面倒な客
さーって、と!
今日は飲んじゃおうかな!
ライアがふんふんと機嫌よく鼻歌なんか歌っているから居間にある鉢植えが嬉しそうに新芽を出している。
昨日の夜、裏庭の住人たちに約束したのだ。
今日はこっちで歌う、と。
そして家で歌うとなると、飲むよね。
だってあるもん。師匠が漬けたいろんなお酒。
なんなら私も買い足すし。
午前中のお客がとっても都合よくお酒なんか持ってきてくれた。
旦那様が飲みすぎて体調を崩していることが判明したのでありがたく没収させていただいたのだ。これは米の酒。
あ、あと師匠がいた頃に漬けていた梅酒がある。もう琥珀色のいい感じに出来上がっているからそろそろ開けようかと思っていたのだ。
つまみは野菜がいろいろあるからハーブと塩だけで味付けして焼いたもので十分だわ。
午後からそんなことを考えながら気もそぞろで仕事をしているライアは時々ニヤニヤ笑い出すのでちょっと不気味だ。
「あの……いつもの薬でいいからとりあえず作ってもらえるかしら?」
いつも来るわりと近所のおばちゃんが一抹の不安を感じたのか新しい薬を拒否する方向でいつもの頭痛薬だけに注文を変えるので「あらしまった」とライアもちょっと反省しつつ。
頭痛薬と一言で言っても人によって原因と経緯は様々。同じ薬というわけではない。
ちゃんと一から調合します。
この方の場合は疲労からくる緊張で血管が細くなって頭痛に発展するので緊張を和らげる系の調合。そして血流を良くするための調合。
「ありがとうね。いろんなハーブを試してみるけど、やっぱりここの薬が一番効くのよ、いつも助かるわ」
玄関先まで見送ると、そう言って帰っていくおばちゃんにライアが営業用スマイルを貼り付けた顔で頭を下げる。
「ほんとだ。ちゃんとお客さん来るんだね」
どこかで聞いたような声がしてライアが顔を上げると。
「え、レジナルド?」
玄関に向かって歩いてくるのは全体的に白っぽい、素直そうな微笑みを浮かべたレジナルド。
「また来ちゃった」
どことなく照れ臭そうにそういうと、目を丸くしているライアとまっすぐに目を合わせてくる。
「……」
「あれ……いけなかった……?」
ライアの沈黙に一気に不安そうな色を浮かべてレジナルドが眉をしかめる。
玄関は少し高くなっているのでライアの方が立ち位置が高く、真っ直ぐに目が合う位置だ。
「……あ、いや。別にいけなくはないけど……ちょっと意外だっただけ」
「そう? いろいろお礼も兼ねて……あと……こないだのお茶、美味しかったからまた飲みたくなってきたんだけど」
玄関先で微動だにしないライアに痺れを切らしたのかレジナルドは玄関前の小さな段を無理やり上がる。
小さな階段が二段ほど。
「無理やり」上がるというのは、その行為によってライアとの距離を不自然に縮める行為だ。
押し迫ってくるようなレジナルドにライアは反射的に後ろに下がり……家の中に入らざるをえなくなる。
満面の笑みでそれをされたらもう、止めようもない。
「……随分顔色がいいわね」
「そう?」
美味しかったお茶と言うのはミルクで仕立てたほうじ茶のことだろうと思うので、台所で自分の分と二杯分作ってからライアが居間に戻ってきてレジナルドに声をかけると、レジナルドはにっこりと笑う。
一目見てちょっと驚いたのは彼の顔色の良さだった。
色白だとは思っていたし、確かにそれはそうなのだが、今日の彼はどことなく血色がいい。血色がいいせいなのか、表情が物凄く明るく見えた。
……本当に睡眠障害を抱えていて……それが改善されたと言うことなのだろうか。
ライアがレジナルドの向かいに座ると目の前に小さな袋が出された。
「なに?」
ライアがきょとんとレジナルドの方に目をやると。
「なにって……一応ここ薬種屋だよね。こないだの支払い、まだだったから」
レジナルドがなにを言い出すんだ、とでも言うような目でこちらを見ている。
「え、ああ……」
そうか。
なんとなく自分で強制的に連れ込んだような形になってしまっていたから代金を要求するという意識がなかったな、とライアがちょっときまり悪く思いながら袋を手元に引き寄せて……眉を寄せる。
……なんか予想外に重い?
そっと袋の口を開いて中身を確認。
「え! これ、ちょっと……!」
袋のサイズからして銀貨かと思ったら金貨だった。しかも入ってる量が半端ない。
結局薬代として請求できるものと言ったら帰り際に渡した安眠のための薬茶。あれくらいなら銀貨でも数枚で足りる。
「だって、一泊させてもらったし、食事もお世話になったし……あとハーブも一束貰ったからね」
いや、それにしてもこれは多すぎる。
一般的な村の宿屋でもこの金貨半分もあればお酒と食事付きで一泊できる。
うちではベッドだって貸してないし、朝ごはんは作ってもらったんじゃなかったっけ。
目を丸くしたまま言葉を失っているライアに。
「あ、じゃあまたあの薬茶作ってもらっていいかな。こないだの花はまだ元気に咲いてるから枯れたら新しいの欲しいし」
「それは構わないけど……それにしてもだいぶお釣りが出るわよ」
「うん、じゃあ当分払わなくていいかな。しばらく通うからさ」
「……え……」
なんかめんどくさい……。
と言う言葉はかろうじて飲み込んだ。
「だっておかげで本当に良く眠れるんだ」
キラキラ笑顔でそうまで言われると首を縦に振るしかない。
そしてそれは薬師冥利に尽きるはずで。
「……うん、やっぱりこれ、美味しい」
ほうじ茶のミルクティーを口に運んで香りを楽しんで……うっとり目を細めながら呟くレジナルドはなかなか見応えのある表情だ。
物語に出てくる王子様とかがきっとこういう完璧に美しい笑顔を浮かべるのだろう、という表情。
色白の頬はほんのり上気して薄く色づいており、かといって女の子な雰囲気ではない。しっかりした目鼻立ちはきっちりと男性のそれであり、それでもうっとりしているかのように細められる薄い茶色の瞳はどことなく中性的な雰囲気も持っていてどことなく現実離れしているくらいだ。
ライアもうっかりすると肩の力が抜けて見惚れてしまう。
……ああ、いやいや。
そんなものにほだされている場合ではない。
ライアは思わず背筋を伸ばした。
なにしろそろそろ夕暮れ時。
今日はこれから飲めや歌えやの……あ、いや、飲むのも歌うのも私一人ではあるが、それはそれ。大事な宴の約束があるのだ。準備もある。
「……なに?」
急に背筋を伸ばしたライアに訝しげな瞳が向けられた。
訝しんではいるものの……この白ウサギ、邪心というものがないのだろうか。ほぼ好奇心で染まった視線とも言えそうな素直な目をしている。
「あ……いや……その。それ飲んだら帰るよね?」
暗に帰ってねと言っているんだけどね。
ライアがにっこり笑うと。
「うーん……お金は払ってるし夕飯ご馳走になってもいいけど」
「ここは宿屋じゃないわ!」
「でもこないだは泊めてくれたし」
「あれは不可抗力!」
なんだか前回うっかり乗せられた流れを彷彿とさせるやり取りにライアが一旦気を静めようと呼吸を整える。
「……だいたい。そうしょっちゅう無断外泊してたら家の人が心配するでしょう」
やれやれと肩をすくめながらそう言うと。
「……」
あれ。
急に黙った。
なんなら表情が凍りついた、かな。
ああ、あれか。
ちょっと子供扱いしすぎたかな。いくら私より年下だろうとはいえ、どう見ても立派な成人男性。……いや、雰囲気が小動物代表だけど。
「別に誰も僕のことは気にしないから大丈夫。……なんならどこかでのたれ死んでたって気にしないから」
「……は?」
ちょっと待って。
そういう話、ここでされるの困るんですけど。
ライアが内心ビクつきながらも思わず聞き返した。
ええ、面倒ごとはごめんです。なにしろレジナルドは町の人。しかも富裕層。そういうお家問題的なことに首を突っ込んだらただじゃ済まないことは良く知ってる。師匠亡き後そういうことで私は苦労しているんだし。なのでこれ以上問題も厄介ごとも、ビタひとつたりとも増やす気はない。
私はただただ、村人から言われた通りの薬を作って生活できればそれでいいのだ。それ以上もそれ以下も望まない。
なのに。
今私「は?」って聞き返しちゃったじゃないねー……。
つい、条件反射で、つい、人情に動かされちゃったじゃない……。
そんなことを思いながらライアは食い入るようにレジナルドを見つめてしまう。
いや、ここであからさまに目を逸らすとか話題を逸らすとかは……人としてアウトな気がする。
でも深入りしたくない。
相談に乗ってあげるから話してごらんとか言う気はさらさらないし、出来れば何もなかったことにしたいけど……こちらから「そんなの知りません」的な反応するのは絶対イケナイと思う。
なんだこの複雑極まりない心境。なんなら背中に嫌な汗が吹き出している気がする。
ライアの複雑な思惑と心の葛藤によるちょっとの間をレジナルドがどう理解したのかは定かではないが。
彼は手にしていたカップを静かにテーブルに戻すと小さくため息をついた。
何か目の前にある忌々しいものを凝視するような目つきで。
うわわわわわ。
だ、だめだ。
駄目だこれ!
ほっといたらこの子首でも括っちゃうかもしれない! 明日の朝、玄関開けたらドアの外に死体がぶら下がってるとか、絶対駄目!
「あの……今日は多少帰りが遅くなっても大丈夫なの?」
……待て待て、私、何を言う気だ。
「え……あ、うん」
途端にきょとんとした薄茶色の瞳を、これ以上思い詰める方向に後押ししてはいけないというのは分かっているけど!
「この後ちょっと飲もうかなとか思ってるんだけど付き合う?」
……おい! 私! 何言い出すんだ! それは絶対駄目なやつ! 主に飲む理由と場所の方向で!
「……え、いいの?」
……白ウサギ、お前も断れ! 私たちそんなに仲良しじゃないでしょうが!
かくして。
ライアは。
……私、こんなに流されやすい性格だったっけ……と、こっそり反省会を心の中で行いつつ、どことなく嬉しそうなレジナルドと二人でつまみを作るなんていう作業に入った。
自分一人で飲み食いするならつまみはシンプルに野菜だけでいいかと思っていたけれど、思わぬ客が参入したのでちょっと気を使って干し肉とかチーズとかも出してみる。
「すごいね。野菜ってこんな簡単な調理でこんなに美味しくなるんだ」
出来上がって皿に盛り付けられたものを味見してレジナルドはもう終始ご機嫌だ。
……なんだ、野菜にそこまで食いつきがいいなら気を使って素材を増やさなくてもよかったな。さすがウサギ。
なんてライアはちょっと恨めしそうな視線を向けてみたりする。
「ここ、こういうことするための場所?」
裏庭の一角。
作業小屋の外に屋根付きの作業スペースがあって、そこのテーブルに料理を運び込むとレジナルドが目を丸くした。
前回来た時はこんなところまでは案内しなかったから気づかなかったのかもしれない。
「まさか。こっちの小屋は精油を作るための作業部屋。で、ここは詰んだ薬草を処理するためのスペースよ」
屋根を支えている何本かの柱には忍冬が絡み付いて香りを競うように咲き乱れている。
この競い方もライアには微笑ましくて仕方ない。昨夜「明日は歌うから!」と宣言したせいなのだと思うのだ。昨日まではここまで咲いていなかった。
まるで歓迎の証でもあるかのような咲き方。そして「私を見て!」「褒めて!」なんて声が聞こえてきそうな咲き方なのだ。
そんな柱で支えられた屋根のあちこちに下がっているランプに火を灯していくとちょっと幻想的な雰囲気が出来上がる。
庭には月明かり、屋根の下にはランプの灯り。
ライアの行動を見ながらレジナルドもそれに倣うようにランプに灯をつけていく。
全体がほんのり明るくなるとテーブルのささやかな料理もぐんと引き立つ。
それで、だ。
支度が整ってライアが一旦腰に手を当て、ぐるりと裏庭を見回す。
うん。
なんとなく微妙な空気。
そうだよね。
こういう夜に他の人間がいたことなんて、まずない。
事情を知っていた師匠が面白がって何度か同席したことがあるくらいだ。
で、この白ウサギは事情を知っているわけでもない。
そのくらいの事は私が醸し出す雰囲気から庭の子達にはお見通しなんだろう。
……なんだかくすくすと笑われているような気がしてならない。
くぅ……面白がってるな。みんなして。
こうなったら。
「よし飲もう! レジナルド、あなた飲めないなんて言い出さないわよね?」
ライアが不敵な笑みを浮かべる。
ここは先に酔いつぶしてしまえ。そしてその後ゆっくり庭の宴だ。
「わーい! いただきます!」
そうして何も知らないレジナルドのグラスにはなみなみと酒が注がれた。




