共に今日を生きよう
「あぁあああぁぁぁ」
自室に梶井のうめき声が響く。ベッドの上でのたうち回り、そして天井を見ながら溜め息を吐いた。
「はああ。なんだよーそっかあ一目惚れかあ。まあ、そうだよな、そんな気がしてた。オ・レ」
頭を乗せたマクラに両手を突っ込む。
「そんなことより、川瀬さんは俺のことどう思ってんのかってのが気になって仕方がねえ。……嫌われてはいないと思うんだけどなあ。嫌いって言われてねえし……や、ちょっと待て」
「ややや、待て待て。確か、『初めて逢った時に、なんて素敵な人なんだろうって思ったんです』ってなことを言っていたような……言ってたよな、言ってた‼︎ 絶対、言ってたあ‼︎」
飛び起きる。
「すげえな俺、ちょう覚えてるわ」
自分の気持ちは素直に伝えてある。
「……でも、『私には関係ないですから』とも……言われたことがあったっけなあ……いやでもそれは認めたくねえ」
こんな時にほど、川瀬に関しては冴え渡りすぎる記憶力が恨めしい。
そして布団にくるまり、目を閉じる。
(初めて出逢った時、玄関でぶつかったって言っていたな)
すると、まぶた裏。
フラッシュのような光がパシャと発光したような気がした。
そしてチカチカとそれは瞬いて、梶井の気を引いた。
✳︎✳︎✳︎
「まっちー復活のお祝い会、駅前の串民に七時集合だから」
「復活って。復職って言ってよ」
川瀬は、同僚の小堺に急かされるように背中を押されながら、苦笑いを浮かべた。
この数週間で、以前過ごしていた日常が戻り、ほっとしている自分を感じる。
以前より、患者の死を看取ることに、虚しさを感じることも無くなっていた。それは、川瀬の心に妹、環の存在があるからなのだろう。
眠っているとはいえ、その成長を目の当たりにしつつ、環がいつか目覚めるのを楽しみにしている自分がいる。
それだけで、心は満たされた。
ブラシで髪をすく。伸びてきた爪を切る。おでこにおでこをくっつけて、体温を測る。時々、環の部屋で水無が、愛しそうに環を見つめる横顔に、ふおおーと照れながらも、口元を緩めている。
その全てが、欠けていた心の隙間を埋めていってくれる。
けれど、梶井との一件で、その心は常に暗い曇りがあった。悲しみもあった。
(梶井さんの言う通り、もうこの力を使う気はないけれど。それでももう……)
それでももう、の続きを考えると、途端に駄目になる。
川瀬はじわっと目頭が熱くなるのを感じた。
(梶井さんとも、もう……)
「ほらあ、まっちー。暗い顔してないで、早く行くよ‼︎ ちゃんとイケメン研修医も呼んでおいたからさっっ‼︎」
足取りの重い川瀬の腕を引っ張るようにして、小堺が促していく。
小堺の強引さに救われる。その明るさで、涙を我慢することができた。
そんな風に病院のエントランスを横切ろうとした時のことだ。
「川瀬さんっ‼︎」
その声に驚いて足を止めた。
川瀬と川瀬の腕を引っ張っていた小堺が振り返る。
「あ‼︎ うそ‼︎ いやーん梶井さ~ん‼︎ お久しぶりですう」
ひと足早く、小堺が声を上げた。
それだけでもう気後れしてしまい、声が出せなくなってしまう。
けれどその空気を破るようにして、梶井が声を張り上げた。
「川瀬さんっ‼︎ 俺、覚えてるよっ‼︎ 覚えてたよっ‼︎」
大股でこちらに駆け寄ってくる。川瀬がその勢いに驚いているうちに、梶井が真正面に向かい合い、肩に両手をかけた。
梶井の興奮ぶりに、川瀬だけでなく、小堺もぽかんと口を開けている。
息を吸い込み、呼吸を整え、梶井は一気に言い放った。
「『え? やべえマジでちょう好みなんだけど‼︎ ねえ君さあ、彼氏とかいる? いないなら俺と付き合ってください‼︎ ってかやべえマジ可愛いなあ。おっと、いやいや顔だけじゃねえから。でもとにかくメシでも食いにいこうよ‼︎ これからヒマ? 時間ある?』」
川瀬が驚いた顔で見上げた。
梶井は、額に手を当てて、そのまま天を仰ぐ。
「……って川瀬さんと……初対面の時に言ったの思い出したけども……思い出しちまったんだけどおぉ。いや俺、サイアク。チャラすぎる……バカ丸出しでほんとアホ……めっっちゃ恥ずかしいこと口走ってた、俺ぇああぁ。全部思い出したはいいけど……あーもー恥ず‼︎ 居たたまれんっ‼︎ けど俺、川瀬さんにぶつかった時、一目惚れしてそう言ったんだ。そうだろ? それで、君が……」
梶井が再度、川瀬の肩に手を置く。その手に力が入った。
「それで君が、『これからですか? いいですけど……』って‼︎ そう言ったんだ‼︎ そうだったよね⁉︎ まあ半分は呆れ顔で仕方がなく、みたいだったけども。冷ややかだったけども‼︎ でもOKしてくれたよね‼︎」
川瀬の目から。
涙がこぼれ落ちた。
梶井は川瀬を抱き締めて、
「言ったんだ。俺、ちゃんと覚えてたよ」
そして顔を覗き込む。ぼろぼろとこぼす涙を、梶井は指先で拭った。
「その後、君の携帯が鳴ったんだ……タイムリープを促す、くそ安居のヤローからのな」
「……か、梶井さん。……思い出してくれたんですね」
抱きしめている腕に力を込める。
お互い一目惚れなんてそんなことあるか、あり得ねえだろと梶井は思った。
けれど。
突然、腕に飛び込んできた川瀬の驚いた顔も。
その時の高揚と興奮までも。
タイムリープで忘れ去られたはずの気持ちがもう一度再燃する。
それは奇跡だ。
「やべえ、なんか俺。今なら自分のこと天才って思えるわ」
川瀬が小さく、ふっと吹いたのを嬉しく思う。
自信があった。
「川瀬さん、俺と付き合ってもらえませんか?」
川瀬が胸の中でこくんと頷くのを感じると、ほっと安堵してから、もう一度。
力強く抱き締めた。