自分の評価は自分で決められる
「梶井くん、君は凄いな」
中庭を望むテラス。手すりに頬杖をつく格好で、大賀がぼんやりと呟いた。
隣で同じようにひじを掛けて中庭を見つめていた梶井が、そのままの姿勢で大賀を見た。
「はあ。いやいや俺、別に……ただの一般人ですよ」
「ふふ、」
「大賀さん、煙草吸うんですね。知らなかった」
その長い指に挟まっている煙草を見て、梶井が笑う。そのタイミングで大賀がフゥと白い煙を吐き出した。
「あんまり人前では吸わないようにしているんだ。僕のイメージが壊れちゃうだろ」
梶井は、さらにクスッと笑うと、
「そうっすね」とだけ言って、沈黙で先を促した。
大賀は促されたまま、言葉を続けていく。
「……僕こそね、……僕こそただの一般人だよ。でも外見がこんなだし、頭もちょっとは良いから、そんな風には見てもらえなくてね……苦痛で仕方がない」
それが自死しようとした理由か、と梶井はなんとなく思う。苦味が喉の奥から上がってくるような気がした。
「……水無先生はね、……環ちゃんを愛しているんだ」
水無の激昂ぶりを目の当たりにした後の、まさしく想像通りの結果だった。
大賀が左に持っていた煙草を、右へと持ち替える。その指が、ふるりと震えた。
「研究と称して、ずっと側にいたからね。その間に情が湧いたんだろうね。だから、」
さらに右手が揺れる。
「……無茶できないんだ。ごめんね、水無先生は環ちゃんのことになると……」
「いえ、大丈夫ですよ。全然気にしてませんから」
「あまおう、」
呟くような言葉。
「はい?」
何のことかと聞き返す。
「あまおう、イチゴ味のプリンね。時々、環ちゃんの口元についているんだ。きっと、水無先生が食べさせているんだね。まあ、実際は食べられないんだけど。以前、環ちゃんに訊いたことがあるんだ。好きな食べ物は『イチゴ』なんだってさ。本当にそうなのかは、怪しいものだけど、」
「ああ。それで、先生も」
梶井と水無が、苦笑しながらお互いを見合う。
「安居さんがいつも買ってきてくれるしね」
それにしても、と言いながら、大賀は白衣のポケットから取り出した携帯灰皿へと煙草を入れた。
「梶井くん。君について調べさせてもらったんだけど、梶井くんは日英のハーフだね。凄いことだ」
「ハーフがそんなに珍しいですか?」
「ハーフというよりは、ハイブリッドってことになるのかな。君は父方の祖父母について何か聞いてる?」
「はあ、じいちゃんが牧師だったってことだけ」
梶井の祖父母は、梶井が物心つく頃には既に他界していたため、その姿は写真でしか見たことがない。
祖父がキリスト教の牧師だというのに、その息子は仏教のいわゆる真言宗という話に、笑った覚えがあった。
なぜそんなことになったのか。その二人の経緯については詳しくは分からない。ただ父親はイギリス人のくせに日本びいきだった。だからこそ、日本人の母と知り合い、結婚したのかも知れない。
もっと色々と話せばよかったな。
そう後悔したのは、事故で両親が呆気なく逝ってしまった後。
何事も失ってから、その大切さに気づくのだ。
「そうなんだね。君のご両親は何か言っていたかい?」
「特に何も」
大賀は中庭の方へと身体を向け、寂しそうな表情を浮かべた。
「そう、」
遠くを見つめている。その憂いの横顔。
中庭の中央に植えられている大きな楠の枝に数匹の鳥が、留まっている。時々、チチっと可愛らしいさえずり。気持ちのいい空気が、肌を撫でては流れていく。
「梶井くんはね、日本の純血種とイギリスの純血種とのハイブリッドなんだ。優秀な血族。その両方の血を受け継いでいる」
余りに荒唐無稽な話だった。梶井は返事を忘れてしまった。
「世界的にも、非常に珍しいパターンだ」
「え、……それって、マジですか?」
「はは。その反応笑えるな。君のご両親は、なんて聡明なんだろう。僕の両親は、純血種の血を誇りに思い過ぎていてね。僕からしたら、過大評価だよ。血と息子。それを自慢するだけの人生。重かったよ、すごく重かったんだ。その反動で、僕はいつも自分のことを軽んじていた。いつも、自分で自分を貶めていた」
憂いの横顔に夕陽が浮かぶ。
「それを安居さんに助けられたんだけどね」
「じゃあ、俺の場合はトンビがタカを生んだんじゃなく、タカがトンビを生んだってヤツですよ。俺、マジで雑魚キャラですから」
大賀は梶井の顔を見ると、ふはっと吹き出した。
「君は本当に潔いね。真っ直ぐで、見ていて気持ちが良いよ。そうだね、じゃあ僕もこれからは雑魚キャラだと名乗ることにしよっと」
笑い合う。
「でもね、梶井くん。僕はそれでも、過小評価ってやつもしないんだ。自分の評価は自分で決められる、僕は安居さんにそう教わったから」
そして、大賀の目に力が戻った。眉間の皺に生気が宿る。
その真剣な表情に、梶井も丸めていた背中を真っ直ぐに伸ばした。
「梶井くん、……これが終わっても、安居さんは国家の転覆を謀った罪で、罰せられる。僕たちも同様にだ。安居さんを助けたい、みんなを助けたいんだ。梶井くん、力を貸してくれ」
「俺にできますか?」
「うん、君ならできるよ。もちろん、川瀬さんや環ちゃんの力を借りることになるけれど。でも君なら大丈夫、僕が保証する」
「そういえば安居さんも言ってたなあ。根拠はねえけど、お前なら大丈夫だって」
大賀がふっと吹き出して、笑った。