祭り 一日目
祭りが始まった。
村の人たちにとっては待ちに待った祭り。
村の広場は飾り付けがされて、小さな屋台が所狭しと並ぶ。広場の中央には今年の収穫物をイメージさせる飾り付けがあって、夜にはそれを囲んで皆んなが踊ったりするために楽器が演奏されることになっている。
日中から夜遅く迄この期間は子供も大人も外で祭りを楽しむためにあちこちで焚き火が焚かれる用意もある。
そんな祭りが年の終わりから年明けにかけて一週間ほど続くのだ。
「よう。ライア。祭りに行くか?」
いつも通りの素朴な格好のまま店に来たオルフェが玄関から顔を出して中にいるライアに声をかける。
「あら、オルフェ。もう来たの?」
まだ祭りの一日目だ。
こんな時期から迎えにくるとは思わなかったライアが目を丸くした。
「なんだ、悪いか? こういうの好きなんだよ」
どこか決まり悪そうに視線を逸らすオルフェはどことなく子供っぽい。
祭りを一日目から楽しもうとするのは子供くらいだ。なので子供がいる家ではこの時期毎日が騒がしくなるので親は疲れ切ってしまうものだが……まさかオルフェまでとは。
祭りのクライマックスは最終日だ。
6日目の夜、日付が変わって新年を迎える時とその翌日までは若者たちは夜通し外で楽しむことが多い。
特に恋人たちにとっては貴重なタイミングとされている。新年を共に迎えた二人は幸せに次の一年を過ごせるというありがちなジンクスがあったりするので。
祭り終盤、子供たちがちょっと飽きてきた頃が大人にとっての本番、みたいな感覚が強い。祭り自体も後半は子供が好きそうなガチャガチャした雰囲気から少し落ち着いたものにもなっていく。
そんなわけでライアも今日はまだ普段着だし、出来上がった服を着るのは六日目から七日目にかけてにするつもりでいる。もちろん恋人云々は別として。
「どうせもう仕事はないんだろ? ちょっと見て回ろう」
屈託のない笑顔とはこういうものか、というような笑顔で入ってきたドアを大きく開けるオルフェはもう家の中に入る気は毛頭なく、すぐにでもライアを連れ出す気満々のようだ。
そんなわけで。
「おお、いい感じで屋台が出てるな。何か食べるもん買うぞ」
そのまま歌にでもなるんじゃないかというような楽しげなオルフェのセリフにライアがついぷぷっと笑い出してしまうと「なんだよ、悪いか。そのために今朝は何も食べてないんだぞ」と決まり悪そうに返された。
ライアは思わず目を丸くして耳を疑う。
「え……朝から?」
なんなら今は昼ちょっと前。
こんな時間まで何も食べずに屋台を楽しみにしてるって……どんだけお子様だ。
いや、お子様でもそこまで計画的に我慢はしないと思う。
大人か。大人の楽しみ方なのか。
ライアのじとっとした視線を浴びながらもオルフェは全くへこたれる様子がない。
「ほら、この時間だとどの屋台もちょうどいい感じに品物が並んでるだろ? 出来上がるのを待つ必要もないし、なんでも食べたい放題だ」
目をキラキラさせながら広場の周りを取り囲む屋台を見回している。
で。
「お。まずはあそこだな。串焼きがいい感じに焼きあがってる」
と、ライアの手を引いて歩き出す。
こうなるともうライアは着いていくしかない。
おいこら、勝手に手を繋ぐな。とか心の中で思うことはあってもここまで子供っぽいオルフェを相手にそんな言葉を口に出すこともできず、ほぼ引きずられるように屋台の前まで行き、串焼きを買うオルフェを見守る。
「あ。あっちのサンドイッチも美味そうだな。あれって挟んである肉とソースがこの辺にない味のやつだ」
「え、ちょっと……!」
手にした串焼きをその場で食べるのかと思いきや一口も食べないうちにさらに他の屋台に目を向けるオルフェにライアはつい声を上げるのだがどうやら彼はもう止まらないらしい。
見つけた別の屋台に向かってまっしぐらだ。
で。
「おい、これ持ってろ。あっちに揚げ菓子の屋台が出てる」
買ったばかりの串焼きとサンドイッチを両手に持たされてライアが促されたのはさらに別の屋台。そしてそのあと飲み物の屋台もハシゴして。
「ふ……ん、そうか。ライア、ちょっとここで待ってろ」
二人とも両手が塞がる程度の買い物をした後、オルフェはライアの手と自分の手を見比べてそう言うと、広場に設置された簡易テーブルと椅子のスペースにライアを誘導してそこに座らせる。
「え……ちょっと待って。どこいくのよ?」
手に持っていた揚げ菓子の包みと飲み物をテーブルに置いたオルフェはさらに周りにある屋台に視線を向けている。
……不穏だ。これだけ買っておいて、この感じ不穏極まりない。
ライアが頰を引き攣らせていると。
「……もうちょっと買ってくる。それ、見張ってろ」
予感的中!
ライアが脱力してがっくり項垂れた。
「さあ、食べよう!」
上機嫌この上ないといったオルフェが戻って来るのにそう時間はかからなかった。
そしてテーブルの上は……このテーブル、四人掛けですけど? って確認をとりたくなるけど……所狭しと色んなものが乗っている。
唖然とするライアの前でオルフェは得意げな笑みを浮かべている。
「お前さ、あんまりこういう祭り出たことないんだろ? それ、美味いんだから一口ずつでいいから全部食えよ?」
「……はい?」
意外な一言にライアが固まる。
え……これ全部?
そりゃ、種類が多すぎて……一口ずつじゃなきゃ食べきれないような量だけど……いやまさか、私が食べていいとは思わなかったよ?
飲み物はちゃんと二人分あるとはいえ食べ物は全部一人分しか買ってないからてっきりオルフェが自分で食べるんだと思ったんだけど……。
「ほれ、串焼き。最初に買ったやつだからそろそろ食わなきゃ冷めきっちまうだろ」
固まったライアの目の前、なんなら口元に串焼きが突き出される。
「え、え?」
唇に触れるか触れないかの場所にあるそれは、とてもスパイシーないい匂いがしており……。
にやっと笑うオルフェの方に一旦視線を送ってみたが、全く引く気はなさそうなので仕方なく。
「……ん。……おいひい」
「よく出来ました」
にんまりと笑うオルフェ。
しまった。乗せられた。食べさせてもらうような真似をしてしまった……。
行きがかり上とはいえ、差し出されたものにそのまま食いつくようなことをしてライアが若干気まずくもなりながらその味に目を見張る。
すごく香ばしいのは焼き方のせいだろう。表面がカリカリで中が凄くジューシー。そして何をどう配合した味付けなのか全くわからないけど味が中まで染み込んでいて柔らかい。
「あと、これも先に食べていいぞ。中から肉汁出て来るから気をつけろよ」
ライアがかじった後の串焼きを頬張りながらオルフェが差し出してきたのは白く蒸し上がったお饅頭。小さいものが紙に包まれて三個ほど入っている。
「ハイ……いただきます」
もうこうなったら言われるままに手を出すしかない。
下手したらまた口まで持ってこられそうだ。
そう思いながらつまんだお饅頭はほんのり温かくて柔らかい。
これはまた、優しい、いい匂いがする。
そう思いながらパクリと一口。
「んん!」
じゅわっと中から溢れる肉汁にちょっと驚いたけれど、それ以上にこれもまた美味しい。
うわ、これ、うちで作れないかなぁ……いや、調味料が全くわからない。何を使ったらこんな香りとコクが同居するんだろう? という味だ。
「……楽しいもんだろ?」
満足そうに目を細めながら飲み物のカップを口に運ぶオルフェに無言で頷きながらライアはテーブルの上の物を見渡した。
……見事に一通り食べたね。
もはや自分に何かを課したかのように全種類食べきった。
途中から美味しくて目新しいものばかりなので本気で楽しんでしまったけれど。
はたと、気づいたのは。
これ、最初から私に屋台の味を楽しませるためのオルフェの計画だったんじゃないかということだった。
私が一口ずつ食べて、残りを自分が食べるという前提でわざわざ朝食まで抜いて準備してきたとか……。
いや、そこまでするかな。
純粋にこれが彼の祭りの楽しみ方かな、ともちょっと思い直してみて。
「オルフェって、祭りのたびにこんなに色んな種類のものをいっぺんに食べてるの?」
チラリと視線を向け直しながら尋ねてみる。
「え、いやまさか! 毎回とかじゃないぞ。……まぁ、そうだな、旅仲間と一緒にいる時に祭りが重なったら屋台巡りで宴会、みたいなことにはなるけどな……あ……」
あはは。やっぱりね。
若干慌てるように自己弁護してから我に返って気まずそうに視線を逸らすオルフェにライアがくすりと笑みを漏らす。
「……ありがとう。凄く楽しいわ」
ここはきちんとお礼を言わなきゃね。
ライアの言葉にオルフェはまんざらでもなさそうな顔になった。
「シズカがさ」
ライアに答えたことで自分の計画がバレたと観念したのかオルフェが軽く息を吐いてからポツリと溢すように話し始めた。
「シズカが、お前のこと結構気にしててさ。昔から人が沢山いるところには出て行かないから祭りなんかもう長いこと行ってないだろうって。で、今更楽しもうと思っても敷居が高いだろうなと思ったから無理矢理付き合わせた。俺なんかが相手で悪いがな」
投げやりな感じでテーブルで頬杖をつきながら唇の端を片方あげるオルフェは……なんだかちょっとカッコいい。
「あ、でも。俺は正真正銘の、昔っから、筋金入りの、祭り好きだ。俺は無理してお前を誘ったわけじゃないからそこは気を使うなよ」
ニヤリと笑うその表情までもが、カッコいい。
……惚れたりはしないけどね。
そう思いながらもライアの頰は緩む。
こういう時に気を使ってくれる友人がいるというのはありがたい。
……そうか。
友人か。
なんて、ふと変なことに気づいてライアは我ながらこっそり目を見開いた。
自分にも「友人」と自覚できる相手がいるのだということに、今更ながら気がついた。
「知り合い」ではなくてもっと身近な枠に収まる存在。なんなら「親しくしてくれている知り合い」とかでもなく「友人」。
「なんだ、どうした?」
オルフェが目を細めて声をかけて来るので。
「あ……うん。……えっと……オルフェみたいな人をいい友達っていうのかなって思って……」
つい、ぽろっと思ったことをそのまま口にしてしまってから「しまった」とライアが我に返った。
こちらが一方的に「友達」なんて思ってるだけで相手はそこまで思ってないかもしれないっていうことをうっかり忘れてた!
と。
途端にオルフェが眉を顰める。
ので。
ああ、しまった、そうですよね。なんせお友達作り初心者なので距離感が掴めてないんです。勝手に馴れ馴れしく「お友達」発言しちゃってごめんなさい。
と、一瞬で赤面して俯くライアに。
「まぁ……そうだよな……まずはオトモダチからだよな……これ、そのうち進展する可能性あるのかな……」
なんて呟く声が聞こえて「うん?」と視線を上げるとオルフェが遠い目をしている。
コホン、と小さく咳払いをしたオルフェはさすがに、といっていいのか気持ちの切り替えは素早いらしい。
「……で、その後どうなんだ? あいつのことは?」
まだ少し残っている揚げ菓子をつまみながら視線を向けられてライアが一瞬「?」となってから訊かれている意味が分かって。
「え……ああ……レジナルドのこと?」
と視線を逸らす。
ああ、本当にこの人はいろいろ気にかけてくれているんだな、と思うとありがたくなる。
こんな場で持ち出される話題なのに「よけいなお世話」なんて全く思わないどころか心地よくさえ思えてしまう。
……そうか。友達がいて、相談に乗ってくれるっていうのはこういうことなのか、なんて漠然と思ったりして。
今まで何か問題を抱えるとしても大抵は自分で解決してきた。
そりゃ子供の頃は師匠がいつもそばにいて気にかけてくれたので、落ち込んだりモヤモヤすることがあったりすればさりげなく声をかけてくれていい感じに助言をくれたものだった。
でもそれは子供の頃だ。自分で筋道立てて考えられるようになってからは師匠はこちらのことには滅多に口を出さずに見守るようになっていた。いつまでも誰かの助言が必要な人間になるのではなく自立できるように育ててくれたんだと思うし、信頼してくれているのだろうとも思っていたので、それはそれでありがたく、嬉しいことだった。
なので。
こんな風に一つのことをいつまでも気にしてくれる人がいる、しかも頼んでもいないのに定期的に話を聞き出してくれるというのは新鮮な感覚。
確認の意味で返した名前にオルフェが小さく頷いたので。
「う、ん……そうね、一応気持ちの区切りはつけた、かな」
とりあえず、そう返してみる。
「……区切り……?」
一瞬目を丸くしたオルフェが小さく聞き返すので。
「ん。だって……レジナルドが私を必要としていないのなら仕方ないでしょう? それに……彼が私と一緒にいた時のあれこれって、どれも疑いようのない本物の彼だったと思うの。凄く、楽しかったのも事実だし。と、ね。……あとは信じるしかないかなって」
食べたいものは食べ尽くして、いい加減お腹一杯になったところでもあったライアはその勢いでちょっと気怠げに頬杖をついてため息を吐く。
「……あ? えーと……必要とされていないと割り切って……信じて待つってこと、か?」
オルフェが眉を寄せて神妙な顔になる。ので。
「え! ああ、違う違う! 信じるっていうのはそういう意味じゃなくて、彼が楽しそうに過ごしてくれた時間は彼にとっても私にとっても本当に楽しい時間だったっていうのを信じるっていう意味。私を騙そうとしてそういうフリをしていたとかじゃなくて。……それに必要とされてないのに待ってますとかって、重いでしょうさすがに!」
そう言いながら改めて身を起こしたライアは最後にちょっと自虐的な笑みを浮かべてしまう。
そうでもしないと、とんでもなくこの場にそぐわない感情に支配されてしまいそうだ。
こんなにお天気も良くて、素晴らしいご馳走を食べて、お腹一杯で、気遣いが心地良く思える人を目の前にしているこの場において。
なんならさっきから広場の片隅では集まってきている子供たちのために陽気な感じの曲を演奏する人達まで出て来て、子供達の歓声や笑い声まで聞こえているのだ。
こんな状況では……無理矢理にでも笑顔を作っておかないと心の何かが削ぎ落とされてしまいそうだ。
そんな思いから作られた、笑み。
そんなライアをオルフェは複雑そうな顔で見つめた。




