上司、安居 保栄
「午前は異常なしです」
異常がなかった時の、このテンプレの報告。
全面ガラス張りの課長室で、梶井は報告書を渡しながら言った。
この課長室は、政府の管理下にある『健康維持管理局』のメインルームの一角にある。梶井が所属する『生き時計管理課』の執務室が、ガラス張りのお陰で広く見渡せる造りとなっている。
その部屋のど真ん中にどっかりと座って、悠々と煙草をふかしている男。
安居 保栄は、梶井に向かって、いつも通りのやり取りを投げてきた。
「イジョーナシですかあ……梶井ぃおまえ、相変わらず、つまんねえ顔してんなあ」
梶井は持っていた報告書を机の上に置いた。その机にも安居の足が、どっかり乗せられている。
(はああ……どいつもこいつも机に足を乗せやがる。欧米か、ってか俺もか⁉︎)
足をカウンターに乗せた瞬間、バリンといって割れたタッチパネルのことが思い出されて、苦笑が顔に出る。
安居はよっこらしょと起き上がり、報告書を取り上げるとそれを一瞥し、再度机の上へと放り投げた。
「イジョウナーーシ。リョーーカイデーース」
安居は何度も煙草を吸い込んでから、口から盛大に煙を吐いた。その度に煙草の火がチカッと光る。
四十路になるが、まだ結婚はしていない。恋人がいるという話も聞いたことがない。
この安居、歳の割には早くに昇進を重ね、現在はこの『生き時計管理課』の課長を任せられている。
その大元である『健康維持管理局』のお偉いさんからも、一目置かれた存在だ。ここまで腕一本の実力で、成り上がってきた経緯を持つ。
特に緊急事案に対する迅速な対応には定評があり、問題解決能力もズバ抜けて優秀との評。
梶井は改めて、安居を見た。
(……が、普段のこのだらしなさ。ギャップ萌え〜)
吹きそうになるのをどうにか抑え、口をモニョモニョしながら頭を下げる。
「じゃあ俺、お先に失礼します」
「おうおう、おっ疲れ~」
梶井は課長室から出て、ドアを後ろ手に閉めた。
交代要員の配置表と新しく出た勤務表を確認して局舎を出る。
梶井は家に帰る前、近所のコンビニに寄り、ビールと唐揚げを持ってレジに並んだ。
「はああ、やっと休みだあ」
休日を堪能と言っても、無趣味の梶井はいつも一日家でだらだらと過ごしている。職場は大体がシフト制になっていて同僚とはほとんど休暇は重ならないから、飲み会やレクリエーションなどに時間を割く必要もない。
彼女いない歴二年。休日は、ひとりで過ごすことが多かった。
「ちょっとお、あんた。いつもカップラーメンか唐揚げだねえ。せめて野菜サラダくらいつけないと、身体に悪いわよ」
コンビニのおばちゃんが手際よくレジ袋に商品を入れながら、常連客である梶井に声を掛ける。
「彼女に煮物でも作ってもらいなよ。あんたのその顔なら、彼女の一人や二人、ひょひょひょいっと釣れるだろ。このままだと宝の持ち腐れ、行き遅れちゃうじゃない」
「嫁か⁉︎ それにしてもオバちゃん、本人目の前にして失礼なこと平気で言うんだからな」
「なに言ってんだい。あんたのためを思ってだねえ。あ、ポテトオマケしといたわよ」
梶井はレジ袋を受け取ると苦く笑い、いつもありがとねーと手を上げて、コンビニを出た。
寂しいかと問われても、本人にその自覚はまったくない。恋人に合わせる煩わしさもなく、平穏な毎日だと、十分満足しているのだ。
「こうやって、仕事の後に飲むビールと唐揚げがうまいんだよな。あーしあわせー」
家に着き、年中出しっぱなコタツに足を入れて思いっきり背を伸ばし、ごろんと寝転ぶ。
レジ袋の中身をたいらげ、そしていつの間にかそのまま眠ってしまっていた。
♦︎安居 保栄 : 『生き時計管理課』の課長。『健康維持管理局』のお偉いさんから一目置かれている。四十路。ヘビースモーカー。性格はだらしない。好きな言葉は『適当』。美人が好き。