失恋の痛手も明日の成長の糧なんだぞ
「おうい、相変わらず、ぼーっとしてんなあ。ちゃんと仕事してんのかあ? 梶井さあ、失恋の痛手も明日の成長の糧になるんだぞ♡ だからそんなに落ち込むなっ‼︎」
廊下で出会った安居に、すれ違いざまにバシッと背中を叩かれる。
「あれれ残念なイケメンの人だ……写真撮っていい?」
蓬莱にはスマホを向けられ、辟易した。
そこそこ復活していた梶井のテンションがまたもやだだ下がり。
(くっそー、言い返す気力も湧いてこねえ)
力のない顔で廊下をずんずんと歩いていき、環の部屋の前。
ここがまだ関係者以外は立ち入り禁止となっているのは、水無が環との二人きりの時間を大切にしているからだ。
「だからって隣に、『ストップ‼︎ ただいま工事中』の看板はやめて欲しいなあ」
看板をひらりと避けて、環の部屋へと入った。
眠り姫は今日も少しずつ成長している。
環の顔色がいつもより良いような気がして、梶井はほっと息をついた。
黒髪も滑らかで、前髪が数日前より短くなっている。
(あ、前髪切ったんだ。可愛いな、おい)
水無か、川瀬が切りそろえたはず。そう思うと、胸が熱くなった。
(水無先生は、環さんのこと……どうして好きになったんかなあ)
今度機会があったら聞いてみよう。
思索にふけっていると、トントンとノックがされ、後ろのドアが開いた。
その瞬間。
心臓が跳ね上がる。
研究室に入ってきたのは川瀬だ。
慌てて、梶井は声をかける。
「……や、やあ」
だが、返事は返ってこない。痛む胸を押さえ、沈黙に耐えた。
梶井は部屋から出ていこうと、ドアへとゆっくり歩みを進める。
川瀬は俯いてしまっていて、その表情は窺えない。
梶井はため息まじりの吐息を漏らすと、そのままドアへと向かった。
横をすれ違う時。
川瀬の震える声が耳に届いた。
「か、梶井さん」
少し通り過ぎ、つと足を止めた。
「こ、この前は、すみませんでした」
梶井は振り返って川瀬を見る。
白く細いうなじが無防備に晒されていて、その白い磁器のような滑らかさに、目が離せなくなった。
「何がですか? あれはまあ、俺の間が悪かっただけだし、川瀬さんが謝ることなんて、なんもないですよ」
無言のうなじに話し掛ける。
「……それでも俺、川瀬さんのこと好きなんで。あんま会ったことないのにな、俺たち。なんでかな、なんでかわかんねえけど、でもすげえ惹かれるんだ」
さらに続ける。
「でも、大丈夫ですよ。俺、全然一方通行とか平気なんで。川瀬さんは色々、頭、悩ませなくても良いですからね。気にしないでください」
「ごめ、ごめんなさい、ごめんなさ、い……」
小さく消えそうな声で何度も謝罪する。
そんな川瀬の様子に違和感を感じながらも、ゆらゆらと揺れる背中が愛しくて、梶井はたまらなくなり近づいていった。
本当なら、この背中を抱き締めたい。
けれど二度、それで失敗した。
伸ばしてしまいそうになる手を握ってぐっと我慢し、言葉だけを投げかけた。
「マジで、川瀬さんが謝る必要ないって。ね、……って、え? 泣いてる?」
そこで初めて、頬を拭う手の甲が濡れているのに気がついた。
心臓がぐっと掴まれるように痛んだ。
「そ、そんなに俺のこと、……嫌い?」
川瀬は頭を跳ね上げ、そして梶井の方に身体を向けてから、ふるふると顔を左右に振った。
しっとりと濡れた瞳。
艶のある黒色の瞳とまつげが微かに揺れているのを見て、さらに胸が痛む思いだった。
「違うの、梶井さん。私、梶井さんに謝らなければいけないの」
ほろほろと流れ落ちる涙。きつく寄せられた眉根。唇はきりと結ばれているが、痛々しいほどに歪んでいる。
思いも寄らぬ川瀬の言葉に、おろおろと動揺してしまった。
「え、っと……なんの話? かな?」
頭を掻きながら、梶井は困惑の表情をそのまま続けた。