反乱の幕開け
「じゃあ、A案の説明をするね」
水無は息を整えてから、一気に話し始めた。
「まずは梶井くんと川瀬さんなんだけど。環の接続によって、二人と全国民のαウォッチをリンクさせることから始めるね。
それから今さっき、梶井くんがルーイー=リャンに頼んでやってくれた要領で、デボラシステムに入ってもらい、その状態を保ちながら、川瀬さんにタイムリープしてもらう。
そうだな、10分。いや5分でいい。デボラシステム全体を過去へと連れていくんだ」
「デボラを過去へ……」
思いもつかない計画に、梶井は息を飲んだ。
「デボラシステムはリワインドを感知して初めて、過去に巻き戻るシステムだから、まさか強制的に過去に戻らされるとは思いもよらないはずなんだ。
それで不測の事態に耐えられず、システムがダウンするっていう算段だ」
「でもそんなこと俺じゃなくても……パフォーマーなら誰だって……蓬莱とかでもできるんじゃ……」
詰まり詰まりの言葉を並べる。それだけ水無の話が、梶井にずしっと重みを与えているからだ。
「いや、梶井くん。こんなこと君にしかできないんだ。普段のように、対象者が一人ということなら蓬莱くんでもできる。けれど全国民、いわゆるシステムの末端まで行き渡らせようと思うと、並みの人間ではだめなんだ。感性に鋭さのある梶井くんぐらいしかできないね」
「……水無先生、A案だとしても、末端まで完全には辿りつかないという結果が、」
ここで大賀が口を挟む。
「うん、そうだね。でも、それでもやるしかない。末端まで届かせるには、日本中のαウォッチに入り込まなければならない。
現時点で、日本国民の人口は約二億。全てを梶井くん一人で処理するのは、とうてい無理な話だ。だから、『葡萄の房』をイメージして欲しい」
水無が側に置いてあったペットボトルを取ると、ミネラルウォーターを口へと流し込んだ。
「……例えばだね、葡萄園を思い浮かべてくれ。葡萄棚から全ての葡萄を地面へと落とすのを目的と仮定しよう。
葡萄の実の一個一個に爆弾を仕掛けるより、その房を繋いでいる蔓の部分、つまり果梗の根元に爆弾を仕掛けた方が、房ごと地面に落ちるだろ?
現在デボラシステムは、A~Zの地区に分けられている。その26のアルファベットの入り口部分まで辿り着き、そこで川瀬さんがタイムリープを仕掛ければ、全ての葡萄が房ごと地面に落ちる、すなわちデボラシステム全体がダウンするっていうわけ」
大賀が遠慮しながら、口を挟んだ。
「先生、梶井くんの能力にもよりますが、環ちゃんがそのA案が成功する確率は、66%だと……。入り口までは梶井くんに行かせて、その先は環ちゃんに……」
「大賀くんっ‼︎ それはできないと言っただろっ‼︎」
水無の怒声に、部屋にいた皆の身がすくんだ。
飄々とした印象に、あたりの柔らかい性質。そんな水無の激昂に、その場にいる皆の背がびくっと揺れた。
けれど水無は構わず、そのままの狂気をはらむ声で続けた。
「二億だぞ、二億っ。負担が尋常じゃないんだ。そんなことはできないし、絶対にやらせないっ‼︎ それこそ今度こそ、環が死んでしまうっ‼︎」
ひやりと背筋を冷たいものが走った。
ここへきて、それが『死』なのだと言う。
梶井は川瀬の方をちらと見た。
動揺が隠せない。妹の『生死』に関わる事態に、凍りついたような表情を浮かべている。
その目には恐怖が、怯えが、驚きが混じっているのを、梶井は見逃さなかった。
焦った。もう一度、抱き締めて、大丈夫だと言ってあげたいと思った。
「水無先生。俺がやります。なるべく、葡萄の房だけじゃなく、果実の一個一個に入り込めば良いんですよね」
まず。そんな大それたことをどうやってやればいいのか。その方法もイメージも何一つ想像すらできていない。
本当にできんの⁉︎ と自分で自分に突っ込むが、けれど、梶井は彼女を安心させたい一心で、そう言った。
無責任だろうか。
根底にあるのは、川瀬への恋慕の気持ちのみ。
自分でも理解不能だった。
つい最近、彼女に出逢って、まだ間もないはずなのに。
(俺は、どうしてこの人をこんなにも好きになっていくんだろう……)
初対面の印象は、良くなかったはずだ。
確かにどストライクの美人で、心から綺麗な人だとは思ったけれど、あからさまに警戒されて心証は悪かったはずなのに。
しんと静まり返った部屋で、沈黙が続く。
「やるしかない」
梶井の放った言葉がきっかけとなって、デボラシステム瓦解の幕が開いた。