宴と贈り物
裏庭の宴は粛々と進んだ。
生い茂る植物たちは常軌を逸した姿に育っているとはいえ、満月の光を浴びて浮かび上がるのは幻想的といってもいいような光景だ。
新しい艶やかな葉が放つのは清々しい芳香、咲き乱れる花々からはふくよかな芳香が立ち上っており、その花は次々と散っては艶やかな実をつける。そしてまた新しい花が咲き始めるのだ。
その舞い落ちる花弁もまた美しい。
まるで溜め込んでいた力を一斉に解放しているかのような光景でライアもレジナルドも息を飲んだ。
そんな中でライアが歌うと、植物たちはさらに強い芳香を放ち、さわさわと揺れて、花の咲く勢いが増す。
そもそも花が咲くような季節ではないのに、まるで何年か分の春がまとめて来たような勢いだ。
『姫、我らからの感謝の贈り物を受け取ってくれるか』
聞くまでもないが、と付け足しながら穏やかな声が問う。
「もちろんです。謹んでお受けします」
何曲か歌い終わったライアは少し息が上がったまま、周りの植物たちをくるりと見回し満ち足りた笑顔で答えた。
そんなライアの様子を眺めるレジナルドは。
こういう関係性なのだ。
と、納得する。
昼間に膝をついて頭を下げるのを留めた植物の気持ちが分かる。
今ライアは、木々の中でまっすぐに立ち、彼らを見上げて笑っている。
あの表情が彼女の持つ一番美しい表情だと思う。
安心しきった顔。なんの不安要素もなく素直に喜びを表現したような立ち姿だ、と思う。
植物を前にした途端、彼女はああいう顔をする。
彼女自身気づいているのだろうか、とも思うくらい魅力的な表情だ。
陽の光の下であれば、表情豊かな明るい茶色の瞳が輝きを増すのが見られて息を呑む。艶やかな栗色の髪が彼女の動きに合わせて揺れるのを見るとその一房でもいいから触りたくなる。上気した頬に、形の良い唇に、そっと触れてみたいと思う自分を抑え込むために目を逸らしてしまうのが常だ。
きっと木々は彼女がああいう顔をしている時の心の状態を知っている。
きっと一番美しい心の状態なのだろうと思うと、それを見ることができるわけではない自分がもどかしくもなるものだ。
そして何より。
ふと、小さくため息が漏れる。
僕は彼女にあんな安らぎを与えてあげられるだろうか、とつい思ってしまう。
彼女の為なら何でもするつもりだし、可能な限り彼女のそばにいるつもりだ。
彼女のそばにいつも植物が寄り添ってきたように、今度はそこに自分もいるつもりでいる。
けれど。
彼女が僕を見て条件反射でもあるかのように自然にあんな笑顔を見せてくれるようになるのにあとどのくらい時間が必要だろうか、とも思う。
もちろん彼女が普段見せてくれる笑顔に緊張が伴っているとかいうことはない。でも、時折距離を取ろうとでもするかのように表情を改める時があるのを知っている。
いつか……無条件で安心して笑ってもらえるようになんて本当になるのだろうか、と弱気になってしまうのだ。
ふと、こちらを振り返ったライアと目が合ってレジナルドが目を細める。
その情景自体がもはや美しい奇跡だ。
彼女の周りに小さな光の粒が纏わりついている。
最初は月光の加減で目の錯覚かと思ったが、違う。
よく見ると光の粒は木々の枝から降り注ぎ、足元の草花からも立ち上っている。
あれが植物たちからの「贈り物」の形なのだろうと察するのに時間は要らない。
ライアの不自由な聴覚が癒される瞬間に立ち会えていることを思うと、それはレジナルドにとって胸が高鳴る瞬間でもあり、植物たちへの敬意を深める瞬間でもあった。
まだ月は頭上に輝いている頃ではあったが。
宴はお開きになり、ライアとレジナルドは室内に戻った。
夕方から始まった宴は、ライアが贈り物を受け取った後『この時間帯は人の子には寒いだろう』という気遣いから終了となったのだ。
ライアの方はもうひたすら上機嫌だ。
「あっ! レジナルド、片づけは明日でいいのよ。こーんなに酔ってたらお皿割っちゃうかもしれないでしょ?」
ふわふわするような足取りで振り向くとレジナルドが空になった皿を重ねて持っているので慌てて制したつもりらしいが、いかんせん口調が酔っぱらい。
呂律が回りきらないせいか話し方がゆっくりだ。
と。
「ああ、うん。……って、酔っ払ってるのはライアでしょ。僕はそう簡単に酔わないから大丈夫……っとほら危ない」
台所の裏口から戻ってきて、そのまま皿を洗おうかとそれを置いたところで自分の行動を止めようとするライアが段差に躓きそうになったのでレジナルドが慌てて手を伸ばした。
レジナルドの腕の中に収まったライアはそれでも上機嫌そうにくすくす笑っている。
うーん、これは。
と、レジナルドは目を眇めて。
「……きゃ、なに?」
ライアが小さく悲鳴を上げた。
レジナルドがひょいと彼女を抱き上げたので。
「足元が危ないお姫様は僕が寝室まで送ります。はい、暴れない!」
「え、ちょっと! 大丈夫よ、ちゃんと歩けるってば!」
ライアが足をばたつかせるがレジナルドは容赦なく歩き出す。
「ほら危ないでしょ、ちゃんと掴まって」
慌てるライアの反応も酒が入っているせいかどこか緩慢で制するのは訳もない。
二階に上がって向かい合うドアの前に立ってレジナルドは一瞬躊躇う。
ライアの部屋と自分が借りている客室のドア。どちらも開けっぱなしになっているのは家主であるライアの性格上の決まりだ。
中にいないときはドアを開けておく。
そうすればいつも整理整頓ができた状態を意識的に保てるし、なんなら窓は開けておくので空気も入れ替わる。ドアが閉まっているのは中にいるというサインでもあるから用事があればノックする。
そういうわけでレジナルドとしては「お姫様」を抱き抱えているとはいえどちらの部屋に入るのも物理的には可能なわけで、どちらに入ろうかと一瞬躊躇った。
意識はあるとはいえ酔っ払っている彼女の私室に入るのはなんだか無断で踏み入るような気がして申し訳ないという気がする。
かといって、客室の方は自分が間借りしている以上、今は「自分の部屋」だ。この状態の彼女を連れ込むというのは自らに試練を課すようなもの。
躊躇ったのは一瞬で、ライアの部屋に入ったレジナルドはベッドの上にそっと彼女を下ろす。
「……んー……」
ころんと転がるようにしながら背中を丸める彼女は、どうやらもう眠気との闘いには白旗をあげかけているようだ。
「風邪ひかないようにね」
そう言いながら少しでも寝心地がいいように、ライアの身繕いを軽く緩める。
ハーブの小さなブーケを留めているピンを取ってショールを外し、髪についている銀の小さな髪飾りを外す。髪飾りを外すと柔かい髪の房が手にかかりその手触りについうっとり目を細めてしまう。
服は……本来なら着替えさせた方がいいだろうが……それはもはや自殺行為だ。
少なくともダンスパーティーで着るような腰を締め付けたりふんだんに飾りをつけたりしている種類のものではなく、シンプルなデザインであるので良しとして。
あっという間に寝息を立て始めた歌姫につい頬が緩むのを自覚しながらレジナルドはそっと立ち上がった。




