贖罪、罪の重さ
手元にあるリストを見て、梶井は溜め息を吐いた。
「結局のところ『今日を生きろ』なんだよなあ」
イスの背をギッといわせて、背筋を伸ばす。
「まあ、無難な言葉ってのもあるけど、力強さが伝わってくるからね。その言葉によって、大多数の被験者をポジティブシンキングにできるっていう集計結果も出ているし、軽んじることはできないな。君や僕のような天邪鬼もいるけど」
大賀 慎也が、綺麗な額にしわを深く寄せて、書類にペンを走らせている。
「念のため、「新しいワードの検討」という書類を提出しておくから、口裏を合わせておいて」
「はい」
改めて、手元のリストを見る。
今日 生きる 未来 晴れ晴れと 夜明け 太陽 夢 希望 期待 幸福 前向き……
デボラシステムで効果が認められている言葉の羅列に目を落とす。横にはその効果を示す円グラフが添えられている。
表向きには、そのキーワードの再検討とデータの集計が目的で、梶井はこの水無の研究所に呼ばれていた。
大賀と打ち合わせをしていると、水無が慌てた様子で部屋へと入ってきた。
「大賀くん、やっぱり思った通りだった。このままの方法だと、失敗するって言われたよ」
「環ちゃんからのダメだしですか?」
「ん、検討中のB案だと、末端まで届かないようだ。これならまだ、A案の方がマシだってさ」
「分かりました。A案を基にして、再検討してみましょう」
「デボラシステムへのアタックの方法ですか?」
途中、我慢できないという様子で、梶井が割って入った。
水無が梶井を見る。
「ああ、僕が考えた作戦なんだけど、環に今お伺いを立てているところなんだ」
「そんなことして大丈夫なんですか? 俺たち、その環さんが創ったシステムを壊そうとしてんですよ。デボラ自身がそんなこと許すわけないじゃないですか」
「彼女に意思はないから、大丈夫だよ」
水無はそう、さらっと言い放った。
が、梶井はどこかに引っ掛かりを感じた。
(環ちゃんに意思がないだって? それは本当なのか?)
生き生きとした姿の、川瀬の姿が思い出される。
彼女の妹だというのに、本当に意思がないというのか?
梶井の疑問をよそに、水無は一気に続けていく。
「環のことは独立した一つのコンピューターだと思ってくれて良い。彼女はこちらからデータを提供すると、それを計算構築して答えだけを返してくれるけど、単純に計算だけを無条件にこなしてくれるから、実はこれ以上安全なコンピューターはないんだよ」
隣で大賀が水無を見つめている。
「ネットには直接的にはリンクしていないから、外部のウィルスに晒されることもないし、政府からの接触も絶たれている。もうずいぶんと昔にシステムは単独化されて、環はそんなシステムからは遠ざけられているからね。それからは、ほとんどの権限が健康維持管理局に委ねられたんだ」
梶井は、ゴクリと唾を呑んだ。
(その最前線の指揮官が、安居さんってわけか。そりゃあもう、マジ反乱だな)
口の中が異様に渇いてくる。
唇を引き結んでいる、梶井の固い表情を見て、大賀が声を掛けた。
「水無先生、このままお茶にしませんか? そこで、梶井くんに今回の作戦をお話ししたらどうでしょう」
漂う緊張感から解き放れたように、水無がほっと小さく息を吐く。
「そうだね、うん、そうしよう」
大賀がお茶を用意している間、梶井は眠り姫の寝所に忍び入った。
相変わらずのオレンジ色の淡い光の中。
環は浅く呼吸をさせられ、眠り続けている。
(これは、水無先生の贖罪なのか)
驚くことにその寝顔は、少しずつ変化していた。
(ずいぶんと、大人びてきたな……)
髪や身長が伸び、まだ幼顔であったその輪郭やパーツが、シャープになりつつある。
このまま成長すれば、確実に姉である川瀬 町子の顔に近づいていくはずだ。
その姿を見ると、途端に蓬莱の言葉が現実味を帯びてくる。水無が環を目醒めさせる研究をしていると言った言葉が、するりと頭に入ってきた。
音や光などの刺激、栄養などを考慮して、少しずつ身体の成長を促し、本来の年齢まで引き上げていく研究。
(皮肉なことだ……)
デボラシステムの根幹を、この研究に用いているというのだ。
それは言葉や音楽、あらゆるジャンルから、直接的積極的な脳への働きかけが試されているという。
現在は臨床段階だが、効果は現れているように見えた。
けれど。
その脳は、さらにこの反乱に利用されている。
胸がぎりと痛んだ。
川瀬 町子の顔が思い浮かぶ。
眠り姫を前にしてもなお、梶井は何度も川瀬を思い出してしまうのだった。