懐かしい友
ゼアドル家滞在三日目。
なにしろ、レジナルドが疲弊し切っていたのは事実だったようで。
滞在二日目にして完全に彼は寝込んだ。
ライアが作る薬茶の効果もあったのだが、完全に緊張を解いた後の彼の身体は正直で、ベッドと仲良しになりライアとヘレンが大笑いする程度には過労で寝込んだのだ。
大笑い。
そんな程度で良かった、とライアは思っている。
極度の緊張状態によって後まで残る体の不調を抱え込む人だっている。
レジナルドがそこまでの後遺症を持たなくて良かったのは彼自身の体の造りが案外頑丈だったのと、ライアが作る薬のお陰でもある。
そしてライアの作る薬の効果に絶大なる信頼を置いているカエデの口添えもあってヘレンも慌てふためくことなく状況を静観できたのだ。
「今日も食べさせてあげるの? ライアちゃん」
「……ぐっ!」
昼食の席で意味ありげな視線を送ってくるヘレンにライアは口に運んだスープを吹き出しそうになるのをギリギリで堪えた。
なにしろ。
疲れ果ててベッドから起き上がれなくなっているレジナルドがライア以外の者の看病を拒むので、仕方なくライアはほぼ一日中彼につきっきりで世話をした。
で、食事に至っても。
「手に力が入らないからスプーン持てない」とか、それは絶対嘘よね? という甘え方をしてくるのだが、期待に満ちた目でこちらを見上げる白ウサギに完敗したライアは食事も食べさせてあげたりしたのだ。
なので。
「ええ……まぁ……必要とあらば、ですけど……さすがに丸一日休んだらそのくらいは自分でできるようになってるんじゃないかと思いますけど……」
恥ずかしさに視線を逸らしながらそう答えるライアの頰が赤い。
「あ、ライア様。厨房には食べさせてあげやすいようなメニューにするようにちゃんと頼んでありますよ?」
焼きたてのパンを運んできたカエデが追い討ちのように告げてくるのは……もう確信犯だ。
「……それ、他に言いようがあるでしょうに……消化に良さそうなお粥にしてありますとか……!」
つい突っ込んでしまうがその声に力はこもらない。
ええ、そうですね。
なんだかレジナルドが私以外の者の看病を拒んだ段階でこのお屋敷の使用人の方々の視線が一気に変わりましたもの。どことなく微笑ましげな視線と残念なものを見るような視線の中間と言いますか……。
そんなこんなで食堂を使うライアとヘレンは賑やかなひと時を楽しんでいるのだが。
そこへ。
「ライアさん来てるってほんとっ? あっ! ライアさんみーっけ!」
パタパタと廊下を走る音がして食堂のドアが勢いよく開いたと思ったら元気そうなエリーゼが飛び込んできた。
「エリーゼさん!」
ライアもつられて満面の笑みになって立ち上がると。
「あっ! 食事中でしょう? そのまま続けて。私もいただくから…… 私の分も用意していただけるかしら?」
入ってきた勢いで空いていたライアの向かい側の席に座りながら近くにいたカエデに声をかけると彼女は笑顔で頷いて厨房の方に引っ込んだ。
そんな大したことのないやりとりを見ても、エリーゼがすっかりこの屋敷の「お客さま」から「住人」になっていることが窺い知れる。
「お疲れ様。もう終わったの?」
ヘレンがパンをちぎりながらエリーゼの方に視線を投げる。
「ええ、一通りは。公式の場でのことは終わったのであとはテスラート家とその事業の細かい処分内容を見届けるだけみたいなので私はもういいかなって思って帰ってきたんです」
エリーゼがヘレンの方に向き直るようにしながら答えている間にスープとサラダが運ばれてきてそれを目で追っていたエリーゼは目を輝かせる。
「ああ、もう。こういうちゃんとした食事ができるなんてありがたいわ!」
「エリーゼさん、どんな生活してたの?」
ライアが思わず目を丸くした。
だってこの場合ゼアドル家は酷い扱いを受けるはずのない立場だ。テスラート家とかその関係者とされるグランホスタ商会の者が監禁されるとか質素な食事しか出されないとかならまだ解るが。しかもエリーゼに関しては単なる付き添いの身だし更にもっと自由があってもいいのではないかと思った。
「いやもうそれがね! なにしろ事態が深刻過ぎて。西の都市から軍のお偉いさんまで来てたりしたからガドラの偉い人たちが全員休みなしで取り調べも話し合いも続けてて! 本来ならこんなに全部まとめてやることもないみたいなんだけど、一気に全部終わらせようとしたらしくて私たちも一日中あっちこっちの部屋に呼ばれて書類に目を通したり、説明したりで休む暇がなかったの。食事の暇もないから部屋を移動する合間に外で買ってきてもらったサンドイッチを食べてただけなのよ」
うわー……それは……忙しかったね。
ライアは言葉を失いそうになってかろうじて「おつかれさま……」とだけ言葉にできた。
「それは大変だったわね。エリーゼもゆっくり休んでね。……ああそれでうちの男どもは元気?」
話を聞きながらも心配そうというよりは楽しそうに笑みを漏らしながらパンにバターをつけて頬張るあたり……ヘレンは本当に動じない性格なのかもしれない、とライアは思う。
「あ、そうそう。お二人ともお元気ですよ。最初のうちはリアム様がとても頼りなくて……もう本当に『しっかりしろ!』って何度言いかけたか分からないくらいでしたけどね、おじさまもいらしたし、後半からはちゃんと堂々とこなしておられましたよ。おじさまがおばさまによろしくって言ってました」
そんな話をしている間にパンが運ばれてきて簡単な肉料理もエリーゼのために取り分けられる。
「ということは明日には戻ってくるのかしらねぇ」
ふむ……とヘレンが考え込む。
ので。
「あら何か問題でも?」
エリーゼが首を傾げた。
「あ、ううん。問題はないんだけど……年明けをゆっくりできなかったからアビーには年明けのプレゼントを用意しておくわねって話してあったのよ。何だかバタバタしてて何も用意してないから……どうしようかなって思って」
「……あはは……なるほど……」
可愛らしく考え込むヘレンにエリーゼが乾いた笑いを漏らす。
……結局、仲が良いんだな。
ライアもつい笑みを漏らす。
こんなヘレンという人を好きにならない方がおかしいわね。何でもバリバリできて頼りになって、しかも可愛いなんて。
「ライアさんは何をプレゼントしたの?」
ライアがヘレンに見とれていると向かい側から声がかかる。
「え?」
ライアがエリーゼの方に視線を向けると。
「ほら、だから告白のプレゼント! 年明け一番に女の子が想い人に贈るやつですよ!」
うふふ、と可愛らしく笑いながらエリーゼが一言添えてくる……のだが。
「え? ……ええ! あれってそういう意味がある物なの?」
「やぁね、他に何があるの? まあ、既婚者の場合は今年もあなたを愛します、の意味になりますけどね!」
エリーゼが楽しそうに視線をヘレンの方に向け、ヘレンが「まぁ、そういうことよね。もうただの習慣だけどね」なんてあからさまな照れ隠しのような様子で説明する。
「え……あ……そうなんだ……だってレジナルドが『ただの縁起物』みたいな言い方するから……カフスボタンと香水あげたけど……」
「カフスボタンと……香水……さすが……」
エリーゼが目を丸くしてから頰をゆっくり赤らめる。
「え……なに? さすがって、何? まだ何かあるの?」
ライアが若干食い気味に尋ねる。
もうなんだか自分の気づかないうちに何か色々やらかしてる可能性!
「えー、本当に意味を知らないでやってるの、ライアさん?」
エリーゼが両頬を両手で包み込みながらとろけそうな笑顔になっているのがもう心配しか煽らない。
と、ヘレンがくすくすと笑いながら。
「一応ね、年明け最初のプレゼントが花とかお菓子だと告白の意味で、日常使いできる物であれば『貴方のそばにいさせてください』の意味、身につける物だと『貴方のものにしてください』の意味なんだけど……香水とかカフスボタンだと完全に普段から身につけるものばっかりの組み合わせだから……それ……ほぼプロポーズに近いかもしれないわね」
……やられた……!
いやもう、カフスボタンは元々あったものだけど、香水は彼のリクエストだったし……!
完全に「してやられた感」半端なく、身の置き場がわからなくなったライアが遠い目をしていると。
「あ、でも香水ってあれ、かな? 私、おばさまに頼まれてあちこち探したけど見つからなかった香水があって」
思い出したようにエリーゼがライアの方に身を乗り出した。
「あ、そうそう。それよ。……あれ、私が作ったやつだったからおんなじのはなかなかないかもしれなくて……似たようなものならどこかにあるかなとは思うんだけど」
「なるほど……さすがライアさん……手作りとはおみそれしました……」
半分おどけるように、でも本心はもう茶化してるだけだよね? っていうエリーゼにはもはやカフスボタンの柄の説明はすまい、とライアは心に決めた。
そんな昼食の時間は和やかに過ぎて、そろそろレジナルドにも食事を運んであげたほうがいいかしら、なんていう話をしていた矢先。
バタバタと食堂の外の廊下が騒がしくなった。
そして顔を見合わせているライアとヘレンとエリーゼのところに使用人が飛び込んできた。
「奥様、大変です!」
血相を変えた、と言っても良いようなその使用人はライアも何度か見ている年配の男性で、いつも落ち着いた立ち居振る舞いと物腰からしてここの使用人の中でも責任ある立場なんじゃないかと思っていた人だ。
そんな人が取り乱したような勢いで入ってきたので三人の間の空気が一瞬張り詰めた。
……アビウスとリアムに何かあったんじゃないだろうか?
ライアがそう思ってヘレンとエリーゼに視線を向けたところですかさずヘレンが使用人に歩み寄った。
「ライアさんの家に火をつけた者がいるということで自警団から知らせが来ました」
「え……?」
心配していたのとは全く違って自分の名前が聞こえてきてライアが驚いて固まった。
驚いて固まったのはエリーゼも同様だ。
そしてヘレンは。
「なんてこと! あの薬種屋はうちの者が見張りについていたでしょ?」
険しい顔で使用人の方に詰め寄った。
「ええ、その通りです奥様。ですので犯人は取り押さえられたようですが……なにしろその犯人というのがですね……」
途中から使用人が口ごもる。
ライアとしてはもう気が気じゃない。
あの家に火がつけられたりなんかしたら……と、庭や裏庭の植物たちのことが脳裏をよぎる。
それにそもそも何でそんなことに。
いや、逆恨み的な何かだろうか。
自分がゼアドル家にいる理由を考えればそれもあり得る。
となると、テスラート家の人。……この場合パトリシアとか。
レジナルドに執着していた彼女ならそれもあり得るかもしれない、なんて思うと同時にふらりと席を立ってドアの方にそのままふらふら歩き始める。
「え? ライアさんっ?」
「あ、ライアちゃん、ちょっと待って! どこ行くの!」
エリーゼとヘレンが同時に声を上げ、ちょうど脇を通り抜けようとしたところでヘレンが腕を伸ばしてライアの手を掴んで引き寄せたのでライアの視界がぐらりと揺れた。
「え、だって……家が火事なんでしょ? 様子を見にいかなきゃ。うちには大切な木や薬草たちがたくさんいるのよ」
あの家が燃えているところなんて想像したくないけれど……逃げることができない植物たちが犠牲になる姿をまざまざと思い浮かべてしまった。
そしてふと、仲良くしていた柳の木が知らないうちに切り倒されていなくなってしまったと知った日のことが重なるように思い出される。
私はまた、独りになってしまう。
仲良くしてくれた老木殿や、裏庭の薬草たち。
季節ごとに香りを変えていく裏庭の様子や、店の正面に植えてあったハーブの類。それに家の中の可愛い鉢植えたち。
それに師匠との思い出が息づいているあの建物がなくなってしまうという喪失感。
そんなものを思い浮かべただけでもう、居ても立ってもいられなくなってしまった。




