疑いの芽ぶき
「なあ蓬莱。これ、ちょっとおかしくないか?」
梶井は目を細めて、メインモニターを見る。無数のデジタル数字の一つを指さした。
それはあるひとつのデジタル時計だ。
カチ
カチ
カチ
梶井は一秒ごとに変わっていく数字を、じっと見つめていた。
帰ろうとしていたところを梶井に声を掛けられて足を止めた蓬莱 要も、後ろを振り返ってから同様にモニターを見る。
「何? 何かおかしい?」
「これ。このNo.n3826475 さあ。時計の動きがぎこちないっていうか」
「時計の動きって‼︎ これデジタルだよっ。そんなはずはないと思うけど。気のせいじゃない?」
そして、二人は同じカウントをしばらくの間、注視する。
カチ
カチ
カチ……
このデジタル時計は、該当する対象者ひとりひとりの寿命の時間を刻んでいるものだ。
常に同じ方向へと向かう、一方通行のベクトル。
すなわち、デジタル時計は生きる未来へと進んでいく。
『生き時計』
モニター上にある無数のデジタル数字は、日本国民ひとりひとりの『生の営み』。
人の『生』とデジタル数字を紐付けした『生き時計』と名付けられたこのシステムは、政府組織のひとつ『健康維持管理局』によって、秘密裏に管理運営されている。
名付け親はこのシステムを開発し、初期の運用を全面的に任されていた、水無 想教授。
現在、彼は引退し、山陰地方の山奥のラボに引っ込んでいる。
「別に……おかしかねえか」
梶井が首を捻る。
「そうだよ、気のせいだよ。何か異常があればアラートが鳴るはずだからね。じゃあ梶井くん、後はよろしく。僕、帰るね」
「ああ、お疲れさん」
梶井が後ろを振り向かずに手だけをひらひらさせる。
『生き時計管理オペレーター』の仕事は、このモニターをひたすら監視することと、緊急事態に備えることの二点だが、実のところ緊急事態がなければ、ずっとモニターを見つめているだけなのだ。
見つめていると言ってもいざ緊急事態が起これば、警告音が知らせてくれる。途中で悠々トイレに行ってもオッケー、つまみ食いだって許されているのだ。
ドアが閉まる音で、蓬莱が帰ったことが知れた。
梶井がまた、視線をメインモニターへと戻す。
「……しかし、こうやって人の寿命を数字化するなんてなあ。凡人じゃ思いもつかないぜ。考えた水無って先生、ほんと凄え。でもって俺の生き時計もこのセンターのどこかに存在すんだろうけど……あんまりいい気はしねえな」
梶井はそう呟いて、カウンターに置いたカフェラテのカップを取り上げると、プラスチックの蓋を外して、一口ごくりと飲んだ。
ここの職員、すなわちオペレーター自身の『生き時計』は、自分の担当地区以外で管理されている。
自らの寿命を何らかの操作によって、偽造や改変ができないようになっているからだ。
梶井は先ほど蓬莱と交代する際に気になったNo.n3826475のデジタル番号を拡大する為、パネルに数字を打ち込んだ。
すると、モニターの半分ほどの大きさで、一つのデジタル数字が大きく表示される。
201480:18:54
この表示は、人が生まれてから生きてきた年月を『時間:分:秒』で表しているので、単純に計算しても、現在では23歳くらいの人間だ。
『秒』の単位が54、55、56……と一秒ごとに進んでいく。
梶井はしばらくの間、それを目で追った。
特に異常は無いようだ。
「さっきは不自然な動きに見えたんだけど……気のせいか?」
そして、左手に持っていたカフェラテを一気に飲み干してから、カップをゴミ箱へとスローインした。
♦︎ 蓬莱 要 : 頭脳派、世渡り上手。優男に見えて、したたか。ポーカーフェイス。安居に可愛がられて(?)いる。トイレでも自分のハンカチを使うなど、育ちの良さが垣間見える。24歳。ルーイーの相手に非常な徒労感を感じている。