笑むヘレンだが……言い方よ。
ライアが一回固まった。で。
「あ、そうだ」
と、ここに来た当初の目的を思い出す。
「それじゃ、ひとつだけ持って帰りたいものがあるので良いですか?」
そして結局。
全くなんの問題もなく、ライアはお目当てのものを持ち出すことに成功。
アビウスやリアムからしても、街での当面の事業拡大で大忙しになることが明らかなこの状況で、自分達が手がけるには先がまだ見えていないライアの薬の研究に投資するなんていう気はないようで、全くなんの問題もなく了承された。
しかも、近々レジナルドとライアの婚約記念にそれなりのものを届けるからという約束までされてしまった。
……いやそれは要らないんだけど。とは思ったものの、急いでいる身でもあったのでライアは適当に聞き流してゼアドル家を後にして、ご丁寧にもゼアドル家の馬車で家まで送ってもらうという待遇まで受けることとなり。
予想通り帰宅したライアを待ち受けていた人がいた。
居間に入ると壮年をそろそろ通り過ぎて中年に差し掛かっている男性がテーブルでお茶を飲んでおり、ライアを認めるとスッと立ち上がって人懐っこい笑みを浮かべる。
灰色がかった茶色の髪は柔らかくウェーブして、相変わらず短く整えられている。いい歳なのにかなり若く見えるのはきちんとした身なりと意外に色白で肌艶が良く、表情が柔らかくて上品なせいかもしれない。
テーブルで一人というところを見るとオルフェは帰ったようだ。
「お久しぶりです! ナギ」
ライアが間髪入れずに笑顔で挨拶すると。
「ああ、本当に久しぶり。ずいぶん大きくなったんじゃない?」
なんて冗談めかした言葉が投げかけられてライアがぷっと膨れる。
「失礼しちゃう。最後に会ってからまだ5年も経ってない女性に大きくなったって……」
そう言いながら自分もコートを脱いで玄関先にかけ、テーブルに近づくとライアの帰宅と同時に台所に引っ込んでいたレジナルドがお茶の準備を整えて戻ってきた。
「ライア、お茶飲むでしょ?」
……うん、さすが。
めちゃめちゃ手際がいいね。
ライアはこっそり目を丸くした。
「ナギもそういう格好するんですね」
なんとなく物珍しくてライアがナギの座っている椅子にかかっているマントに目をやる。
椅子の背にきれいに畳んでかけてある旅装束のマントは都市の色と思われる青で縁に都市の紋章の刺繍が入っている。
こういう格好でわざわざ来たのは「西の都市の使者」という立場を示すためだろうか。
「ああこれ? なんかね、今回の旅の目的が都市の仕事だっていう名目上、着ていけってアルがね……」
はにかむように笑いながらナギがマントに目をやる。
ライアとしては彼は普段はそこまで改まった格好はしていないという認識だった。
まぁ、ここに訪ねてくるのは調合した薬や薬草の仕入れに来るのが目的なのでいつもお目にかかるのは単なる旅人、といった格好なので。
でも彼の本職はれっきとした医者だ。
西の都市では大規模な診療所が組織されていて医学を志す者がそこで医学の研究もできるようになっていると聞く。
今しがたナギが「アル」と愛称で呼んだアルフォンスという先生がそこの責任者なのだが、彼はライアの師匠の昔馴染みだったので時々連絡をもらって薬草を出荷しているのだ。忙しいアルフォンス本人がこちらまでくることはそうなく、しかも最近は年齢のせいもあって長旅はできないとのことで手紙だけは寄越すが実際にここまで品物を取りに来るのはナギやもう一人別の医師であることが多い。
そんなわけでもう長いこと付き合いのあるナギだが、きっと普段は診療所の医師らしい格好でテキパキと仕事をこなしているのだろうな、という想像はついている。
「今日は一人なんですね」
ライアがニヤリと笑ってレジナルドが出してくれたお茶を口に運ぶ。
あ。ほうじ茶をミルクで作ったやつだ。……あれ、ナギも同じものを飲んでる……ということはレジナルドは彼と意気投合でもしたのかな。
なんて思いつつ。
なにしろナギは性格が人懐っこくて穏やかで、医師という職業柄なのか面倒見の良い人だ。大抵の人は初対面でも仲良くなれる。
「ああ、シンね。来てるんだけど今日は別の仕事してるよ」
「え? 別の? てゆーか来てるんですか?」
知った名前が上がってライアが一瞬目を丸くしてから複雑な思いで眉を顰める。
シンというのはナギと同年代で同じ診療所で働いている医師だ。
「はは。そんなあからさまに嫌な顔したらあいつ傷つくよ?」
ナギが笑いながら答える。
「へぇ、なに? その人、ライア苦手なの?」
自分用に作ってきているお茶を飲みながら二人のやり取りを黙って見ていたレジナルドが声をかけてきたので。
「いや……苦手って言うか……だってあの人……」
おもむろにライアが言葉を濁す。
と。
「ああ……前にね」
レジナルドの言葉に答えるようにナギがわずかに身を乗り出した。
「ライアが精油を作る器材を発注したことがあってね。うちの都市だと色々腕のいい技術者がいるのと、うちの診療所で使う薬草や調合薬の仕入れにライアがかなり貢献してるからお礼も兼ねてこっちから持って行ったことがあったんだ」
「ああ、あれのこと?」
聞きながらレジナルドがライアの方に視線を送る。
裏の作業小屋にある機械のことだろうと察したらしい。
「そうあれ。かなり高級品だからうちで個人的に購入できるようなものではないんだけど、そんなわけでプレゼントしてくださるって言うからお言葉に甘えたの」
と、ライアが視線を逸らしながら頷いて答える。
そんな微妙なライアの表情に軽く吹き出しそうになりながらナギが。
「それがね、持っていく最中にあいつ、組み立て方の説明書無くしちゃってね。届いた瞬間大喜びしたライアが一瞬にして青ざめるわ泣き出しそうになるわ大変だったんだよ」
「そうよ! あの時は本当に大変だったんだから! しかも二人とも次の用事があるからとか言ってさっさと帰っちゃうし、師匠は当てにならないしで私一人で全部組み立てたのよ? 一ヶ月かかったんだから」
ライアがそこまで言い切ると大きくため息をついて見せる。
「ごめんごめん。それにシンのやつ全く反省してなかったからね。あいつさ、本当に天才なんだよ。一度全体を見たら説明書なんかなくても組み立てちゃうようなやつなの。薬の調合とかもそうなんだけどね、記憶力とか判断力とか応用力がずば抜けてるって言うか。……だから他の人もやれば出来るだろ、くらいに考えてるんだよね」
「で、その人、今日は違う仕事って?」
ライアの方に同情のこもった視線を向けながらレジナルドがナギに尋ねると。
「ああ、ガドラの方に行ってる。なんか最近裏で流行ってた危ない薬物の流通元がわかったんでしょ? シンは医師だけど元は優秀な騎士だからね。あっちの自警団に加勢しながら薬物の分析を手伝ってるよ」
「あー……そうなんだ」
うまく濁しながらも相槌を打つレジナルドを見て……これは自分のやったことや立場に関しては全くナギに話してないんだろうな、とライアは察した。




