幕引きの後、その余韻
「だってさあ、梶井くんがそんなこと考えてるなんて、思いも寄らなかったんだもん。ほんと、奇想天外な人だねえ」
水無が感嘆の息を吐く。
「いや、この人。バカなだけなんで」
華月庵のプリンを一つ、手前に引き寄せてから、蓬莱はいつものように梶井を貶めた。
「それな。なんだよ、リコールって‼︎」
今度はぶはっと吹き出した安居が、キャラメル味を引き当てる。
「よっしゃあ‼︎ キャラメル味、ゲッツ‼︎ 梶井よう、もうちょっとマシなもん思いつかなかったのかよ。クソ頭悪いな」
梶井が沈黙していると、蓬莱が畳み掛けてくる。
「本当だよ。大賀さんが、あんまり梶井くんがハイブリッドですごいーみたいなこと言うから、ちょっとは期待してたんだけどね。このガッカリ感と言ったらないわー。リコールて、リコールっ‼︎」
「……うるせえ」
梶井がこれ程まで罵倒されて言い返さないのは珍しい。勘の良い水無が何かに気づいて、つついてくる。
「もしかして……梶井くん、さっきから黙ってるけど。川瀬さんにフラれでもしたんじゃないの?」
梶井がうわっと顔を上げて、水無を見る。
「え、え、え、何で知って、⁉︎」
「見れば分かるよ。あーららー。あんなに頑張ってたのにねえ。フラれるなんて、なんとも不憫だなあ」
「いやだってこいつ、いきなり抱き締めたり、チュウしたりするんですよ。セクハラでしょ、完全に。そりゃあ、嫌われるわ」
「うおいっ‼︎ 蓬莱、ヤメロっ」
「マジか。おまえそんなことやってんの? きめえなあ、おい‼︎ それにしてもだ。おまえは女心ってもんを少しもわかってねえ。引くわあ、いきなりチューされたら俺でも引く」
キャラメル味を一気に流し込むと、安居がうめえと言って、残りのプリンに手を伸ばす。
「……誰もあんたなんかにチュウしねえっつーの」
だが水無にバラされたことより、フラれたという事実の方が重くのしかかってくる。
弱り切っている梶井の反論に攻撃力はない。
「けどなあ、」
安居がしみじみ言う。
「俺が今こうしてプリンを美味しく食っていられんのも、まあ、なんだ。おまえのおかげだよ」
安居の意見に全員が納得したような顔になる。
αウォッチのリコールの件については、まさしく梶井の独断だ。
「本当だね。梶井くんには本当に助けられたよ」
このままデボラシステムをダウンさせるだけでは、ことを秘密裏に片付けられる可能性があった。
それでは安居を始め、ここにいる全員が国家転覆に関わる謀反の罪で、重罪人として捕らえられてしまう可能性が残る。
そこで、安居が以前「内部告発」という言葉を使っていたことを思い出した。
その「内部告発」の対象を日本の全国民へと向けたというわけだ。
マスコミにリークするという手もあったが、今からデボラシステムを使って、国民全員のαウォッチを乗っ取るのだからそれを利用する手はない、そう考えた。
実はその考えに辿り着いたのは、川瀬によるタイムリープ直後のことだった。
「ギリセーフでしたけどね」
梶井が暗い顔でようやくプリンを食べ始める。
その後、国民はというと。
自分の頭に直接、誰かが話しかけてきたのだから、混乱しパニックになったのは当然として。
新聞の見出しはこうだ。
『日本政府、アルファ・クォーツ社製αウォッチによって国民を監視』
センセーショナルな記事は民衆心理につけ込み、各地でちょっとしたデモを引き起こすこととなる。
アルファ・クォーツ社には国民からの問い合わせが殺到し、その真相を暴こうとネットでは犯人探しが行われ始め、そんな事態の収拾をつけるため、政府も動かざるを得なくなった。
今はアルファ・クォーツ社への家宅捜索が行われている。
そしてその後、行政処分という流れとなり、結果いわゆるトカゲの尻尾切りとなるシナリオだ。
もちろん、政府の関与は世間にも知られてしまっているわけなので、各地で次々に勃発する人権侵害のデモの火消しにてんやわんやの状態が、今でも続いている。
「梶井のアホな計画が功を奏して良かったなあ、おい」
安居のこれにはみなが笑う。
「結果、万事うまく転がったんだから、いいじゃねえか」
梶井の弱々しい声で、さらに笑いが上がった。
日本中が混乱している中、『生き時計管理課』の内部告発者を処分できるはずもなく、安居はあっさりと解放された。
何も知らされずに職務を遂行していた局員は皆、元々は公務員だ。守秘義務を負わされてではあるが配置替えや転勤のみの処遇で、ひとまずは終わった。
幕切れである。
そして。
デボラシステムは完全にダウンして、二度と手を入れることはできない。
デボラを構築したのは、川瀬 環。
その環は、いまだ眠りの中だ。その成長を、少しずつ進めながら。
「身体がこのまま成長し、早過ぎた脳の成長に追いつけば、あるいは」
環が目覚める可能性を、水無は否定しなかった。
そして水無は最後に残ったあまおう味のプリンを持って、会議室をそっと抜け出していった。
「それにしても、この研究所が残って良かったですよ」
大賀が、みなが空けたプリンのカップを回収しながら言った。
安居が内ポケットからタバコとライターを出す。
その様子をみた大賀が、回収していたカップをさっさとゴミ箱の捨てると、内線電話を取り上げて、警備にひとこと指示を出した。
「まあなあ。ここに何も無けりゃ潰すこともできるんだろうけど、実際問題、環ちゃんがここで眠ってるからなあ。ほっぽり出すわけにもいかないんじゃねえの。
それに、ここには日本中の天才や逸材が集まっているわけで。環ちゃんを含め、葬り去ることのできねえ貴重な資源だとでも思ってんだろうなあ。
こうして一箇所に集めときゃ、管理もしやすいしな」
実は今回の件に関わりがあった梶井、安居、蓬莱、ルーイーには処分がくだされている。
公務員はクビにするのが難しいため、形だけの依願退職へと促されたのだが、プラス口封じを掲げ、その見返りとしてこの研究所での再雇用という条件を、目の前にぶら下げてやったのだ。
そして、処分や提訴などは無しにして穏便に済ませたいという両者の思惑が一致し、今に至る。
「日本中の天才って……俺、マジでそん中には入ってねえわ。はああ」
梶井が、机にあごを乗せて背中を丸めながら、ため息とともに呟く。
「まあ、お前はバカだから入ってねえわな。俺は違うぞ、俺は入ってる。一般ピーポー、ただのおっさんと見せかけての、天才だ」
「安居さん、あんた結局なんにもやってないじゃねえか。よく言うよ」
梶井が安居に言葉を投げる。
「仕方がねえだろ。俺はその頃冷めたカツ丼を食わされてたんだからよー。それに蓬莱ちゃんに車貸したの俺だから。この俺だから」
「あのオンボロか」
「オンボロだと⁉︎ 梶井ぃ、おまえはホント世間知らずだなあ。これだからおバカちんはどーしよーもねえ」
「梶井くん、車に疎い僕でも知ってるけど、あのボルボのワゴンは中古だけど高級車だよ。まあ確かにボロいけどね」
そこで、バタンとドアが開いた。
「ねねね、ワタシのプリンある?」
キョロキョロと首を振るルーイーには皆が苦笑いになる。
ルーイーはデボラの入り口を開けるのを手助けした罪で、梶井たちと同じく、流刑に処されたのだが。
最初は、ルイのせいだあ、ドーシテクレルノー、ダーリンに怒られるーと泣きながらキャンキャンと吠えていたが、しばらくするとこの研究所を大層気に入り、今では研究所の中を楽しそうに走り回ってる。
皆の声がそれぞれに揃う。
「「もう食べちまったし」」
皆が腰を上げて、会議室から出ていく。
「ハオーミンナしてなにヨー。ワタシのプリーン」
山のようなプリンの空カップをゴミ箱に見つけると、ルーイーは腕を組んで、頬を膨らませた。
「……モーミンナシテー……アアもうムカついた。今度コテンパンにヤっちゃうからネ。ホーライなんかイッパツヨー。フフフー腕がナルゥ」