真実に向き合う勇気
「絶対にまっちーに気があるってえ」
小堺 佳奈が興奮して声を上げる。
「カナちゃん‼︎ やめてよ、本当にそんなんじゃないから‼︎」
楽しそうな小堺をいなしながら、消毒薬や包帯、滅菌ガーゼの束が納めてあるボックスを確認する。
「いやあ、私の勘は当たるのよ~。だってさあ、ずうぅっと見てたよ、まっちーのこと」
「そんなわけないよ。あんなにカッコいいんだから、絶対に彼女いるって……」
「彼女いてもいいじゃん‼︎ 乗り換えちゃいなよ。あんなおっさんより、梶井さんの方が断然良いって! 歳も近いし~」
「あのね、そんな……」
そんな単純な話じゃないの、そう言い掛けて、言葉を呑み込む。
小堺が言うところの「おっさん」とは恋人同士のふりをするという契約があるので、一方的に破棄することはできない。
「と、とにかく梶井さんはそういうんじゃないんだから」
「あっそ。じゃあ、私ががんばるわ。後になって文句言わないでよ~」
「わ、分かった、わよ」
川瀬さん、あのイケメンの人誰ですか? キャーと、先輩やら後輩やら患者やら事務員やらに、何度も聞かれて辟易するほどだった。
医師には、川瀬さんとなら美男美女で釣り合うなあ、などと言われたりしたが、自分がそれに当てはまるとは思えなかった。
患者を看取りながら、暗闇を彷徨っているだけの空っぽな自分。そんな自分を持て余すだけの毎日。
そして、突然現れた、安居 保栄という男。
川瀬の能力についても、双子の妹についても、知っていると言った。
「教えて欲しければ、俺と恋人の振りをしてください。もちろん、周りにこのことは内緒です。あと、過去に戻るのは十分以内にしてください。こんなことが世間に知られれば、大変な騒ぎになりますからね」
初対面の時は、それだけで終わった。
最初は、映画に行ったり食事に行ったりしていた。
「看護師って、ぶっちゃけどうなんですか? 給料とか」
第一印象と合致の性格はフランクで大雑把。ニヤニヤとしながら、無遠慮に個人的なことを訊いてくる安居を、最初は少し苦手に思っていた。
「……お給料はそこそこ貰っています。仕事がお給料に見合うかどうかは、その人次第でしょうか」
「やりがい、みたいなもんですかね」
「一人でも多くの人を助けたい、そう思っている人もいるでしょうね」
「あなたは違うんだ」
「……わかりません」
果たして付き合いたての恋人がこんな話をするのだろうか。
けれど、訊きたいことはそんな単純なことではない。環のことを「知っている」としか教えてもらえない上、それなのに詳しくは話せないなんて、と混乱しか生まれない。
川瀬が環のことを訊こうとする。
すると、「今は話せません」と、キツい視線で諌められる。
核心に触れてもらいたくないという、絶対的な拒絶のオーラを感じていた。
そんなことを何度か繰り返す。それから安居は川瀬の家へとやってくるようになり、やっと少しずつ話をしてくれるようになった。
その時に初めて、安居自身が政府によって監視されているということを打ち明けられる。
「どうして身内でそんなことを? そんな必要があるんですか?」
「まあ、俺は不穏分子だからねえ。前々から目をつけられてる」
話ができない理由を理解した。
そして、先日。病院のトイレのエントランスで。こんなとこで悪いなあと言いつつ、隅へと連れていかれた。この病院のエントランスが携帯の電波が唯一届かない場所だからと、いつもより真面目な顔で言う。
うちのイケメンバカがお世話になってますと前置きしてから、安居は早口で話し始めた。
「そんなわけで近いうちにその水無教授ってのの研究所に行ってもらわねえといけないんだ。あんたを巻き込んじまってすまないね。でも、俺はあんたたち双子の存在を知ってからは、どうしても自分を納得させることができなくなっちまって。実際、他人の人生に土足で踏み込んでんだ。こんな胸くそ悪いことはねえよなあ」
早口でまくし立てるように喋っていた安居の声が、穏やかになった。
「……君が協力してくれると言ってくれた時な。俺は今まで自分がしでかしてきたことを、ようやく許されたような気がしたんだ。はは、なんとも自分勝手な話だけどな」
『健康維持管理局』がどういう機関なのかということ、味方はほとんどいないということ、そして環のこと。安居からの情報は少ないが、研究所へ行けば全てがわかり、全体像が見えてくるだろう。
貪欲に訊きたいという気持ちが次々と湧いてきて困った。それはもちろん、環のことに尽きる。
「……私のこの能力、……能力って言って良いのかわからないですけど、できる限りはご協力したいと思います。αウォッチにそんな意図があったなんて、全然知らなかったですから。……悔しいですね、自分の知らないところで、意識を操作されているなんて……」
安居がバツの悪そうな顔をする。
「まあ、大抵の人には分からないようにしてるからねえ」
その顔を見て、ふふと川瀬が、暗く笑う。
「こうして毎日、患者を見送っている身には、『死』って虚しさの象徴なんですよ。『死』は誰にでも平等にやってきて、命をあっさりとさらっていってしまう。けれど、それはどうしようもできないから。もちろん他人である私だって同じです。看護師だからといって、何もできませんから……」
川瀬は顔を上げ、安居を見つめる。
「だからどういう事情があるのか、まだわかりませんけど、本音を言えばですね。自分の知らないところでなら、そういう操作があっても良いと思ってしまうんです。けれど、私はもう知ってしまったから……やっぱりこんなことおかしいって思ってしまう。あなたに協力するしかありません」
「……はい、申し訳なく思います。場合によっては、あなたから看護師という尊い職を奪ってしまうことになりかねません」
川瀬はつと、持っていたカバンの中から一通の封筒を取り出した。
『辞表』
苦く笑いながら安居に見せる。
「ほら、私は大丈夫です。それより、安居さんの方が……」
「はは、それこそ俺なんかは大丈夫ですよ。良いんです、俺はもう直ぐ定年なんで」
「えっ」
川瀬が目を丸くして、声を上げる。そんな歳に見えない、と言い掛けたところで、慌てて口を噤む。
川瀬の戸惑った顔を見て、安居は大声を上げて笑い、そして言った。
「川瀬さん、待っていてください。必ずあなたを、環ちゃんと会わせてあげますから」
その言葉で川瀬の指が。
小刻みに震え始めた。