本心
「ちょちょちょ待て待て待て。違うって‼︎ マジでなんにもやってねえって‼︎」
環の部屋で、泣いている川瀬とそれをおろおろとしながらも見守る梶井。そこへ運悪く部屋へと入ってきた蓬莱に向かって、梶井は全力で否定した。
「マジマジ、ホントだって‼︎」
「梶井くん、君ねえ。いい加減にしてよ。やって良いことと悪いことがあるだろっ」
「いや、だから違げえって。俺、マジでなんにもやってねえ‼︎」
前科者の言うことなんて信用できないんだよと言う蓬莱の攻撃を、両手でストップの仕草をして否定する。
すると、川瀬が慌てて言った。
「蓬莱さん、違うんです。私が勝手に泣いてるだけで。梶井さんは悪くないんです。本当に何も、」
「何もされてません?」
「……はい」
「じゃあ、良いですけど。もし何かしてきたら遠慮なく殴ってやってくださいね。それで、こいつの目も覚めると思うんで」
それはないだろ、などと呟きながら、梶井は後ろへじりじりと退いていった。
デスクの前にあるイスに座り込む。
そして、もう一つのイスを自分の前に置き、どうぞと川瀬に勧めた。
その動作を見て蓬莱は、ふんっと荒い息を吹いて、部屋から出ていく。
この二人の状況を見て、蓬莱は毎昼に行っている環のバイタルチェックを夕方へと変更してくれたらしい。
空気を読むのが得意な蓬莱の気配りに感謝しつつ、川瀬がイスにそろそろと座るのを見てから話し掛けた。
「話してもらえますか?」
梶井はゆっくりと問いかけた。
「……はい。実は梶井さんには、以前に一度お会いしているんです」
「不整脈の件の時、……じゃなくて?」
「はい、その前に一度」
梶井には覚えがない。記憶を叩いたり振ったりしてみたが、そのような出会いは落ちてこなかった。
物覚えが悪いわけではない。直ぐに理解できた。
「タイムリープで忘れさせた?」
川瀬が身体を硬くした。表情からもするすると色が失われていく。
「……は、はい、」
「いつ頃のことですか?」
「不整脈の件でいらっしゃった数ヶ月前です。梶井さんはどうしてか、私がタイムリープできることに気づいて、私を調べに来たんです。
その直前に、安居さんに連絡を貰って分かりました。梶井という者があなたを調べに行こうとしているが、今は会わないでもらいたいと。とりあえず今からすぐに外出して夕方まで帰らないようにしてくださいと言われました」
「俺が川瀬さんの生き時計に違和感を感じた時、か。でも俺、蓬莱に言われて、」
「いえ、私の所に来たんです。蓬莱さんに説得されたのはタイムリープの後のことなんです。私がすぐに連絡しましたから」
川瀬は、すんっと鼻をすすった。
「私は家を出ようとすぐに用意しました。けれど、間に合わなかった。玄関のドアを開けた時、それが梶井さんと知らずに、梶井さんに出逢ってしまったんです」
それこそ記憶がないということは、川瀬がタイムリープを行ったことの証拠となり得る、が。
「じゃあ、川瀬さんに初めて会ったような気がしなかったのは……」
「……あ、頭の片隅にでも覚えていたんでしょうか」
「それなら納得できるな。もしかして、その時さ。俺とぶつかってない?」
「……はい。……私、慌ててドアを飛び出したから。梶井さんが抱きとめてくれて……」
川瀬を二度、抱き締めた時。その腕の中の存在感に、身に覚えがあった理由がここにある。
「なるほどそうか。その時、俺たち何か話した?」
「わ、私がごめんなさい、と言うと、……」
川瀬が口籠る。
「俺、何て?」
促してから気づく。多分それは。
「俺の方こそ、ごめんって」
川瀬にどんどんと惹かれていったのは、そういう理由があったのだ。
梶井は心の中で得心した。
(その時にもう、俺は川瀬さんに一目惚れしてたってわけだ。だから初めて逢った時にはもう、俺は君のことを……)
川瀬の言葉が、自然にするりと入ってきた。
欠けていた何かがぴったりとはまり、とても清々しい気持ちになった。
けれど、川瀬はとてもそんな気にはなれないのだろう、さらに涙を重ねて謝罪を続ける。
「梶井さん、本当にごめんなさい。こんなのデボラと同じですね。私、今まで考え無しで、ほんと大したことないことばかりに、この力を使ってきた。他人の人生に踏み込んで、その人の大切な時間を奪っていたんです。これがどれだけ最低なことなのか、気づかずに、」
梶井は目の前で、肩を震わせて泣き続ける川瀬を見つめていた。
「私、梶井さんに出逢えて本当はすごく嬉しかったの。梶井さんに初めて逢った時に、なんて素敵な人なんだろうって思ったんです。
でもその後には……再度、安居さんから電話がきて、タイムリープしなきゃいけなくなって」
二時間ほど過去へと戻り、梶井が蓬莱に疑問を投げる前にまで巻き戻った。
その後、川瀬から連絡を貰った安居が手を回し、蓬莱になんとかとぼけるように仕向けたということだった。
「すごく悲しかったんです。梶井さんの大切な時間ももちろん、私の気持ちも無かったことにしなきゃいけないと思ったら、悲しくて悲しくて。その時、これが私がやってきたことなんだって思い知って……」
うぅっと、川瀬の喉が鳴る。
「自分を許せなくなったんです。ごめんなさい、本当にごめんなさい……ごめ、なさ、」
すすり泣き、込み上げてくるものを抑えきれずに、川瀬の身体がびくびくと脈を打つ。
手の甲に唇を押しつけたまま、ぼろぼろと涙をこぼすのを見ていると、そんなことどうでも良いなと思えてきて、梶井は慌てて言った。
「ちょ、川瀬さん、そんなの良いって。だって君は安居さんに言われてやったんだし、安居さんも安居さんで今回の件もあってそれなりに考えがあったんだろうから。仕方がないっていうか」
「でも、ひ、ひどいですよね、自分勝手に他人の中に入って、大切なものを……大切な時間を、う、奪っていくんだから」
安居が、以前に話していたことが甦ってくる。
(俺はさあ、十二年この仕事やってきた割に、結局のところこの仕事の真の意義を理解できんかった。必要性を感じられんかった。人の生き死にに踏み込むことじゃねえよ。他人の人生自体に踏み込んじゃいけねえって思うんだ。しかも、俺たちは土足でなんだよ。相手が何が何だか分かってねえうちに、土足で踏み込んでんだよ。命を助けるどうこうじゃねえ。それ以前の問題だって思うんだ)
「じゃあさ、後悔してんならさ」
梶井はにこっと笑って、川瀬の顔を真正面から覗き込んだ。
「これからはやらないようにすればいいんだよ。そんでいいじゃん、デボラシステムも完全に潰せたんだし、川瀬さんのタイムリープ、もう必要ないんだから。ね?」
すると少しの間があってから、川瀬がこくんと頷いた。
もう一度抱き締めたいと伸ばした手を止める。その手を宙でさ迷わせると、梶井は自分の頭へと持っていき、あちこちに跳ねている髪をばりばりとかいた。




