徹夜の夜と明け
一年の終わりに差し掛かる頃というのはある意味こんな小さな村の薬種屋でも忙しい時期だったりする。
特にこの地域はこの時期から寒くなるので体調を管理するために前もって薬を買いに来る人が多いのだ。
「いつもありがとうねぇ。ライアさんは前回の薬をちゃんと覚えていてくれるから説明が楽で本当に助かるわ」
家族用にと風邪薬を買いに来た近所のおばちゃんがそう言いながら支払いを済ませると「これはほんのお礼」と言って大きめの包みを渡してくれる。
てっきりどこかにもっていく手荷物と思っていたものをテーブルの上に出されてライアはちょっと目を丸くした。
「え……これ、何ですか?」
代金を受け取っている以上あまり高価なものは受け取れないので、そろそろと包みに手を伸ばすと。
「これね、正直なところ使い道がなくて。布地なのよ。嫁いだ娘が町で流行りの柄だからって持ってきてくれたんだけど……私にはちょっと派手すぎてね。ライアさんはまだ若いのにいつも同じような服ばっかりでしょ? たまにはお洒落してほしいなって思って」
そうか、新年の祭り。
こういうイベントがあると故郷に帰省する者も多い。
きっと彼女の家には町の方に嫁いだ娘さんが沢山のお土産を持って帰省しているのだろう。
「えー……でもこれって……」
ライアが包みの開いているところから中を覗くとなかなか高級そうな生地がチラリと見える。これは軽いお礼、と貰う物ではないような気がする。
そう思いながら眉を顰めると。
「いいのよ! あなたが村に戻ってきてくれて本当に感謝しているの。私だけじゃないわよ、みんな感謝してるのよ? 診療所で診てもらうとなると毎回一から説明しなきゃいけないところをライアさんは私たちのことをいつもちゃんと覚えていてくれてるからとっても話しやすいし、お薬はてきめんに効くし、何かお礼しなきゃってずっと思ってたの」
そう言ってウフフと笑われるともう返す言葉もなくライアは眉を下げるしかない。
そういえば最近村の人からの差し入れが多いなと思っていた。
食料品のような日常必要な物も時々お客さんが差し入れてくれるとはいえ普段は対価を払って村の人から買うことの方が多かった。
なのにこっちに戻ってきてから買うよりもらう物の方が多いくらいだ。
それに加えて、オルフェが手伝いに来るついでに何かしら置いていってくれることもある。
何だかこんな言葉を聞いてしまうと。
「……あの……本当にありがとうございます」
「やあね! 大袈裟なんだから!」
うっかり涙を浮かべて声が詰まってしまったライアの背中がバシッと叩かれる。
「それで新しい服でも作って新年の祭りに参加したらいいわよ!」
そう笑顔で言い残して本日ラストと思われるお客は帰っていった。
そろそろ夕方に差し掛かる時間帯。
村の人たちは夕食の支度に取り掛かるので店も閉める時間だ。
こんな時間になってようやくライアは自分のことをあれこれ考え始めるのが最近の日課になっている。
日中はオルフェが何かしら用事を作ってやって来たりお客がいたりするので、静かに何かを考える暇がない。
なので、お客を見送った後ドアにかけていたプレートをクローズの方にひっくり返してから、もらった包みを改めて開き、ちょっと個人的な事を考え始める。
うーん。
本当に綺麗な生地だな。
色は淡いピンクとベージュの中間。織り模様が入っていて生地の厚みも程よい。量もこれだけあればちょっとしたよそ行きの服が作れそうだ。
これを着て……新年の祭り、か。
と、ちょっと想像してみて。
そもそもこの村に来てから、村の祭りには数える程度しか行ったことがない。それもまだ子供の頃だ。
耳が聞こえにくかったからというのもある。
そして、師匠と一緒にいたかったから。
師匠は親族と縁を切ったりしていたし元々村の人間ではなかったから、村の人から何かと噂されたりしているという印象が強くてそういう場に行くのをやめたのだ。……多分それも自分の聴覚のせい。
ちょっと師匠の名前が出るだけで何を話されているか聞こえないから悪い方にばかり考えてしまって自分の世界を自主的に狭くしていたのかもしれない。
最近周りの音を普通に拾うようになって思ったのは、村の人たちは決して悪い人たちではなく、むしろ親切で人の事をよく気にかけているという事だ。
多分、こういう人たちは習慣的に悪意のある噂話はしないのではないだろうかと思う。
自分で勝手に思い込んで殻に閉じこもっていただけだったのかもしれない、とも。
それに、自分のことをよく褒めてくれるのにも内心驚いた。
自分がこんなに評判のいい人間だったなんて、と我ながら驚くくらいの褒めようなのだ。
「よし。とりあえず形にしちゃおう」
生地を広げて鏡の前で自分の体に当ててみると、なかなか雰囲気がいい。顔色も明るく見えるから自分に合った色なのだろう。
村に住んでいると町の仕立て屋を利用することはほとんどなく、自分で自分の服を作ることにみんな慣れている。
ライアも例外なく自分の服は自分で作れるし、なんなら自分に合わないサイズのものを直すこともできる。
それでもこういう上等な生地を使うとなると少しばかり緊張するし気合がいるのだ。
「うーん……これだけ量があれば上手くしたら上着も作れたりしてね」
ちょっと考えてからシンプルなワンピースとそれに合わせた上着を作ることに決める。
せっかくだし……何か飾りを付けてみようかな。
着られなくなった服から外しておいたレースやブレード、リボンなんかが入っている裁縫箱の中を探してみて、良さそうなものを幾つか取り出しておく。
こういう時のために型紙もいくつか用意がある。
主に普段着用だが、実用性重視の服からよそ行きのデザインにアレンジするなんていうのは手慣れたものだ。
途中でお腹が空いて「あ、夕食」と思い立ち、下階に降りて簡単なサンドイッチを作って部屋に戻り、それを食べながら作業を再開する。
これはひと段落するまで眠れそうにもないな……と、我ながら苦笑が漏れたりして。
「しまった……徹夜してしまった……」
手元を見るのに苦労しなくなっていることに気づいて窓の方に目をやったライアが眩しそうに目を細めた。
こんなふうに何かに没頭して時間を忘れるほどになるのは久しぶりだ。
つけていた灯を消して、まだ完成したわけではないとはいえ一応形の定まった服を手に鏡の前に立ってみる。
サイズは間違いないはずだけど、万が一のこともあるので部分的に本縫いはまだしていない。
自分の体に当ててみて身ごろや裾の様子を確認して……全体的なバランスやイメージを確認する。
「ん。……我ながらいい出来かも!」
裾を揺らしてくるりと大袈裟に回ってしまうのは徹夜明けの妙なテンションだからかもしれない。
……しまった、年甲斐もなく乙女だわ。
と、鏡の中の自分からそっと視線を逸らしてみたりして。
そして、はた、と。
私、相当浮かれてるわね。
この服、着てみたところで……レジナルドに見てもらうとかは……もうないのにね。
真っ先に新しい服を見せたい相手を頭の中で思い描いたそばから現実に引き戻される。
そりゃ……まぁ……仕方ないんだけど……。
でも……一応……一般的な女子として、祭りを楽しむのに必要な服を手に入れたというだけでも心躍るのは間違ってない! うん、それだけでもかなり楽しくてもいい筈!
……よし! 一旦朝ごはん食べよう。
と、自分の中であれこれ勝手に結論付ける。
朝ご飯はごく簡単なもの。
パンは仕込んでいなかったのでパンケーキ。
何種類かの野菜を刻んで茹でてサラダにする。この時期は葉物野菜よりも根菜類が多い。人参とジャガイモと南瓜を小さめに切って茹でたものを皿に盛り付けて、刻んだハーブと塩をかける。
パンケーキが焼きあがるタイミングを合わせたのでどちらも温かい状態で、そこにお茶の用意を添えれば完成。
食後のお茶にはオルフェが持ってきてくれた緑茶を用意。
かなり質の良い茶葉だった。柔らかい繊細な味で香りも良く、お湯の温度は低めで淹れた方がいいだろうという茶葉。
「それにしても多いな……」
ついこぼしたのは本音。
「こういうものをもらうのが好き」と認識されたせいなのか、オルフェが持ってきたお土産の茶葉は量が多かった。なので、彼が訪ねてくるたびにそのお茶を出してはいるが、それでもなかなか減らない。
……とはいえ高級茶葉ではある。粗末には扱えない。
軽く苦笑しながら朝食の支度を終えて一人で食べるのは台所の作業台。
もう居間のテーブルで食べることも無くなってしまった。
以前の生活に戻ったってだけなんだけどね。
そんなことを思いながらもつい小さくため息が出てしまい、それと同時に胸が小さく痛む。
元の生活に戻るということがこんなにも胸の痛むことだとは思いもしなかった。向かい側に座るキラキラ笑顔に、慣れすぎてしまっていた。
あんな光景がずっと自分のそばにあるなんて贅沢すぎて……ありえないだろうなんて思ってはいたけど本当に過去のものになってしまったら、それはそれで胸が痛む。
とはいえ。
昨夜、裁縫に没頭しながら変なことを思い出してしまってもいたのだ。
テスラート家に行った時にレジナルドが言っていた言葉。
ちょっと前にオルフェと話したこともあって色々思い出してしまっていた。
あの時は結局話題が逸れてしまったのでレジナルドに言われたことについてはあまり深く考えなかったのだけど。
『同じことを何度も言わされるの、僕好きじゃないんだ』
あの言葉は心臓を貫かれるように痛かった。
私、そんなに彼の言うことをちゃんと聞いてなかったんだ……いや、聞いてないっていう印象の人間だったんだ。
そりゃ、同じことばっかり言わされてたら怒るよね……と再び思い出したらずるずると落ち込んでしまって。
『前にゼアドル家でも話したよね』って彼は言ったのだ。
ゼアドル家で何を言われたっけ……?
って思った。
ほらもう何を言われたか覚えてない。
そりゃ、イラッとさせるのも当たり前だわ。
そう思って落ち込んで……結局、手を動かすことでどうにかしのいだ夜だったようなものだ。多分そのまま寝てしまったら嫌な夢を見るか、むしろ気になって眠れないかだろうと思ったので。
で、今更ながら思い出そうと頑張っている自分がいる。
食事をすれば頭が正常に働いて、忘れていることも筋道立てて思い出せるんじゃないか、なんて思った。
で。
……うーん。
私、そもそも、ゼアドル家でレジナルドと何か大事な話なんかしたっけ?
と、ライアは首を捻っている。
パンケーキを口に運びながらも頭の中はゼアドル家での日々を思い起こすことで一杯だ。
……だって、そもそもレジナルドと会うことすら数えるほどしかなかったよね。会うとしても堂々と会えないから隠れるような感じだったし。
うん。
そうだ。
あの家で彼と会ったのは二回。そして、最後のパーティーの夜を入れたら三回だったはず。
一回目はそう大した話はしなかったと思っている。
なにしろ彼からの手紙を私が受け取れていなかったから会話が噛み合っていなかった。持ってきた薬を押し付けるように渡して別れたような気がする。
で、その誤解は二回目に会った時に解けたはずだ。
となると、二回目に会った時。
何か大事な話ってしたっけ? と思う。
まぁ……あの時は離れを建てるに当たって柳の木が使われていたことを聞いて私が取り乱しきっていた時だった。
今思い出しても……赤面してしまうくらい取り乱していた。
ああ、だから何か聞いたことを忘れているのかもしれない。
でも。
あの時のレジナルドは……うん、すごく優しかったのだ。
あんな氷みたいな表情も声も口調も想像つかないくらい優しかった。
別れ際には「自分を信じてほしい」みたいなことも言ってくれて……私はその意味がわからないままだったから誤解してしまったけれど、彼は結果的に私を裏切るようなことはしなかったのだ。
え……あ、れ?
そうだ。
信じてほしい、って言われた……。
ふとライアの動きが完全に止まる。
いや……まさかね。
テスラート家における、あの状況で「信じて」なんて言うかな?
テスラート家で会った時のレジナルドの行動や仕草、声の質を思い出しながらさらに自問してしまう。
いや、だからこその「信じて」かな?
でも、この状況で彼を信じていたりしても良いのだろうか?
それはちょっと……重い女じゃないだろうか?
……うん、確実に重いよね。
あんな可愛いお嬢さんが隣にいるのに、こんなに冴えない仕事してる年上の女が「信じて待ってます」なんて……滑稽だわ。
つい遠い目をしてしまう。
うん。
変に期待するのは、やめたほうがいいだろうな。
もちろん彼に悪意を抱いたりはしない。
だって今でも一緒に過ごした日々は……こんなにも心に温かい。恨んだり悪く思ったりすることはできないもの。
だから、これはある意味「信じている」ともいえるのかもしれない。
彼が私にしてくれたことはどれも真実だし、心のこもった本音だった。それを疑ったりすることはない。
それで、良いのかもしれないな。
なんて思う。
彼の心が変わったのなら……仕方ないもの。
やりたいことがあって、私がその邪魔なのだとしたら……それは仕方ない。彼の邪魔をしてまで得られるものは……きっともう何もない。
そう割り切ることにしようと思っても……心のどこかに引っ掛かりを感じるのは……未練だろうか。




