デボラシステムの崩壊
(このままブドウの粒へと入っていけば良いんだろう? 俺、できるかもしんねえ)
意識をできるだけ集中し、先へ先へとその意識を伸ばしていく。
デボラの各地区のドアの前に立った時。
はたして二億ものブドウの粒、すなわち全国民のαウォッチへと、辿り着けるのだろうかという不安があった。
けれど、「いける」、梶井はそう思った。
環の力が自分の予想を上回り、梶井の力をどんどんと引き出して増幅してくれているためだ。
それは思っていたよりも、強大かつ緻密な力だった。
例えばそれは、自転車で坂道を登る時、後ろから力を込めて押してもらえるようなイメージ。
それによって何の障害もなく上り坂をスムーズにのぼっていけるというわけだ。
だが、その時。声が届いた。
『……か、梶井くん……これ以上は、環が……環が死んでしまう。止めてくれ、お願いだ、もう止めてくれええぇ‼︎』
最後。狂ったような声が響いてきて、梶井は立ち止まる。
水無の悲痛な叫び。
我に返った。ようやくそこで自分が環の力を使い過ぎていることに気がついた。
『環さん、もう良いっ‼︎ 俺を離してくれ、この先は俺がひとりでいく‼︎』
『でも、梶井さん……』
川瀬に似た声で、環が答える。
『大丈夫、俺を信じて』
梶井が説き伏せるように言うと、ふっと身体が軽くなる。
けれど、直ぐに重力のような重みが、ぐわっと襲いかかってきた。
『うおっ⁉︎ くうぅっ⁉︎』
さっきまでとは天と地ほどの差がある重みが、身体全体にのしかかってくる。
鼓膜がパンパンに張って、耳が痛い。目も血走っているのがわかるほどだ。手指や足指の先がピリピリと痺れ、頭痛がして吐きそうになる。
足枷をはめられたように、途端に動きが鈍化した。
『くそっ、あと少しだってのにっ』
ゴムのようなもので縛られ、後ろへと引っ張られるような感覚。思い通りに動かない身体に神経を研ぎ澄ませる。
そして、さらにその触手を伸ばしていくようにして、集中力を高めていく。
『うう、もうすぐなんだ。もうすぐ……く、くそっ、』
身体が全方向に引っ張られて、バラバラになりそうな錯覚に陥った。
脳が混濁し、もう少しで気がふれる、そう思った瞬間、声に助けられた。
『梶井さん、』
川瀬の柔らかい声。
『あと少しです。あと少し頑張って』
『んう、うおおおぉぉぉ‼︎』
最後、渾身の力を振り絞り、最後の一粒に手を伸ばす。
そして、二億の感触を得ると、梶井は叫んだ。
『川瀬さん、今だっ‼︎』
『はいっっ』
そして、川瀬によるタイムリープは開始された。
過去へ。
その5分前に。
一斉に。
時間が。
強制的に巻き戻っていく。
日本中のαウォッチを着けた国民の、『生き時計』のカウント。
それが一秒、そして一秒と戻り始め、
人の寿命を刻む『生き時計』が、その負荷に耐えられずに崩れていく。
カチッ、カチッ、カチッ……
そしてその二億もの崩壊の負荷に耐えられずに、
αウォッチは少しずつその機能を失っていった。
『たまちゃん』
川瀬の優しく切なげな声が響く。
『……私たち、必ずまた逢えるから。お姉ちゃんね、いつまでも待ってるから』
『うん、私、また逢えるって信じてる。まあちゃん、待ってて。ずっと、待っててね』
環の声が、梶井の心の中にもするりと入る。
『梶井さん、水無さんに……あまおう、すごく美味しかった。ありがとうって伝え、て……』
『ああ。伝えるよ』
余韻に浸りながら、返事をした。
そして。
梶井は大きく息を吸った。
完全にタイムリープが完了する、三秒ほど前になったその時。
腹の底からありったけの声を出して叫んだ。
『政府よりお知らせします‼︎ アルファ・クォーツ社製、αウォッチはリコールの対象となりましたっ‼︎ 詳しくはアルファ・クォーツ社までご相談ください‼︎』
そして、川瀬のタイムリープによるリワインドも。
それと同時に終了した。