リワインド 死の誘惑
ヴィー
ヴィー
ヴィー……
けたたましい警告音が鳴り響く。
その音で、梶井はつい先ほど仕事を終えて出てきたばかりの、オペレーター室の方へと振り返った。
「おわ、マジかっ」
長い廊下の先に、ポツンと小さなドア。
梶井は踵を返して、今来た廊下を駆け足で戻った。
近くまで来ると、ようやくそのドアが厳重なセキュリティによって守られていることが分かる。
ドアの右側についたパネルは、瞳の光彩を認識して個人認証するものだ。
そして、その下。さらに社員証のバーコードをスライドさせ、その後パスワードを打ち込む。
梶井は身体に染み込んでいる一連のセキュリティを流れるようにこなして部屋へと飛び込むと、見慣れた黒髪の後ろ姿に声を掛けた。
「おいクロっ、どうしたっ‼︎ 何があった‼︎」
上からの物言いが気に入らなかったのか、黒石 蓮が振り返って、梶井に言葉を乱暴に投げつける。
「リワインドに決まってんだろ‼︎ くそがっ、おまえ早くDルームに行けっ‼︎ ルーイーのアホが全然応答しねえんだっ」
「あいつ、またかっ‼︎」
梶井は、チラと横目でモニターを見回した。
メインモニターの横にある緊急用モニターに、大きく赤字で映し出された数字が点滅する。
背筋に冷たいものが走った。
脳を直接、殴打でもされるような音で、アラートが鳴り続けている。
リワインド。
通常。
モニター上では一つのデジタル数字が「現在」という時を刻み続けている。
だが、リワインドが始まると、その数字の下に枝分かれしたもう一つの数字が赤字で現れる。
つまり、数字が二つに分かたれるのだ。
「ちょ、待て待て……」
リワインドは、その『生き時計』の対象者の精神状態に深く関わり合いがある。
いわゆる『ネガティブシンキング』の状態。
人間、生きる気力を失くすと、昔は良かったと過去を振り返り、その過去の自分に戻りたいと思い始める。
その状態を『リワインド』、『生き時計』が、過去に向かって巻き戻っていくという仕組みになっている。
二つの数字はその時点から、正反対、つまり真逆のベクトルで進んでいくのだ。
「これじゃあリワインドが速すぎる‼︎ このままだとペース的にヤバいぞ、間に合わなくなるっ。ルイ‼︎ 急げ‼︎ 自殺の一歩手前だぞ‼︎ 早くしろっての‼︎」
普段はコミュ障気味のくせに、時々暴発を見せるクロの怒鳴り声が、梶井の横っ面を張った。
「わかってるっっ‼︎」
梶井は部屋から飛び出した。廊下を走る。
リワインドの対象者が出ると、それが仕事とはいえ、梶井はいつも冷静ではいられなくなる。
今までに数え切れないほど、この緊急事態を経験してきた。
だが、自分が人を助けるなどといったおこがましさはやってこない。
もちろん、博愛主義でもなく、ヒーロー気取りでもない。
逆に、人の生死や人生に踏み込んで過干渉しているのではという、後ろ暗い考えが梶井を占領するのだ。
そんな気持ちが、これから行われるリワインドの対象者へのテコ入れ、すなわち『デボラシステム』を前にして、一瞬足がすくんでしまう所以なのである。
梶井は廊下を真っ直ぐに走り、左へと曲がっている廊下へと駆け入った。
その廊下は直ぐに行き止まり、そこにあるドアの横のパネルに顔を近付ける。
首からぶら下がっている社員証をスライドさせようとして、一度目はしくじった。
「くそっ‼︎」
再度、両手で持ち直すと、向きを合わせてスライドさせる。
暗証番号を親指で一つ一つ慎重に押す。
開いたドアと同時に、右肩をぶつけながら中へと滑り込む。
ヘッドホンとマイクが一つになっているインカムを装着すると、音声をONにして叫ぶ。
「クロっ、早く番号よこせ‼︎」
『うるせえ、お前はだまって前を見てろっ‼︎』
梶井がギッとイスを鳴らして、前にあるモニターを見据える。
すると直ぐにも、デジタル数字が現れた。
140160:32:25
さっきとはうって変わった、黒石の冷静な声がヘッドホンを通して耳に届く。
『No.n6348233、16歳、女性』
情報が多いと、介入の邪魔になる。シンプルなものだけ、耳に入れる。
24、23、22、21、20……
過去へと巻き戻されていく時間の逆流。
しまいには、目視では追いつけないほどの速さへと変化していく。
「やべえぞ、クロ‼︎ 早くっ」
『ルイっ、早くしろっ』
声が重なる。
梶井はイスを倒しながら立ち上がった。
Dルームのメインパネルすぐ横にある一人用の長椅子に身体を滑り込ませる。横からスライドされてくるキーボードに社員番号とパスワードを打ち込んだ。
そこまで操作した所で、背後にあるドアが開いた。
「ゴメンゴメーン‼︎ トイレ行ってたヨオ」
バタバタと慌てた様子で部屋へと入ってきたルーイー=リャンに梶井が大声を張る。
「おまえぇ、トイレって……おっせぇ‼︎ もうパス打ち込んじまったから、俺がやる‼︎」
ゴメンナサーイと、ルーイーは両手を豊満な胸の前で合わせて合掌する。そして、倒れたイスを起こして、どかっと座った。
金色に染めた巻き毛が肩から落ちるのを横目に、アジアンのくせに金髪にする意味が分かんねえと辟易してから、梶井は今から対象者に施すパフォーマンスのコードを素早く入力した。
視線をメインモニターに戻す。
(16歳かあ、若けえ)
『いくぞ、ルイ…… リワインド、9回目。ランクはHeavy』
頭が。
気持ちが。
冷えたし、冴えた。
目の前にあるデジタル数字の対象者は、これまでに自分の過去を何度も振り返っている。
自分から命を断つことを考えるほどに。
9回もか、と思う。
何があったんだ、とも思う。
今回の『過去への振り返り』はランクHeavyに加え、『秒』がほぼ『分』単位と言ってもいい速さで推移していることからも、限りなくデッドラインに近いと言える。
深く深く過去を振り返る。懐かしむ。そして惜しみ、過去に戻りたいと切に願って、心が悲鳴をあげている。
(泣いているのか、それとも……叫んでいるのか?)
デジタル数字が尋常でない速さで、真逆のベクトルへと、その数を減らしていく。
(俺が16の時なんかバカばっかやってて、過去なんてどうでも良かったけどな)
「オッケー……いや、ま、待てっ」
インカムの上から頭を覆うヘッドカバーを装着する。
そこから出ている数本のコードが引っ張られて、グイッと後ろへとのけぞった。
「うおっ」
『ルイ‼︎』
重なるクロの声に、イラつきが帯びる。
「ちょ、っと待てっつうの‼︎ ルーイー‼︎ 何かにコードが引っ掛かってる」
「ハイハイハイー」
梶井のその声に反応し、ルーイーが慌てて立ち上がり、梶井の背後に回り込んだ。
「ハオー、ワタシのカバンがジャマしてたヨー」
ガタンという音と同時に、頭が前につんのめる。
ムカムカ(怒)と湧いてくる、文句でも言いたい気持ちをぐっとこらえると、梶井はマイクに向かって乱暴に言った。
「良いぞ、クロ‼︎ 始めてくれっ」
『了解。リワインドパターン解析終了、デボラシステム Open……GO』
梶井は鼻から息を吸い込むと、ふっふっと短い息を連続して吐いた。
目をつぶる。
そして目蓋の裏側に焼きついた、ひとつのデジタル数字を追っていった。
♦︎ ルーイー=リャン : 台湾出身。黒髪だが欧州への強い憧れから金髪にしている。サボり魔。日本語、英語、北京語など多言語に精通。豊満(胸)。趣味は格闘技。騒がしくミスが多いため、蓬莱 要からは敬遠されている。口癖は、「ハオー。ワタシと同じネー。ワタシたち相性バッチリネ」。