一時避難
「ああよかった! ちゃんと無事ね!」
店の正面に回ったライアとレジナルドに聞き覚えのある声がかけられた。
クローズになっている店の正面をうろうろしていたのは、つい先ほどライアが「会いたいな」なんて漠然と思っていたゼアドル家のヘレン。
「あら、ヘレン!」
思わず嬉しくなって駆け寄るライアにヘレンの表情は固い。
それを見てライアもつい真顔になる。
「レジナルド、例の件だけど早々に取り掛からせてもらってるわよ」
ヘレンは近づいてきたライアの手をとって、しっかりと握りながら視線はライアの後ろからついてきたレジナルドの方に向けている。
「ああ、そうですか……で、その感じだとやっぱり危険がありそうですか?」
「そうね。多分ここにあなた達がいるって分かってるだろうから何かある前に、と思って迎えに来たわ。事が収まるまでうちにいたほうがいいかと思って」
何事かと思って目を丸くしているライアそっちのけでなにやら話が進む。
「……え? なに? 何が危険なの?」
置いて行かれた感の半端ないライアが二人の顔を見比べる。
「だからさー……君はちゃんと彼女に説明しなきゃいけないって言ったよね私! そういうとこよ?」
「……スミマセン」
三人が店の入り口に停めてあった馬車にとにかく乗り込んだ後、ライアの目の前で腕を組んだヘレンが眉を顰めて、ライアの隣のしょぼくれた白ウサギを睨んでいる。
「あ、あの……! 大丈夫です! 彼が意図的に隠し事をしているわけじゃないのは分かっているので!」
ライアは慌てるように胸の前で両手を振って「気にしていない!」という気持ちをアピールしてみる。
つまり。
こんな経緯だったらしい。
レジナルドがテスラート家のやっている裏家業についてヘレンに情報を集めて証拠ごと渡したので、ヘレンはそれを裁判所と自警団に提出してテスラート家の事業の取り潰しを要求した。と。
で、そうなるとテスラート家はもう蜂の巣をつついたような大騒ぎになるわけで、昨夜、日付が変わった辺りから大騒動になっているらしい。
テスラート家が関わってきた商売も町でいくつかあって、それらも全部その影響を受けるのでそれに関わっていた人達が片っ端から事情聴取を受けるなりなんなりで年明け早々街は大変なことになっているとか。
で。
事業に関わっていた人たちがそれだけの大騒動になったということは。
その情報を流したレジナルドが逆恨みされるのは十分あり得ることで。
一応ヘレンとしてはそういうことになるようならレジナルドをゼアドル家の屋敷に匿う事にはやぶさかではないという意向を前もって示していたらしい。
「……ごめん、ライア。これもちゃんと先に話さなきゃいけなかった……」
ヘレンと二人で代わる代わる一通り説明をしたところで改めてしょぼくれる白ウサギ。
「うん、大丈夫。……えっと……てゆーか……そこまで大ごとになるっていうのを予測しなかった私も悪いわ」
のほほんと「ああ全部無事に終わったのね、良かったね」なんていう気持ちになっていた昨夜の自分を思うとむしろそっちが気が咎める。
そんな思いでつい乾いた笑いを漏らしてしまった。
「あ、いや! ライアは悪くない! だいたいこういう事に詳しいのは街のことに関わっている当事者くらいだ。こんなの知らなくて当然だし、本来なら知る必要もないからね」
「あ、うん……」
勢いに飲まれて頷いてしまうのはもう仕方ないかもしれない。
そんなライアとレジナルドの様子を後半は微笑ましげに眺めていたヘレンは「やれやれ」と言わんばかりのため息をついた。
そんなわけで。
「えーっと、それじゃライアちゃんは前と同じ部屋でいいかしらっ? 一応置いていった服やなんかはそのままにしてあるからすぐ生活できると思うのよね。で、レジナルドの方は同じ部屋でいいの?」
「え、ちょ、ちょ……っ!」
屋敷に戻るなりヘレンが朗らかに言い放つのでライアが顔を真っ赤にして声を上げる。
「なーによ、もうっ! そんなに照れる事ないじゃない? あなたたち、そういう間柄でしょ?」
「ヘレン……ライアが卒倒するからそういう冗談は程々に願います……」
何だかやけに上機嫌なヘレンに、冷静な口調のレジナルドが口を挟むと。
「ちぇっ」
……なんで舌打ちだ。
言葉を完全に失ったライアが唖然としながらヘレンとレジナルドのやり取りを見守る中、ライアには以前使っていた部屋を案内したヘレンは隣の部屋をレジナルドに割り振る。
「この階はほとんど使ってない客室ばかりだから適当に使っていていいからね」
なんて笑顔で説明する辺り、もうすっかりこの屋敷の「女主人」が板についているようだ。
「そういえばお屋敷がずいぶん静かでしたけど……」
ライアがようやく気を取り直してヘレンに声をかける。
部屋を案内してそのまま退室するでもなく、ライアの部屋の窓に歩み寄ってカーテンを開け直してくれたりしていたヘレンはライアの方にチラリと視線を向けてからその視線を窓の外に向け直して。
「あ、そうね。みんな出払ってるから、じゃないかしら」
「……え、みんな?」
もちろん使用人の方々含めての「みんな」ではないのはわかっている。
なんならここに来て何人かの使用人の方々にはお目にかかったのだ。
なんとなく静か、と思ったのは多分エリーゼの気配が全くなかったからだろう。それにカエデも見ていない。
そこに来て「みんな」出払っているという表現にライアが目を見開いた。
「ここの男たちって意味だと思うけど」
隣の部屋を案内されたとはいえライアの部屋に「流れで」入り込み、勝手に居座っているレジナルドが部屋の真ん中のソファに腰を下ろしてそう付け足した。
「そうそう。アビーとリアムは裁判所に行ってるわ。で、リアムがヘタレすぎるから気合い入れられるようにエリーゼが付き添いで行ってるの」
うふ。と笑いながらヘレンがライアに向かってウインクして寄越す。
「あ……なるほど……」
綺麗なウインクにライアの方がドギマギしてしまうところだ。
と。
「そんなわけだから……そうねぇ……もう二、三日ここに居れば大丈夫よ」
そう言いながらヘレンが部屋をくるっと見回すと。
「うん。一応朝のうちにカエデに頼んで掃除は済ませておいたし、これなら問題なく使えそうね」
そう言ってライアの方に向き直った。
「あ、カエデ! そういえば今どこに?」
ライアが馴染みの名前を聞いたところで目を輝かせると。
「ああごめんなさいね。今おつかいに出してるの。数日とはいえグランホスタのご子息をお泊めするのに必要なものはある程度揃えないといけないのでね」
ああ、そういうことか、と、ライアが小さく頷きながらレジナルドの方に視線を向けると。
「別に僕は何もいらないけどね。そもそも僕はもうグランホスタじゃないし。なんならライアだけ匿ってもらえればそれでいいんだけど」
「ダメよ。うちに来て着の身着のままとか絶対私が許しません。テスラート家を潰す上で必要なものをもらうだけで恩を返せないなんてゼアドルの名が廃るってもんよ。それにちゃんとくつろいでもらった上での安全を確保するのが私のやり方よ。ゼアドル家を甘く見ないでちょうだいね」
憮然としたレジナルドに平然と返すヘレンはちょっとカッコいい。
それに。
ふとライアが気になった事を口にしてみる。
「二、三日っておっしゃいました?」
そんな短期間で何が変わるんだろう。
「ああ、そうね」
ヘレンがライアの方に視線を戻してにっこり笑う。
「一応ね、うちとしてもテスラート家がゼアドル商会と手を組みたいという話を持ってきた時から気にしてはいたんだけど、あそこってかなりよろしくない事をしていたでしょ? それ自体は裏でちょっと有名だったの。でも事態が入り組んでてね、なかなか一網打尽にするのって難しくて。それをレジナルドが中に入り込んで根こそぎ証拠を集めてくれちゃったもんだから完全に手間が省けたってわけ」
「……根こそぎ……」
意味が完全に理解できているわけではないがライアにもレジナルドの功績は分かるような気がする。
そんな気持ちでつい尊敬の眼差しを向けてしまう。
「そ。それって結構大変なのよ? こういうのってちょっとでもどこかに取り残しがあるとそこから息を吹き返してまた同じような事をやりはじめちゃうからね」
「そうそう。それに一旦危機を乗り越えた奴らほど逃げるのも隠れるのも上手くなるから次に捕まえるのはさらに難しくなるんだ」
ヘレンの説明にレジナルドがちょっと得意げに付け足す。
「……なるほど」
ライアはもう頷くしかない。
「そんなわけでね。自警団としても裁判所としてもこの件に関してはとっとと片をつけたいというのが本音だったの。手柄を全部いただいちゃって申し訳ないけど、ゼアドル商会が根こそぎ片付ける材料を提供させていただいたから年明け早々の大仕事とはいえ町を上げて片付ける準備も心算もできてたってわけ。だから多分二、三日もあれば片がつくはずよ」
「まぁ、関わる人たちはその間完全に徹夜続きで休む暇もないだろうけどねー」
「ここまで一人で証拠集めしてくれてる人がいるんだから誰も文句は言わないわよ」
レジナルドとヘレンのやりとりはどことなく他人事のようにも聞こえて楽しそうだ。
「そんなわけだからね。ライアちゃんはゆっくりここで休んで行ってね! カエデが戻ってきたら美味しいお茶でも入れてもらいましょうね。あ、私は一旦屋敷の様子を見て来るわ」
そう言うとヘレンは笑顔の余韻だけ残して部屋から出ていった。
「ライア、座らない?」
ヘレンが退室するのを見計らってレジナルドが声をかけて来る。
なので。
「あ……うん……」
ライアも我に返ってレジナルドが座っているソファの隣に腰を下ろした。
と、レジナルドが目を丸くする、ので。
「え? あれ?」
座っちゃいけなかったかな、とライアが背筋を伸ばしたところで。
「え……っと……あ、いや……うん、良いんだけどね。うん……嬉しいけど……まさか本当に隣に来るとは思わなかった、から……」
小さめのテーブルを挟んだ向かい側を指差したレジナルドが照れ臭そうに笑うので。
「え! あ! やだ! もう! 私、あっちに座る!」
しまった、ついうっかり隣に座ってしまったけど考えてみたら向かい側にもう一つソファあったじゃない!
と、ライアがもう顔を上げられない勢いで真っ赤になりながら立ちあがろうとしたところで腕を掴まれて引き寄せられた。
「ダメ。逃がさない」
くすくす笑いながらもレジナルドの腕は力強く、そう簡単には振り解けそうにない。
なのでライアも観念して。
「ん……なんとなく……ここの方が落ち着くし……」
と、自分の方からレジナルドの方に寄りかかってみる。
薄茶色の瞳がうっとりと細められた。
そして逃がさないように腕を掴んでいたレジナルドの手は意味深にライアの腰に回る。
と。
「あ、そうだ!」
ライアが思い出したように声を上げた。
「え、何?」
思惑通りにいかなかったレジナルドがじとっとした目を向けて来るので。
「ヘレンに『ライアちゃん』って呼ばれた……あんなふうに呼ばれたの初めてだわ……」
ライアが目を丸くしてレジナルドをまじまじと見るので。
「……ふは……っ!」
レジナルドが思いっきり笑み崩れた。




