言葉が必要なんだ
川瀬が落ち着きを取り戻してから、半時間ほど経った頃、水無の研究室に、皆が集まった。
大賀が困り顔を浮かべながら、説明し始める。
「公安が研究所に入れてくれと、玄関の前で待機しているんだ。防犯カメラで確認したけど、二十人くらいで押しかけてきたよ」
「でも、この研究所のカギ開けなくても罪には問われないんですよね。ここ、治外法権だって聞いてますけど」
蓬莱が心配そうに問う。
「そうだけど、捜査令状的なものを持ってこられると困るかな。そうなったら言うことをきかないとまずいことになるだろうね」
「……それまでに、なんとかしなきゃいけねえのかよ」
梶井が舌打ちをする。
安居不在の痛手。
皆がそれを痛感することとなる。
「どうしましょうか、水無先生」
「うん、そうだね。どうしよっか……」
少しだけの沈黙。けれど、すぐに梶井が口を開いた。
「……協力者っての、やってみよう」
「何? 梶井くん、当てがあるの?」
大賀がそう言って、梶井を見る。
「説得すりゃ、良いんだろう」
「え、候補はだれ?」
蓬莱が不審そうな眼差しを向けながら言う。
「ルーイー」
蓬莱が手を額に当て、天を仰ぐ。
「ちょ、待って。ルーイーの他には?」
「いない。安居さんが、クロは無理みたいなこと言ってたし、小夜梨は……あいつはルール第一主義で頭が固いからだめだな。そうなるともうルーイーしかいねえ」
「他の地区のヤツでも良いでしょ」
「俺、他の地区に知り合いいねえんだわ」
蓬莱が、だよねーと賛同する。
「梶井くんは友達いないもんな。どうしようもないかあ」
「じゃあ、決まりだね。梶井くん、その人なら説得できそう?」
水無が問う。
「やらなきゃ、しょうがねえだろ。もうそこまで、公安が来ちまってんだからよ」
「じゃあ、さっそくだけどこれ。環に繋がっているから」
いつもDルームでつけているインカムとヘッドカバーを受け取る。リワインドによるデボラシステム用のセットだ。
ヘッドカバーの後ろ側から出ているコードは、大体な感じでまとめられて、二つに分かれている。
一つの束は、スペックが半端なく高い水無のPCに。
もう一つはそのまま、環が眠る部屋へと続いている。
PCの前に、水無が座った。キーボードを叩きながら、セッティングを進めていく。
「これで対象者の脳へと話しかけれるはずだ。デボラシステムと同じ原理だよ。ただ、言葉は脳波となって伝わるから、ルーイー=リャンには言葉としては聞こえないけどね」
「そんなんじゃ、意味ねえってんだよっ‼︎」
梶井の激昂する声が響いた。
「俺たちには、ちゃんとした言葉が必要なんだっ。ちゃんとした言葉で、説得しなきゃなんねえんだ。わけかんねえ内に洗脳なんて、クソ食らえなんだよっ‼︎ 言葉をよこせっ‼︎ 水無先生、あんたならできんだろっ」
その怒声に反応して、水無が信じられないスピードで、キーボードを叩いていく。
「言葉を脳波に変換する回路を切断して、環の脳を緊急用のネットに繋ぐ」
画面を見る視線に厳しさが増す。水無は乗り出すようにして、PCを操作していった。
「こんなこと、梶井くんにしかできないかも知れないけど。No.r4729384、ルーイー=リャン、入るよ」
水無の言葉を合図に、梶井はインカムのマイクに向かって呼びかける。
『おい、ルーイー、梶井だ。この声が聞こえたら、応えてくれ』
インカムは、しんと沈黙を守っている。
まず。
水無のパソコンは環の脳を介してネットの裏側から接続され、『健康維持管理局』のネットワークの中へと入り込んでいる。
ルーイーのデータは職員名簿の中から探し出され、PCの画面へと表示され、そしてαウォッチを通して梶井が呼びかけるという仕組みだ。
だが、静寂。
けれど、とPCの画面を見る。
すると、ルーイーのαウォッチから送られてきている、その「心拍数」と「血圧」が、少しずつ上昇に転じて推移していくのがわかった。
『……おいルーイー、おまえ聞こえてんだろうがよ。わかってんだぞ。無視すんな』
『…………』
『ルーイー』
『え、ナニコレ? マジでなんなの? ルイ? ルイなの? ナニコレどうなってんの?』
『おまえ今どこにいる?』
『と、トイレトイレヨー』
『……まさか、またさぼってたんじゃねーよな』
『ハオー サボってないヨ‼︎ それよりこれ、どうなってんのー‼︎』
ルーイーの混乱ぶりが目に浮かぶが、今は遊んでる場合じゃないと、考えを改める。
『おまえの頭ん中に話しかけてんの。デボラと同じ構造っ。おまえ、安居さんのこと、知ってるか?』
『ええっと、代理の人が来て、安居サンは出張デースって言ってたけども』
『逮捕だ逮捕。安居さん今、軟禁状態』
『ハオー安居サン、ナニやっちゃったのヨ。もしかして……』
ルーイーが遠慮がちに女子高生の件? と訊いてくる。
『うおいっ‼︎ 何だよそれっ、女子高生だと? めっちゃ気になっちゃうじゃねえかっ‼︎ ……っと、それは置いといてだな。おまえちょっと俺に協力しろ』
ルーイーの慌てた声がインカムのスピーカー越しに聞こえる。
『エエエエーどいうこと?』
『いいから協力しろって‼︎ おまえが仕事中、いつも彼氏と電話してんの知ってんだぞ。チクられて減給になりたくなかったら、言うこと聞け』
『ワワワ分かった、分かったってばあ。減給ヤダヨ、ダーリンに怒られちゃうう』
既にチクってあることは内緒だ、そう心で思いながら言う。
『ルーイー、ちょっとそのまま待機してろ』
『ア~イ』
ヘッドカバーを取って、振り向く。
「……ちゃんとした言葉をよこせって、カッコイイこと言ってたのに。やり方が卑劣極まりないなあ」
大賀が呆れた顔で言った。
梶井は両手を広げて、肩をすくめる。
「よし、それじゃあ、やろう」
その様子を見て苦笑していた水無が、その両手を合わせ、パンっと打った。