レジナルドのお願い
「レジナルド、お酒飲む?」
「……飲んでも大丈夫かな?」
夕方、ライアが台所で動き回りながら声をかけるとレジナルドがくすくす笑いながら答えた。
今夜はかなりしっかりした宴になりそうなのだ。
ライアは浮き足立つ気分を抑えようと努力しながら料理作りに励んでいる。
昼間っから裏庭は植物が異常な成長を見せて大変なことになっている。
とはいえ、この店。
上手いこと村外れにあるし建物自体が裏庭を辛うじて隠しているのでそうそう人目につくことはない。
そんなわけで一応ライアとしては胸を撫で下ろしてはいるのだが彼らは月が出るまでその姿のままでいる気満々のようなのだ。
これまでにも月に二回満月がある、ということはあった。
でもこんなのは初めてだ。
どうやら植物たちが普通を超えた力を出すためにはそういうことになってしまうらしく、いつもはうまく抑え込んでいるらしい。
彼らにとって、もはや今夜の宴は式典のようなものなのだ。愛する歌姫に自分達からの贈り物を差し出す、言ってみれば植物たちの間でも類例のない、宴。
そんな雰囲気がビシバシ伝わってきていたのでライアはもう、ご馳走は盛大に用意するつもりだ。
……食べるのは結局人間二人なのだが。
服にだって気を使う。
もはや一張羅と化している翡翠色のワンピースの手入れをして、そんなライアを見たレジナルドは自分もそれなりの服を出してきている。
レジナルドにいつか用意してもらったドレスもあるにはあるが……それは木々の茂る裏庭では不釣り合いなような気がして悩んでからやめた。あれはやはり人の催すダンスパーティー用のドレスだ。
「……盛大だね」
テーブルに並ぶものに目を丸くしながらレジナルドが声をかけてくる。
パン生地を細く切って焼いたカリカリのスティックには塩とハーブが練り込んであるものと、すりおろしたチーズがこれでもかっていうくらいまぶしつけられている物の2種類。
同じくパン生地を薄く伸ばして焼き上げたものには塩漬けの肉やチーズやジャガイモを潰して味付けしたものが乗っている。
野菜をシンプルに焼いてハーブと塩をかけただけのものは相変わらず色がキレイ。
そしてオーブンから出したのは肉と野菜を詰め込んだミートパイ。
オーブン待ちをしているのはパイ生地を敷き込んだ皿に入った野菜と卵液。その上にすりおろしたチーズをたっぷり乗せてから空いたオーブンへ。
「すごく素朴な疑問、いい?」
乗せきれなかったチーズのかけらをつまみ食いしながらレジナルドが尋ねてくるので。
「うん?」
とそちらに目を向けると。
「……こういう食材ってみんな気を悪くしたりしないの?」
……ああ、なるほど。
ライアがくすりと笑う。
「しないわよそんなの。植物たちってね、人間と感覚が違うから。私たちが野菜を食べたり穀物を食べたりするのを喜んでくれるわよ?
むしろ、彼らへの感謝を表したいから野菜とかハーブをメインにした食事を作るくらいよ」
「ふーん、そっか……まぁ、考えてみたらそうりゃそうか。ライアの仕事自体薬師だしね」
どうやら納得したようで焼き上がったばかりのミートパイにも手が伸びるので。
「あ、こら! それは後にして! そもそもそれ、中身が熱くて食べられないと思うわよ?」
ライアがレジナルドの手の先から大皿に盛り付けたパイを遠ざける。
取って食べやすいようにと大きなパイ皿で焼くのではなく手のひらサイズの小さなものを数を多めで作ったのが災いした、とばかりにライアがぷっと頰を膨らませてみせるとレジナルドは「チッ」とわざとらしく舌打ちする。
こんな空気感が楽しくて仕方ない。
ここ数週間、動けるようになったレジナルドと台所で作業をするのも日を追うごとに息があってくるような気がしていた。
こんな空気感に慣れてしまって大丈夫だろうか、なんてふと思うたびにライアはちょっと背筋を伸ばす変な癖までついている。
別に彼がいなくなるとか、距離を改めなくてはいけないというような正式な理由があるわけではないものの、なんとなくそんな気がしてしまう時があるのだ。
そんなわけで大皿をレジナルドから遠ざけてからつい背筋を伸ばした瞬間、背中が温かく包まれた。
「……っ! ……レジナルド?」
背中から抱きしめられたままライアがうわずった声を出すと。
「……ごめん。ちょっとだけ」
わずかに息を詰まらせたような声が耳元でしてライアも息を詰まらせる。
この距離!
これだけは無理だから! この状態で囁かれるとかもう無理!
「良かった、と思って。さっきの老木殿の話。ライアが悲しむ結果にならなくて……本当に良かった。……そうやって楽しそうにしているライアをまた見れてすごく嬉しい」
低い声には安堵の気持ちが表れていて、緊張したライアの心がすっと和らいだ。
「……あ……うん……ありがとう。レジナルドが私の気持ちを言葉にしてくれたからすごく嬉しかった」
ふふ。と、つい笑みが漏れる。
あの時感じた安心感は、今まで経験したことのないものだった。
今までだったら誰かが自分のことを話そうとしたら「この人、なにを話し出すつもりだろう」と多少なりとも不安になることしかなかったと思う。
でも彼が話す言葉はどこか安心して聞いていられた。
その言葉の端々に心が動いた。
「あれ……僕ちゃんと伝えられてた?」
ふと声に緊張が走ったような気がした。
ので、ライアは首だけ動かしてレジナルドの方に振り返り。
「うん。言いたいこと全部言ってくれてすごく嬉しかったけど」
と。
「はぁ……そっか……」
レジナルドの額がライアの肩にとん、と乗った。
「うん?」
ライアが小さく首を傾げる。
「……いや。その……考えてみたらライアが彼らとの繋がりを断ち切るような選択肢を取ることなんかそもそもないんだよなって思って。今まで通りでいいって願うこともできたわけだろ?」
「あ……うん……それは、そうなんだけど……でもあの時は……あんな話を持ってきたって事は、もうその時点でみんなは私との繋がりを切るつもりになっているって事だろうと思ったから……私に選択肢なんかないと思ったのよね」
確かにレジナルドの言うことは正論なのだがあの時は本当にそう思ってしまった。
なのでレジナルドの代弁は本当に、本気で、ありがたくて自分の心を全部言葉にしてもらえたことに安心したのだ。
「……本当?」
額を肩に乗せたまま、ちょっと不安げな声がした。
あ、これは。
とってつけたお礼とかじゃなくて本当に嬉しかったから感謝しているということを伝えなければ、とライアは思い直し。
「うん。本当。だからレジナルドには本当に感謝してるのよ。私のことを理解してくれてありがとう。それに私が言葉にできなかったことをちゃんと言葉にしてくれてありがとう」
目の前で組まれているしっかりした両腕にそっと自分の手を添えてみる。
そういえば右手と同じように左腕にも力が入るようになっている。
ああ、もうすっかり良くなっているんだな、と改めて実感してみたりして。
「そっか……良かった……じゃあさ……一つお願い聞いてくれる?」
なんだか緊張しているかのような声がライアの耳に届く、ので。
「え? ……なに、改まって」
顔が見えない分緊張だけが伝わってきてしまってライアの声が詰まる。
「ん……そろそろレジナルド、じゃなくてさ……レジーって呼ばれたい」
は……い……?
ライアの頭の中が一瞬真っ白になって……そのあと耳が熱くなってきて……そのまま頬も首も熱くなった。
「あのさ。ライアは僕のことまだ本気で考えられないのかも知れなくて……だから距離を取ろうとしてるんだろうなっていうのはなんとなく分かってるんだ。でも、友達同士でも愛称で呼んだりするよね? ……ダメかな?」
「いや、あの……その……えっ……と……トモダチ?」
いや、友達って……この体勢で言われる単語じゃないよね、きっと。
そんなことが頭をよぎるものの言葉にはならず。
「本当は今すぐにでも、ライアの特別になりたい。でも、ライアの心がついてこないんじゃ意味ないし。それにさ、僕の世話をしてくれてる間……ずっとそう呼んでくれてたような気がしたんだけど……違う?」
うわわわわわ!
反則!
それは反則だ!
今この状態でその話を持ってくるなんてずるい!
ライアの体温が一気に上がる。
確かに、呼んでた。
あの時は本当に不安で仕方なくて、どうにか彼の気力を持ち堪えさせようと必死で、なんの躊躇いもなく、そう呼んでた……気がする。
あれ……聞かれていたのか。
「あ……あの……」
ライアの声が震える。
気持ち的にはもう「レジー」と呼ぶことになんの躊躇いもない。
でも、改まってそう呼んで欲しいと言われてすんなり出てくるわけでもない。
そんな躊躇いで息が詰まるように声が途切れたところで。
「……?」
ライアがレジナルド越しに背後を振り返る。
つられるようにレジナルドも頭を上げて振り返る。
背後で、というか店の入り口あたりで物音がしたので。
物音、というよりも。
「ちょっと! 薬師の家ってここなんでしょ!」
かなり乱暴にドアを開ける音がして声が続いている。
「……お客さん?」
レジナルドが眉を顰め、ライアが小さく頷くと名残惜しそうに腕が離れてライアは解放された。
……それにしても聞き慣れない声だな。
なんて思いながらライアが台所のドアを開けて居間に出ると。
「やっぱりあなたね! レジナルドはどこ!」
開け放った玄関のドアから一歩入ったところに立っている女の子がこちらを見るなりそう言い放った。




