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二人でひとつの存在



「環、たまちゃん、嘘みたい……本当に……たまちゃんなの?」


梶井から事の概要は聞いてはいた。聞いてはいたけれど、俄かには信じ難いその事実。

川瀬の頭の中はぐるぐると空回りしているようだった。


まだ幼い妹の姿をこうして目の前にしても、まだ驚き、混乱している。


「たまちゃん、たまちゃん、」


自分の中で封印していた妹の名。その名前を何度も呟いてみる。



看護師として。



今まで何度も人の死というものを体験してきた。けれど今回だけは、生を前に添え置いた、死。

死を前に添え置いた、生。


それがいったいどちらなのかも、分かっていない。


頭が。感情が。

ついていかないし、ついていけない。


けれど混乱する頭と心を抱えながらも、もう一度こうして環の顔を見られることが、川瀬には嬉しく思えた。


単純に、会いたかった。心から欲していたのだと、直感してわかる。


欠けていたものは。


(あれからお母さんも死んでしまって、私はね、今独りぼっちなの。だから、たまちゃんにまた逢えて嬉しい。これで私、やっと……ひとつになれた気がする。……やっぱり私たち、二人でひとつだったんだね)


そう心で話しかけた瞬間。

涙がどっと溢れてきた。


「うぅ」


嗚咽が喉から込み上げ、身体が震え始める。


「うう、ふうっ、うぅ……」


声は抑えていた。

なぜなら、梶井が同席しているからだ。


それでも、涙はとめどなく溢れた。


(たまちゃん、たまちゃん……)


両手をガラスに置いてみる。

せり上がってくる嗚咽に堪えながら、覗き込む。


(話せたらどんなに良いだろう、笑い合えたらどんなに幸せだろう)


その寝顔。幼い頃から環は、少し微笑むように眠った。その寝顔が大好きだった。


「……やっぱり似ているね、私たち」


思いがけず、声に出してしまう。すると後ろに立っているはずの梶井の存在が気になった。


同時に。


背中に体温を感じて、驚く。


あろうことか、梶井が川瀬を後ろから抱き締めたからだ。


「か、梶井さ、ん」


背の高い梶井に抱き締められると、頭頂部にシャープな梶井のあごが乗せられているのを感じて、うろたえた。

胸の前に伸びる腕にそっと手をかける。


「梶井さん」


「すみません、イギリスではこうやって人を慰めるので」


背中で感じる体温。他人の暖かさ。

いつも引っ付いては離れなかった環を失ってから、感じるのを忘れていた人肌だ。


川瀬はそのままもう一度、横たわる環を見た。


いつも病床で死に向き合う時の虚しさは、今はまだ自分の中には存在しない。


「……梶井さん、自分は日本人だって、言ってませんでした?」


そう言葉にすると、自分でもおかしくなってきて、クスッと笑う。


梶井も同じようにふっと吹き出し、川瀬の黒髪を揺らした。


改めて、どきりと心臓が鳴った。


「今は川瀬さん限定で、イギリス人なんですよ」


顔が火照ってくるのを感じる。


「ころころ変わるんですね」


「時と場合によるんです」


「じゃあ、日本人に戻ったら、教えてください」


「……もう戻りました」


そう言うと、梶井は川瀬から離れ、部屋から出ていった。


環を前にする。


どうしてこんな目に遭わせたんだと、もっと直情で怒りが湧いてくるのかと思っていた。


けれど不思議なことに、怒りはいつまで経っても現れない。


そして川瀬はもう、環の前では泣かないと決意した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 梶井さんやるじゃないか! と思ったら、すぐに日本人に戻ってしまいました(笑)
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